表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第七章『騒乱ベルフェイン編』
151/664

第百五十話『戦斧と銀剣』

 街道の戦場を、銀光が走る。それは何時しか一つの線となり、戦場に絵を描きながら、ひたすらに到達点を目がけて戦場を駆ける。陽光が銀に反射されるが如く、煌いた。土煙が中空を舞い、一層銀光の姿を眩ませていく。


 戦場の最前線。そこに在ったのは、勇ましく戦斧を振るう鉄鋼姫ヴェスタリヌの姿。そのまま、まるで吸い込まれるかの如く、銀光がヴェスタリヌへと、触れる。

 

 ——ィイ゛イ゛ンッ


 一番に生じたのは、街道を埋め尽くす摩擦音。それは鉄と鉄が接合し削れあったであろう音、まるで精神を無理やりに引き千切るかのような暴力的な音だった。


 そして次には、空気そのものが焦げ付いたかと思われるほどの濃密な匂い。鼻孔を詰まらせるような焦げ臭さ。ヴェスタリヌは痙攣する己の指先を抑えながら、思わず顔を顰める。


 土煙を背負い、瞬きするほどの暇すら許さず、ヴェスタリヌへと凶器を振り下ろした銀光。その一撃に僅かにでも反応できのは、ヴェスタリヌにとって偶然としか言いようがない。こちらに一切の猶予を許さない、完璧な奇襲。そうして、一部の隙すら与えぬ獰猛な牙の如き一閃。


 ヴェスタリヌはただ、戦斧をその場で振り上げ、受け止めることしかできなかった。いや、受け止めたなどというのは、おこがましい。戦斧の上から、確かな斬撃を浴びているのだから。その証拠にヴェスタリヌの全身は骨という骨が軋みをあげ、手首は鈍い痛みを伝えている。ただ、一撃を受けただけだというのに。


 その事実を噛みしめた途端、ヴェスタリヌの瞳に恐怖の色がにじみ出る。


 何だ、あれは。一体、何が自分に降りかかったのだ。ヴェスタリヌのその大きな瞳が見開かれ、土煙の中で揺らめくその正体を、見つめた。その胸中にあったのは、まるで子供が怪異の正体を暴こうとする時のような、独特な恐怖と、一抹の好奇心。そこに、自分の知りえぬ何かがあるのだという、大いなる期待と焦燥。


 ヴェスタリヌの、瞼が、瞬いた。

 

 ——貴様が、鉄鋼姫とやらか。奴に、良い手土産ができたな。


 そこにあったのは、ヴェスタリヌと比べれば随分と小柄な女剣士。彼女は二房に分けた銀の頭髪を揺らめかせ、小さな唇を波打たせながらそう言った。


 その姿を一見するだけであれば、疑問すら抱きそうだ。本当にこの少女が、先ほど己を斬獲せんとした存在なのか。あの得体の知れぬ恐怖を味わわせた人間であるのか、と。その体躯はヴェスタリヌの如く長身とは言えず、その有する武器も珍しくない銀の長剣。それだけを、ただそれだけを見るのであれば、とても強敵とは思えない。力を持たぬ少女が、僅かばかりの勇気を振り絞り戦場に出て来たのだと、そういわれても信じられる。そう思われるほどに、目の前の少女はか細い。


 だが、駄目だ。奥歯が、鳴る。ヴェスタリヌはその音が鳴って初めて、知らぬうち己が奥歯を強く、強く噛みしめていたことを理解した。


 あの煌々とした光を宿した瞳、そうして凡人とは思えぬ圧倒的な存在感。どれもこれもが、眼前の少女を常識の枠から外していく。


 少女の瞳の中に映るのは強固な意志、そして強者特有の傲慢だ。決して、勝負に挑む者の、戦場に挑む者の瞳ではない。ただ敵を踏み潰し、蹂躙する。そういった類の強者の傲慢が、彼女の瞳の奥には見え隠れしている。


 そうしてその存在感は、混沌の渦中ともいえる戦場にあって尚輝きを得ている。ヴェスタリヌは、彼女の事を知らない。その銀髪の剣士が、ベルフェインの私兵の中にいた記憶はかけらほどもない。私兵であれば、まず間違いなくヴェスタリヌの記憶に残っているだろう。


 つまり、この少女は部外者だ。ただの部外者で、偶然ベルフェインに味方しているだけ。ただ、それだけのはずだ。


 だと、いうのに。まるで少女は、すでにこの戦場の支配者、私兵の長とでもいうかの如く、振舞っている。私兵達も、知らず知らずの内に、彼女の生み出す熱に牽引されるが如く、その勢いを増していく。


 ただそこに在るだけで、人の臓腑から熱を産み落とさせる、圧倒的な存在感。それが、彼女。銀髪の女剣士。


 ヴェスタリヌは、直感した。考えるのでも、何かの思考の先にあったのでもなく、ただ、脳裏に自然とその言葉が思い浮かんでいた。


 ——彼女は今此処で、その息の根を止めねばならない。出来ねば、一生の禍根となる。


 肌を焼くかと思うほどの緊張感に、喉を締め付ける精神の圧迫。ヴェスタリヌはほんの少しだけ吐息を漏らす。


 ヴェスタリヌが再び両手で戦斧を構えた時、もはやその手首の鈍痛は消え去っていた。銀髪の剣士、彼女を前にしては痛みなど、些細な事に過ぎない。そんな些事にかまけていては、次の瞬間に首が中空を飛ぶ。その様子が、ヴェスタリヌには容易く想像できた。


 戦斧を肩に掛けるように構えながら、半歩、間合いを詰める。銀色は、地を這うほどに低く、低く構えた。小柄な体が、膝を曲げたことで余計に、小さく見える。


 口の中に唾が溜まるのが分かる。しかし飲み込むことなどできようはずがない。その一瞬で、心臓が抉り出される姿が脳裏に過る。呼吸も、瞬きも、僅かな膝の揺れ動きすらも、全てが致命となるようにヴェスタリヌには思えた。こんな思いは、初めてだ。今までなかった事だ。張り詰められ、重く、圧縮された空気そのものに、首を絞められるような感覚は。


 ひゅぅ、と、風が吹いた。土埃が舞い上がり、ヴェスタリヌと銀色の間を、僅かに、引き裂く。


 瞬間、土煙が破砕する。その身を引き千切られ、無残にも粉々にされながら、土煙が消えていく。ヴェスタリヌは上段より、空間そのものを叩き付けるが如く、唸りをあげさせながら戦斧を振るう。下から突き上げてくるであろう銀の剣士を、打ち落とす為に。


 ヴェスタリヌは頭の中で、幾度も銀の剣が己の頭蓋を突き破る姿を見た。知らず、頬が緩む思いだった。臆病者は幾度も繰り返し死を経験し、英雄は一度しか死なぬという。ならきっと、己は臆病者に違いない。今、数え切れぬほど想像の中で彼女に殺されているのだから。


 銀髪の剣士は低い姿勢のまま、ヴェスタリヌの想像をなぞるかのように、その頭蓋を突き破らんと長剣を振るう。その剣先には僅かな狂いも震えすらもない。彼女が数え切れぬ鍛錬を積み上げたその証が、剣に宿り、空に銀の一閃を描く。


 銀の軌道が、そのまま吸い込まれるように、ヴェスタリヌの頭蓋へと、向かう。その閃光を迎え撃つが如く、戦斧は風を纏って剛力を振り回す。


 戦斧の剛力が空を割り、空を裂く銀の一閃と、交わった。


 ——瞬間、風すらも身を捩るかと思われるような、轟音が、街道に響いた。


 


皆様、お読みいただきありがとうございます。

何時もご感想、レビュー、評価、などなどありがとうございます。

日々の励みに、これ以上のものはありません。本当に、ありがとうございます。


更新についてなのですが、年末から年始にかけては中々時間が取れず、

更新も少々間が空くかもしれません。申し訳ありません。


お読みいただき、本当にありがとうございました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ルーギスの報連相の怠慢がとんでもなく不要な戦闘を生んでいる。本当に反省してほしい。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ