第百五十四話『その手の行き先は』
その二房の銀髪を視界が捉えた時、最初に胸に浮かび上がってきた言葉は、どうして此処に、というものだった。何せ、その騎士様は俺がベルフェインにいることすら、知らないはずだ。だというのに何故か、領主の兵を率いるように銀の長剣を振るっている。
だが、彼女の中で何かしらの食い違いが発生している事は、間違いがないらしい。ブルーダーへと突きつけられた凶刃を押しとどめるように、喉を鳴らす。
「——おいおい、まるで悲劇の悪役さながらの活躍だなぁ、ええ?」
そう、耳に届かせるように言葉を発した、瞬間。
ぞくりと、背筋が冷たい蝋に舐められたかのように粟だった。向けられた感情に指先が思わず、宝剣の柄へと添えられる。ゆっくりと、カリアの視線がブルーダー、ヴェスタリヌの二人から、俺の方へと、向けられた。銀の瞳がその内部に、煌々とした炎を湛えているのが、分かる。
「随分と遅いご到着だな、ルーギス。貴様も偉くなったものだ、此の私を待たせるのだからな」
頬をにぃ、とつり上げ睫毛を瞬かせる様子は、上機嫌そうでありながら、どうにも、胸奥で何かを拗らせているような、そんな気配すらある。少しでも触れれば、それだけでこちらの手が傷つけられてしまいそうな、どこか危うい様子。
なるほど、唐突にご登場した騎士様は、どうやらご機嫌斜めでいらっしゃるらしい。そういうのは、どうか俺と無関係の所で発散してもらいたいものなのだが。
「どうやって此処に……いや違うな。騎士様の、登場の御理由を聞きたいね。此処は俺一人で、片をつけるつもりだったんだが」
どうして、どうやって、そんな言葉は無用だろう。おおよその所の、目途はついている。とても、つけたくはない目途だったが。それに今は言葉を長く交わしている時間があるかも、怪しい。
肩を透かすようにして、カリアの銀瞳と視線を合わせた。
「何と言ったものか、仲間を仲間と思わぬ、愚か者がいたのでな。手助けついでに、少しばかりその首を、締め付けにきた」
そう言って、カリアの頬に線を描いたような優美な笑みが、浮かぶ。だがその笑みがあらわすものは、決して優しさや慈愛に満ち溢れたものではなく、彼女の根底の性質をあらわしたものに、違いなかった。
ああ、なるほど。どうやら俺に、ご立腹ということらしい。しかも、大いに。頬が思わず、ひくつく。全身に浴びた感情に、膝がそのまま折れてしまいそうだった。
震えそうになる声で、それはそれは命知らずがいるもんだと、冗談めかして呟きつつ、顔を背けずにブルーダー、ヴェスタリヌ両名へと視線を向ける。
ヴェスタリヌは血塗れでその肩に重傷を負い、ブルーダーが止血をしているが、それで何処までもつものか。それに傭兵共は指揮官たるヴェスタリヌを失って、あからさまに動揺している。
酷いな。想像していた以上に、事態は宜しくない方向へと突き進んでいる。運命の神様とやらがいるなら、その後ろ髪を引き千切ってやりたい気分だ。
ブルーダーがぽかんと、瞳を丸くしてこちらを見つめている。
「雇い主……どうして。いや、というより、ああ、もうっ! 馬鹿かてめぇは!」
ブルーダーが、ヴェスタリヌを抱きかかえながら、混乱したようにそう呟く。その瞳を妙に揺らめかしながら、混乱しきったように吐き出された言葉だった。あまり馬鹿と言わないでほしい。その点はお互い様なのだから。
それに、俺みたいな人間が行動を起こす理由なんのては、どう作り上げても無様に尽きる。長々と語るようなものでもない。改めて、カリアに視線を戻しながら、裏道の辺りを親指で示す。
「——話は、全て終わった後に鹿肉でも食いながらしようじゃあないか、ブルーダー。折角手に入れたものを、みすみす手放す事はない。違うか?」
言外に、退けと、そう告げる。
妹を案じる心はあれど、ブルーダーにとって、それが受け入れがたい選択であることは、重々に承知だ。今ブルーダーの胸中では、何種類もの感情がどよめき、叫び声をあげながら大口を開けているに違いない。
だから、そんな感情共を全て吹き飛ばしてやるように、強く言葉を荒げながら、裏道を指さす。行けと。それが正しい道なのだと、まるで命令するように。
ああ、さっさと退いてしまえ。例えそれが原因で戦況が崩れ傭兵どもが犬死にしても、それはお前の責任じゃあない。俺が決めさせたことだ。俺が言葉を荒げ、お前に命令した事だ。とても、親友にする行いとは思われないが。
そこに、俺とブルーダーの間にある空間を断ち切るような言葉が、響いた。
「ルーギス。貴様、馬鹿を言うな。彼女、ヴェスタリヌは勇士だ。今此処でその首を刎ねる、それが彼女への敬意というものだ」
カリアの銀瞳は、俺からヴェスタリヌへと向き直り、何処かいら立ちを声に含ませながら、そう告げる。それが当然の摂理だと、此処で取り逃がすなどあり得ぬことだと。その勢いは今にも銀の長剣を振りかぶり、ヴェスタリヌをブルーダー諸共断ち切ってしまいそうなほどだ。
なるほど、確かに、本来それは間違いではない。ベルフェイン全体を敵としてみるならば、ヴェスタリヌは敵に違いないだろう。だが、それはもはや過去の話。ベルフェインを司る歯車は、すでに逆の方向を向けて回転を始めている。
ブルーダーとカリアの間に立つようにして、唇を、動かす。全てを、説明するように。もはや敵対する意味などないのだと、カリアの耳に届かせるために。
「カリア。詳しくは後になるがブルーダーも、ヴェスタリヌも、今はある種——そうだな、俺たちの仲間だ。首を刎ねる必要なんざまるでないのさ」
だから、お前も早々にこの場を退けと、そう、続けるつもりだった。
——ルーギス、加減はしてやる、構えろ。
その言葉と共に、銀光が爆ぜる、までは。
◆◇◆◇
——ギィィンッ
中空で、銀色と紫電が交わり、音をかき鳴らした。上段から振り下ろされた銀の長剣を、ルーギスが無理やりに、宝剣で受け止める。
焦燥を瞳に浮かべたルーギスを見つめながら、カリアは己の胸の中で煮えたぎっている情動の波が、次から次へと押し寄せてくるのを、感じていた。
今こいつは、ルーギスは、奴らのことを仲間とそう言ったか。易々と、そういってくれたのか。まるで当然の如く、奴らのことを指さして。私の事は、仲間と言えぬような扱いをしておきながら。
ああ、理解しよう。恥とも思おう。この臓腑の奥から忍び寄り、皮膚の一枚下で業火となって荒れ狂っている情動は、紛れもなく嫉妬。あの愚かしいと己が認める感情の一つ。だが、だからといって、そうだからといって、この感情を今、抑えきれるものか。胸に渦巻くこれを、歯で砕き切り飲み下せるものか。カリアの唇が揺れ動きながら、言葉を漏らす。
「なるほどな、ルーギス。仲間か。貴様にとっては、そうかもしれん。それで、私にとっては?」
酷い言葉だ。自分で自分を嫌悪しそうになる。醜い事、みっともない事この上ない。分かっている。そんな事は、理解しているとも。だが、それでも、もはや此の喉は止まることを知ろうとしないのだ。
カリアの胸はその許容量を超えたかの如く、言葉を吐き出していく。それはもはや、情動の羅列。思考の末にある弁舌ではなく、カリアの喉がただ情動の代弁者となっているに違いなかった。
「貴様は散々に手を差し伸べて、一体最後には誰の手を取る気だ、ルーギス。私か、それとも別の誰かか。ああ、構わん、好きにするが良い。だが、だがだ。もしも、万が一……貴様が、私を裏切るとそういうのなら」
——貴様を必ず、破滅に追い込んでやる。
その言葉は、自らの喉から出たとは思えないような響きだった。カリアは反射的にその銀眼を瞬かせつつ、思わず、その胸の奥が恥に焼けそうになるのを感じた。
ああ、みっともない。こんな、こんな弱い女のような言葉を、私が吐いてしまうだなんて。こんな、こんな言葉は、ああ、まるで。私が奴に、捨てないでくれと縋り付いているようじゃあないか。恥だ、これ以上の大恥が、あるか。
もう動いてくれるなと、そう思うカリアの意思に反するように、唇は胸底の情動のままに、揺れ動き、言葉を紡いでいく。
「今一度、聞こう——ルーギス。貴様は、私の味方だな?」
唇が、救いでも求めるかのように、かつての言葉を、誓いを、此処に繰り返していた。




