第三話 妖精
「それじゃあ、契約をしようか」
魔法少女になる。
そう言った直後、テーテはにっこりと笑ってそう言った。
「契約?」
「そう。僕らマスコットキャラクターと契約をする。それでハナは晴れて魔法少女だ」
「どうすればいい?」
「まずはそうだね。なんでもいいから棒状のものが欲しいかな。それっぽかったらなんでもいいよ」
「棒?」
棒なんて、一体何に使うのだろうか。部屋の中を見回して棒状のものを探してみる。
雑貨の類が少ない私の部屋は、相対的に棒状のものの数も少ない。
なにに使うのかも分からないから、できれば、使うことが二度とないようなものがいいだろう。
それにしても全然見つからない。おっかしいなあ。もっと色々あると思ってたんだけど。
「……ん?」
引き出しを開く。あんまり開いたことのない、小物が入るぐらいの引き出しだ。
その中に、パッケージを開けていない未使用のカミソリが入っていた。
柄はピンク色で、刃はまっすぐ。長さは15~20センチほど。刃先には桜が彫られている。
安全カミソリ。
198円。
中学生になるとこういうものが必要になるのだと風の噂で聞いたものの、見た目を気にしているという事実が恥ずかしくて、結局一度も使ったことがない。
しかし、安全カミソリが必要という話は結局、なんだったのだろうか。
ムダ毛処理? どこの?
「これでいい?」
パッケージを開いてテーテに見せると、彼は頷いた。
「うん。これなら問題はないよ」
テーテはその小さな手をカミソリの上に置いた。
「僕、テーテポット・マーガリンは契約する。笛吹花の魔法回路の一部となり、彼女に第三の力を授ける――さあ、夢を追いかける話を始めよう」
瞬間。
手に持っていた安全カミソリがまばゆい光を放った。
直視することもできないぐらいの光に、私は咄嗟に、自分の顔を腕で隠した。
光の向こうからはごうごうと風が吹いていた。窓は閉じているはずだ。この風は一体どこから吹いているのだろう。
「ハナ。きみの夢はなんだい。願いはなんだい? 荒唐無稽な、叶うわけのない。夢としかいいようがない夢はなんだい?」
光と風の向こうから、テーテの声がする。
私は口の中に溜まっていた唾を飲み込んでから、それを口にする。
「私は、お姉ちゃんに勝ちたい。努力をたくさんしていて、すごい才能もたくさん持っているお姉ちゃんに、努力もせずに才能もないままに勝ちたい」
「承認した」
それは。
さっきまでの幼児のような声からかけ離れた、低く、重い声だった。
光の向こうにいるのは、本当にテーテなのだろうか。一瞬、そう考えてしまった。
困惑している間にも声は言葉を続ける。よくよく聞いてみると、なんだか機械的な、留守番電話の自動メッセージみたいな口調だった。
「人の産まれ持った才能を蔑ろにし、築いてきた努力を否定し、己はなにもせずに成果だけ得ようとしている。悲しいまでに罪深く、哀れなまでに欲深い。最底辺のクズの戯言だ――しかし故に、魔法少女に相応しい」
欲深い出来損ないこそ、魔法少女にはふさわしい。
声は言った。
すごくバカにされた。
「笛吹花とテーテポット・マーガリンの契約を承認する。命名。№20934『エブリフール』」
エブリフール?
それが、私の魔法少女としての名前だろうか。
なんだろうか。どことなくバカにされているような気がする。エイプリルフールに似ているから?
暫くすると光は収まって風も消えた。
部屋の中には私とテーテだけ。つまり、さっきの声もテーテからだったのだろうか。でも、テーテの声ではなかったよね。
テーテはナウローディングみたいな感じに、ちょっとだけ動きが止まっていた。
「どうだい。ハナ。気分は」
「……別に、なんともないけど」
まるでさっきまでの不思議な光景はなかったのだと言わんばかりに、テーテは言う。
私はぶっきらぼうに返した。実際、体の調子に変わりはないし、気分も特に悪いわけでもない。
魔法少女になる契約をしたというのに、私の体には変化というものが全くなかった。
しいて言えば、手に持っている安全カミソリが妙にしっくりくるぐらいだろうか。
長年愛用している道具みたいに、生まれ持った自分の腕みたいに、全く違和感がなかった。
今さっき開封したばかりのもののはずなのに。
でも、それだけだ。それ以外に変化は見られない。
「私、本当に魔法少女になったの?」
思わず呟いた。
「なってるよ。契約は既に完了している」
「実感ないなあ」
「そう? じゃあ、イメージしてみてよ。自分が魔法少女に変身した姿を」
「イメージ?」
魔法少女。
魔法少女といえばどんな格好をしているだろうか。
昔見ていた魔法少女のアニメを思いだす。
ひらひらでふりふりでふわふわな、エキセントリックで煌びやかな衣装。
色合いは原色を大いに利用していて、ロリータと呼ばれる服――。
と、そこまで考えたときだった。
足元からぽーん。と、鍵盤を軽く叩いたみたいな音がしたのは。
なんだろうか。と私は足元を見た。
足が光っていた。否、光で象られたブーツを履いていた。
それに驚く暇もなく、足元に光る水たまりみたいなのができて、そこから伸びてきた光るリボンが、私の体にぴったりと体にピッタリと纏わりついた。体のラインがしっかりと分かるぐらいの密着力だ。
「へ? へ? へ?」
「落ち着いてハナ。変身だよ」
「変態?」
「いつの間にハナは昆虫になったの。ハナカマキリかい?」
いや。そっちの変態で言ったつもりはなかったのだけれども。
それに仮に虫だったとしても、少なくとも捕食側ではない。食われる側だ。
体にぴったりとくっついたリボンは、私の体を強く引き締めるように縮んだ。
「ぐえっ」
腹の中にある空気とかが一気に口から溢れる。普通に息苦しかった。
私の体を締めたリボンは弾けて光の粒子に変わる。体を誰かに支えられているような感覚はなくなって、バランスを崩す。
「っとと……」
バランスを崩して前のめりになった体を立て戻す。
まず変わっていることに気づいたのは靴だった。この家は、家の中で靴を履く洋式スタイルは取っていない。
だからさっきまで素足だったはずなのに、いつのまにか白いブーツを履いていた。ひざ下まで覆うブーツで、ヒールは少しばかり高い。
おお、おお。歩きづらい。
「あ、あれ……?」
ブーツを見ていた視界をなにかが遮った。
白と桜色で彩られたスカートだ。
ブーケをひっくり返したようなスカートで、広がっているスカートのせいで足元がほとんど見えなくなってしまった。
手には指の形にフィットした手袋が。手の甲には桜をイメージしたような花が添えられていて、そこから二本のリボンが流れている。
私は思わず姿見を見た。
姿見には、私ではない誰かが映っていた。
短めの黒髪は、桜色に染められていた。
首のあたりまで伸びていて、毛先は内側にはねている。額に桜の花のピンがついていた。
服装はさっき想像した魔法少女の姿そっくりだった。
思い描いた通りの服装を私はしていた。
なんだかとってもキュートだ。
クマのある目つきの悪い目と、への字に曲がっている口がなければ、これが自分であることにすら気づけなかっただろう。
それぐらい、別人だ。
まさしく、『変身』。
「……こ、これが私?」
「そう。それが魔法少女になったハナの姿。名前はエブリフール。どう、気に入った?」
「ま、まあまあ。まあまあね」
くるくるくるくる。
姿見の前で回転して、体の隅々を見回す。体型すらなんだか変わっているような気すらする。私の腰はこんなにくびれていなかったはずだ。
クマのある目つきの悪い目がそのままじゃあなかったら、多分、私自身、これが私だと気づけなかったのではなかろうか。
どうしてそこは残した? 一番綺麗にするべきところは、そこじゃあないのか?
「これで納得しただろう? ハナは確かに魔法少女になったのさ」
「確かに。でも、このカミソリは結局なんだったの?」
「ああ、それは魔法のステッキだよ」
「……は?」
テーテが当然のように言ってくるものだから、私は素っ頓狂な声をあげた。
手元にあるカミソリに視線を落とす。
棒状のモノ。
なるほど、今となって考えてみればそれは、杖の特徴の一つではないか。
杖。ステッキ。
そして魔法のステッキは、魔法少女にとってマストアイテムの一つだ。
まあ、魔法少女のステッキはもっと原色染みていてキラキラ装飾過多ではあるけれども。
うへえ……。
これが私の魔法のステッキ?
別に『魔法少女』になること自体が目的ではないから、格好とかそういうことにはそこまで拘るつもりはなかったけど、でも、さすがにカミソリが魔法のステッキというのはなぁ……。
「ねえテーテ。これ以外に変更するのってあり?」
「ええ。困るなあ。それを選んだのはハナ自身だろう?」
「これが魔法のステッキになるなんて聞いてない」
「ハナにとって魔法少女は手段だろう? 目的を果たすための手段」
「そうだけど」
「人の世界には『目的のためには手段を選ばない』という言葉があると聞いたよ」
「選ばせてよ。『選ばない』という選択ぐらい選ばせてよ」
「そのカミソリを選んだのはハナだ」
「魔法のステッキになるのだと聞いたらもっと別のを選んだのに」
あれ。とテーテは言う。
「説明してなかったっけ」
「してない。されてない」
「あれ」
もう一回言った。
テーテは自分の言ったことを思いだそうとするように、天井を見上げてから「ああ」と呟いた。
「そう言えば言ってなかったね」
「あんたね……」
「でも変更はできないんだ。ごめんね」
テーテは自分の胸の辺りに手を添えた。
「心臓は一人ひとつしかないだろう?」
「ん?」
想定外の言葉がふらりとやってきた。
ちょっと待て。ちょいと待て。
その言葉、どういう意味だ?
言葉の意味をどうにかイメージして理解しようとする。
しかし何度考えても答えは一緒だ。
「あの、テーテ――」
それでも一応、もしかしたら勘違いかもしれないし(私の考えは十割外れる)テーテに尋ねておくのが妥当だろうと、声をかけたその時だった。
一階から、お姉ちゃんの驚いたような声――悲鳴が聞こえてきたのは。
「お姉ちゃん!?」
私はほぼ反射的に、それが50m走の合図であったかのように走り出した。
ヒールが高いブーツを履いているのだということを忘れていて、思いっきりコケた。
「ああ、くそっ。なんでこんなの履きながら走れるんだアニメの魔法少女は!!」
ブーツを脱ぎ捨てて(靴下は履いていなかった。いつの間に脱がされたのだろうか)再び走りだす。扉を開けて、階段を転げ落ちるように降りる。
「変だなあ。ハナはりすに劣等感とか抱いているんだろう。それなのにどうして、悲鳴を聞いた途端そんなに急いで駆けつけようとするんだい。実はお姉ちゃんっ子?」
「うるさい」
後ろからふよふよと浮いて追いかけてくるテーテに、チョップを食らわせる。中身はやっぱり綿なのか、テーテの頭は手の形に沿ってへこんだ。
お姉ちゃんの声が聞こえた。私は扉を開いてキッチンに飛び込む。
シンクの前でお姉ちゃんは腰を抜かしてへたりこんだいた。後ろの冷蔵庫の戸は開いたままで、ゴウンゴウンという音と一緒に冷気を吐き出している。
その指は遠くの方を指さしている。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
「あ。花ちゃん。あの――写真撮っていい?」
パシャリパシャリ。
ぴろりんぴろりん。
返事をするまでもなかった。
ポケットの中に入れていたスマホを取り出したお姉ちゃんは、私の写真を撮り始めた。
連続撮影モードで、シャッターの音が重なり合うように鳴り響く。
淀みのないその動きに、飛び出した勢いのまま床に倒れた。
あ、慌てて来て損したなあ。もう!
「どうしたのその恰好。まるでというかまさにというか魔法少女そのものじゃあない。髪の毛の色も違うし。もしかして本当に契約したの?」
やーん。かわいいー。ピンクピンクー。目つき悪いのもったいないよハナ、もっとにっこり笑ってー。と頬に手を添えながらお姉ちゃんはせわしなく写真を撮り続ける。
もう百枚ぐらい撮ってるんじゃあないだろうか。今撮った写真の私の顔は、もう分かりやすいぐらいうんざりしていることだろう。
「そう。契約したの。それで、どうしたのお姉ちゃん。さっき大声出してたけど。ゴキブリでも出た?」
「別にゴキブリぐらいじゃあ驚かないよ。あのね、さっき冷蔵庫から昨日作ったチョコケーキを取り出そうとしたんだけど」
「ケーキ! ケーキ!」
「チョコ! チョコ!」
「けけけけけけけけ!」
変な声が話に被ってきた。
ヘリウムガスを吸い込んだ後のような甲高い笑い声。
声のした方を向く。キッチンの上にある小さめの窓が開いていて、桟の上にチョコケーキが載っていた。
否、桟の上ではない。
桟とチョコケーキの間になにかいる。
ゴム人形みたいな丸いフォルムをしている。色は紫。
頭は体と比べると少しばかり大きく、白く塗りつぶされた丸が二つ。その下に細めの線が孤を描いている。位置的には目と口だろう。
両手をみょーんと伸ばして、両手と頭を使って、チョコケーキを支えている。
「けけけけけけけけけけけけ」
肩と頭を震わせながら、なにかは大いに笑った。
おかしそうに、おかしそうに。
まるでイタズラを成功させた悪ガキみたいな笑い声だ。
少なくとも、よい輩ではないようだった。
ぶるぶる震える頭部は、音楽に合わせて踊るクリスマスのサンタ人形を彷彿とさせた。
「ハナ、そいつらを捕まえて!」
テーテが叫んだ。
え、なに。そいつら? そいつらってあいつら?
急に言われたものだから、私は動くことができなかった。
お姉ちゃんだったら。
やっぱり、すぐ動くことができただろうか。
いや、お姉ちゃんはいま隣で腰を抜かしている。
あのお姉ちゃんでさえ動けないのだ。
だったら。
自分が動けなくても、仕方ない。
チョコケーキを持ったゴム人形みたいななにかは、窓の外に飛び出していった。
私はそれを目で追ってから、変身を解除した。
変身の解除方法は簡単だった。元に戻ろうと念じたら、元に戻ることができた。
髪は黒に。
ふりふりひらひらふわふわな原色ロリータファッションの衣装は、上下の組み合わせなんて露も考えていない、手元にあったから着たと言わんばかりな服装に。
変わらないのは目つきぐらいか。
「あぁ……」
お姉ちゃんのテンションが一気に下がった。
そんなに見たかったか。私のコスプレ姿。
「ハナ。もったいない。どうして逃がしたの」
「いや。だって、とっさのことだったから」
テーテに怒られてしまった。
どうやらあれを逃がしてしまったのは、怒られるようなことらしい。
「ねえ、あれってなんなの?」
「妖精だよ」
「妖精?」
それはまた。
ファンシーな名前がでてきた。
見た目が妖精っぽくないというか、イメージと全然違うけれど。
しかし、魔法少女に妖精なら仲間なのではないだろうか。
「この世界のどこにでもいるやつさ。イタズラばかりする困ったやつ。魔法少女が倒す対象だよ」
「倒す?」
「駆除でもいいかもしれない。害虫駆除」
いや。そこじゃあなくて。
「魔法少女ってそんなことをするの?」
「するよ」
テーテは言う。
「というか、それが魔法少女のする仕事だよ」
『魔法少女になって、なにをするの?』
その答えは。
『妖精を退治する』
「妖精を退治するだけでいいの?」
「それが大事なのさ。彼ら妖精は、台風とか地震とかと同じでね、自然に発生する災害みたいなものでね、小さいときはああいう可愛らしい(憎たらしいことこの上ない)イタズラばかり仕掛けてくるんだけど、大きくなると電車脱線事故を引き起こしたりもする、非常に厄介な存在なのさ」
「なるほどねえ」
「そしてここからがハナにとっての本題」
テーテはなにやら残念そうに肩を落としながら言う。
「妖精は退治すると、『魔法力』を放出するんだけどね……その魔法力こそが、究極魔法を手にする鍵なのさ」
「ん?」
あれ。なんだろう。
今の話を聞く限り、私、今すごくもったいないことをしたってことにならない?
「そうともさ。ハナは今すごくもったいないことをした。妖精を退治して魔法力を集める。それが究極魔法を手に入れる唯一の手段なのに」
「うわあああああ!」
私は頭を抱えるようにして、床に伏した。
そういうことははやく教えてはくれませんかねえ!?




