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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第八章『悪徳の王国編』
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第二百五話『遣わされた軍使』

 戦役時における軍使という役目は、その仕事を如何に成功をさせようと、功績が褒めたたえられるわけでもなく、吟遊詩人の詩になるわけでもない。


 だというのに危険だけはただ戦場に出るよりも遥かに高いのだから、誤解を恐れずに言うなら随分と割に合わない役目だった。


 何故なら軍使というのは伝令のように味方へとただ物事を告げるだけではない。敵軍の中に単身で武装もなく乗り込み、そして自軍の意図を誤解なく伝えなければならないのだ。


 それに失敗すれば即座に首を刎ねられるだろうし、最悪書状を送り届けただけでも見せしめとして胸から剣を生やされる危険もある。此れなら戦場に出て槍を振るう方が、味方がすぐ近くにいる分まだましだ。


 同じ死ぬにしても戦場であれば、まだ祖国の為に戦った、友の為に戦ったと分かりやすく死んで行ける。だというのにただ手紙を一通届けて死にました、では馬鹿らしいにもほどがあるではないか。


 この日、大聖教軍から紋章教軍へと書状を抱え走らされた軍使は、延々とそのような事を口の中で呟いていた。


 本当に、割に合わない。多少は報酬を手に出来るとはいえ、死んだらそれもはした金だ。家族がいるものであればまだ、例え己が死んだとて家族に金が渡ると割り切ることも出来るだろう。だが軍使という危険な役目を回されるのは、何時だって家族も恋人もいない己のような寂しい輩ばかりなのだ。割に合わない上に貧乏くじだというのだから堪らない。


 軍使の抱えるその想いは紋章教の陣地に足を踏み入れた所で、余計に大きくふくれあがった。紋章教の陣地内には妙に耳が長く、人間とは何処か異なる容姿を持った存在、エルフ共がうようよとそこら中を歩き回っている。軍使は紋章教にはエルフが与しているという話を聞いてはいたが、よもやこれほどまでに自由に歩き回っているものだとは思っていなかった。


 何でもエルフという連中は、人を嬉々として食いちぎる習性があると聞いた事がある。人の心臓が好物だという噂も。中には人間に呪いをかけて、永遠に動けぬようにしてしまうものまでいるとか。どれもぞっとしない話だ、足先がどうしても冷たくなる。


 だが、それよりももっと恐ろしいものに、己は書状を届けにきたのだ。心臓が妙に重くなるのを軍使は感じていた。


 大逆の人、悪徳を好むモノ、裏切り者ルーギス。


 紋章教の旗頭である魔女マティアと同列に語られる、悪の象徴たる彼。


 その姿は風聞では大型の魔獣を片手で斬り殺す程の巨躯を持ち、その眦には常に緑色の炎が滾っているのだと語られている。


 書状の内容に腹を立てられでもすれば、その刃が己を振り下ろされるのは目に見えている。どうか、憤激の矛先がこちらに向きませんようにと、軍使として遣わされた男は胸の中で大聖教の神へと祈りを捧げていた。



◇◆◇◆



 ――語らいが互いにとって価値あるものとなる事を願う。大隊長リチャード=パーミリス。


 書状の最後尾、まるで書きなぐるようにして刻んであったその署名に、俺はまず自分の目を疑った。眼を尖らせながら、じぃと、何度もインクの染みを凝視する。


 綴りの間違いじゃあないだろうか、それとも同名の別人、もしくは生き別れの兄弟だとか。そんな馬鹿らしい妄想を頭に浮かべたまま、署名の一文字一文字を噛むように見つめていく。


 駄目だ。どう自分を誤魔化そうとしても、此の乱雑としか思えない署名には見覚えがあった。此の、分かればそれで構わないのだとでも言いたげな、文字の綴り方。こんな書き方を好んで用い、そしてリチャードという名前の人間を俺は一人しか知らない。


 しかし姓を名乗る事を長い間、それこそかつての頃はその最期まで嫌い続けていたというのに、どういう心変わりだろうか。


「リチャードの爺さんか、懐かしい名を見たな」


 大天幕の中、誰に向けるというわけでもなくそう呟いた。将官の誰もが口を開かぬまま書状を受け取った俺に視線を向けているものだから、妙に俺の声が天幕の中を響いていった。


 大聖教よりの書状が届けられたのは、聖女マティアや紋章教軍の将官達が熱心に軍議卓を囲んでいる最中だった。取り次いだであろう連絡兵が手の中に固そうな羊皮紙を持って、息を切らしながら大天幕の中へと走り込んできた。その様子はそれこそ敵襲か、それに近しい一大事でも起こったとでも思ってしまいそうなほどに慌てていたのを覚えている。


 内容を聞いてみれば何てことはない、ただ大聖教軍の将から、軍使を通して書状が届けられただけ。その届け先がどうして俺なのかは知らないが。


 だが、まぁ、連絡兵が多少なりとも動揺する気持ちは分からないでもない。敵軍の軍使が態々足を運んで書状を届けに来るなどというのは、それだけ敵軍が近くにあるという証拠。もはや互いの軍勢がその間合いに入りかけているという何よりの証左だ。


 己を殺す敵がすぐ間近にある実感。それはどのような形で与えられるにしろ、心臓に奇妙な痛みを与えてくれる。まして戦場に慣れていないであろう新兵に、それで動揺するなという方が無理だろう。


「戦場での顔なじみか何かかい、ルーギス」


 傍らに座り込んでいるエルディスが、俺の顔を覗き込むようにして言った。大きな碧眼が興味深そうな色を浮かべている。

 

「顔なじみ、なんてもんじゃあないな。俺の師匠さ、餓鬼の頃、色々と世話になった」

 

 それが今じゃあ大聖教の軍を率いているというのだから、因果なもんだと、そう呟きながら眼を細める。


 そう、世話になった。痩せ犬でしかなかった俺に、裏通りでの生き方、食い扶持に何とかありつく方法、そして剣の振るい方、それら全てを与えてくれたのは此の爺さんだ。


 かつてガーライスト王国の暗がりで俺が何とか冒険者として生を繋ぐことが出来たのは、リチャード爺さんの薫陶があったからに他ならない。


 と言っても、教えられた内容はとても真っ当とは言えないものばかりだったが。


 何せリチャードという爺さん自体、悪辣で、暴虐を友とし、弱者の肉を食い物にする人間だ。そんな人間から全うな教えを受けれるはずもない。


 だから俺が爺さんから受けた薫陶と言えば、なるほど日の当たらぬ裏通りの作法ばかり。ろくなものじゃあない。聞く人間によってはその場で唾を吐きかけるやつだっているだろう。


 それでも尚、今に至っても俺は、リチャードの爺さんを師と仰いだことが間違いだったなどとは、とても思えはしない。彼は、まさしくかつての俺を象徴するような、そんな人間だった。


 瞼を重くしながらかつての想い出に一瞬、浸っていた。そして再び眼を開いた時、ふと、大天幕の中の空気が少しばかり固く、重くなったのが分かった。


「……ルーギス様、その師が、何と伝えてこられたのです」


 空気と同様に固さを帯びさせた声で、アンが言った。表情も声の固さに引っ張られる様に、何処かひきつりを起こしている様な気配がある。何だ、どうした。別に何かあったわけでもないだろうに。


 やや周囲の不可思議な様子に肩を竦め、眉を歪めながら言葉を漏らす。


「俺と話がしたいとよ、互いに一人ずつでな。いや旧交を深めたいとは、どうやら爺さんも歳を食って情に脆くなったらしい」


 喉を大いに鳴らしながら、言った。


 当然、そんなはずがない。あのリチャードの爺が、よもや旧交を深めたいなどという馬鹿らしい理由で、敵軍に軍使を送るわけがあるまい。


 ああ、本当に懐かしい。この食えない爺が動こうというのなら、どうせ何かよからぬ絵図でも描こうとしているに違いないのだ。


 何故ならリチャード=パーミリスとはそういう性質から逃れられぬ人間で、秩序や正義という言葉が驚くほど似合わない人間だ。そしてそんな爺さんの性質を俺は、よく知っている。それこそ嫌というほど。


 アンとマティアが、俺が丸め込んだ羊皮紙を見つめながら、何事かを話し合っている。恐らくはどう対応するのが最善かという策を練ってでもいるのだろう。


 けれども、俺の腹はもう、決まっていた。頬を崩しながら席から立ち上がる。そして未だ大天幕の入り口近くで膝をつき命令を告げられるのを待っていた連絡兵に、言葉を投げた。


「――連絡兵、大聖教の軍使に、ルーギスは了解したと伝えてくれ。久方ぶりに、リチャード爺さんの顔を見に行ってやろう」

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