第百八話『黄金の熱量』
剣戟が、聞こえる。
剣と剣が接合し、その鉄の嗚咽を響き渡らせる音。幾度も、幾度も繰り返される音が、ガーライストの闘技場を湧かせていく。声が弾け飛び、闘技場そのものが一つの生物となったかのように、うねりをあげた。
だがそれは決して、互角の戦いを讃えてのものではない。剣が重なり合う接戦を、楽しんでの歓声ではない。
ただ、どちらの血が宙を染め上げるのか、何時、闘技場の砂を赤く塗りたくるのか。それだけを期待してのもの。
その醜い歓声の中にありながら、黄金の髪が、揺れ動く。
相手の巨躯から幾度も振るわれる大剣を受け流し、払い、時に自らの剣で止める。
さもそれは、防戦一方、攻める手段がなく、もはやその命は猛獣の牙の先にあるのだと、そう思わせる。観客の声が、より大きく渦となって砂を跳ね上げる。そう簡単に死ぬんじゃない。もっと、金の分は楽しませろとでも、言う様に。
その期待に応えてだろうか。黄金の髪の持ち主は、大剣使いの斬撃を、後一歩、紙一重という所ですり抜け、防ぐ。
こんな、ものだったか。いや、きっと彼は、こんなものではなかった。これほどまでに力強くはなかったが、これほどまでに、鋭くはなかったが。
――それでも、此れよりずっと強かった。
黄金の、右眼が揺れる。
大剣が、見えぬ左側を狙いぬくようにして、振るわれた。なるほどその一撃も、きっと彼より考え抜かれた一撃だ。だが、それでも。
黄金が、煌く。手に持つ両刃剣が、豪速を伴って空間を切り取っていく。身体を半身に開き、回転するように左から迫る大剣を避け、そうして、そのままに。
――ザァンッ
風を、撫でるような音だった。ただ刃物が、空気の合間を通り抜けたような、そんな音。ただのそれだけで、激しいと思われた攻防は、あっさりと決着を迎えた。
大剣を奮う、巨躯の男の首筋から、血が逃げ出すように噴出する。まるで本来からして、そのような生物であるかのように、うねりをあげて。
「勝者、ヘルト・スタンレーッ!」
闘技場が再び、生き物となって轟きをあげる。
◇◆◇◆
「ヘルト、貴様はその身を大事にすることを知らんやつだな。私の趣味としては歓迎。されど、叔父としては全くもって反対だよ」
ガーライスト王国闘技場、その控室とも言えない、ただ煉瓦を積み上げただけの部屋に、バッキンガム・スタンレーの姿があった。思わずヘルトは、その黄金の瞳を瞬かせる。
叔父は確かに変わりものではあるものの、此処の所その奇行は減っている。よもやこんな所に足を運ぶとは思わなかった。
「叔父上、大聖堂預かりとして、逸脱した行為まではしておりません。それに、良い訓練にもなります」
そう応えながらヘルトは軽く頬を緩めさせる。その様子に、バッキンガムは喜ばしいような、そうでもないような何とも微妙な表情を浮かべていた。
叔父の気持ちが、ヘルトには手に取るように理解できた。
城壁都市ガルーアマリアの陥落、それによりスタンレーという家名はその拠り所を失った。
あるのはただその名前のみ。当主たる父は行方が知れず、次期当主の己はといえば、左眼を失って一時期はその意識すら定かではなかった。やっとの事で意識が戻ったかと思えば、闘技場にて気ままに剣を振り回している。なるほど、誰であろうと、叔父の胸中は予想できようというものだ。
しかしながら、ヘルトはその気持ちを理解していながらも、己を押し留めることが出来なかった。此処ガーライストを拠点として、少なからず真面な生活が行えている。それは間違いなく、叔父のお陰。十二分に、理解している。
きっとかつての己が今の自分を見れば、言うだろう。その行いは正しいものではないと。善き事とはとても言えないと。
だが、違う。違うのだ。今は、此れこそが正しいのだと、確信している。こうでもしなければ、己は身体中を巡って嗚咽を漏らしている感情を、縛り上げておくことなど出来たものではない。闘争の血潮の中にこの身体を放り投げることくらいしなければ、正常を保てはしないのだ。
ヘルトと、バッキンガムのどちらも口を開かない、少しの、沈黙。その後に、バッキンガムは、ゆっくりと口を開いた。
その落ち着き方はかつての何処かおどけた、冗談染みた色を失っており、当主代行としての威厳が口元の髭同様に、声にも纏わりついているようだった。
ヘルトはそれが、何とも叔父が人間としての面白味を失ったようにすら感じていた。
「――貴様には、伝えておこうと思う。喜べ、とうとう我らが故郷を、土足で汚した奴らの首を刎ねる時が来たのだ。何とも素晴らしい!」
闘技の熱が冷め、歓声をあげる生き物から、ただの煉瓦と粘土の塊となった闘技場に、人の姿はない。精々、雨が降った時に浮浪者が軒を求めて寄ってくるくらいだ。
だからだろう、嬉し気に今日決められた事を告げる叔父の声は、妙に張りがあった。
バッキンガムの鷹鼻が揺れ動きながら、最後まで言葉を捻りだすのを聞いて、思わず、ヘルトは頬を崩した。まるで、耐え切れないとでも、言う様に。
「全く、喜ばしいことこの上なかろう、なぁ、我が甥よ!」
ああ、かつての叔父上であれば、きっと今の笑いの意味を理解してくれただろうに。かつて慕っていた叔父が何処か遠くにいってしまったようで、ヘルトの胸の奥に、僅かな哀しみが積もってゆく。
「――違いますよ。上手くいくはずがないと、思わず笑ってしまったのです。誰もかれも、とんだ勘違いをしてしまっている」
ヘルトの言葉が乾いた砂の上に落ち、風が砂を巻き上げていく。バッキンガムは、目を見開いて、その言葉の真意を測りかねているかのようだった。
「僕は、よく分かっています。彼は、とてもそのような事で死ねるはずもない」
笑い話だ。騙し討ちで、彼を殺す。
そんな事が、できるはずもない。彼がそんな事で、死ぬはずもない。魔女と、そう呼ばれる女性がどうかまでは分からないが。
外に出ようと、外套を肩に着せ掛けながら、吐息を漏らす。随分と、寒くなった。だが、身体の中の血はその寒さに反発するように、熱い。戦いの熱をもってしても、それを相殺することすら出来はしない。
この熱は、あの夜から、ずっと続いている。
きっと今日闘技場で戦った相手は、彼よりも鋭く剣を扱い、彼よりも力強く、彼よりも戦い慣れている。だが、それでも、彼の方が強かった。それをこの手が、左の眼が覚えている。
「ヘルト、貴様の言葉はまるでそうあって欲しいと、願望でも告げているようだ。貴様は、何を思っている。何か思惑でもあるのか」
バッキンガムは、不思議そうに唇を揺らす。ヘルトが告げる言葉がどうにも、願望どころか確信めいた響きを有しているものだから、どう跳ね返したものかと苦心しているかのように。
ヘルトが、その肩を竦め、右の眼を煌かせて、口を開く。唇が、少し迷った。
「何と、言うんでしょうね。きっと、彼は敵です。そうでなければならないと、言っていましたし」
そう、あの戦場で。ガルーアマリアの剣戟の間、彼は確かにそう言った。そうでなければ、ただ惨めに這いつくばるだけでしかないのだと。
果たして、それは本当だろうか。
此処とは全く違う世界、全く違う頁をめくった時代では、己と彼はどうあったのだろう。首を刎ね合う敵だっただろうか、それとも、肩を組み合う味方同士だっただろうか。そればかりは分からない。だから、分かることといえば、一つ。
「ですが、思惑というならば僕は彼と――ルーギスさんと、友と、そう呼び合える仲になりたかったのだと、そう思います」
今まで、己と牙を合わせられる人間はいなかった。物心ついた時には、誰もが自分を特別視し、追いつこうと、そうする人間すら、いなかった。
いつの間にか、世界とは、人とはそういうものだと受け入れてしまってすらいた。
だが、彼、ルーギスはどうだ。己と、唯一牙を研ぎ合わせ、剣を重ねながら尚、その上を行ってくれた存在。この身に追いつこうと、手をのばしてくれた存在。
きっと己は、それをこそ友として求めていたのだと思う。胸中で、ぐるぐると、言葉にならない感情が揺れ動く。
血が、熱い。




