第二百五十話『人形と戦士』
「よくお越し下さった、紋章教の諸君。贅の限りを尽くして歓迎したい」
その言葉を皮切りに、フィロス城門上から高々と声を響かせるロゾーを見つめ、眼を緩める。ロゾーから零れ出てくる言葉は、随分と滑らかなものだった。
なるほど、舌がよく回る男だ。唇を開けば開くほど、言葉が頭の中に浮き出てくる、奴はそういう性質なのだろう。言葉を捏ね回すその姿は、実に誇らしげで堂々たるものだ。
「……ロゾー殿。どういうお考えか、教えて頂きたいですね」
傍らでラルグド=アンが、ロゾーの話にかみ合わせるように口を開く。
恐らくはこの場で、少しでも時間を浪費させようという腹なのだろう。時計の針が足を進めてくれれば、敵の腹へと収まってしまった此の最悪の状況も、まだマシになるかもしれない。
何せ都市フィロスの門前は平野部、少しでも騒ぎを立てれば、紋章教の誰かしらが気づく可能性だってある。勿論、そんな可能性ごく僅かなものに過ぎないが。今の俺達はそんなものにもすがりつかざるを得ないということか。
けれどもそんなアンを見つめながら俺は、全く別の事を考えていた。
「どういうつもりも、考えもない。我々は大聖教徒、其方は紋章教徒。例え心臓に杭打たれようと、相いれることはないでしょう」
その降り落ちてくる声に呼応するが如く、周囲を埋める都市兵共の目つきがより凶暴なものに変貌していく。まるでロゾーなる者の声に、その思考を塗り固められているかのようだった。
やはりというべきか、奴が頭、都市兵は手足だ。彼らは、本質的な所でただ他人の言葉に従っているだけ。実質的にその頭の中では何一つ考えちゃあいない。
実に、分かりやすい。唇が波打つ。
「――紋章教の兵士よ、聞くが良い! もはや君らの命運は尽き果てた。数で取り押さえられては獅子とて死を覚悟するもの」
ロゾーはどうやら、アンから兵士へと標的を変えたらしかった。さしもの奴も、紋章教、というより聖女マティアの狂信者であるアンを懐柔出来るとは、もとより思っていなかったのだろう。むしろ、最初から狙いは此方の兵だったのかもしれない。
「例え此処を逃れたとて、いずれは唯一の神がその心臓を撃ち抜き神罰を与えるぞ。大聖教の兵と紋章教の兵、その数を比べてみたまえ。どれだけ懸命に手足を振るおうと、君らは必ず死ぬ」
淡々と、しかし確かな力を込めて語られる。視界の端に、紋章教兵の肩が跳ねたのが、見えた。
素晴らしく此方の痛い所を突いてくれる。ロゾーが語ったのは、紛れもない事実だ。
一度大聖教の勢力を追い払ったとはいえ、未だ紋章教は大聖教にとって手で払えば消え去る程度の存在でしかない。此方はといえば、大聖教の鼻息一つを警戒しているというのに。
きっとそれは、マティアやアンだけでなく、兵の大部分も理解している事だ。ただ今のまま戦い続けるのであれば、俺達は何処かで朽ち果てる。首を刎ねられ、胸を貫かれ、腹を裂かれて死んでしまう。
誰もがその事実から懸命に眼を逸らしながら、心に宿した情動のままに戦い続けていた。例えば信仰の為に、例えば誇りの為に、もしくは家族の為に。
「どうだ、紋章教兵士諸君。大聖教の司祭様は寛大なお方だ。君たちは背徳者ではない、ただの異教者。未だ大聖教を知らぬだけの者に過ぎない」
ああ、やはりそういう話になるのか。鬱陶し気に吐息を漏らし、すぅっと眼を細めた。本当に、分かりやすい男だ。
「君たちはその悪魔ルーギスと、魔女に誑かされていただけではないか! 唯一にして至上の神アルティウス様は君らを喜んで迎え入れるだろう――その悪魔の首さえ君らの手で取るならば!」
そう、言って。ロゾーは真っすぐに俺の方を見やる。城門上に佇む奴の表情をはっきりと読み取ることはできなかったが。俺には何となく、その表情を察することが出来た。
きっと、今の俺と同じ様な表情を浮かべているのだ。
兵達がその瞳を動揺に宿らせて、歯を鳴らす。幾つかの表情が、俺の方を見た。それが、一体何を意味するのかが分かったのだろう、アンが咄嗟に俺へと一歩、近づいた。まるで俺を庇うように。
アンにしろカリアにしろ、俺の危険を案じてくれるのは嬉しいが。そうも危なっかしいかね、俺という存在は。苦笑の表情を浮かべながら、中空へと放り投げるように、言った。
「随分と口が上手いじゃあないか、時代が時代なら王宮詩人にでも成り上がれたろうに。それが此処じゃあただの詐欺師とは悲しいもんだな」
敢えて、軽く、誰もの耳になじませるように言う。どうしても、頬が緩みそうになるのを抑えきれない。何とも愉快じゃあないか。
「それに勘違いしてもらっては困るな。俺達は何も考えぬ人形ではない。意志持つ戦士だ」
人の悪だくみというやつを、思い切り叩き潰してやるのは。
◇◆◇◆
しかし、雇い主はどんな表情で自分達を迎え入れるのだろうか。馬車の中で揺られながらブルーダー=ゲルアはふと、そんな事を頭に思い浮かべていた。石板が敷き詰められた街道を、傭兵の一団が馬蹄を鳴らしながら踏み歩く。
ヴェスタリヌと共に紋章教と合流する旨は手紙で伝えているし、窓口となっていたラルグド=アンからは歓迎するとの内容を受け取っている。しかしその間、雇い主ルーギスの名は一切出てきていない。
喜ぶのだろうか。驚くのだろうか。それとも、また別の反応だろうか。どうにも、読めない。
何にせよ田舎へと籠ってしまうと伝えていただけに、このまま顔を合わせるのは少しばかり決まりが悪い。どうにか良い具合の言い訳はないだろうかと、ブルーダーは唇に噛み煙草を咥えたまま、思考を回した。
ヴェスタリヌが恩を返したいと言ったから。此れは事実ではあるが、全てを妹に押し付けている様に聞こえてしまう。では雇い主が心配だったから、というのはどうだろう。いやそれも、何か良からぬ勘繰りをされては困る。
唇を歪め、首を捻らせながらブルーダーは脳内をかき回し、丁度良い言葉はないかと探りを入れる。自分という人間が、紋章教に協力しても仕方がないのだという理由が、ブルーダーは欲しかった。
何せ己はあの銀髪の剣士に、雇い主の前で明確な敵意を向けていた。針を向けるとまで言っていたのだ。それがどうして、易々と紋章教の手を取れるというのか。
口先だけの安い人間だと、雇い主には想われたくない。だから、致し方ない理由があったのだと、そう告げたい。ブルーダーはふちの大きな帽子をかぶり直し、噛み煙草を唇の上で転がした。口の中に広がる感覚は、僅かな苦みだ。
此の咥え煙草という奴は、どうにも美味しく感じない。どうして雇い主は、こんなものが好きなのだろう。ブルーダーは眦をあげながら、咽るように喉を鳴らした。
思考を延々と歩かせ続け、どうにも良い考えが浮かびやしないと、そうブルーダーがため息をつきかけた、頃合い。
馬車が軽い振動と同時に、止まる。僅かに響いていた馬蹄の音すら、止んでしまった。
何事だろうか。紋章教の陣地は自治都市フィロスの近郊だと聞いている。ならばもう少々の距離はあったはずだが。
そう、思い。馬車の幌から少しばかり顔を出したブルーダーの耳朶を、一つの声がうった。どうやらどこかしらの兵とヴェスタリヌが、言葉を交わしているらしい。
「此処は先の王がひかれた街道のはず。何者にも足止めされる謂れはありませんが」
ガーライスト王国内部やその近辺に引かれた街道は、先の建築王が造り上げたもの。ゆえにこそ、誰もそこを占有する真似など行わないし、通行料のようなものも取り上げない。それは建築王が最期まで許さなかったことだから。
ガーライスト王国周辺に住む人間であれば、知らぬ者はいないだろうに。一体どこの誰が、何の目的で道を塞いでいるというのか。そう思い至り、目を細めた、瞬間。
「どうか、今暫しお話をお聞きください。今まさに我らフィロスは、大聖教にとっての大敵を討ち滅ぼさんとしているのです」
その言葉が、ブルーダーの耳奥を貫いた。