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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第七章『騒乱ベルフェイン編』
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第百七十九話『針の気位』

 薄緑色の柱がその悍ましい姿を傭兵都市ベルフェインから消した。ブルーダーが領主館敷地内へと足を踏み入れたのは、丁度そのような頃合いだった。


 肩は上下に躍動し、肺は息を切らしながら身悶えている。汗はそれこそ全身から噴き出していた。だが、ブルーダーの胸中に宿る焦燥と、そうして眼を焦がさんばかりの情動が、その身を止まらせることを良しとしない


 その瞳が探すのは、あの、銀髪の剣士。妹ヴェスタリヌに生死を問う重傷を負わせ、そうして、己の雇い主にも刃を向けた、女。


 勿論、ブルーダーとて傭兵だ、戦場の道理は理解している。戦場の中では誰もが己を殺す権利を、相手に差し出しているのだ。命を取られようと、何も構いはしないのだと、そう大声で叫びをあげているようなもの。


 そうでないものが、戦場に立つことなど到底許されない。命のやり取りを否定するものが、戦場へと足を踏み入れるものではない。


 ブルーダーにも、銀髪の剣士を責め立てるつもりは毛頭ない。非道だなどと口を騒がせることはヴェスタリヌにとっても恥になる。ヴェスタリヌとて、その戦斧を掲げると決めた時に何時か何処かでの落命は覚悟しているはずだ。

 

 ――だが、それでも、許容できる事とできぬ事は当然に存在する。


 ブルーダーの心臓が動悸を鳴らして、吠える。唇は揺れ動き、白い犬歯がその姿を見せた。許容なぞ、出来ない。決して出来るものか。


 かつて己は、父の処刑を仕方がないのだと自らに言い聞かせ、視線を逸らして、生きた。母を捕らわれた時も、妹を奪われた時だって、そうだ。何時だって己は都合の悪い全てから視線を逸らし、何もかもを投げやりにして、そうして早くこの命が終わればよいのだと願いを捧げて、生きてきた。


 それだけは、もう御免だ。とても、戻りたくはない。あんな、自らの身体がより早く朽ち果てることを望み、性質の悪いラム酒で頭を漬け込んで、そうして己の意志すらも泥に晒してしまうような生き方には。


 ぎゅぅと、その拳が強く、とても強く握られた。握られる長針の感触が、妙に冷たい。全く、どうしてこんな事を思うように、己はなったのだろう。こんな情動も、熱も、遥か昔に捨て去ってしまっていたはずなのに。惰性と諦念しか、この身には抱けぬはずであったのに。


 その原因は、きっと父母の仇モルドー=ゴーンの仕業でも、あの銀髪の剣士の存在故でもない。きっと、あの男だ。あの雇い主が、悪いのだ。


 その気はないというのに、勝手に人を焚き付けて、無理やり手を引っ張っていく。何とも理不尽で、嵐のような男だ。あの男がベルフェインという名の舞台へと登場しなければ、己もヴェスタリヌも、此の様な戦場に足を踏み入れはしなかっただろうに。


 本当に、何とも面倒な人間だ、あの男は。それでもまぁ、悪い気分では、ないが。ブルーダーの茶色い髪の毛が、揺れる。


 周囲に視線を回しつつ、領主館の中へ足を踏み入れようとした、その時。何か、重いものが倒れ伏すような音がブルーダーの耳朶を打つ。音が響いたのは、本来庭園があるのみでありそのような音が鳴るとは思えぬ、場所。


 自然と、ブルーダーの視線が庭園へと注がれる。眼が大きく開くのが分かった。犬歯が痛みすら覚える熱を発する。


 ――そこにあったのは、血みどろとなった雇い主ルーギスと、見知らぬ黒髪の女。そうして、ヴェスタリヌを切り伏せた銀髪の剣士の、姿だった。


 そういえば雇い主の姿は、此処に至るまでのどこにもなかった。そうして雇い主は最後、あの銀髪の剣士と斬り合っていたのだ。


 眼が瞬き、ルーギスへと視線が向かう。


 思考はほとんど脳内を巡らなかった。ただ眼から与えられた光景が、知らぬ内にブルーダーの脊髄を動かしている。指先は滑らかに銀の大針を握りこみ、流れるような動作で、投擲を行う。


 対象を穿ち、貫くという明確な意志を持って。



 ◆◇◆◇



「――何かと思えば、貴様か、傭兵」


 その大針は、ルーギスのすぐ傍、庭園の土へとその身を埋めさせていた。投擲の加減を間違えたというわけでもなく、其処に投げるべくして投げられたとでもいうように、数本の大針が大地を突き穿っている。


 カリアの銀眼が、瞬く。その意図を問いかけるように、針使いの傭兵へと視線を向けた。


「よく分からんな。今こそが、貴様にとってはまさに絶好の機会だったと思うのだが」


 カリアの唇が揺れ、当然の疑問が吐き出された。此の傭兵が、己に敵意を向けていることはよく理解している。鉄鋼姫ヴェスタリヌへ刃を突き刺した己を、恨んですらいるのだろう。確かあの傭兵は、ヴェスタリヌの事を家族と、そう言った。ならば、その気持ちは分からないでもない。


 だからこそ、敢えて大針を地面へと突き立てる意味がカリアには理解できない。それはむざむざ、此方に存在を伝えるようなもの。針という得物を考えれば、当然に敵に気付かれぬように振るうのが常道であるはずだ。


 茶色い髪の毛が、風に揺れる。相変わらず被られた帽子の所為で表情は読み取りかねるが、その目つきが妙に悪いのだけは見て取れた。


「……外してねぇよ。雇い主を優先しただけだ。別に、傭兵として当然だろ」


 唇を尖らせながら、こちらに敵意を隠そうともせず針の傭兵は視線を強める。カリアは愛剣を手に持ちながら、ふと地面に突き刺さった針の先を、見やった。


 思わず、眼が歪む。その気味悪く、悍ましい姿に口の中が濁った。それは一見すると、蠢く虫の様。しかし目を凝らして姿を見やれば、それは紛れもないあの肉塊の獣の、破片だ。それが躍動し、地を這っている。


 ルーギスによってその肉を散らされ、殆どが儚く崩壊の道をたどったが、どうやらその切れ端は未だ身を残していたらしい。


 そうして、本能に刻まれた敵意のままに、ルーギスへと食らいつかんとその身を這いよらせていたというわけか。表情を固くしながら、針の魔手から逃れたであろう数匹のソレを、カリアの足底が踏み潰す。なんとも、妙な感触が全身へと伝わるのがカリアには分かった。


「ふむ、なるほど。一先ず、礼は言おう」


 カリアは銀の眼を揺らし、そのまま片手に銀の剣を持ちながら、言葉を続ける。背筋が真っ直ぐと伸び切り、その表情は、晴れ晴れしい。


「貴様が、私の命を掻き切りに来たのだというのなら、この場で剣にて応じよう。どうする、戦士よ」


 眼前の傭兵は、雇い主を優先したと、そう言った。恐らく、その胸中には私への怨恨が積りあがっているであろうに、それを差し置いて、ルーギスへと向けられた敵意を制することを優先した。


 なるほど、此の者は、胸の中に誇りを持たぬ人間ではない。ただ強欲なだけの傭兵ではなく、気位を持つ戦士であるらしい。


 ならばもはや言葉もなく切り捨てるのは、無礼だ。その命に何ら敬意を示さぬ事は、許されない。


「死ぬのは御免だ……だが、背中を見せるのも、もう俺様は御免だね。雇い主は、この場で返してもらおう」


 一瞬、笑みすらを浮かべてその意志に敬意を見せようとしたカリアの表情が、歪む。


 こいつは、今何かおかしな事を、言わなかったか。


「返すも何も、ルーギスは私たちの仲間だし、貴方に引き渡す謂れはないけれど?」


 フィアラートが傍らで、同じように眉をゆがめながら言葉を放つ。どうにも、話がかみ合わぬような、どこか己の知らぬところで何かが食い違ってしまったような感触が、あった。


 針の傭兵もまた同じく、視線を細めながら、その唇を波打たせる。


「馬鹿を言うんじゃねえよ。雇い主は俺様と、連れのお嬢様以外に頼れる奴がいねぇって話だったぜ。それがどうして仲間なんてのが二人も出てくるんだよ」


 なるほど。ルーギスが、そんな事を。


 カリアの頬が、痙攣したかのように、ひくつく。深い呼吸が一度、吐き出された。フィアラートもどうやら、同じ様子のようだ。目端が自然と上向いていく。視線がルーギスの方を、向いた。


 ――全てが終わった後、じっくりと、貴様の口から話を聞かせてもらおうか、ルーギス。

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