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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第七章『騒乱ベルフェイン編』
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第百五十二話『強者の矜持と弱者の意地』

 ——血の飛沫が、砂煙と混じり、風に揺られ宙を舞った。


 カラン、と、渇いた音が妙な余韻をもって街道に響き渡る。ヴェスタリヌの両手に握られていた戦斧が、大地へとその身を預けた事を告げる音だった。


 鉄鋼姫ヴェスタリヌに与えられた一振りは、彼女の誇り高さと築き上げた武技に対しての、カリアの敬意そのものと言って良い。


 恐怖を瞳の中に埋めながらも、背を見せぬその誇り高さ。戦斧を己の腕と同様に扱って見せる武技。その二つを肩に背負ってみせる彼女は、紛れもない勇士といって過言がない。


 であればこそ、その最期の一時に、死の苦悶を味わわせるべきではない。ただ、一息で、まるで眠りにつくのと同様にその肉体を断ち切り、精神を天上へと押し上げてやるべきだ。それこそが、勇士に対する礼儀であり、敬意の示し方であるとカリアは思う。例えそれが敵であろうとも、己の道に立ちはだかろうとする存在で、あったとしても。


 その在り方は、カリア自身の誇り高さ、その無言の代弁者に違いない。ああ、だから、こそ、カリアがその頭の奥底にその思想を刻み込んでいるからこそ、今、その銀色の瞳にはどろりとした粘着質な情動が浮かび、唇からは灼熱に等しい吐息が、漏れ出ていた。


「……人は誰もが、美しく生きられるわけではない。よく言ったものだ。なんと、醜い。人の最期の一幕を、無様に仕上げることほど愚かなことはないと思うのだがな」


 カリアの苛立たし気な声が、ぼそりと、漏れた。


 言葉にして吐き出さねば、もはや胸の内に浮かんだ熱が狂乱の姿を伴いそうなほどだった。


 その銀の瞳は——鉄鋼姫ヴェスタリヌの右肩に突き刺さった己の銀剣を見据え、そうして視点を下へと降ろし、忌々しげに其処にあったものを、睨み付ける。


 手の平を広げたほどの大きさの、長い針が、数本そこに在った。己の剣の軌道を僅かに変質させた、それ。


 カリアの視界にはヴェスタリヌが右肩よりこぼれ落とした血液が、身体を離れ自由を得たとばかりに弾け飛ぶ様が映り、その耳朶には身体が千切れるほどの悍ましい痛みに、彼女が絶叫する声が届けられる。そうして、そのまま崩れ落ちるように、ヴェスタリヌは膝を折った。


 ああ、何と哀れなことをしてしまったものか。何と、無様な真似をしてしまった事か。知らず、カリアは歯で己の唇を噛む。本来であれば、このような苦しみを、ヴェスタリヌのような勇士に味わわせることは、なかったというのに。


 それは、カリアにとって心からの悔恨だ。


 カリアは力の信奉者であるが、弛まぬ鍛錬、血が滲むほどの奮励に忠誠を誓ってもいる。力を掴もうと、そう心に刻み込むのであれば、必ずその過程にて人は自分自身に傷をつける。それは時に肉体としての傷であり、時に精神としての傷でもあるだろう。努力とは、奮励とは、鍛錬とは、傷を負わずして行えるものではないのだから。


 カリアは己の暴れだしそうな心臓を縛り付けるように、一度、深く呼吸をした。


 それゆえに、その奮励努力には報酬が与えられるべきだ。その報酬の一つが、苦しみの嗚咽なき最期。眠りの如く与えられる尊厳ある最期であると、カリアは信じている。


 ああ、それはカリアの有する強者の傲慢に違いない。


 だが、だとしても、そうであったとしても、カリアはその考えだけは、捨てる気にはなれなかった。努力という蕾が、何時いかなる時でも優美な花を咲かせるものではないと知っているから、こそ。せめて己の振るえる範囲であれば、報酬を、奮励に対する敬意を与えてやりたい。


「悪いがねぇ、家族を失うなんてのは、一度で十分さ。ああそんなのは、最悪だ。最悪の日だ」


 その報酬を、奴が、奪い去った。


 銀の瞳が緑の炎すら噴き上げながら、下郎の姿を、捉える。


 傭兵にしては細身な体躯に、頭部にはつばの大きい帽子を備えている。僅かに茶色い髪の毛が見え隠れしているが、その顔は帽子に隠れよく見て取れない。だが、特筆すべきものは容姿ではなく、その手にしている武具の方だろう。


 傭兵が手にしているのは、手の平ほどの長さの、針。


 そう、カリアの足元に無様に転がっている針と、同じ。先ほど、ヴェスタリヌの頭部を銀剣が突き破ろうという時に、己の籠手を横合いから殴りつけてくれた針と、同じだ。


「馬鹿者め。貴様がした事は、この者を無駄に、苦しませただけ。ただそれだけだ」


 そう呟き、カリアは傭兵を睨み付けながら、今一度己の唇を、噛む。それは傭兵を憎々しく思うと同時、己の不甲斐なさを呪う儀式のようでもあった。


 本来であれば、カリアの一振りは針の与える振動如きに左右されない。むしろ邪魔だてするものがあるならば、強靭な牙でかみ砕いてみせるだろう。


 だが今回、カリアは、気づいてしまった。ヴェスタリヌの頭部を断ち切るその間際。己の手元を目がけて飛来する投擲物に。そうして、それに反応するが如く、籠手で巧みにはじき返すような態勢を、カリアは選択してしまった。その結果が、これだ。苦しめるべきでない勇士が、あろうことか無為な嗚咽をもらしている。


 カリアが再び悔やむように、ヴェスタリヌへを視線を向けた、瞬間。


 ——銀の目の端に、鉄の煌めきが、映った。同時に、僅かに風を切るような、音も。


 それは先ほどのように、手元の一点のみに狙いを絞ったものではない。カリアの瞳や、喉元、胸先など、急所を抉り肉を取り出す明確な意思をもって、投擲された長針。


 例え急所を穿てずとも、その針先に毒でも仕込めば良い話。それであれば、一つの傷が致命傷、敵は断末魔の叫びを漏らして命を散らすだろう。


 風が長針にその身を貫かれ、凍えるように、鳴いた。 


 ——キィ、ンッ


 次の瞬間に響いたのは、鉄が、弾かれる音。


 複数投擲されたはずの、長針。それが、カリアの籠手一つに捌かれる。傭兵の喉が、唾を飲み込む音を、カリアは聞いた気がした。


 下らない。


 思わず、臓腑の奥にため込んだ吐息が漏れ出そうだった。どう考えても、この投擲技術は敵と真っ向から相対して用いられるものではない。敵が、己の気配すら察知していない時。詰まる所、暗殺術にでも用いられる技術だ。


 言ってしまえば、先ほどカリアの剣先を歪めた、あの時が、カリアに長針を打ち込む最後の機会だったに違いない。それが実現するかどうかは別の話としても、間違いなく可能性という扉が最も大きく開いていたのは其処だった。


 ゆえに、もう機会は訪れない。機会を与える精霊は、一度逃したものに再度の機会を与えるほど、悠長な存在ではないのだ。カリアは歯を軽く、鳴らしながら、言葉を漏らす。


「貴様は、其処で好きにしていろ。望むなら、存分に相手をしてやる」


 もう、貴様など眼中に入れる必要もないと。言外にそう告げる言葉。敵対するのであれば斬り捨てる、しかし背を見せ無様に逃げ去るのであれば、その後を追うようなことはしない。所詮、その程度の相手でしかないのだというカリアの言葉。


 カリアの両手が、ヴェスタリヌの身体へと突き刺さった銀剣の柄へと、伸ばされる。


 ヴェスタリヌは僅かながらに右肩よりの出血を落ち着かせながらも、それでも終わりを見せない大波の如き痛みに、蒼白の色を顔面に張り付けている。


 地面に膝をつけた格好のまま、もはや倒れ込むことすらできず、嗚咽を漏らし続けていた。恐らく、尋常の精神では生きることすら拒絶するであろう壮絶な痛みに、彼女はすでに意識を手放している。少なくとも、正常な思考能力を得ていないのは確実だ。


 ——此処で、楽にしてやろう。苦しめてすまなかった、ベルフェインの勇士よ。


 ヴェスタリヌの身体から、銀剣が、抜き放たれる。再び、夥しいほどの血飛沫が、空中を朱色に染めた。長針の傭兵が、己へと懸命に駆ける様子が、目の端に見える。カリアの小さな唇から再度のため息が、漏れた。


 そうして、銀光が、迫りくる傭兵の首筋を撫でる、間際だった。


「——おいおい、まるで悲劇の悪役さながらの活躍だなぁ、ええ?」


 カリアの耳に、声が、響いた。それは久方ぶりにカリアに与えられたものであり、そうして、何処までもカリアが追い求めていた声に、違いなかった。

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