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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第七章『騒乱ベルフェイン編』
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第百四十四話『執着は烈火の如く』

 愛用の、銀の長剣。随分と長い間無理をさせてしまっているが、それでも尚、この腰元から離れることはない。カリアは愛おしそうに愛剣の柄を撫で、鉄製の籠手を両手にはめ込んでいく。


 籠手をはめただけの、最低限の武装。軽装歩兵よりも更に、身軽といって差し支えない。その馬をも両断する膂力を思えば、鎧を纏った重装でも十分に振る舞えるだろうに、カリアはその身軽さをこそ好んでいた。


 その軽装こそが、己の力を証明してくれる気がした。より重厚な装備を持たぬ方が、此れこそが己の力なのだと胸を張れる気がした。


 力の信奉者。強者の驕りを隠さぬ者。力が無ければ、何も成せない。何も手に入れることが、出来ない。そうカリアは心の底から、信じている。ぎゅぅと、その細い指に力が走った。籠手の具合は、悪くない。十分に、指先に力が届くのが分かる。


 そうだとも。己の欲しいものがあるならば、この手で、つかみ取るのが常道というものだ。


「カリア=バードニック様。決して、ご無理はなさらぬよう」


 その、すでに捨て去った名が、カリアの耳を打つ。思わず銀色の瞳が、瞬いた。


 傍らで恭しく頭を垂れていたのは、モルドー=ゴーンの側近と名乗ったトルガという男。頭だけは上級階級に対する礼儀として下げているものの、その瞳の色は決して屈従したもののそれではない。


 当然だろう。トルガという人間は己の部下としてではなく、監視役として此処にいるのだという事を、カリアはよく理解していた。


 歌姫の聖女アリュエノの声を契機として、モルドーはベルフェインを私兵で埋め尽くすことを決めた。大聖教にとっての大罪人――ルーギスの首を締め上げる為。その身を大聖教へと捧げ、己が手柄とする為に。


 それは即ち、紋章教に対する懐柔政策は切り捨てたという事に他ならない。私兵を大規模に展開すればするほど、ベルフェインに潜り込んだ間者はモルドーの意思を知ることになるだろう。


 それで、構わない。大いに結構、その上でルーギスを殺せるのであれば、その身柄を大聖教へと献上できるのであれば、全く問題はない。全ての状況を勘案し、モルドーという男はそう判断したわけだ。知らず、カリアの睫毛が跳ねる。


 そうして、カリアはその私兵の一部に同行する事を求めた。ルーギスという獲物は、この手に掴み込んでみせると、そう宣って。ああ、全く以てその通り。己はそれを成すために、此処、ベルフェインへと足を運んだのだから。

 

「――気遣いは無用だ。此れでも、多少は剣という奴に慣れている」


 こちらに冷めた瞳を向けるトルガに、軽く頬を引き締めて、カリアは言う。


 私兵に同行するというカリアの申し出は、驚くほどあっさりと聞き入れられた。なるほど、モルドーにしてみれば、それは安全策だったに違いない。


 何故なら、きっとあの男は、未だ己とフィアラートに猜疑の心を持っているに違いないから。なるほど、領主としては当然の心構えだろう。あの男は、嫌になるほど領主という存在を心得ている。


 唐突に訪れた上流階級の来客など、何かの罠かも知れぬ。ああ、もしかすると奈落の底へと己を突き落とす悪魔の手を招き入れているのかもしれぬ。


 領主や貴族というものは、心の何処かで、そんな事を常思っていてもおかしくはない。きっと、あの聖女の一言が無ければモルドーが私兵を出すことはあり得なかっただろう。カリアは、おかしそうに喉を鳴らす。


 そんな、猜疑心を骨の髄にまで埋め込んだ男だったからこそ、私兵に同行するというカリアの言葉は受け入れられた。


 きっと奴は、こう思っているに違いない。己とフィアラートが仲間であるならば、二人をそれぞれ引き離して監視を行う方が良い。何か不穏な動きを起こさぬか、良からぬ事をその脳内に絵図として描いてはいないか。


 それを見定める為にも、互いが手を取り合っておかしな事ができぬよう、引き離すのが良い。片方、つまりフィアラートは館の中に、カリアは戦場の兵の中に。勿論、どちらも己の側近に護衛をさせ安全は担保させたまま。


 そうすれば、例えその胸に悪しきものを抱いていようと、何らおかしな行動はとれまい。そう、モルドーは思ったに違いない。


 凡俗な、何とも、真っ当な考えだ。当然の考えではある。しかし、果たしてそれが私たちに適用できるものだろうか。果たして自分たちは、仲間と、そう言えるのだろうか。


 銀の長剣を、引き抜く。カリアの背筋が伸び、瞳が大きく、瞬いた。鈍い銀の輝きが、カリアの顔を僅かに映し出していた。


 そう、己もフィアラートも、確かに此の街には共に至り、互いの目的の為に力は合わせた。時には、口裏を合わせもした。


 なるほどそれはきっと協力者とは呼べるだろう。手を取り合ったと言えるかもしれない。しかし仲間かと問われると、それは違う。


 ――何故なら私の仲間とは、ルーギスただ一人なのだから。


 ああ、そうだとも。ルーギスは紛れもない、己の仲間なのだ。


 カリアの頬が、歪む。それは傍から見れば笑みを浮かべているかのよう。しかしその胸中に宿る激情と炎の如く揺蕩う情動をしれば、もはや誰も笑顔だとは、言わないだろう。


 カリアの白い犬歯が、唇を、噛んだ。


 あの時、言っただろうにと、カリアは思う。未だ旅路が、己とルーギス、二人だけのものだった時。心地よく、胸の隅から隅までもが、満ち足りていたと感じていた時。確かに、言ったはずだ。丁度ガーライストを離れるあの時に。


 ――もしも、もしもだ。万が一、貴様が私を裏切るというのなら。貴様を必ず、破滅に追い込んでやるからな?


 そう、忠告してやったというのに。奴は易々と、私の下を離れていった。仲間である私に、相談の一つもなく。何処かに消え失せてしまった。


 それを思考の端に浮きあがらせるだけで、カリアの胸に宿る憤激は大きな火の粉をまき散らす。


 当初カリアは、まだ、耐えていた。その胸から激情が溢れそうになるのを、堪えてすらいたのだ。仕方ないのだと、それが奴らしさですらあるのだと、理解を示そうとすらした。


 思えば、城壁都市ガルーアマリアでも、空中庭園ガザリアでもそう、奴は私に相談なく、それらしい言葉もなしに、その姿を何処かへと消えさせる。身勝手なまま、自分勝手に、己の意志のみで全てを決めてしまう。己をあのバードニックの館から連れ出した時から、何ら変わっていない。


 だから、カリアは今回も何時もの事だと、受け入れようとした。全く、仕方のない奴だと。


 だが、今回。何時もの様に、仕方がないと、そう嘆息しようとしたカリアの心に罅を入れる出来事が、あった。


 それは、ラルグド=アンから間接的にとはいえ齎された、事実。ルーギスは聖女マティアの手をとって、傭兵都市ベルフェインに向かったのだ、と。その言葉が、カリアの胸に歪な音を立てさせた。


 何だ、それは。


 貴様は、私の仲間では、ないのか。だというに此の私には何一つの相談なく、貴様は何を、している。そんな者の手をとって、何を、しているのだ。


 此処に至って、カリアは理解した。それはようやく、と言っていいのか、それともただカリアが目を逸らしていただけなのか、それは分からない。だが、今カリアの胸の中には、確かに一つの確信があった。


 ――私は、ルーギスを甘やかしすぎてしまったらしい。


 そう。少しばかり甘い顔をして、奴の奔放な行動を仕方がないと受け入れてしまったから、奴はとうとう調子に乗った。私が幾らでも許容すると、そう勘違いをしてしまったのだ。


 だがもう、駄目だ。ルーギス、貴様の勘違いを、そろそろただしてやらねばなるまいよ。何、己のものであるからこそ、躾は必要だ。此れも全て、貴様を思っての事だ。カリアはその瞳に熱を浮かべながら、再び、獰猛な笑みを漏らす。


 奴に、思い知らさねばならない。私がいなければ、貴様は何も出来ないのだと。私に見放されれば、貴様にはもはや栄光は勿論、一切の救いすら与えられぬのだと、今一度その脳髄に教え込まねばならない。


 そして、万が一にも己を裏切るなどと、他の誰かに縋りつくなどという事があれば――その先には破滅と絶望以外の何ものもないのだと、深く、深く理解させるべきだ。


 ああ、手がかかる。本当に、手がかかる。ルーギスという人間は、何とも出来が悪い。未だにそれしきの事が分からないのだから。


 だがそれもまた一つのやりがいというものだろう。カリアは己の背骨が燃え立つほどの情動が、胸を揺蕩っているのを感じていた。それが今はどこか、心地良い。


 それが今、己を奮い立たせ前へと進ませているのだと、自然と理解できていた。二房に分けられた銀髪が、揺れる。まるで、火の粉をまき散らすかのように。


 ――さて、躾の時間だ、ルーギス。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] う~ん あの勇者だから抑え込まれていたのか それともルーギスが知らなかっただけなのか どっちなんだろ
[一言] 皆思想が似てるのマジでウケる やっぱルーギス ギスギス発生装置だな ルーギスだけに
[一言] ヤンデレジャイアンがいる…
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