第二話 魔法少女
しん。という音が聞こえてきそうな静寂。
無言がひたすら冷たい沈黙。
至って大真面目に言っているらしいテーテに、しかし私はきょとん。とした表情を浮かべることしかできなかった。
まばたきを三回。
そして。
「は、はぁ……?」
困惑の声が、自然と半開きになっていた口から洩れた。
なんだろうか。『実は世界は既に崩壊していて、私たちが今見ているのは恐怖の大王が見せている幻覚に過ぎない』と真正面から堂々と言われた感じに似ている。いや、言われたことないけど。
えっと、なんだっけ。いまこのぬいぐるみはなんて言ったんだっけ。
魔法少女?
確かにテーテのファンシーな見た目は魔法少女のマスコットキャラクターだと言われたら納得してしまいそうなデザインではある。
いや。でも、納得はできるけど……反応に困るなあ。
『魔法少女』というワードを聞いて、目をキラキラ輝かせる無垢な年頃はとうに通り越してしまっているわけだし。
「む。なんだか反応が悪いなあ」
テーテは顔をしかめる。
「魔法少女だよ。魔法少女。もう少し驚いたり食いついたりしてもいいだろうに」
「いや。もうさすがに魔法少女に心躍る時期は過ぎたというか……」
「昔は魔法少女の衣装そっくりのパジャマとか買って買ってって、せがんできていたのにねぇ」
「昔の話!!」
なぜ今、昔の話を掘り返す! しかもちょっと恥ずかしいやつ!
お姉ちゃんは片手を頬に添えて、腕を組んでいる。手のひらで隠れているけど、口の端がにまりと歪んでいることだけはよく分かった。
多分、さっき話をはぐらかされたことを根に持っているのだろう。
おっとりとした見た目に反して、お姉ちゃんは意外と根に持つタイプだ。
「昔はあんなに素直だったのに、どうして今はこう、自分の気持ちを隠したり黙ってたりする悪い子になっちゃったのかしら。育て方を間違えてしまったかもしれないわね」
「そんな教育ママみたいなセリフを」
「今の花ちゃんも好きだけど、昔の素直な花ちゃんの方がもっと好きだったなあ」
「う、うるさい。やだ。そんな無垢な私とか想像できない。やだ!!」
つばを飛ばさんばかりに言い返すと、お姉ちゃんは上機嫌に鼻歌をもらしながら、さっと目をそらした。
ううむ。これは夕飯の時間になってでもなにか言ってきそうだ。
あとで謝っておくべきか? いや、でもせっかくはぐらかした話を自分で掘り返すのはアホらしいし……。
「昔は魔法少女に興味はあったけど、今はないのかい?」
「そりゃあ、まあ」
テーテが困ったように尋ねてくるから私は素直に答えた。
日曜朝八時半はまだお布団の中だ。
テーテは首を傾げて腕を組もうとした。けれどもその短い両手は組むことすら叶わず、抱っこ人形みたいな状態になっている。
両手の間に貝殻を置いたら、ラッコに見えなくもない。
「困ったなあ。きみなら魔法少女に相応しいとお墨付きをもらって『魔法の世界』からやってきたんだけど」
「私が幼いとでも言ってるつもり?」
まあ。相応しいってことは、素質があると言われているようなもので。ダメダメ人間である私からしてみれば、ちょっとばかし嬉しい言葉ではあるけれども。
てか、そもそも。
私は喧嘩を売ってくる不良みたいな口調でテーテに噛みつく。
「魔法少女って、なに」
「ん。なんだい。魔法少女の衣装みたいなパジャマをせがんでいたのに、魔法少女を知らないのかい? ひらひらふりふりの可愛らしいコスチュームで全身を着飾って、魔法を――」
「いや。それは知ってる」
片手を前に突きだして、私はテーテの説明を遮った。
そう、それは知っている。
魔法少女のパジャマを欲しがる年頃はとうに過ぎたけれども、魔法少女について知らないわけではない。
私が知りたいのは「魔法少女とはなんなのか」ではなくて。
「『魔法少女になって、なにをするの?』」
「ああ」
テーテはポン。と手をたたいた。
手の中はどうやら綿でできているらしく、叩かれた方の手がふにゃりと沈んだ。
「そうかそうか。いや、ゴメンゴメン。最近魔法少女になる? と聞いたらあっさりなってくれる子とか、ほぼ詐欺みたいに魔法少女になってもらうかのツーパターンしかなかったからさ。説明をするのを忘れてたよ」
「……魔法少女って他にもいるの?」
「いるよ。この近くなら四人ぐらい」
「結構いた」
それは、ちょっと、残念。
私だけが特別。だったとしたら、『数多の才能を持つ努力家』であるところの姉に対して、誇ることができたかもしれなかったからだ。
この近くでも四人もいるのだったら、ちょっと難しい大学に入学する程度の特別だ。それでは姉に誇ることはできない。
「ねえ、テーテさん」
がっくりと肩を落としている私の隣にいるお姉ちゃんがテーテに声をかけた。テーテは「んい?」と声をもらす。
「その話、もしかして長くなったりします?」
「まあ。詳しく話すのなら、長くなるかな」
「じゃあ。お茶とかお菓子を用意しますね。なにか食べたいものでもあります?」
「僕らマスコットは物を食べる必要性がないから、気にしなくていいよ」
「花は?」
「……チョコケーキ」
「はいはい」
お姉ちゃんは立ち上がって、部屋から出ていこうとしたが、途中でぴたりと動きを止めて振り返った。
「ねえ、花ちゃん」
「なに」
「ケンカしたって本当?」
「ウソ」
「勝った?」
「勝った」
顔面を思いっきり殴られてしまったけれども。二人三人でじゃあないと、喧嘩すらできないような臆病者に負けるわけがない。
喧嘩は腕っぷしの強さじゃあない。どれだけはやくマウントをとって、殴り続けるかどうかだ。
お姉ちゃんはにこりと笑った。
「ちょっといいの持ってきてあげる」
***
「喧嘩をしたのに、いいのを持ってきてくれるんだね」
「お姉ちゃんは『喧嘩はするな。でも、どうしてもしないといけない状況になったとしたら、絶対に勝て』な人だから」
「なるほど」
「それで」
お姉ちゃんがいなくなった。
今部屋にいるのは、私とテーテだけだ。
建前を話す必要はない。これからは本音だけで話そう。
「魔法少女になったら、私になにかメリットはあるの?」
「あれ。もしかして、魔法少女に興味がある?」
「私にメリットがあるのなら」
魔法少女。その名前を初めてテーテが言った時、実は私はなによりもまずときめいていた。
それ自体にときめいていたわけではない。『魔法』少女ということにときめいたのだ。
魔法。それは『努力』でもないし『才能』でもない、新たなステータスだ。
努力では勝てなくて、才能では勝ち目のないお姉ちゃん相手でも、魔法なら、魔法だったら、勝てるのではないだろうか。
私はそれに気づいて、さっきから一人静かに興奮していた。
「魔法少女になると給料が発生します。とか、そういうメリットなら私はやらない」
「だろうね。ハナの情報には『金にがめつい』とか、そういう類のものはないしね」
ペラペラと、どこからともなく取りだした紙の束をめくりながらテーテは言う。
もしやあれは私の個人情報ではなかろうか。さっきの私の情報はそれを読み上げていたとみて間違いはないだろう。
しかし、薄いなあ。五、六ページもなさそうだ。
我ながら薄っぺらい個人情報だ。
語るほどもない、薄っぺらな人間だと言われているみたいで、なんだか腹立たしい。
「そうだね。ハナにとってのメリットメリットかあ……」
テーテは少し考え込むようにしてから、顔を持ち上げた。
実際のところ。
これは後になって知ったことなのだけれど、このメリットは魔法少女の素質があるもの全員に提案されているものだった。
私への取引材料ではなく、魔法少女全体への取引材料。
しかし別に、それでなにか文句があるわけではない。
だってそれは、誰にだってメリットになる――メリットでしかない話だったのだから。
「究極魔法。というのはどうかな」
「きゅうきょく?」
ぴくりと、眉が動いた。
その反応に、テーテはにまりと笑う。マスコットらしくない笑みだった。
「そう、究極。アルティメット。究めに極めた魔法。ねえ、ハナ。この世で一番凄い魔法ってなんだと思う?」
「え?」
「この世で一番凄い魔法ってなんだろう。そんな話、学校でしたりしない?」
「しない」
「あれ、魔法の国ではよくしているのを見かけるんだけど……」
「そもそも学校で人と話さない」
「ああ……」
「哀れむ目を向けるな、テーテがその話に流したんでしょうが」
保健所の犬を眺めるような目を向けてくるテーテに、私は睨み返しながら、少し考える。
一番スゴい魔法。一番強い、ではなく、凄い。
その言い方から考えて、攻撃魔法ではないとみていいだろう。
死んだものを生き返らせる魔法。とか?
人を生かす魔法と人を殺す魔法、どっちが凄いのだろうか。
倫理観は思考に含まないこととする。
「……人を生き返らせる魔法」
「それが今、きみが一番欲しい魔法だよ」
「なに。もしかして今のやっすい心理テストだったとか言うんじゃあないよね?」
「冗談冗談」
思わずテーテの胸倉を掴んで、ねめつけた。テーテは慌てたように両手を振った。くりっとした黒い目には、私の目付きの悪い目が映りこんでいた。
「まったく、すぐ手を出す癖は控えた方がいいよ。そして、人を生き返らせる魔法は間違いだ」
ごほん。と咳をしてから、テーテは言う。
「一番いい魔法はなんだろう。一番優れた魔法はなんだろう。人は一番を考えるのが好きだ。二番を考えるのも好きだ。最下位を考えるのが一番好きだ。人はなんでもかんでも順位をつけたがる。良い悪いだけに留まらず、最高は一つだけだと考えて無価値なことを想像する。順位は指標になれども、参考にはならないというのにね。まあ、とにかく、一番の魔法を考えてみよう。炎を操る。自然を操る。死を操る。透明化。空を飛ぶ。時を止める。歴史改変。無効化。コピー能力――。違う。全部違う。個人的感情は含んでなんかいないよ。この結論は、個人的感情なんて関係ない。誰だって辿りつく結論だ。だって使える魔法が一つだけなんて、不便極まりないものが究極なわけがないだろう?」
究極魔法はなんでもできる魔法。
一つの能力を持っている人と千の能力を持っている人が戦えば、どちらが優位かなんて、語るまでもない。
質より量だ。
なんでもできるが一番優れている。
元も子もない、それを言ってしまったらおしまいである魔法。
終わりの魔法。
ゆえに──究極。
「…………」
それを聞いて。
私の口角は、自分でも気づかないうちに吊り上がっていた。産まれてから今日にいたるまでの中で、一番吊り上がった。
白い歯とピンクの歯肉が生々しくさらされて、人前では見せられないぐらいに、歓喜で歪んでいた。
究極魔法。
なんでもできる魔法。
終わりの魔法。
それは、それならば――お姉ちゃんに勝つこともできるかもしれないじゃあないか!!
「……いいよ」
「ん?」
私の体はわなわなと震えている。
握った拳をみるように俯いているけれども、どんな表情をているのかは覗き込まなくとも分かるほどだ。
喜んでいる。
歓喜に震えている。
ぱっと顔をあげて、テーテの方を向いた。
「私、魔法少女になる」




