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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第七章『騒乱ベルフェイン編』
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第百五十六話『その胸の焦がれ』

 銀が一つの線となって、俺の脇腹へと、迫る。砂埃が、自ら刃に触れるのを嫌いその身を捩らせたかの如く、打ち払われていった。銀閃に応ずるよう様に、紫電が陽光を裂く。


 ――ギ、ィンッ


 鉄同士が互いに噛み合う、耳の奥を削ぎ落すような不快な音が、鳴った。


 瞬間、手首に与えられたのはそのまま骨がへし折れるかと思う程の、圧力。ぎり、と、紛れもなく筋が千切れかける感触があった。


 身体を無理矢理に捩り、相手を蹴り上げるようにしながら、咄嗟に後ろに下がって距離を取る。喉が一瞬にして乾き切り、焦燥が心臓を揺らす。手首が未だ無事であるか、思わず宝剣を握って確認しなおしてしまった。指先が未だ痺れる感覚が、あった。


 重い、なんてものじゃあない。


 かつて、左手であのヘルト=スタンレーの白刃を受け止めたことを、思い出す。あの時は、不様に骨をへし折られてしまった。喉を、冷や汗に近い何かが滑り落ちていったのを感じる。一つの、直感があった。


 今、あのまま剣を受け止め力比べをしてしまっていたら、俺はその再現をする事になったのではないかという怖気が、髪の先を走っている。指先を通じて手首が、肘が、肩が、理解し始めていた。奴は、カリアは、


「良かろう、一切の手心は加えん。ルーギス、己の事を小石だとか言ったな。ならば、私を相手に存分に試してみると良い」


 本気だ。それは紛れもない、真意の言葉。一切の淀みがない口ぶりだった。


 カリアの手の先で軽く振るわれた銀剣が、音を裂いて自らの切れ味を証明する。その剣の鋭さが、そのままカリアの炎の如く高まった士気を示しているようだった。逆に俺はといえば、未だ動揺が心の内から剥がれようとしない。


 己が誤った選択をした事は理解している。何と愚かしい事をしてしまったのだとこの場で叫びだしたい程。己の不様さには含羞の想いが募るばかりだ。だが、それでも、よもや何の躊躇もなく、カリアが俺に斬りかかってくるとは、思ってもいなかったのだ。


 ああ、いや、違う。嘘だ。それは間違いなく虚言だ。


 俺は心の奥底の何処かで、こんな日がいずれ来るんじゃあないのかと想像していた。いずれ俺はカリアに見捨てられ、刃を突き付けられる日が来てしまうだろうと、そう、思っていた。


 だが、それでも、そんな日が来なければ良いものをという淡い思いを抱いていたのも事実。だからこそ、今こんなにも困惑した振りをしている、受け入れがたいと頭蓋を、脳髄を揺らしている。何とも、情けないことだ。


 反面、身体は眼前の明確な脅威に対しての準備を心得ているようだった。両手の指が、自然と宝剣を握りこむ。紫電の如き輝きが、陽光を照らし返すかの如く、煌く。英雄殺しという、どうにも壮大な銘が、浮かび上がってくるようだった。カリアと視線を合わさぬようにしながら、唇を動かす。


「試すってのはなんだよ。残念な事に、俺にはそんな余裕、これっぽっちもないんだがね」


 少しでも、カリアの気持ちが変わってくれぬものかと、そんな言葉を漏らしてしまう。弱気からでた言葉である事が、自分自身で痛い程にわかっていた。


 カリアはそんな俺の弱弱しい言葉を、跳ね飛ばすかのように、言う。とても、簡単な事だと。


「私に勝利してみろ、ルーギス。この剣を跳ね飛ばしてみろ。其れが叶うのであれば、もはや貴様は凡夫でも、小石でもない。その血肉は、黄金へと姿を変える」


 その、言葉は、妙に耳ざわりが悪く、だというのに耳朶に張り付いて離れていかない。カリアの銀の髪が、風に揺れる。


「そして何、安心しろ。例え貴様が小石に過ぎぬとしても。ああ、そうであったとしても――私が、ありとあらゆるものから貴様を守り、庇護してやろう。何も、心配はない」


 それは、自分の勝利を、確信しきった声だった。


 可能性こそ言葉にしているが、まるでそんなもの、意識していないかのような。己が敗北するなど、有り得ぬと断言するかのような。そんな、声色。


 ああ、なるほど、それは事実だろう。俺にはどうにも、勝つための道筋が未だ見えずにいる。それ所か胸の奥では本当に戦うべきであるのかとか、そんな理由はないだろうに、などと無駄口を叫び合っているのだ。


 右肩を、少し鳴らした。目を細めてカリアを見つめると、もはや全ては整ったとでもいうように、剣先を前にして構えている。何とまぁ、人の気持ちを知らぬ、自分勝手な奴だ。


 俺の身体はカリアに応ずるように、宝剣を肩の前辺りに添えていた。


「随分と情熱的だなぁ、騎士様よ。やめてくれ、思わず惚れちまいそうになるじゃねえか」


「何、別に構わんぞ。その時は、それこそ嫌というほど愛でてやろう」


 それが、合図だった。刃が空間を飲み下す音が、耳に触れる。


 最初の一手は、俺の肩を抉り取るような一刺し。まるで防げるものなら防いでみろと、そう言わんばかりの、傲慢な突きだった。だが、突きに込められたものはその傲慢を補って余りあるほどの、鋭さ。常人では至れぬであろう境地を、カリアはまるで当然の如く踏み抜けていった。


 しかし、その絵図は見えている。


 俺が肩に添えるように構えれば、まるで挑発に乗るかの如くその部分を狙いすましてくるだろうと、お前の性格がそうさせるだろうと、確信していた。


 その突きは確かに鋭い、紛れもなく素早い。到底俺には再現できようもない、一つの武の境地。だが、それでも、見えていれば。その光景が分かり切っていたならば、多少は、手が届く。


 瞳が、瞬く。その突きを上部から打ち払い、返す刃で、カリアの首元に剣を突き付ける光景が瞼に浮かんでいた。


 それで、終わらせる。瞳が、妙な熱を持ち出しているのを、感じていた。この指を、その首に掛けてみせよう、カリア。


 だが、英雄というものは。常に凡人の考えを、一足で超えていく。


 ――ガ、ィ――ギッ――!


 銀光と紫電が、互いに絡み合うかの様に、重なった。


 瞬間、肩口の肉を、削ぎ取られた痛みが走る。血飛沫が砂埃と混じり合い、血煙となって空に揺れる。思わず、嘘だろうと、そんな言葉が呟かれそうだった。


 カリアの銀剣は、迎撃せんと振り下ろされた剣を易々と跳ね除け、そして当初の目的のまま俺の右肩を貪り食っていった。俺は、渾身の力で振り下ろしたはずだ。だというのにカリアの剣を打ち払うどころか、精々その軌道を僅かばかりずらすことしか、出来なかった。肩から、全身を這うような痛みが、広がっていく。血が脈動する感覚が、妙に鮮明に感じられる。


 ああ、何とも絶望的な事に力量の差は明確だ。天賦の才では当然敵わず、とうとう小手先の技術でその差を埋めることすら難しい境地に、相手はいる。


 だと、いうのに。そうだというのに俺は、此れが酒場の決闘でなくて良かったと、そんなくだらない事を頭に思い浮かべていた。


 そして、気づく。先ほどまで、どうしてカリアと戦わねばならんのだというような事を考えていたというのに、今では、どうやってカリアに、目の前の英雄に手を届かせ、打倒するかという事ばかりを考え、脳髄を揺らしている。そうして臓腑は熱を帯びながら、今この場での決闘に胸を焦がし始めている。


 思わず、呆れたような笑みが浮かびそうだった。ああ、何ということだ。おかしい。思考がずれるにも程がある。俺が真っ先にすべき事はカリアを説得し、いち早くベルフェインを脱出する事だ。だと、いうのに。


 周囲が、驚くほど静かに、俺と、カリアの決闘を見守っていた。それが、戦場の流儀だとでもいうように、だ。ああ、全く下らないことこの上ない。領主の私兵どもはカリアを己の味方であると考えていることだろうし、傭兵の群れはヴェスタリヌを庇った俺を、救援だとでも考えているに違いない。


 だが、違うのだ。そんな良いものではない、俺も、カリアもただ、己たちの為だけに、剣を振るっている。


 今此処に、あの日引き分けで終わってしまった酒場での決闘、その決着を、どちらともなく望んでいる。ただ、それだけなのだ。

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