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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第九章『サーニオ会戦編』
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第二百十六話『民会議場』

 サーニオ平野を、大聖教と紋章教各陣営の馬が駆ける。その手に抱えた情報をいち早く持ち帰る為に。


 大聖教の伝令は、馬足を速めながらも、その心に焦るものはない。何故ならその報告は上官が望んだとおりのもの。歓迎されこそすれ、落胆されることはないだろう。


 反面、紋章教の伝令は顔をひきつらせ、心臓を痙攣させる如き思いで馬を駆けさせる。上官にどう伝えたものか、頭の中で必死に言葉を組み立てるも、すぐに破綻して身体を伝う冷や汗と共に零れ落ちて行ってしまう。


 よもや自分の番に限って、このような報告をさせられるとは、本当についていない。紋章教の伝令兵は心の中で一人、愚痴を吐いた。しかしその想いすらもすぐに、焦燥と悲嘆に塗りつぶされていく。


 ――自治都市フィロスは、大聖教軍への部分的協力を承諾した。


 この一報は、大聖教と紋章教だけでなく、自治都市フィロスの市民にも少なくない動揺を与えたのは間違いがない。


 反応は様々、それこそ市民の数だけ存在したと言って良い。だが敢えて分類を行うのであれば、ただただ驚愕する者、怯え惑う者、そうして異を唱える者の、三者という事になるだろう。


 自治都市フィロス民会はその中でも、異を唱える者らに分類される。


「我らは自治民である。奴隷ではない。このような事が許されて良いのか!」


 都市内の最も大きな施設、民会議場の壇上にて男が、吠える。年頃は壮年であり、その声は気力に満ち溢れたもの。瞳には確かな意志を示す色が灯っていた。


 男は語る。民会においては大聖教、紋章教共に協力は不要という決定がなされていた。にも拘わらず、統治者フィロス=トレイトは大聖教への協力を部分的とは言え単独で承諾してしまった、此れは横暴ではないのかと、男は声高に叫び続ける。


 男が叫ぶ度、民会議場に詰めかけた市民達は歓声をあげた。その歓声には男への賞賛と同意、そうして現統治者であるフィロス=トレイトへの反発が含まれている。


 統治者であるフィロスは、まるでどうでも良いようなものを見るような目で、民会議場の統治席からそれらを見下ろしていた。右眼に取り付けられた眼鏡が、酷く冷たい輝きを反射させる。


 表情を一切見せようとしない顔つきは、眼前で行われている演劇に興味がないとでも言いたげだ。フィロスが統治席より民会に出席しているのは、ただ統治者の義務があるからというだけ。そうでなければどうして危急とも言える時に、こんな下らない事に付き合っていられるだろうか。


 民会。強者の顔を伺いながらそれに寄り添うという形で存在し続けていたゆえだろうか。それとも自治という名目ゆえか。自治都市フィロスには、民会という市民の総意をくみ取る為の機構が伝統的に存在していた。


 構造としては単純なもので、市民の代表、総意をくみ取る者が数名選出され、民会議場にて議論を交わす。そうしてその上で、市民の総意を決定し統治者フィロスへと報告を行う。フィロスは民会の意思決定を目に通し、そして最終的な決定をくだす。


 つまるところ民会とは、市民が都市統治者に進言を行う為の機構。ただそれだけのものだ。勿論、それだけと言っても周辺都市からすれば目を見張るものであることは間違いがないが。


 本来、領主領民の関係であれば、このような事はあり得ない。領民とはただ支配されるだけの存在であって、領主の意向に対して口を挟むなどという事は天に向けて言葉を吐くようなもの。意味もなければ、もし耳に届く事があればその場で罰を与えられることだろう。


 民会のような機構、本来どのような都市にもおかれるべき存在ではないのだ。


 ゆえに、自治都市フィロスの住民たちは此の民会という機構を、己たちの自治の象徴だと言って憚らない。大いなる誇りとして、その胸に受け入れている。


 己たちはただ支配されるだけの領民ではない。統治者に物申すことができる自治民なのだと、彼らは言う。


 それに、此の民会というものも、別段悪いものでもない。本来領民というものは領主の良し悪しによってその生活が様変わりするものだ。領主が能有るものであれば、幸福と安寧を手に入れられる。領主が悪徳の者であれば、ただ悲嘆と苦痛に満ちた生活が待っている。


 民会はそれを防ぎとめ、自治民を守るための盾。統治者としても、民たちの言葉を受け取り統治の一助とする事が出来る。もし民会の決定に問題があるのであれば、統治席より意見を発する事で民会の軌道を修正する事が出来る。


 言わば統治者フィロスと民会は、相互に補完が出来る理想的な機構であるはずだった。少なくとも、本来はそれを目指していたのだろうと、今代のフィロスは白い瞳を瞬かせる。


 壇上に立ち、市民達を湧かせているあの男。確か名前は、ロゾーであっただろうか。家名は忘れてしまった。


 フィロスの知る限り、あのロゾーはただ口が上手いだけの男だ。とても、物の役に立つ男ではない。それは発する言葉の節々を聞いて取ればよく分かる。言うならロゾーが持っている才能は、扇動者としての才でしかない。


 そうしてそんな扇動者が、民会の代表者として今己に物を申している。誰にも聞こえぬ程度、しかしフィロスにしては随分と大きなため息が、唇から漏れた。


 此処最近になって、ロゾーはその活動を活発化させている。市民達を集めての会合も、フィロスたる己への進言も妙に目立つようになった。それは、彼の中で燻ぶっているヒロイズムが故だろうか。それとも、また別のなにかがあるのだろうか。


 そう、フィロスが思考を回した頃合い。市民の歓声が最高潮に達し、そうしてそのままロゾーが統治席へと視線を向けた。


「統治者フィロス=トレイト様、今私が申し上げたことが自治民の総意。どうかお心に受け入れ頂けますよう」


 先ほどまでの口上と比べると、随分と慇懃な言いぶりだった。恐らく嫌味も含まれているのだろうと、フィロスは思う。


 まぁ、何にせよ応える言葉は決まっている。フィロスは面倒臭そうに唇を波打たせて、統治者としての義務を果たすと、その旨を告げた。本来告げるべきはこの一言だけで足りる。


 だが、フィロスは一瞬間を開けて、次の一言を加えた。


「市民の総意は確かに聞きました。しかし飢えた者がパン無くして救われぬように、目の前に現れた脅威には時に盾持ち剣を構えねばなりません。皆、それを忘れぬように」


 ただそれだけを告げて、フィロスは民会議場に背を向けた。民会としての総意を耳にした以上、フィロスを此処に留まらせることは誰にも出来ない。


「今の言葉は、また市民が不満をため込みますよ、フィロス様」


 背後からかけられた事務官の声に、フィロスは一瞬眼を細める。


「でしょうね、でも必要な事よ」


 己の言葉が、ある種の反感と不満を買うであろう事を、当然にフィロスは理解していた。市民達は民会を理想と信じ、正義と疑わない。それに対抗する己はまさに悪者なのだろう。


 だから、今まで歴代の統治者達は民会とすり寄り、互いに密接にかかわり合うことで、対立を防いできた。フィロスはただ、それを止めただけ。


 何故ならそれは民会の理想の在り方ではない。本来あるべき補完関係を築けていない。時に協調し、時に対立しあうのが、統治者と民会の正しい姿であるとフィロスは信じている。


 フィロスは嘲笑でもするかのように、唇を歪めた。それはどうしようもなく抑えきれない自嘲の笑みだ。


 市民達には理想を追いすぎるなと言っておきながら、結局己も都市の理想の姿を追って振り回されいてる。統治者が此れなのだから、市民達が理想と正義とやらを追い求めるのも、仕方のないことなのだろうと、そう思った。



 ◇◆◇◆



 フィロスが立ち去った後の民会議場を、ロゾーの声が覆う。大きく、そして高らかに。


「諸君、もはや我らの希望は失われたと言って違いはあるまい! 統治者フィロス=トレイトは市民の総意を聞き入れる気はない!」


 ロゾーの言葉が市民の熱を巻き取り、絡めとっていく。その身振りに、声色に、抑揚に。人々は目を見張る。人を惹き付けてやまない何かが、ロゾーにはあった。


「聞け! 聡明なる自治民達よ。自治都市フィロスには今、竜と悪魔が迫っている。竜に恭順を示せば踏み潰され、悪魔と契約をすれば身は地獄に落ちるだろう!」


 竜とは大聖教、悪魔とは紋章教。そのどちらに与そうとも、我らに未来はないのだとロゾーは語る。それは妙に実感が籠っていて、まるで本当にそうなのだと市民達に思わせる、そんな言葉。


 勿論、彼らとてその宗派は大部分が大聖教の教徒である。ゆえに大聖教に与する事自体はおかしな事ではない。だがそれと戦争に協力するという事はまた別だと、ロゾーは熱を発した。


「自治民諸君! 賢明なる市民達よ! もはや我らも行動で意を示さねばならない時が迫っている!」


 民会議場が、沸騰した水の如く、揺れる。ロゾーへの同意を示すように、ただ熱に埋もれるように、歓声を市民は投げかけた。


 その光景を前にして、ロゾーの髭が生えそろった口元が、静かな笑みを浮かべていた。

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