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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第九章『サーニオ会戦編』
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第二百二十三話『此の陽光の下』

 紋章教軍と大聖教軍との衝突は、まさに牙と牙の立て合いだった。獣が己の生存を賭して唸りをあげるのと、何ら変わりがない。


 特に最前線に至っては、複数の槍が肉に絡み合い、血が所せましと地面を汚す。果たしてどれが戦友の血で、どれが憎き敵兵の目玉であるのかが、まるで分からなくなっているほどだった。


 歯を噛めば容易く血がにじんでくる。口内には鉄の味が満載だ。水で口を漱ぐことすらできやしない。


 なるほど素晴らしい。此れこそが戦場だ。戦場とは此れなのだ。望んで頭を熱に浮かせた奴らが頭を砕き合う、原始的な闘争そのものだ。


 男が死に、女が嬲られ、子供が踏み潰される。全くもって野蛮で吐き気を起こす、狂気そのものだ。


 だというのに、人間というやつはどうしても戦場から離れることができない。幾ら平和を謳う奴らも、その先に戦場が迫っている事を知っている。


 それは戦場というやつが、時に酷く蠱惑的だからなのだろう。何せ此処では、一切の事を、何も考えなくて良いから。幸福も、不幸も、憎悪も愛情も、此処にはない。ただ平等な死だけが横たわっている。


 だからきっと誰もが戦場から目を逸らそうとして、それでも尚見つめ続けざるを得ないのだ。


 腕をしならせ、音を立てながら紫電を振るう。馬上にありながら、この宝剣をどう振るってやればいいのかは、もう分かっていた。馬鹿らしい事この上ないのだが、剣がまるで俺の体躯と共にあるが如く、真なる軌道へと腕を誘ってくれる。


 ――ゾギ、ィィッ


 紫電が煌き、宝剣が敵の兜を両断してその脳漿をかき回す。血とも体液とも言えぬものが周囲に飛び散り、空を汚した。


 その衝撃に、俺の腕が耐え切れぬとでもいうように嘶き、痛みを起こす。思わず、眼を歪めた。

 

 先ほどから宝剣に腕が引きずられる度、身体の何処かが軋みを漏らす。まるで餓鬼の頃、ろくに持ち上げられもしない長剣を振り回した時のような感覚だ。剣を振るっているのではなく、振るわれている感触。武器を使っているのではなく、武器に使われている。


 駄目だな。まだ駄目だ。まるで足りない。英雄なぞというものに足を掛けようというのなら、こんな様では鼻で笑われる。


 ヘルト=スタンレーの一閃は、もっと鋭かった。カリアの一振りは、此れより更に重かった。ならば手を伸ばすべきはその先なのだ。


「ルーギス様、正面が僅かに空きました、どうされます」


 兜首、指揮官の一人を割り砕いた影響だろうか、大聖教の前線が弛む。勿論それもほんの僅か、何せ相手は後ろからぞくぞくと兵が湧いてでてくるようであるし、軽装ゆえに動きも早い。固くはないが、柔軟性に富んだ兵種だ。


 それに、相手が僅かに解れを見せているとはいえ、崩れ具合ではこちらも負けてはいない。なにせもはや前線は乱戦状態だ。まともに陣を敷けている方が珍しい。


 どうされますと、槍先を赤くしながら聞いた兵に、決まっているだろうと、そう言って答える。


「無論、絶対的な攻撃あるのみだ。当然だろう、俺達が前に出れなきゃ後ろの全員が首を括る羽目になる。周囲の動ける奴らには、突撃準備をさせろ」


 そうだとも。今俺と、周辺数百数千の兵が槍と刃を奮わせているのは戦場中央の最前線。


 紋章教は勝利を得る為の戦術として、中央部の一点を食い破る方策を立てた。可能な限りの兵をつぎ込めるだけ中央につぎ込み、そして被害を受けてでも尚前に進ませる、そんな戦術だ。


 あのラルグド=アンが、悲痛にすら思える声を漏らして、此の策か、もしくは撤退しか道はないのだとそう語った。ならば、俺が成せる事は一つしかあるまい。


 頬や節々に出来た傷が、じくじくと痛む。懐に仕込んでいた噛み煙草を一瞬だけ口に含み、痛みを少しばかり紛らわせた。頭が、澄んでいく感覚がある。


「いいか、そう簡単に死ぬな。死ななきゃ良い女がいる店奢ってやるからよ」


 そう周囲の兵達に言って聞かせると、俄かに、少しばかりの笑いがあった。俺の周辺についているのは、最前線で死ぬであろう役目を十分に理解して、それでも此処にいる奴らだった。俺より年上の者もいれば、年下の者もいる。


 誰もかれも、次姿を見た時には、血と骨をまき散らしていたってなんらおかしくない。いやむしろそちらの方が自然だろう。


 深い呼吸を、一つ。周囲百名ほどの突撃準備が、整った。そうして、フィアラートの詠唱も。


「フィアラート、お前は――」


 此の一撃を放ち終わったら、後衛に戻れと、そういうつもりだった。何せフィアラートは貴重な魔術戦力だ。


 後衛に戻して休ませれば、万が一の時だって十分役に立ってくれるだろう。場の判断としては、それが最善なのだと、そう思った。


「――あら、私だけ仲間外れ? そういうのは意地が悪いわよ」


 その食い取られた言葉に、思わず唇を噤む。頬が固くなったのが分かった。


 どうしたものかと一瞬思案を頭蓋の中に浮かべながら、目を細める。


 しかしフィアラートの言うことも、最もなことだ。彼女とて共に前線に赴くにおいて、当然の覚悟をして此処にいるはず。だというのに用件が済んだらさっさと帰ってしまえなどというのは、彼女への侮辱以外の何ものでもないだろう。


 ならば、もう構わない。


 悪かったと背中越しにいうと、軽く頷いたような気配があった。そうしてフィアラートは、言う。


「後、良い店を教えてもらえるのよね。とても、楽しみにしているわ」


 首筋のすぐ傍を、その固い声が通っていく。背をそのまま削いでいきそうな、鋭い声だった。


 兵達の笑いを誘う為だったのだが、果たしてフィアラートにはその冗句が通じているのだろうか。楽しみにしているとは、きっと文字通りの意味ではないのだろう。


 俺とフィアラートのやり取りに、周囲の兵から再度、喉を鳴らしたような軽い笑いが起こった。言っておくが、これは本当に笑いごとではない。


 そんな風にして、軽く肩の力を抜きながら、ゆっくりと吐息を漏らす。恐らく、もう殆ど休息はとれまい。後は一息で、何処まで敵を食い破れるか、ただそれだけだ。一瞬だけ周囲の兵、その面々をみやる。そして瞼を瞬かせ、フィアラートに合図を送った。


 正面からは、大聖教の兵たちがようやく、態勢を立て直さんとしている所だ。丁度良い、その出端を挫いてやることが、一番効果があがるのだ。昔そう教えられた覚えがあった。


 ――さて、では戦場を捏ね回しにいくとしよう。


 フィアラートの喉から、声ならぬ声、魔術師のブレスが響く。魔術の祝詞、己の意志をもってして世界の理を書き換える究極の一つ。それが、世界を揺るがせた。


 瞬間、濁流が平野を覆う。


 平野にて本来有り得ぬほどの、水量と圧。突如現れた水に敵兵は飲まれ、地の上であるにも関わらず、溺れ死ぬという奇怪な体験をする事になった。加えて水の圧は、容易く人の足を払ってくれる。立て直しかけた態勢は、今再び崩れた。


 都合これで、フィアラートの戦場魔術も三度目。平然としたように声を放ってはいるものの、本当に、彼女は殆ど限界そのものだろう。それでも尚前線へ向かうと、フィアラートは言っている。


 ならば何も語ることはない。フィロス都市兵を踏み潰した時と同じ演目を、もう一度演じるだけだ。


 敵陣に流し込まれた濁流が、その身を切れさせるのを見計らって、言った。


「踏み潰し、征こう――総員、突撃ィッ!」


 兵どもの狂おしい蛮声が、戦場に轟いた。赫赫たる陽光の下、兵が、駆ける。

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