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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第九章『サーニオ会戦編』
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第二百十三話『埋葬監獄ベラ』

 ガーライスト王国南東部に、埋葬を意味する二つ名が与えられた監獄がある。名を、埋葬監獄ベラ。


 文字通り、そこに収容されたものは生きたままは勿論、死体となってすら帰ってこれない。中に入れば最後、骨となり灰となって死んで行くのだと、そう言われる場所。


 その本来の役割は怨嗟が響く監獄などではなく、捕虜収容所に過ぎなかった。建築王と呼ばれた先王が、前線との間に設けた中継砦であったとも言われている。


 首都からも前線からも離れ、それでいて周囲を覆う水堀が監獄の造りに相応しいと、今王の代になってから現在の姿に造り替えられた。


 決して中の囚人を取り逃がさぬように監視塔を張り巡らせた、此の監獄。意外とこのような場所に捕えられるのは、盗賊団の首領や裏街道の権力者などではない。むしろ人ひとり殺していないような輩が多いのだ。何せ人殺しや窃盗犯のような犯罪者は、言語を絶するような肉体労働に回される。


 此処で行われているのは安易な肉体労働などではなく、指を破裂させ、四肢を引き裂く行為。情報を吐き出させる為の拷問。つまり捕えられているのは、思想犯だとか、異端者だとか呼ばれる輩である。


 国を転覆させんと願う反逆者。異教を至高と信じる愚者。人々を惑わす術者。例をあげればきりがないが、これ等の厄介な所は例え潰しても潰しても、誰かがその思想を継承してしまう事だ。まるで思想が一つの財産だとでもいうように、相続を行ってしまう。


 だから、それを断ち切る仕組みが必要なのだと施政者は語る。彼らの口から仲間の名を聞き出し、芋を地中から引き上げるように、その全てを根絶やしにしなくては、国家に平和はないのだと智者は語る。


 埋葬監獄ベラ。此処は、その為に存在している。思想犯、異端者共の口を割らせ、そうして二度と外部の土地を踏ませぬ為に。


 今日も誰かが、監獄ベラにて喉を焼き切り、声の代わりに血を吐き出している。それが此処では、日常茶飯。


 その監獄の中にも、当然にして働く人間、看守というものがいる。食堂で貧相な飯を食べながら、看守の一人が、酷く苛立ったような口調で言葉を漏らした。冷たい石造りの壁が、鈍く音を反射する。


「――ふざけてやがるぜ、あの女一体なんなんだよ」


 どうにも、荒々しい、粗野さが隠せない口調だった。


 此の埋葬監獄ベラに集まってくる看守というのは、二通りの人物がいる。一つは、国家への篤い忠誠心を持ち、国家に仇をなす人間の首を自ら割いてやりたいのだと、ある種狂信に近い感情を得た国家信奉者。


 そうしてもう一つは、ただの腕っぷし自慢が看守の制服を着ているだけの、荒くれ者達だ。看守になったはいいものの、その暴力的かつ不真面目な態度から、とても普通の監獄では仕事が務まらぬと、厄介者払いとでもいうように此の監獄に押し込められた者達。


 そうしてどうやら、此の不満を口から散らしている男は、後者であるらしい。


 男の周囲には、似たような類の看守達が集まって、その口から零れる話に耳を傾けていた。娯楽の少ないこんな場所では、楽し気な事は女を抱くことか、他人の不満、不幸だ。それらの話に対しては、放っておいても人が近づいてくる。それこそ、傷口に吸い付く蛭のように。


 男は周囲からの視線を心地よさそうに受け止めながら、自らの鬱憤を吐き出していく。


「2066だよ。あの女どうしてあんな自由が赦されてるんだ」


 何とも理不尽極まりないという風に、男は言った。それには周囲の何人かの看守は首肯して同意を示し、分からぬ者は何の事だと聞いて回る。


 曰く、2066と、その番号で呼ばれる囚人はどうにも不思議な事に、囚人の身でありながら此の埋葬監獄ベラで自由を赦されているのだという。まるで貴賓室のような個室を用意され、監禁ではなく軟禁状態。敷地の中であればある程度出歩く事すら許可を受けている。しかもそれを見て、看守長すら何も言わず、口を閉じたままなのだ。あろうことか護衛らしき人物まで付けているという。


 囚人にそのような自由が赦されるべきであるのかと、男は語る。此処に収監される人間というのは国家を揺るがし、国王陛下の御身を傷つけんとした不敬者達。そんな人間には呼吸をする自由すらも、許されるべきではないだろうと、大仰に彼は言う。


 周囲の看守達は、何となく此の男が何故急にそんな不満を言い始めたのかが薄々わかり始めていた。


 要はこの男、その女囚人の身体に手を出そうとして、跳ねのけられでもしたのだろう。その鬱憤晴らしが叶わぬものだから、こうして此処でくだらない愚痴を響かせているのだ。


 だが、看守達は男の気持ちも分からないではなかった。何せ此処、埋葬監獄ベラにおいて、囚人というのは看守が自由に用いることの出来る道具に近しい存在だ。


 勿論ある程度の規則はあるし、囚人といえど殺せば罰せられる。それでも、その身体を好きなようにする程度では、お咎めを受けたという話は聞いた事がない。特に、近頃よく収監されてくる紋章教徒に対しては、放任のような扱いだ。


 そんな状態であったにも関わらず、急に思い通りにならぬ囚人が姿を現したとなれば、思いあがった看守の胸中で苛立ちが膨れ上がるだろうという事は、想像に易い。


 それに噂の2066は触れることを戸惑わせるような、妙に鋭い、それでいて惹き付けられるような容姿をしている。なればこそ、男の憤慨も分かるというものだ。


 どうだ、なら今夜にでも複数で部屋に忍び込もうじゃあないか。そんな、話が出始めた時になって、誰かが、言った。


「お前ら知らないのかよ。あの女に手を出しちゃあ、下手すると俺らが囚人になっちまう」


 周囲の誰もがぎょっと眼をひきつらせながら、その声に耳を傾ける。一体何のことを言っているのだとばかりに、誰もが声を発した看守に視線を向けた。看守は唇を苦々しく歪めながら、声を潜めて言った。


 ――あの女はな、大罪人ルーギスと、聖女アリュエノの育て親だ。



 ◇◆◇◆



 囚人番号2066。それが監獄ベラにおける、孤児院の主ナインズの呼び名だった。


 別段、その名が悪いと思った事もない。むしろ今まで己は数多くの名前で呼ばれてきたのだから、その内の一つだと考えればそう悪いものでもなかった。


 むしろ気味が悪いと思えるものは、己の処遇の方だろう。


 ナインズが手近なベッドに腰を下ろすと、それは囚人に用意されるとは思えぬほどの柔らかさを返してくる。個室も決して手狭とは言えず、下手な宿屋よりずっと広い。その上扉には鍵がかかっておらず、敷地内から出るとなれば容易ではないだろうが、多少自由に歩き回る程度の事は可能だろう。


 それは埋葬監獄と呼ばれたベラの中では、信じられぬほどの厚遇だ。それこそまるで貴族囚人に対するような、そんな扱い。


 此れが一体何に依るものなのか、ナインズはうっすらとだが理解をしていた。それでも、薄気味悪いものは薄気味悪いのだが。


 かつて己が育み、そうして大聖堂へと送り出した、アリュエノ。


 あの子が大聖教の聖女としての道を歩んでいる事から、己はこのような待遇を受けているのだろう。もしもナインズを異端者として処刑してしまい、そして聖女が後よりそれを咎めたてたのであれば、責任者は破門になったとておかしくはない。それは大聖教に属するものが何よりも恐れる、神の救済から零れ落ちるという事。なればこそ、このような扱いにも頷ける。


 そしてまた、己が監獄ベラに収監された事も、育て上げた子供の存在に依るものなのだろうと、ナインズは紫の髪を軽く指先で巻いた。


 ――ルーギス、あの小僧め。無暗に大きくなってからに。


 大罪人。悪徳の人。そうして、黄金。それらは瞼の中に浮かぶ、貧相な子供からはとても思い浮かべられそうにない二つ名ばかり。だがそれが紛れもない事実なのだと、丁寧に看守長が教えてくれた。


 大罪人ルーギスの育て親。それが、ナインズが埋葬監獄ベラに収監された理由。


 恐らく、己自身が紋章教徒である事は未だ露見していまいと、ナインズは唇を湿らせる。疑惑は掛けられているだろうが、それでも確信はないはずだ。


 もしそれが明るみになってしまえば、聖女の育て親といえど、此処までの待遇は得られまい。貴人用の拷問か、それか食べ物に毒でも盛られて始末されているはずだ。


 今、監獄の中にありながら自由が赦されているというのは、あくまで己には未だ疑惑のみが張り付いているから。大聖教聖女と大罪人、二人の子供たちが己の天秤を揺らしているからに他ならない。


 そう、後一つ何かが積み上げられてしまえば、あっさりと崩れ去ってしまいそうな脆い天秤だ。その天秤が、監獄の中にあって厚遇を受けるという、歪な現状を生み出している。


 ――思っていたよりは悪くはないが、それでもやはり、良いとは言い難いな。


 今己を取り巻いている状況に知らず吐息を漏らしながら、ナインズは唇を固くする。捕らえられるのは仕方がない。むしろ他を生かす為にそうするべきだったのだと、後悔もしていない。状況を鑑みると、無暗に姿を消してしまう事の方がよろしくなかった。


 だが、それでも失われたものは大きい。


 何せガーライスト王国に潜む紋章教徒の中で主軸として動いていた己が失われてしまえば、聖女マティアやアンに情報を受け渡す事も容易ではなくなるだろうし、僅かばかりの支援も行えなくなる。ただでさえ、ガーライスト周辺では紋章教徒狩りが旋風となってその勢いを増しているというのに。


 ナインズは一瞬眉間に皺をよせ、それでもすぐに表情を整え直した。


 流石にこの監獄の中で目立ちすぎる行動はとれない。手紙一つ出すこととて容易ではないだろう。紋章教が軍を発したというが、その後の情報は何一つ手に入らない。出来ぬことばかり、分からぬことばかり。冷たい焦燥が、ナインズの胸を舐める。


 どうした、ものか。


 その怜悧さを醸し出す双眸が、ゆらゆらと形を変える。幾つかの思考が頭の中に浮かび、その度に消えていく。どれもこれも、そう簡単に実現しそうにはない案ばかり。アンがいれば、少しは状況は違ったのだろうが。


 そんな考えを頭に浮かべ続けるうち、不意にナインズの頬が、崩れる。想像したことがおかしくて、堪らないとでもいうように笑い声が唇から漏れた。


 馬鹿々々しい考えだ。あの、何時も無茶をしてアリュエノに叱りつけられていた小僧に期待をかけるなどと、ふざけているにもほどがある。


 ――だがまぁ、構わない。今は無理に動けん。なら精々、英雄殿に少しは期待をかけさせてもらってもいいだろう。


 ナインズの瞼の裏に、かつて裏道で拾い上げた子供の姿が、明確に浮かび上がっていた。

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