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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第七章『騒乱ベルフェイン編』
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第百三十七話『名の持つ意味』

「――フィアラート=ラ=ボルゴグラードと申します」


 ベルフェイン領主館。そこの応接間の中、カリアに続けて名乗りをあげたフィアラートの黒髪が、揺れる。何時もの様に後ろで纏めた髪型でないためか、頭を下げるとさらりとその黒が流れるように広がっていった。


 暫しお待ちください、そう言って使用人が応接間から出て、暫くが立つ。仕方があるまい。貴族、そうして領主というものは早々急な客には会わぬものであるし、それにあっさりと面会をして、自分の腰が軽いと見られることをひどく嫌う者も多い。


 時には客を暫く待たせる事がマナーだという文化すらあった。自分は多忙を極める身であるが、その中の僅かな時間を縫って貴方に会っているのである、というわけだ。


 思わず、カリアは心の中でため息をついた。全くもって無駄に違いない。しかし貴族、ないし上流階級の悦びとは、そういった無駄を愛することにある。足踏みが嫌いな自分とは、やはり性質があわないとカリアは思った。


 暫しの、空白。カリアは知らず唇を揺らし、傍らのフィアラートに問いかけていた。良いのか、と。フィアラートはその言葉に、不思議そうに黒い瞳を瞬かせて言う。


「別に後悔するような事は、何一つしていないと思うけど?」


 そう告げる口ぶりはどこまでも自然で、柔らかだ。決して何かを隠し持っていたり、心を張り詰めさせているような言葉ではない。カリアとフィアラートはそれほど長い付き合いというわけではないが、それぐらいのことは、カリアにも理解できた。思わず、その白い喉が鳴る。


「とぼけるな。今なら後戻りが出来るぞと、そう言っているんだ。構わんぞ、私は。貴様一人今から母国に帰ろうと。やる事は変わらん」


 カリアは何処かおかしそうに、小声で呟く。


 今までカリア、そしてフィアラート、二人の名前はその活躍に見合わず、紋章教の徒として大々的に公表された事はない。女剣士や、女魔術師。そのような存在が、在ると、示されたのみ。少なくとも大聖教の側では、その存在にすら全く触れられてすらいない。


 あれだけ派手に動き回っているのだ。気づく者は気づくだろう。知る者は知るだろう。


 だというのに此処まで名前が出回っていない理由は、恐らく二つ。ああ、勿論全くの偶然、正体が知れていないという線もありはするが、それは流石に考えづらい。


 一つは、貴族、騎士という上流階級の存在が、紋章教如き野蛮に身を落としたなどという風評を、広めまわりたくはないのだ、奴らは。つまりは、大聖堂と、その本拠があるガーライスト王国の上層部の思惑という事になろう。二房の銀髪が、カリアの皮肉げな笑みにつられるように揺れた。


 福音戦争、聖女革命、審判の門。紋章教徒は一連の戦いを指してこう呼びたがるが、当然、大聖堂としては違う。大聖堂、および周辺諸国は一連の戦闘を指して、紋章教徒の大反乱と、そう呼称する。


 つまり大聖教の教徒からすれば、これは高貴な戦争などではなく、ただの反乱に過ぎない。ゆえにそれに参加するものは、愚かで、蒙昧で、無知な、庶民に過ぎないと、彼らはそういうわけだ。貴族や騎士に、この無意味な戦いに賛同するものがいるはずがない。此の戦いは高尚なものなどでは決してなく、ただ愚かな人間が最後の叫びをあげているだけの、野蛮な行為にすぎない。そう言っているのだ、奴らは。


 その方針ゆえに、事の大きさを理解していない貴族も、ガーライスト王国ないし周辺諸国には大勢いるはずだ。カリアの頬が、知らず苦く笑うような形に崩れていた。何という、無駄な見栄だろうか。


 やはり、無駄は苦手だ。無駄を愛する文化が貴族を生きながらえさせ、そして今は逆に彼らの傷を広げている。


 そうして、未だカリアやフィアラートの名が広まらぬもう一つの理由は、至極簡単だ。


 手を回しているのだろうと、そう思う。己の父バーベリッジ=バードニックが。フィアラートの親御殿がどうしているか、までは分からないが、己の父は必ずそうしているに違いない。


 家名に泥を塗るな、みっともない真似をするなと、幾度も繰り返し告げて来た父。その言葉の末に、娘が紋章教の麾下にいるというのでは、何時憤死してもおかしくはないなと、カリアは瞳を揺らめかせる。


 バードニック家は決して上等な立場にいるとは言えない。むしろ立場は日に日に悪くなるばかりだろう。だが、政治、つまる所根回しが得意な父の事だ。目を血走らせ、睡眠の息の根を止めながらでも奔走している事だろう。そうして、願っているに違いない。


 実の娘、つまり私が早く死んでくれることを。此れ以上、目立つ事をしてくれるなと。


 名が広まらぬ理由は恐らく、その辺り。勿論、全く違う要因があることも考えられるが、今は余り思い浮かばない。何にしろ、二人の名が未だ世の俎上に乗っていないことは事実だ。であれば、カリアはともかくとして、フィアラートは母国に帰ることが出来る。そうしてこんな戦場を傍らにおく生活をやめ、安穏とした日々に戻る事も出来るわけだ。


 それも、此処で名前を出さなければ、という前提が必要になってくるが。何せ今自分たちはそれぞれ、貴族として、騎士として名を明かした。その家名の上に、行動を成している。


 で、あれば。万が一此処で何時もの様に振る舞い、紋章教の手を引いてしまえば。もう、何をしようと遅い。幾ら抑えつけようと、溢れ出てくる声は収まるまい。カリア、そしてフィアラートの名は、その家名と共に周辺諸国へと這い出していくことだろう。少なくともそれが誉の名でないことは、よく分かる。


 まぁ、どちらにしろ自分は、もう家には戻れまいとカリアは思う。もし戻ってみろ、父の心境を想えば、今度は軟禁だけで済むとはとても思えない。何処かで暗殺されるか、一生を大聖教の教会に閉じ込められて過ごすことになる。


 ああ、それに、それにだ。


 カリアは己の瞳が歪み、背骨が熱を有していくのを感じていた。脳の奥底が、焼け焦げているのが、分かる。


 ――もう、戻ることなど出来まいよ。奴の姿が見えぬだけで、知らず内、私の瞳は奴の影を追い、私の耳は奴の足音を探している。


 そんな思いが知らず胸の内に浮き出ると、カリアは自らの頬がすぅっと朱に染まっていくのを感じた。そこに表れ出ている感情は、紛れもなく含羞の思い。


 何を、一体何を似合わぬことを考えているのだ、私は。そんなみっともない不様な事は、とてもではないが奴には言えまい。むしろ私の場合は、奴に己を探させるくらいが、丁度良いのだ。


 カリアの母国に帰ればどうだ、という言葉を聞いて、フィアラートは少し、意外そうに瞳を丸くした。そうして次の瞬間には、唇を尖らすようにしてはっきりと、言葉を放つ。


「嫌よ、だって国に帰っても、ルーギスはいないじゃない」


 ああ、なるほど。


 カリアは何でもないようにそう告げるフィアラートを見て、理解した。つまり、何てことはない。己も、此の魔術師も同じだ。


 どちらももう、後戻りが出来ない所に、いるだけなのだ。今更、名がどうだとかそんな事、気にするはずもなかった。


 そうか、と言葉を漏らしながら肩を竦めていると、ぎぃっとようやく応接間の扉が音を立てる。


 随分と待った。どうにもやはり、領主という存在は人を待たせるのが得意だと、銀色の瞳が細まる。贅肉を四肢と体躯に付けたであろう領主、モルドー=ゴーンは厚い唇を存分に揺らしながら、言葉を放った。


「いやはや、よくぞお越しくださった、歓迎致しますぞ。私はベルフェインを預かるモルドー=ゴーンと申します。お見知りおきください」


 そう言って応接間に姿を見せたモルドーは、一人ではなかった。何処か自慢げな態度すら見せて、扉の奥から一人の女性を、連れ出してくる。そこには、黄金の輝きを放つ髪が、揺れていた。


「そして是非お二方にもご挨拶を、と思いまして。こちら大聖堂の聖女と名高い――」


 モルドーの低く唸るような声が、応接間に響く。それに続くようにして、耳を擽るような柔らかい声が、宙に零れた。


「――初めまして。客人としてモルドー様にお世話になっております。アリュエノと、そう呼んでくださいませ」


 黄金の髪と瞳を煌かせながら、彼女は、そう言った。聖女、アリュエノと。


 応接間の中、銀色の瞳が、歪に揺れ動いた。

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[一言] ベルフェインが大陸最大の火薬庫にいいいいいい
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