第百十六話『傭兵の在り方』
夜風に晒され、酒場の中を照らす蝋燭がゆらゆらと揺らめく。
明かりを保つために何本もの蝋燭が用意されているのは、この街の繁栄そのものを示すかのようだった。
揺らぐ影と火の粉を振りまく灯りが、ブルーダーの顔を、照らす。
「この俺様を雇いたい? 勘弁しろよ、何の意味がある。野良犬を飼うのとはわけが違うぜ。カ、ハハッ!」
傭兵を雇いたいのなら、それこそ腐臭がするほどにこの都市にはいるだろう、そうブルーダーの唇が動く。一杯のラム酒を奢ってやると、ブルーダーの口はいやに饒舌に動き始めた。全く、最初からそうして欲しいものだ。
ブルーダーの問いかけに、ふむり、と鼻を鳴らしながら、目を細める。
確かに、ブルーダーにとっては奇異な事に違いない。傭兵を雇うにしたって、酒のタカリをやって、その代償に裏通りで青あざを作っている彼をわざわざ選ぶ理由なんてのは、流石の俺にも思い浮かばなかった。
なんと、話したものか。
よもや、最初から最後まで全てをブルーダーに語るわけにもいくまい。むしろそんな事をすれば、ただでさえこちらに疑いの瞳を向けている彼に、更なる疑惑を上乗せさせてしまう。
慎重に、言葉を選ぶようにして、唇を開いた。
「……お前さんにしか頼めない仕事を頼みたいのさ、針撃ちブルーダー。そう、他には頼めない仕事だ」
仕事の場所はと、そう問うてくるブルーダーの視線に応えるように、ベルフェインでの仕事だと、間髪なく唇を動かした。
その言葉にブルーダーは瞳を歪め、帽子のつばを指で弄りながら、見定めるように唇を閉じる。それが、この男が深く思考に浸る際の癖だった。
ブルーダーという男は、酒のタカリをするような品の無さを見せる反面、奇妙な思慮深さを備えている。その有様は何とも歪だ、日々の酒に困るような連中は、仕事とあればいくら胡散臭くとも、飢えた野犬が餌に飛びつくように請け負うもの。
だから、彼のその思索を行う仕草は、どこか彼の在り方とちぐはぐに見えた。
「――お前の言葉は、良い言葉だ、俺様を良い気分にしてくれる。だが駄目だな。俺様じゃなけりゃいけない理由が見えないね、性質の悪いジョークにしか聞こえない」
酒は悪くなかったぜ、そう言いながら、ブルーダーは酒が果てて空になった陶器をテーブルに置く。そうしてそのまま、腰を上げた。もう、交渉は終わったと、そう告げるように。
まだ依頼の内容すら話していないだろうに、何とも、警戒心が強いというか、短気というか。なるほど、そういう所もそのまま彼の特徴だ。
傭兵との交渉において、どちら側かがテーブルを離れるというのは、交渉の決裂を告げるもの。立ち去ろうとするものに追いすがるのは、野暮でありマナー違反だというのが、この都市での通例だった。
俺も立ち去ろうとするブルーダーの背中を呼び止めることは、出来ない。酒の追加を頼んでやろうと思っても、彼が人から酒を奢られるのは一杯だけだ。
ゆえに、俺は酒場から去っていこうとする背中を呼び止めることはなく、ただ声を投げかけるだけだった。
「暫くは此処にいる。気が向いて、天気が良けりゃ来ればいいさ」
◇◆◇◆
妙な男だと、ブルーダーは首を捻る。自らに酒を馳走しただけではなく、傭兵として雇い入れたいとまでいってのけた、何とも奇妙な男だ。
ブルーダーは己の力量と評判をよく理解している。
曰く、酒をたかるロクデナシ。下級の傭兵崩れ。針を使った曲芸だけが取り柄の男。それが、ベルフェインでのブルーダーという存在に当てられた評価。随分と妥当なものだと、ブルーダーは理解している。
それゆえに、やはり分からない。今までに気まぐれに酒を奢ってくれた人間はいくらかいたが、傭兵としてのブルーダーを求めるものなどいなかった。仕事といえば精々、数合わせに集められるようなもの。その戦力を当てにされたことなど一度たりともない。
その己を個人的に雇い入れたい。やはり、それは性質の悪いジョークだと、ブルーダーは帽子のつばを人差し指で弄る。
勿論、悪い気分ではない。この都市で暮らしていく為とはいえ、ブルーダーは傭兵という身分に違いはなく、傭兵の中に自身の力量を求められて気分を害するものなどいないだろう。例えその腕前が、とても優秀とは言えぬものだとしても。
しかしブルーダーは、奇妙な事をそのままに受け入れられぬ性質だった。
奇妙である事には必ず裏がある。裏には常に危険が潜む。裏がある人間というのは、危険を持ち寄ってくるようなもの。とても、信頼などできたものではない。
信頼というのは、互いに歩み寄りつつ、出来るならジョークの一つでも交わしながら培うものだと、ブルーダーは考えていた。
普遍的な傭兵は、このような判断はしない。傭兵にとって重要であるのは、報酬がリスクと見合うかという事だからだ。
例えその依頼に裏が見え隠れしようとしなかろうと、考え得るリスクが報酬を下回るのであれば、快諾する。それが傭兵という者達の生き方であり、自らの命を切り売りして日々を過ごすということだ。
そう考えるとブルーダーの判断の仕方はよく言えば慎重だが、悪く言えば傭兵として酷く臆病とも言えた。
ふと、大した意味もなく動かしていた脚が、止まる。ブルーダーが視線を向けた先にあったのは、傭兵専用のギルドだった。冒険者が使用する正式なギルドとは意味合いが異なるが、誰しもその性質から傭兵ギルドと、そう呼んでいた。
傭兵への依頼というのは勿論個別に契約を交わすものもあるが、その大半がベルフェインが管理するギルドを通しての依頼となる。
傭兵というのは元来、管理というものがし辛い存在だった。何せ誰もかれもが根無し草。金がある方へと流れてゆき、何処かに定着するという事がない。下手をすれば傭兵から野盗へとすぐさま転職をしかねず、厄介な出稼ぎ労働者という立ち位置だった。
だが、それも傭兵都市ベルフェインを除いては、という事になる。
ベルフェインは傭兵の後ろ盾となる事で、都市そのものの商品として常に一定の傭兵を手元に置くことに成功した。であれば次は、その管理方法だ。
仕事の契約を全て個別にしていたのであれば、成功報酬からベルフェインが少々頂戴するにしても、明確な状況が把握し辛い。出来うるなら、契約状況やその報酬を一元管理し、税の如く吸い上げてしまいたい。
そういった思索の下作成されたのが、傭兵ギルドという組織だ。
商人は必要な分の傭兵をギルドに依頼し、ギルドはその依頼に応じて傭兵を招集する。それはギルド付きとなっている傭兵を用いて、という場合もあるし、ブルーダーのように都市をぶらついている傭兵崩れをかき集める時もあった。
結果として商人は傭兵と直接交渉する手間が省け、傭兵としては少なくとも報酬を踏み倒されたり、無駄に使い潰されるという事はなくなる。ある意味では利益の好循環だ。
といっても、ギルド使用料として本来上納する金額より更に上乗せして報酬をベルフェインがかっぱらっていくのだから、その日暮らしが続く傭兵にとっては堪ったものではなかったが。
普段はブルーダーにとっては入る気力も沸かない、面倒な場所だ。だが今日は酒も入り、やや調子も良い。冷やかしに入るくらには構わないだろう。陽気に口笛を吹きながら、扉に手を掛ける。
「おいおい、珍しいやつが来たもんだな、酒崩れ。先に言っておくが、今お前に回せるような仕事はねぇぜ」
そうして入った途端、ギルドのマスターから投げられた言葉がこれだ。冷やかし半分と分かっているに違いなかった。
ブルーダーはおかしそうに喉を鳴らしながら、ふらふらと酔ったような足取りのまま、近くの椅子に座り込む。
何、どうせ最近はガルーアマリア陥落の所為で商人がどうすべきかと様子をうかがっている所。一時的に暇になったギルドの中だ、追い出されることもあるまい。
ふと視線を向けると、マスターがギルドの正面に張り出された羊皮紙を、取り外している。その羊皮紙は、紛れもない、大聖教の刻印が入った指令書だ。本来、許可なしに取り外すなど許されるものではない。
「カ、ハハッ。マスター、宗派変えなら先にいってくれよな。先に俺様が教会に走って密告すれば、それだけで金貨が手に入り込んでくるんだからよ、なぁんてな」
馬鹿野郎、と言いながらマスターは、手に丸め込んでいた羊皮紙をブルーダーの手元へと投げ込んだ。自然と羊皮紙の丸まった状態が解かれていき、表面に記載された文字と、その内容が露わになっていく。
「ご領主の命令さ。一時的にそいつは貼り出しちゃあいけんとよ」
全く貼り付けろといったり、勝手なもんだ。そうマスターは愚痴をぶつぶつと口元をもぞつかせて吐き付ける。
そんなマスターの言葉が耳を打つのと同時、ブルーダーの細まった瞳には、一つの文章が映り込んでいた。
――敬虔なる教徒よ。魔女マティアと、大罪人ルーギスに死を。
「報酬は……見たこともねぇ額か。ラム酒何杯分かも分からんなぁ。悪くないジョークさ」
ブルーダーはどこか面白そうに瞳を煌かせつつ、その頬をやや、つりあげた。




