第百二話『騎士たる者達』
鮮血が、エルフの森中空を、飛び散る。一人の騎士が、朱槍に指を絡ませながら馬を嘶かせた。
馬上にその身を置きながら、男はまるで、己の腕の延長に槍があるとでもいうかのように、異様な巧みさをもって槍を振るった。その紅に染まった穂先が、男の指先となって扱われる。
再び、鮮血が中空を、そして大地を覆う。それと同時、猿型の魔獣、その肉が破片となって飛散した。
ガザリア城門へと押し寄せていた魔獣、大猿にとって、その状況は理解しかねるものに違いない。
良い獲物があるのだという仲間の猿叫に呼び集められ、我らはその餌が詰まった城門を陥落させる一歩手前まで迫っていた。
だと、いうのに。今は自ら押し寄せた城門が、まるで逃げ道を遮る死の壁となっている。逃げようとも、例え死を覚悟して抗おうとも、あの槍が全てを奪わんと突き刺さる。
あれは、何だ。大猿の理解が、及ばない。それは知能が足りぬというのではなく、ただただ、目の前の光景を理解しようとする事を、その本能が恐怖していた。自ら理解という行為を拒絶しているかのようですらある。
朱槍が、伸びる。その度に血が弾け飛び、仲間の血肉が死骸となって森を覆った。その一振りはもはや魔獣より魔的で、悪魔の腕より凶悪な何かに、見えた。
少なくとも大猿は、己、そして仲間たちの肉体が、こうも軽々と弾き飛ばされる光景を目にしたことがない。例え同類の魔獣と衝突しようと、一撃の下に絶命させられるなど、有り得ぬと断言できた。
それ故に、今の光景は余りに信じがたい。ただ槍で一突きされただけで、我らの肉体が弾け飛ぶなどと。
あの男の膂力が異常であるのか、それとも、あの槍が魔性であるのか。
それはどうにも、大猿には分からなかった。そうして、二度と分かることもない。
最後の大猿の頭が、男の手の先で、弾け飛んだ。幾度もの血を浴びて、大地はどす黒く化粧を施されていく。
「『騎士よ。生きる道を模索せよ。危機を避け、されど避けられねば気高く戦いたまえ』――騎士章典の何番目だっけか、忘れたがよ。まぁ、何にしろ、襲い掛かってきたてめぇらが悪いのさ」
もはや死骸となって音一つ発さぬ魔獣に対し、獰猛に吐き捨てるようにして男は言った。未だ馬にのったまま、くるりと気軽に槍を手元で回して。
その姿こそが、もはや異常そのものだった。
馬上槍というのは言葉の通り馬の速度を助力とし、騎兵突撃を行ってこそ、その真価を発揮する。詰まる所馬に乗ったまま、風を切る速度を糧にすれ違い様に敵を突き刺し、貫くこと。それこそが騎兵の脅威であり、また美しさでもあった。
故に、男の如く馬に乗ったまま幾度もその槍を振り回すなど、曲芸の一。それであって尚、魔獣を一刺しの下に穿ち殺すというのならば、もはや魔技に近しい。
だから、だろうか。男が身に降りかかった鮮血を勝利の証とし、最後の魔獣を屠り去った後も、周囲から聞こえるのは勝者を讃える喝采などではなく、異物への恐怖に唾を呑む音だった。
「相も変わらず血の気の多い事だな――聖堂騎士、ガルラス・ガルガンティア」
その場に声を投げ込めたのが、銀髪を揺らめかせた彼女だけだったのは、偶然ではないのだろう。その小さな唇が、疲労を押し殺したかの様に強く閉じられる。
男――聖堂騎士ガルラス・ガルガンティアが、声につられるようにして、愛馬に乗ったままその獰猛な視線を、城門へと向けた。銀髪を目にした途端、その頬が、歪に揺れる。
「おぉ。何処の盆暗が呼んだのかと思えば。騎士、カリア・バードニックじゃあねぇか。久しいねぇ、騎士団との合同訓練以来かぁ」
ガルラスは、その銀髪を揺らす影に見覚えがあった。
見覚えといえど、かつて聖堂騎士と騎士団の合同訓練があった際、見かけたことあるという、ただそれだけ。だが、それだけの出会いだというのに、その姿はガルラスの脳裏に鮮明に張り付いている。
その眼を見張る剣技の冴え、見習いと思えぬ武技の完成度。そして何よりも、その騎士という在り方への呪いとも思えるほどの強固な執着。
そのどれもこれも、ただ騎士を名乗っているような惰弱な者どもとは一線を画していた。それを、よく覚えている。むしろ、敬意すら感じたほど。
だからだろう。次にカリアの唇から零れた言葉は、ガルラスにとって些か意外なものではあった。
「ああ――悪いが、騎士はすでに廃業済みだ。何、遅かれ早かれといった所でな。ゆえに今は、ただのカリアと、そう名乗っている」
そう、意外だった。随分と軽く、騎士を辞したと言った態度も、しかしそれが負け惜しみや後悔を残したものでない事を物語っている、清々しい表情も。
心の奥底、その根が折れたようには、とても見えない。しかし別の道を見つけたのだと言われると、一体どんな道をと思ってしまう。
一瞬、ガルラスの目つきから獰猛さが薄まっていき、口元が緩む。実に、愉快げに。
「へぇ――いやいいねぇ、悪くない。心の底から、そう思うぜ。辞められるのなら、こんな下らん肩書なんざ捨てちまって、酒でも飲んでた方がずっと良いさぁ」
まるで独り言のように、それにしては大きな声で、ガルラスは呟く。
それはカリアを嘲弄して、というのではない。心の奥底から、真にそう思っているのだと周囲に思わせるような色合いをその言葉は持っていた。
それで、とその声が続く。
「それで、そのただのカリアが、どうしてエルフの国なんぞにいる。よもや放浪の末に、というわけでもねぇだろぉ?」
途端、空気が、揺らめく。
ガルラスが口を開く度、その声が、言葉が、徐々に元の獰猛さを取り戻していった。
まるで獣が威嚇するような声色と目つきを隠さずに、ガルラスは歯を見せて頬をつりあげる。真摯で礼を重んじるとされる聖堂騎士とは、とても言い難いその振る舞い。
しかしむしろその振る舞いにこそ呼応するかのように、カリアは銀の瞳を猛禽の如く強めて言葉を跳ねのけた。
「察しが悪いのか、それともただの腑抜けか。二つに一つだが、貴様はどちらだ、ガルラス」
深く相手の胸を踏みつけにするような言い方で、カリアは言葉を眼下の相手へと放り投げる。まるで挑発するような物言い。ガルラスの口元がより深く、そして歪に、つりあがった。
それは、そうだ。味方だというのであれば、城門を開いて出迎える。無関係だというのであれば、よもやわざわざ城門を前に声をかけまい。
で、あるならば。今こうして城門を脚に掛け、己を見下ろしているカリアという存在は、紛れもなく。
「そうか。例の裏切り者――紋章教徒についた一味ってのはてめぇらか、カリア・バードニック」
その瞳を瞬かせながら、ガルラスが呟く。その口調は如何にも状況を面白がっているようであり、逆に面倒くさげにため息をつくようでもある、何とも言い難い、複雑なものだった。
なるほど、ただ捕らえられた紋章教徒を移送するよりかは、ずっと良い。そんな騎士の仕事と言えるのか分からないものよりも、少しは変化がついた方が随分とマシというものだ。
しかし、その本来捕らえられているはずだった相手が、今は城門前で堂々と口舌を尽くしている。となると、今ガザリア国内で何が起こっているのか、嫌でも理解できてしまう。
それが、何とも面倒くさい。
ガルラスという人間は、子供の如き危険ともいえる好奇心と、獣に近しい余りに大きな怠惰、その二つの感情をその胸中で揺り動かしてしまう性質だった。
「それで貴様、聖堂騎士がガザリアに何の用だ。早々、人間が用のある国ではないだろう」
カリアが続けざまに放った言葉。それは何処か、意図を含んだ言葉運びのように感じとれる。何かに狙いをつけている様な、そんな言葉。
察しが悪いのか、それとも腑抜けか。ガルラスはそう言い返してやろうかと思ったが、それでは何とも、芸がない。
ガルラスが、首を軽く鳴らす。
「カリア・バードニック、選ばせてやるがよぉ」
何ともないという風に、ガルラスは唇を開き、言葉を転がす。
「――名誉の戦死と、晒された後の絞首刑、どっちがいい」
ごくごく自然に、その言葉が城門へとなげかけられた。
その言葉はその自然な有様とは裏腹に、言葉そのものが喉に食らいつかんほどの獰猛さを秘めている。城門に未だ居座っていたエルフの兵達の喉が、怯えに、鳴る。
カリアはその留め具を失った髪の毛を揺らしながら、ガルラス同様に、頬を大きくつりあげた。




