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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第六章『聖女マティア編』
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第百二十四話『略奪者と歌姫の戯言』

 傭兵都市ベルフェインは二つの車輪を回すことで、円滑な統治を果たしている。その一つが、鉄鋼姫ヴェスタリヌ=ゴーン。彼女の恐怖による支配が、都市の治安を維持しているといって過言はない。


 そうして、もう一つの車輪、それが彼女の父モルドー=ゴーン。


 ベルフェインの現領主であり、ベルフェインという都市を、数多の傭兵擁する巨大都市へと繁栄させた一代の傑物。


 その実績に反し、モルドーの風貌は酷く冴えない。


 だらしなく肉を付け始めた小太りの体形に、唇が厚い顔つきも端正とはとても言えない。体躯は小さく、かつて傭兵時代に鍛え上げていたはずの両腕も、今ではその筋肉が崩れきってまるきり肥えた商人の腕のようになっていた。


 風貌だけで言うならば、モルドーに対して良い印象というのは抱けそうもない。むしろ、使用人で一生を終えそうな雰囲気すらある。


 だが、その目だけは別だ。


 鈍重そうな顔つきの中で、その瞳だけが異彩を放っている。モルドーはその双眸に宿る欲望と野心だけを頼りに、ベルフェイン領主、正確には総督という地位をもぎ取った。


 元々彼は高貴の生まれというわけではない、かといって、貧民の生まれというわけでもなかった。中間層というどちらにも依らない地位。それがまた、モルドーの生き方を揺さぶってゆく。


 高貴な者のように、公職に就いて政を行うほどの地位はない。しかし貧民のように物乞いをして生きていくのには、中間層という微妙な家格が邪魔をした。


 当初こそは靴職人を志しギルドに所属したものの、高級品を扱える職人になるのには、相応の地位が必要と聞いて、辞めてしまった。


 すでに青年と言える頃から、モルドーの瞳には大いなる野心が抱かれていたのである。一方的に奪う側と、一方的に奪われる側。その両者を、狭間から冷徹に見つめて幼少期を送ったモルドーであるからこそ、宿った野心。


 即ち、己は奪う側でありたいという、率直な欲望。


 高貴な者はそのような野望は抱かない、生まれながらに奪う者であるから。貧民もそれは同様、彼らは生まれながらに奪われる事しか知らないから。


 その野心とも欲望とも言えるものが胸をかき混ぜた結果、最終的に彼が手をつけたのは傭兵という職業だった。


 傭兵と言えばまだ聞こえは良いが、その大半は野盗や略奪者とそう変わりはない。むしろ傭兵稼業というものは、雇い主からの報酬と、村々を襲った際の略奪品を合算して食っていくものだ。


 モルドーが若くして傭兵となった頃合いは、戦争が続く酷薄の時代だった。農村で食えなくなった次男坊三男坊が、日々を生きる為に仕方なく手に持つものを鍬から剣に代えていく時代。戦いの経験などそうない彼でも、傭兵となる事自体は簡単だった。


 傭兵となった時、多くの者がモルドーのその冴えない風貌を見て彼を見くびり、嘲笑い、何時逃げ出すのかと賭けをしていたのを、モルドーはよく覚えている。その連中は何度目かの戦場にでた際、略奪に乗じて頭を叩き割ってやった。上手い具合に、戦死に見せかけて。


 彼自身も考え及ばぬことだったが、傭兵稼業は、モルドーにとって天職だった。


 奪う側でありたい。その信念とも執念ともいえる欲望を孕ませたモルドーは、戦場では誰よりも勇敢だった。誰よりも早く前線を奪い取り、誰よりも早く略奪を始めた。


 思えばあの頃が、モルドーにとって最も輝かしい時代だったのかもしれない。傭兵稼業を通じて親友と呼べる男があり、また惚れた女も出来た。当時の彼の心には、清々しい春風が吹き渡っていたに違いない。


 だが、それを崩したのもやはりモルドーの欲望だった。


 彼の欲望の為に、親友も、好きだった女も死んでいった。それを後悔をしているのか、それともしていないのか。未だモルドーには分からない。


 裏切りと略奪を繰り返し、傭兵として功を立てたモルドーは、いつの間にか傭兵の長となり、そうして地位を得て、果てには一都市の領主の地位すら奪い取った。


 勿論その道程には幸運も在った。だがそれを掴み取ったのは、紛れもないモルドーの野心だ。


 しかしそうなって尚、彼の瞳に宿る欲望は、絶えていない。むしろ薪を放りいれたかのように、燃え滾っている。


「大罪人……ルーギスと酷似した男、か」


 領主館客間にて、モルドーは傅く部下に声を投げた。本来報告を受けるに相応しい場所ではないが、緊急という事で、耳を傾けている。


「はい。服装は変えておりましたが、顔つきや体格は殆ど相違なく」


 問いに答えた部下は、モルドーが大きな信頼を置く者だ。少々素直すぎる所があるが、現場の指揮官に任ずるならば、これほど最適な男もいない。その信頼ゆえ、娘、ヴェスタリヌの目付役を頼んでもいる。


 その、彼が緊急の報告と言うのだ。適当な情報ではない。ある程度の確度がある情報なのだ。モルドーの太い指が唇を擦る。


 モルドーの中で思考が、渦巻く。果たして紋章教の将とも言える存在が、易々と今ベルフェインに潜入するだろうか。


 大罪人ルーギスは紋章教という組織の中枢に噛んでいると見て間違いはない。今回ベルフェインよりガルーアマリアに宛てた書状についてもよくよく理解しているはずだ。であれば、此の土地は簡単に踏み込める場所ではない。それこそ死地に踏み入るようなもの。


 だが、稀にそのような凡たる考えに当てはまらない人間がいることも、モルドーは傭兵時代の経験から知っていた。軍の大将だというのに、自ら馬を駆って敵地を見分にいく変人というのも、世の中には存在する。そうして何故かそういう人物は中々死なない。


「真偽を見極めるまでは、監視をつけるに留めておけ。偽物であった場合、紋章教が放った試金石という事も考えられる。焦る必要はない」


 薄い線ではあるものの、紋章教側が目鼻立ちが酷似した偽物を送り込み、こちらの出方をうかがっている、という可能性もなくはない。少なくとも、将たるもの本人が乗り込んでくるよりかは、そちらの可能性の方が随分と高く見えた。


 もしそうであった場合、不用意に手を出すのは宜しくない。それは紋章教との完全な敵対関係へと繋がり、下手を打てば紋章教の勢力全てがベルフェインに殺到する事になる


 モルドーにとって紋章教の勢力は勝ち得る相手だが、ベルフェインのみで相手取りたい存在ではなかった。それは余りに出血が多くなりすぎる。可能であるならば、己の出血は少なく、しかれども成果は最大限に奪い取るべきだ。


 ゆえに、もし完全に敵対するのであれば、魔女か大罪人、その紋章教の両角のどちらか、もしくは両方を折った後だ。それまでは彼らの内部に牙を立てる機会を伺い、のらりくらりと躱しておけば良い。


 モルドーは老い、かつて前線を一番に踏み越えた勢いを失ってしまったが、その代わりに慎重さと狡猾さを得た。それは決して、勢いに劣るものではないと、モルドーは感じている。むしろ、勢いは齢と共に必ず衰える時が来る。それだけを取り得にしていては、いずれ若い者に追い抜かれてしまうだろう。老いたならば、それ相応の戦い方を身に付けねばならない。


「それと、ルーギスなる者を実際に見た者がいないか今一度確認しておけ。いれば、その者をつれて――」

 

「――であれば、私が参りましょう」


 その耳を優しく撫でるような音に、部下だけでなく、モルドーまでもが動揺に肘を揺らす。その様子に声の主は、失礼を、と頭を下げながらも微笑を頬に湛えている。


 絹の如く汚れ一つない肌に、輝きの絶えない黄金の頭髪。そうして人を惹き付ける、髪と同色の瞳。その姿は、身に着ける聖衣に全く見劣らない。聖女候補という話だが、その発する雰囲気は聖女と見まごう。


 声の主の正体は、歌姫の聖女、アリュエノ。


 偽りとはいえ紋章教と交渉を進めるベルフェインにとって、今の時期に大聖教の人間を迎え入れるのは正直な所、望ましくない。何処で紋章教の人間が耳を立て、目を凝らしているかも分からないからだ。下手を打てば、目論見の全てがご破算になる可能性だってある。


 だが、神の啓示を盾にし、そうして聖女候補の要望とあれば、流石のモルドーも断る術を持たない。


 ゆえに今は公ではなく、あくまで私的な客人として、アリュエノは領主館に迎えられていた。


 アリュエノの慈愛を滲ませる声が、再びモルドーの耳に触れる。


「私が、参りましょう。残念ながら魔女の正体は知り得ませんが――因縁あり、大罪人ルーギスの容姿は、この瞳が知っています」


 そういう彼女の言葉は、何処か楽しげで、喜劇でも見に行くような口ぶりだった。

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