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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第六章『聖女マティア編』
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第百二十話『巡り合う思惑』

 宝剣が紫の線を描き、ブルーダーの首皮を一枚はぎ取って、止まる。否、止まらざるを得なかった。ブルーダーの手首に仕込まれていた隠し針が、俺の胸元を僅かに貫いている。


 互いに、動けない。後一歩踏み出せば、互いの命が身体から抜け出していく、そんな狭間、


「――両者、いますぐに武器を置きなさい。貴方達の愚かさでも、それが一番良い結果につながると分かるでしょう」


 空気そのものを重くするような、重量感のある声が裏通りに響く。


 それは、紛れもなくこちら、俺とブルーダーに向けられたものに違いない。その声に当てられて、自らの胃から吐き出される吐息まで、重みを帯びたように感じていた。


 聞き覚えの、ある声だ。背筋を叩きつけるようなその声は、かつて聴いた鉄鋼姫ヴェスタリヌのものに違いない。


 不味い。余りにも、宜しくない。


 此処で彼女に目を付けられるのは、最悪の道筋だ。そんな事になれば、俺がベルフェインで何をするにしろ、彼女の目が付きまとう。


 やめよう、此処で武器を構えるのは、賢明とはほど遠い、利口とは言い兼ねる選択肢。


 それはブルーダーにしろ同じこと。ベルフェインを拠り所とする彼にとって、鉄鋼姫と敵対する事はなんら美味しいことがない。


「傭兵、もしくは浮浪者ですか。こんな所で、無為に暇をすりつぶすのはやめなさい」


 それは、有無を言わさぬ重さを含んだ言葉。反論を、許さない強みを持っていた。当然、俺達がすべき事はその言葉に反発することでなく、此処で武器を置き、彼女に平伏し事を荒げないと誓うこと。


 ああ、そうだ。今大事なのは鉄鋼姫が正解か、間違っているか、なんてことじゃあない。此処で大事な事は、彼女は領主の一人娘、上流階級の人間で、俺達は低劣な庶民に違いないという事。

例え道理がこちらにあろうとなかろうと、彼女に跪かねばならない身分という事だ。俺達は支配される者で、鉄鋼姫ヴェスタリヌ、彼女のような人間は支配する側の人間に違いない。


 そういえば、以前ベルフェインを訪れた際にも、同じことがあったっけか。その時の彼女の冷徹さと、侮蔑の視線は、よく覚えている。


 だがまぁ、仕方がない。そういうものだ。階級とはそれそのものが力。本来覆しようがないもの。最近、すっかり忘れてしまっていた。余りにも、階級が違うものが傍にいすぎたから。余りにも、俺の様な人間を尊重する、してくれる奴らが多すぎたから。


 ブルーダーと一瞬、視線が重なる。そうして、瞬きもしない内、ゆっくりと、物言わぬままに互いに武器を引いた。これが正しい、在り方だ。


「良いでしょう。互いに、ベルフェインにおいて二度と無駄な諍いを起こさぬように――浮浪者は、ただそれだけでベルフェインを汚すのですから」


 なるほど、こちらの名前も聞きやしない。こちらの存在など、眼の端にも映していないといった態度。


 いや都合が良い。それくらい、粗雑な扱いが、丁度良い。そうでなくては、俺の筋書きは全て崩れ去る。こちらの思惑通りだ、素晴らしい、何ら問題はない。そのはずだ。


 だと、いうのに。知らず心臓は溶けそうなほどの熱を持つ。爪は軋み自らの肉を抉り、背骨は燃え立って血を巡らせる。


 屈辱だ。ああ、屈辱だとも。今俺は暗く冷たい沿岸に打ち上げられたようなもの。身体は尊厳を奪われた寒さに凍え、内部はといえば恥辱に茹っている。


 鉄鋼姫、ヴェスタリヌの奴は俺など歯牙にもかけていない。俺達の戦いなど心底どうでも良いと、そう思っている。そこに意味など見出していない。例え俺とブルーダーがどれほどの誇りを賭けていても、漲るほどの決意を固め剣を振るっていようとも、どうでもいいと、その言葉は語っている。


 俺は二度とこんな屈辱を味わわぬ為、今この時に戻ってきたのではなかったのか。もう二度と、誰にも踏みつけにさせぬ為に、此処にいるのではなかったのか。


 だというのに、俺は未だこんな一都市の、領主の娘に頭を下げさせられている。ああ、彼女に感謝をしなくては。


 俺は、結局のところまだ何一つとして手に入れていないのだと、それがよく分かった。心の底から、感謝をしたい。


 鉄鋼姫ヴェスタリヌの魔獣馬が、首をかえして裏通りに背を向ける。もはやこのような、薄汚れた場所になんら用はないと。その視界に収める必要もないのだと、そう、告げるように蹄が大きく鳴った。


『――馬上から偉そうに見下しやがる。鉄を被ることしか能がないってぇのによ、ええ?』


 二つの言葉が、重なった。言葉の節々は違う、言葉の選びも細かくは異なっている。だが、その声の調子と、含まれた熱だけは全く変わりというものがなかった。


 俺と、そして傍らですっくと立ちあがった、ブルーダーの声。決して大きな声ではなかったが、鉄鋼姫の背中には届く明瞭な声だった。


 その声が、ぴくりと、鉄鋼姫の背筋を揺らす。その顔が、一瞬、こちらを振り返った。


 そうして、普段の鉄を張り付けたような表情からは想像も出来ないような笑みを浮かべながら、言った。


「――貴方達の顔は、よく覚えました。二度と、此処で平穏な暮らしが出来ると思わないようにしてください」


 俺達の売り言葉を受け流すでもなく、買うのでもなく、ただ噛み潰すように、それだけを告げて。そのまま、鉄鋼姫は馬に揺られるように、ゆったりと裏通りを後にした。


 ああ、見くびりやがって。



 ◇◆◇◆



「俺様も、自分を小利口だと自尊した覚えはないがよ。てめぇも、相当な阿呆だよな」


 ブルーダーが根城にしている売春街にある安宿に、俺は招待を受けて乗り込んでいた。


 しかしこいつ、以前も同じところを拠点にしていたが、売春宿が好きなのだろうか。その割には、春を買っている姿は見たことがなかったが。知らず肘をついて、目を細める。


 先ほどは命を狙いあったというのに、今はこうして同じ部屋で息をしている。何とも、奇妙なものだ。これは、同類相憐れむというやつだろうか。何せ今は互いに、此の都市の支配者たる鉄鋼姫様に目を付けられた状態だ。普通に酒場でくだを巻いているだけで、鉄鋼姫を慕う傭兵共に命を狙われかねない。


「ああ、ああ。よく分かってるとも。生まれてこの方、俺も自分が利口だと思った事なんてなくてね」


 いやどう考えても、大馬鹿だ。


 何をするにしろ、状況は最悪。どうして、あんな口を開いてしまったんだ、俺は。そんな事に意味はない。妥当性も、賢明さの欠片もない。自ら泥沼に足を踏み入れるようなもんだ。本当に阿呆だ、俺は。


「なぁに、確かに良い言葉じゃない。だが嫌いじゃない、悪い言葉じゃなかったさ」


 それは、どうにもブルーダーの素直な言葉に思われた。何処か含むような言葉を余り発しはしない彼だが、その中でも、殊更に真っすぐな口ぶりだった。


 ブルーダーは喉を鳴らしながら付け足すように、少なくとも人を利用して使い潰す小利口さはなさそうだと、笑みを零して言う。


 何とも、微妙な信用の得方だ。能がないと分かられて信用されるというのも、なかなかに珍しいことなのではなかろうかと思う。


 部屋には椅子がなく、家具らしいものはテーブルといやに軋むベッドしかない。なので仕方なく互いにベッドに腰かけつつ、ブルーダーは頬をあげ帽子を傾けた。その手は安いラム酒を陶器に注ぎ込んでいる。


 そのまま、彼は口を開きはしない。ただじっと、何かを待っているかのようだった。こういう仕草は、話を聞いてやろう、そう彼が告げている時の恰好だ。


 何とも、恰好の付け方が彼らしい。一度聞かぬといった話を、自ら聞き出すのは恥だと考えているらしかった。


 懐かしいかつての頃を思い出しつつ、歯を見せて言葉を漏らす。周囲から商売に精を出す女の艶やかな声が、響いていた。


「ブルーダー、あんたが未だこの都市に居続けるつもりなら、言った通り、傭兵としてあんたを雇いたい」


 口から放り込んだラム酒が、喉を焼く。ああ、本当に質が悪い酒が好きだな、こいつ。


「内容は――ベルフェインの両輪、その片方を取り外すこと。それだけさ」


 ぴくりと、ブルーダーの細まった瞳が、開いたのが分かる。何を言っているのだという動揺と、さてどう答えたものかという逡巡が、瞳の中を揺らめいている。

 

 だが、俺にはもうその返答が分かっていた。多少の想いの揺れはあれど、彼の心は決まり切っているはずだ。


 なにせかつての友ブルーダー、彼がベルフェインに留まる理由は、俺の思惑とそのまま合致しているのだから。

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― 新着の感想 ―
[一言] 宗教国家を動かす程度には名を挙げてるくせに、身分を隠してゴロツキとして潜入した先で見下されて「まだ何も手に入れてなかった」は正直どうよ。
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