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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第五章『ガザリア内戦編』
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第百一話『ドブネズミの物語』

「味方の影を盾にしての奇襲、姪御という囮。いやぁ、やるものだなぁ、人間。感心すらしよう」


 それは、嫌味などではなく。本当に心の底から感心しているような、そんな口ぶりだった。ラーギアスの声は、今もはや絶体絶命の状況だというのに、何処か余裕めいている。


 その態度が、俺の胸の奥底を焦燥させ、ひりつかせていた。


「そいつはどうも。何、勝てる方法が、他には思い浮かばなかったもんでね。そちらは随分と余裕なようで、羨ましい限りだ」


 肩を竦めながら、言葉を躱すように、言う。事実を行ってしまえば、エルディスの声に関しては、俺の考えというわけでもない。突発的な彼女の手助けだ。


 勿論、感謝はしている。あの援護がなければ、今頃俺は死体となって、地下道の床板の仲間入りをしていたことだろう。


「足掻く必要があるのであれば、足掻こう。しかしそうでないのならば、最後の一時まで楽しむのが、生きるということではないか」


 何処か余裕の持てない俺と違い、ラーギアスは何処までも余裕を含んだ口ぶりだった。それが本当にただの諦観なのか、何処かに切り札を隠しているからなのか、どうにも分からない。


「……叔父上。一つだけ、お聞かせください」


「こうして顔を合わせたのは何年ぶりかな、姪御よ。良いだろう、私はもはや敗者だ。お前が聞くことがあるならば、存分に答えよう」


 意を決したように言葉を零したエルディスと、その場に座り込んだラーギアスが、幾つか、言葉を交わす。それは酷くか細い声で、内容まで聞き取れはしなかった。そして、聞き取るようなものでもないと、そう思った。


 その久方ぶりであろう叔父と姪の対談は、すぐに、終わった。もういいのかと目線を配ると、エルディスは首を横に振って、答えた。


「……無いよ。何も、無い。何もないんだ、ルーギス」


 幻影のまま俺の横で佇むエルディスの声が、響く。


 俺は眼を瞬かせて、その言葉を聞いていた。まるで、自分自身にすら強く言い聞かせている様な、エルディスのその声。


 その胸中には複雑な影が存在していることは、まず間違いがなかった。エルディスの父親を殺害し、そのフィンという座をも奪い取った、怨敵たる叔父、ラーギアス。エルディス自身、長年その身を塔の中へと封じ込められていた。


 なるほど、表情自体は何処か平静を取り繕っているが、内心は全くの別物だろう。臓腑が煮えたぎり、可能であるならばラーギアスの首をこのまま締め上げてしまいたいに違いない。


 だが、エルディスはこれ以上ラーギアスと語る事は無いと、そう言った。彼女がそう決めたのであれば、俺が口を出すことでもない。エルディスの碧眼が細まり、その歯が唇を噛んでいるのが、見えた。


 一歩、前に出て、老エルフの眼前に立つ。


「フィン・ラーギアス。この名に相違はないかい、爺さん――」


「――如何にも。私が……いや、俺が、ラーギアスだとも。他の誰でもなくなぁ」


 老エルフの皺が揺れ動き、僅かにその頬がつりあがったのが、見えた。その老いながらも輝きを失っていない瞳が、俺を映し出している。


「そうか、お前が姪御を、エルディスを連れ出した、ルーギスだとかいう人間か」


「ああ、何でもない。何処にでもいるただのドブネズミだがね。悪いな爺さん。きっと、俺でなく何処かの英雄殿なら、あんたを殺さない選択肢もあったんだとは思うぜ」


 心の底から、そう思う。かつての強大な敵を味方とし、友とする、なんてのは英雄譚のお決まりじゃあないか。


 俺のような卑小な存在には、そのような事できようはずもない。そんな人間離れした寛容さは、この身の何処にもぶら下がっていないのだ。


 言葉を言い捨てて、左手で強く握りしめた宝剣を、頭上へと掲げる。刃を前に、もはや腰を落としてその場に座り込んでしまった老エルフを、標的にして。明確な、殺意を向けた。


 今から、彼を、此の英雄を殺す。


 その光景を前にして、ラーギアスがぽつりと、呟いた。その表情が愉快げなものから、神妙なものへと変化したのが、分かった。


「――馬鹿にしてくれるなよ、小僧」


 思わずその言葉に瞳を揺らす。先ほどまでの何処か愉快げに言葉を弄していた様子から、随分と口調が変化していた。


 声の何処かが固くなったような、本来あった声の重みを取り戻したかの様な、言葉の色合い。


「別に、馬鹿にしたつもりはないんだがね、むしろあんたには尊敬の念すら覚えているほどさ」


 しかしもはや、言葉の言い合いをする気はない。ただ、この刃を振り下ろしてしまえば、それで終わる。ガザリアの戦争も、エルディスの持つ因縁も、眼前の老エルフの、命も全て。


「自覚がないのが余計に性質が悪いな、人間、ルーギスよ」


 淡々としたラーギアスの言葉が、地下道に響く。まるで眼前に振り上げられた剣など、全く関心が湧かないとでもいうように、実にゆったりとした口調だった。


「ルーギス、貴様はこの俺を追い詰め、今その刃をもってこの命を浚おうとすらしている。その貴様が、言うに事欠いて、自らをただのドブネズミだと卑下する――もう一度、言おう。馬鹿にしてくれるなよ、小僧」


 それは、紛れもない静かな憤激を含めた声。ラーギアスの眉がつりあがり、目つきは明確な怒りを示して強まっていく。


 その言葉に思わず目が、見開いた。どのような罵詈雑言が飛んでくることも、覚悟していた。悪態にも、動揺しない準備はできていた。


 だがそれは、余りに予想外の言葉。ラーギアスが一体、何を言い出しているのかが、まるで理解できない。左手が支える剣の先が、震えた。


「言っておくがな、俺は自身を凡俗のエルフと思った事は一度も無い。今も見てみろ、ガザリアの簒奪者、エルフという伝統を踏みにじった大悪党がこの俺だ。さぁ、その俺を、貴様は超えていくのだ。俺の屍を踏みにじり、踏み台にして前にいこうというのだ」


 その枯れ枝のような指先が、絶命し、踏み石の上に倒れ込んだエルディスの兵を指す。


 ああ、もう、その言葉を聞く必要はない。戯言だ。耳に入れる必要などない。だと、いうのに。


「貴様に盾とされた兵士も同じ。今まで貴様が勝利してきた相手も、同じだ。貴様は全てを踏み台にして此処にいる。いいか、ルーギス。我が怨敵よ。貴様はもはや、ドブネズミの如く、などという安寧の泥道をゆける身分ではないのだ」


 皺が重なる瞼の下に、煌々と輝く瞳があった。まるで、今死ぬ間際にあっても、尚意志は此処にあると、主張するかのような、煌き。


 心臓が、揺らぐ。棘に突き刺されたような、僅かな痛み。緊張と興奮に近いなにかが、血流となって全身を巡っているのを感じていた。


「随分と、買いかぶられたもんだ。何かね、しがない俺にどうしろというんだ、爺さん」


 にぃと、歯を見せてラーギアスが、笑う。それは本当の、満面の笑みのようで、ラーギアスというエルフが見せる、奇妙な魅力を溢れさせていた。


「己の中のドブネズミなど、首を絞めて殺してしまえ。そうして、俺の前を行け、英雄。それが、勝者の義務だ。なぁに、どうせ行き着く先は同じさ」


 英雄。俺を、そう呼ぶのか、ラーギアス。


 真の英雄傑物とも言える者が、ドブネズミ、何処をとっても凡庸としか言えぬこの俺を指して、英雄などと。


 どうにも、頬が歪む。胸中にうかびあがる感情は、歓喜とはまた違う。はたまた、恐怖や驚愕の類でもない。何といえば良いのか、ありとあらゆる感情が溶けあって、胸の内を埋め尽くさんばかりだった。


 だが、感情が揺れ動く中でも、ラーギアスのその言葉だけは、まるで呪いのように何時までも耳の中に残り続けている。


「――考えておこう。じゃあな。エルフの王、フィン・ラーギアス。いずれ、また」


 俺とラーギアスは、この時代は勿論、かつての頃から考えても、言葉を交わすのは此れが初めてだったはずだ。


 だというのに、不思議な気軽さが、そこにあった。意味も、理由も、わからない。ただただ、俺とラーギアスの間に、奇妙な共感があった事は、確かだった。


「――ああ、いずれまた、ルーギス。我が怨敵にして、偉大なる人間の英雄よ」


 その声を最後に、俺の左腕は、老エルフに対して一切の躊躇いなく振り落とされた。それが、最後の礼儀だとでもいうように。


 再び、地下道に赤黒い血が、舞い上がった。



 ◇◆◇◆



 ガザリアの簒奪者、フィン・ラーギアスの死。


 彼の死によって終焉を迎えたものは、思いのほか少ない。むしろ、彼の死を起点として、歴史は自ら開花せんとばかりにその脚を速めていく。


 ガザリアの内戦こそ終わりを迎えれど、それは次の大戦への小休止でしかないとも言える。


 未だ、此処には平穏もなく、一つの終わりは、次の始まりへの布石でしかない。


 言ってしまうのならば、ラーギアス、彼の死によって真に終えられたものは、一つしかなかった。


 ――ただ一つの、ドブネズミの物語が、此処に終わった。ただ、それだけ。

今回で、本章は完結となります。

次回以降はまた新たな章となりますが、私生活の面から少々時期が開くかもしれません。

申し訳ない。


皆様、お読み頂きありがとうございます。

何かとご感想を返信できておらず恐縮ですが、日々心の励みとさせていただいております。

また、レビュー、ポイント、ブックマークなどなど、本当に、ありがとうございます。


少しでもお楽しみ頂けたのであれば、これ以上のことはありません。


お読み頂き、本当にありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 確かに下卑過ぎているのかも、一国の王を追い詰めた、そして彼と戦い、彼と共に戦った仲間の事を考えるとドブネズミと下卑するのはそろそろやめるべきなんだろうな、今後どうなるのかが楽しみです
[一言] 今更ながらにはなりますが、書籍版から来ました。 この胸の奥を焦がして止まない登場人物達の心の猛りが、これでもかと詰め込まれており何時までも読んでいたくなってしまいます。 それだけに、どう…
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