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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第七章『騒乱ベルフェイン編』
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第百四十話『手荒な密会』

 傭兵都市ベルフェインには一部の高給取りである傭兵にしか使われぬ、高級酒場がある。戦場で命を削り、日々を生きる金しか得られぬ傭兵達にとっては、とても手の届かぬような場所。


 もはやそれは酒場というよりも、一種のサロンのようなものだった。ただ金を持つだけでなく、品位と、領主から与えられた特権をもたずしては、入れぬサロン。


 入口からして普通の酒場とはまずその雰囲気が違う。


 鼻孔を擽るのは安酒の張り付くような臭いなどではなく、香水や所々に配置された観賞花の匂い。野原にその身を預けるものでなく、人に、貴族に見られる為だけに作られた花の匂いだった。幾ら高級とはいえ、そんなものが酒場に持ち込まれているのには思わず目を剥く。


 何せ俺にとって酒場というのは、ゴロツキの喧騒に耳を傾けながら、頭を安酒で無様にぼやけさせ、苦痛たる日常を無理やりに手放すような場所だ。


 そんな場所に、観賞花のような優雅さすら感じるものが持ち込まれている時点で、此の高級酒場というやつは俺が考える酒場とは全く別物というのがよくわかる。


 そんな、本来俺とは縁遠いであろう高級酒場の中に、俺とブルーダーは、いた。


 そして、テーブル一枚を隔てて、彼女と対面している。ベルフェインの守護者、鉄鋼姫ヴェスタリヌと。周囲を数多くの、恐らくは彼女の子飼いと思われる傭兵たちに取り囲まれながら。


「こりゃ随分と、俺には勿体ない、豪勢なお出迎えだ」


 金を随分と食いそうだな、そう言葉をつづけながら、座った事がないようなソファに身をゆだねる。一体どんな素材で作り上げられているのか、それすらも想像できない柔らかさだ。


 剣と剣を重ねる傭兵同士の戦いにおいては、必ずその手に勝利をもぎ取る方法、というのがあるらしい。


 即ち、敵よりも圧倒的多数となる事、地の利を得る事、敵に準備を整えさせぬ事。少なくともこの程度の条件を整えれば、有象無象の多い傭兵を集めていたとしても勝利をもぎ取ることができる。かつて傭兵という職業を生業としていた頃、酒のつまみに聞いた話だった。


 今、全ての条件を、相手に揃えられている。何とも、最悪だ。


 勿論、ヘルト=スタンレーのような英雄殿を相手にすればどうかは、分かるまいが。平々凡々たる俺には、少なくともこのような状況を気軽に打開する術は思いつきそうにない。


「——貴方たちに聞くべきことがあります。正直に、素直に答えればそれでよろしい」


 酒場の中には、僅かな暗みが出来上がっている。光量を調節する事で、淫靡というべきか、実にそれらしい雰囲気を作り出していた。もしかすると、此処は異性を連れ込む為の場所でもあるのかもしれない。


 密会には、持ってこいというわけだ。


 ヴェスタリヌの唇が、僅かな陰影を作りながら、動きを重ねる。そこには唐突にこのような場所に連れ込まれた、俺とブルーダーに対する配慮も、遠慮のようなものも一切ない。どうにも、自分の言葉に従うのは当然だろう、という意思がその言葉の裏に見え隠れしているようだった。


「内容によるがねぇ。流石に今まで飲んだ酒だとか、女の遍歴だとかを逐一聞かれても困るぜ」


 隣に座るブルーダーを抑え込むように、言葉を放つ。ちらりと横目でその姿を見てみれば、僅かにその息が荒れているのが、分かる。


 それもある程度は、仕方がない。元々ブルーダーは万全とはいかぬ体調だというのに、この女、ヴェスタリヌへの破裂しそうなほどの感情を常に臓腑の中に抱え込んでいる。その浮かべている表情は、何処か悲壮とも思える青みを帯びていた。瞼は痙攣したように振動し、唇は犬歯に食い込まれ血を滲ませている。


 しかし、それでも尚ブルーダーは堪えている。この多数の傭兵を取り囲まれた状況を、見て。今圧倒的に不利な状況にあるのだと、理解して。その理性でもって感情に箍を掛けている。だがそれは、言葉を一言でも発すれば、解けてしまうような淡く脆いもの。


 流石に此処で暴れれば、なるほど、逃げるのは無理そうだ。傭兵たちは俺とブルーダーから一切の視線をそらさずに、いつ何時、事が起こっても構わぬとばかりに腰元の剣や槍、各々の武器に手を触れさせている。俺の軽い言葉に反応したように、全員の目線が、揺れた。


「そんなもの、知りたくもありません。無駄な言動は慎みなさい。私が知りたいのは、一つ」


 一瞬、ヴェスタリヌの唇が閉じられた。その様子はまるで、先に告げる言葉を怖がっているような。本当に、それでよいのかと、逡巡するような、様子。


 それでも尚、言葉を選び取るようにしてヴェスタリヌは、言った。


「貴方たち二人が、我が父モルドー=ゴーンについて知る全て。見たもの、聞いたもの含め、その全てを告げなさい」


 それは、命令なのだと、そうとでも言うようだった。こちらを刺し貫くような瞳は揺れ動いているというのに、表情は気丈な傲慢さを孕んだままだ。


 自分の唇に指をあてながら、目を、細める。こんな時こそ、噛み煙草を頂きたかったが、今この瞬間に懐に手を入れれば、その次には俺の首元に何等かの凶器が突きつけられるのは目に見えている。


 ああ、全く、厄介極まりない。この鉄鋼姫が、これほどの強引な手段をとってくるとは。流石は、あの略奪者と名高きモルドー=ゴーンの娘として育てられただけはある、ということだろうか。



◇◆◇◆



 ——コンッ、コン。


 その妙に丁寧に思えるノックの音が、安宿の空気を揺らす。俺としては、少しばかり助かった、という心地だった。何せ聖女マティアは妙な迫力をもって俺の行動を追及しだし、ブルーダーもブルーダーで、何処か剣呑そうな雰囲気を発している。


 来訪者が何者にしろ、その歪な空気をぬぐい取ってくれるのは、正直有り難かった。


 例えその方法が、少々乱暴に至るとしても。


「失礼します」


 それは、ある程度の年を経たと思われる男の声。声は俺たちの返答を待たずにそう、告げたかと思うと。


 ——ド、ンッ!


 妙に丁寧なノックの次に耳が受け取ったのは、扉を無理やりに蹴破る音だった。


 瞳が衝撃に見開き、思わずその場から立ち退いて、マティアを後ろに下がらせる。単純な襲撃者とは思えない。そんな人間が、ノックだの、言葉だのを投げてこちらに存在を明かすわけがない。むしろその点だけを取ってみれば、こちらに敬意を表しているとも思える。


 ああいや、その時点で、感じるべきだったのかもしれない。こんな安宿、売春街の一角に寝泊まりする人間に敬意を表する輩が、そうそういるはずもないということに。


 木製の扉が蹴破られると、そのまま複数人の人間が押し掛けるように部屋に入り込んでくる。少なくとも、ある程度は規律の取れた連中であるらしい。狭い部屋に入るというのに、随分と軽妙な動きをしている。即座にこちらに、襲い掛かってくるということもなかった。


 しかし、不味い、よろしくない。こうなると、一歩引いたのが悪手だった。敵がこうも多数であるならば、扉の前に陣取り、各個を相手にした方が随分とマシだ。しかもこちらは戦力になるかわからぬ聖女様一人に、怪我人一人、そして残るは俺だけという有様。


「……どうしたんだよ、舞踏会を開く予定はないぜ。押し掛けてもらって悪いがよ」


 胸の内では冷や汗すら流れるのがわかる。歯が怯えに鳴らぬよう、必死の思いで己の身体を抑え込む。吐息が、緊張に荒れ狂ってしまいそうだった。


 だが、このままこの連中の流れに全てを任せていれば、それだけで全てが、終わる。せめて言葉の一つでも、引き出してやらねば。


 横目で、ちらりと窓を見る。此処は、二階の角部屋だったはずだ。


「乱暴な手段を取らざるを得ぬ事、誠に失敬。我々はさる方の御命にて、此処にお二人を、迎えに来たものにございます」


 前に進みでてそういったのは、鎧に身を包んだ初老の男性。先ほど扉越しに放たれた声と、同じ声だった。その声色は決して洗練されているとは言えないが、何処か相手を心づかうような響きを含んでいる。


「お誘いは嬉しいんだが、そりゃ誰から。それと、俺たちは三人いるんだがね、人違いじゃないのかい」


 しかし、彼の瞳には紛れもなく、意志があった。喉が、思わず唾液を枯らす。その意志とは、例え何かがあろうとも、目的を達成するという決意。その瞳に含まれた光は、かつて見たことがある。わが師の瞳にも、輝いていた光だ。


 初老の男性、彼の喉が音を立てる。


「失礼な事ながら、申せませぬ。無礼だと罵ってくださって誠に結構。しかしながら、必ず連れてくるようにとの厳命にて、退くことはできません」


 固く、しかも容易には跳ね飛ばせぬと思われる声だった。面倒だ、この種の相手との言葉のやり取りは、ひどく骨が折れる。少なくともこちらが圧倒的に不利な状況で、簡単に丸め込める相手ではない。


 更に、彼は言葉を続ける。瞳が大きく、動いた気がした。


「そして、人違いでもありません——貴方がた、お二人をお連れするようにと、命じられております」


 そのまま、彼の指が俺、そして寝床に横たわるブルーダーを、指し示した。


 なるほど、そういう事かい。暗にこちらに意図を伝えているようなものだ。ならばどうして探し当てたか、と聞く意味もあるまい。何せ、俺とブルーダーは、すでに此の都市では有名人だ。


 鉄鋼姫、ヴェスタリヌに逆らった人間として。


 胸の中で、幾つかの情動が、揺れ動く。打算の中で、脳裏を悪魔の指が撫でていくのが、分かった。


「——いいさ。ならご招待に預かろう。ただしこっちは一人怪我人でね。連れてくってんなら馬車でも呼んでくれよ、なぁ?」


 マティアに目線を配らせながら、軽い口を叩くように、そう告げた。奴らは、マティアを連れていくとは言っていない。つまり、人質にするような事はしないという事だ。それが彼らの意志なのか、それとも雇い主からの命令なのかは、分からんが。


 マティアはその言葉と視線を受けて、不服そうにその瞼を歪めた。しかしそれから一瞬、何か考え込むような表情を浮かべ、それから息を漏らして、言う。


「ええ、仕方がありません。避けられぬのであれば、私もそれを甘受しましょう。私も私で、起こすべき事がある。しかし、ルーギス、いいですか」


 どうやら、言葉から考えるにこちらの意図をある程度読み取ってくれたらしい。それは俺とブルーダーの命を延ばす上でも、素晴らしく頼もしい、のだが。


 マティアは、こんな状況だというのに笑みを浮かべてすらいた。淡く、それでいて安らかとも思える、笑顔。


「危険な事を、してはいけませんよ。必ず、私の下に戻るように。何処にいても、何があろうと、必ず」


 そう、言い含めるように、マティアは言葉を重ねた。


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