第七話 私はなんでもできるけれども、誰かを救うことだけはできてはいけない。
ずうん。ずうん。
大型怪獣が歩いているような振動と音。
特撮映画でしか聞いたことがないような音で、私は目を覚ました。
自分のベッドの上で寝ている。確か、さっきまでは花ちゃんとその友達と一緒にいた記憶がある。
彼女。
コスプレィヤ。
あるいはグロィ・フロワー。
あの顔は自分の顔ではないし、あの性格も自分のものではないのだろう。
ともあれ、しかし。
私には彼女が偽物であると断定することはできない。
私だけではない。誰にだってできることではない。していいことではない。
どれだけ才を持っていようとも、どれだけ努を重ねようとも、人を否定することは可能性の否定だ。
彼女がどれだけ自分を嫌い、自分を憎み、自分を無くそうとして、今の彼女になったのかは想像の域を越えないけれども、それはただの『成長』であり『変化』ではないか。
なんて言うと、前向きに捉えてみると、本人だったり同じような子たちから怒られてしまうかもしれないけど。自分の心を、そんな風に扱われたくないって。
だから私は彼女たちに、そう諭すように言うことは絶対にしない。諭すって。私が勉強することもあるだろうし。
私は世界中の事件や事象を解決することはできるけれども。一人の人間を救うことなんて、出来っこないのだから。
まあ、それでも。考えることぐらいはさせてほしい。そういう思想で、そういう思考なんだって。
私は彼女みたいな子が好ましい。
自分の好きなように生きて、自分の好きなように変化するのがなにが悪いのだ。
花ちゃんもあんな感じに、好きに生きてもいいと思っているんだけど。
まあ、それはちょっとまだ、難しいのかもしれない。
あの子はまだ、庇護しないといけない。
「でも、花ちゃんがフロワーさんのように自由に生きている姿はちょっと想像できないかなあ」
あの子はどっちかというと、狭い狭いフィールドの中の方が自由に生きられるタイプだ。選択肢は少ない方がいい。
ふふふ。と笑ってから、私はベッドから街を見下ろした。
高さは、恐らく三十二メートル二十一センチ五ミリ。
どうやら私は、ベッドごと、どこかに運ばれているようだった。
いつものように気絶している間に、一体全体、なにがあったのだろう。
ずうん。ずうん。
大型怪獣のような足音を鳴らしているのは、つるっとした、大きな大きな頭の、紫色のゴム人形。
確か、花ちゃんが魔法少女になった時に見つけた『妖精』というのも、こんな姿をしていたはずだ。
あの妖精は小さい個体だと聞いていたけれども、大きい個体になると、これだけ大きくなるのか。この大きさの赤子のイタズラは、もうイタズラじゃあ済まないかもしれない。
まあ、私はそれを否定しないけれども。否定はできない。してはいけない。
まあでも、この子がもし、人や家を足で潰そうとしたら、私はこの子を退治するけれども。否定と退治は同義じゃない。
しかし今のところ、この子にその様子はない。誰かを潰したりなにかを潰したりすることがないように気をつけながら、街を横断して、隅の方へと移動している。
この妖精に、なにかを気にする機能があるとは思えない。多分、なにかに操られているのだろう。
こんなに大きなゴム人形が歩いているというのに、下を歩いている人たちは気づきもしない。認識すらしていない。
まったく、人間いつだって空を見ながら生きていた方がいい。という言葉を知らないのかね。とか、そんな風刺の利いたシーンということではなく――私は下を見るのも大事だと思うよ。自分が立っている位置を確認することができる――単純に見えていないだけだ。
妖精の姿は普通の人には見えない。
じゃあ、私にはどうして見えるのだろうか。花ちゃんは私が『普通ではない人間』だからだと納得したようだけど、さすがにそんな雑な理由ではないと思う。
理由について考えていると、大型の妖精が歩くのをやめた。
私をベッドごと地面に降ろす。
そこは廃車置き場だった。さながら積み木のように、動かなくなった車が積み重なっている。
「喜ばしいことです」
私の前に、一人の女の子が座っていた。
地面にそのまま座っているわけではなく、赤い敷物を敷いている。
唐笠の下に隠れるように、まるで土下座でもするかのような体勢で座っている。
視線を隠すように前髪が伸びている黒髪。着こなし方がよく分かっていない、適当に結ばれた帯が特徴的な緑色の着物を着ている。
ベッドの上に座っている私の姿を確認すると、嬉しそうにニコリと笑った。ただ、その笑みは少しぎこちなく、どこか、笑うことに慣れていない。あるいは感情を出すことを苦手としているような印象がある。
私はそんな子供を一人知っている。笛吹花。私の妹だ。
彼女は、私の妹と似ている。同じタイプの人間だ。
「ようやく私の姿が、初公開というわけですね。初めまして。私、『喜びも悲しみも半分こ』と申します。見て分かる通り、魔法少女です」
「どうも初めまして。私は笛吹りす。花ちゃんのお姉ちゃんだ」
「あるいは稀代の天才。努力する天才。私たちが一番嫌いな相手」
「あはは、初対面で嫌われた」
まあ、よくあることなので特に気にはしない。
「しかし、魔法少女ってもっとフリフリなロリータファッションなイメージがあったけど、和風な魔法少女っていうのも、それはそれでいいね。呪術を使いそうだ」
「悲しいことです。私は呪術なんてマイナスなものは使いません」
「魔法も別にプラスなイメージばっかりじゃあないけどね」
「はい。なので、私が使うのは『イーブン』なものです」
私の魔法は『分配』です。とハーフ&ハーフと名乗る魔法少女は言った。確か、魔法少女は一人ひとつ固有魔法があるんだっけ。
花ちゃんの固有魔法は『切断』。グロィさんは『偽装』。
「ああ、あとそうそう。緑野長靴っていう委員長さんは『怒髪』で、怒鳴夢こと不良さんは『大海』っていう魔法だったよね。まあ、二人はもう魔法少女じゃあないんだけど」
「詳しいですね」
「花ちゃんが全然教えてくれなかったから、自分で調べただけ」
ハーフ&ハーフにニコリと笑いかけてから、私は問う。
「ハーフ&ハーフっていうのは、魔法少女名だよね。名前は季節。苗字はえっと、四十二代から十を引いて……これなんて読むの?」
「……四二代です」
「珍しい苗字だ」
なんで知ってるんですか……と四二代さんは吐き捨てるように呟いた。
「それで、どうして私を誘拐したのかな。魔法少女が用のあるのは、同じ魔法少女か、妖精ぐらいなものじゃあない?」
「誘拐されていると分かっているのに、意外と余裕そうですね」
「誘拐なんて日常茶飯事だからね。まったく、皆余計なことに頑張りすぎだよ。家のドアをノックして要件を言えば済む話なのに」
「あなたを誘拐した理由は、あなたに用があるからです。笛吹りすさん」
「私に用があるの? へえ、なになに。私はどんなお願いも断らないよ。断らないようにするようにしているんだ。私はなんでも出来るからね」
「そうですか。私はなんにも出来ないです。悲しいことに。なにも出来ないので、魔法だけは出来るんです。喜ばしいことに」
「私は魔法を使えないから羨ましいよ」
「魔法に縋る必要性がないからでしょう。あなたの場合は。私に出来るのは『分配』だけです」
「それがきみの魔法なんだっけ。どういう魔法なの?」
「名前の通りです。全ての事象を分け与え、配り分かち合う魔法です」
「へえ。良い魔法だね。良くない魔法だ」
「どちらですか」
「どちらもだ。どんなものも、使う人次第という話だ。もう聞き飽きたと思うけどね」
「ええ、聞き飽きました」
「ごめんね。私にはきみを救えない。私に断定する権利はない。それともきみは、自分で選択するより、他人に選択して貰った方が楽なタイプかな」
「ええ、まあ。自分で選ぶというのは面倒です。最悪です」
「うふふ。花ちゃんと同じようなことを言うんだね。あの子もよく同じことを言うんだよ。自分で選ぶなんて重荷背負いたくないって。別に、そんなに重たくないと思うんだけどね」
「あなたにとっては、そうでしょうね。ですから、私はあなたの才能を『分配』しようと思っています」
「才能を『分配』?」
「はい」
「それってつまり金髪の女の子に対して『あなたの髪の色を皆に配りたいんだけど、いいかな?』って尋ねるぐらいよく分からないことだってこと、分かる?」
「はい。しかし魔法なら達成することも容易いんです。喜ばしいことに」
「滅茶苦茶だなあ。魔法は」
「なにも出来ない代わりに手にした最後の手段ですから。許してください」
「それを許すと、きみを否定してしまうことになるからしたくないんだけどねえ」
それはともかく。
よっと。と私はベッドの上から立ち上がった。
私自身、自分の才能というものに対して、なにか自信や自慢。失いたくないという気持ちがあるわけではない。
二十過ぎればただの人というように、才能なんてものは、努力なんてものは、失ってなんぼのものである。
しかし、今失ってしまったら、花ちゃんが人並みに、一人でも生活できるぐらいに成長するまで一緒にいてあげることができない。
だから、いつか失うことはあっても、今失うことはできない。
否定はしないが、拒否はしよう。
申し訳ないけど。
「ごめんね、きみのお願いに付き合ってあげることはできそうにないや」
「……悲しいことです」
四二代さんは本当に残念そうに、大仰にため息をついた。
なんだろう。こんな滅茶苦茶なお願い――絶対返さないけど一億ちょうだい。と言っているのに近しいことを言っているはずなのに、彼女自身は、それが受け入れられてもらえる。と思っていたようだ。自分が正しいと信じて疑わないタイプのようだ。
「私は争いごとは嫌いなのですが」
「私も嫌いだよ。でも、戦わないわけではない」
「ええ、はい。その通りです。ですから。私は。魔法を使います」
え――と。
呟いた途端、私は膝から崩れ落ちた。
がくん、と。力が抜けてしまった――いや、違う。これは力が入れられない。あるいは、そう。
「誰かに、力を抜かれている。誰かが私の体を操作している」
「なんですぐ分かるんですか。意味が分かりません」
はあ。と私の目の前にいる四二代さんは大仰にため息をつく。
しかし待て。彼女の口は一切動いていない。
今のセリフは、|私の口から出てきたものだ《・・・・・・・・・・・・》。
私の口が、彼女のセリフを口にしたのだ。
「あなたの意識はとても凄いものでした。濃密で、深く、高く、広く、おどろおどろしく、どうしてこんなものが一人の人間の器の中に入っているのか、なぜはち切れて死んでしまわないのか、おかしくておかしくて、もう、笑ってしまいたくなりましたよ」
あはははは。と私の口が勝手に笑う。
自分で動かそうとしていないのに体が勝手に動くというのはやはり気持ち悪い。
「しかし、あなたが弱っていてラッキーでした。喜ばしいことでした。弱っているあなたなら、どうにか、こうにか、私の意識を『分配』して操ることができます」
まあ、足の力を抜いて、口を勝手に動かすことができる程度ですが。と私の口を使って、四二代さんは言う。うふふ、と今度は彼女の口が、彼女の声で笑う。
「あなたの努力と才能は素晴らしいものです。称賛以外のなにものでもありません」
ただし。
「魔法には、敵いません」
と、彼女は。
言って。
顔面が削り取られた。
「え?」
と四二代さんは声をあげる。
魔法少女の姿になっていると、多分、反応速度も速まるのだろう。
バイクの前輪が彼女のこめかみにめり込んでいるのを、彼女の目はしっかりと見ていた。
しっかりと見ていたから。
四二代さんは、土下座をするような体勢のまま、着ていた着物の襟元を掴んで脱ぎ捨てた。
帯が適当に結ばれていた分、脱ぎ捨てるのに邪魔にはならなかったようで、彼女は一瞬で、下着姿に変わった。
着ている下着は、白色の、何枚かセットで売ってそうなやつだった。
まさか自分の下着姿を見せびらかすために脱いだわけではないだろう。
魔法少女の衣装は『鎧』だ。
話によれば、錨を腹に喰らっても、衝撃はあったものの、千切れることもなく、攻撃を防いでくれたという。
錨を腹に喰らって『胃の内容物を吐き出した』程度で済むようになる、高性能な鎧。
その鎧を脱ぎ捨てて、四二代さんは自分の顔とバイクの前輪の間に挟み込んだのだ。
錨を防ぐ衣装は、バイクの前輪なんてものに負けるはずもなく、バイクは衣装の上を滑るようにして、四二代さんの頭上を飛び越えた。
「まったく……悲しいことです!」
目線を隠すように伸びていた前髪は、タイヤに巻き込まれて千切れている。顔の左半分はやすりにかかったみたいに血まみれになっている。
その顔をおさえながら、四二代さんは顔を大きく歪めて叫んだ。
その瞬間、私の頭上をごうっと、暴風が吹き荒れた。
私をここに連れてきたあの大きな妖精の腕が、宙を舞っているバイクめがけて腕を伸ばして、思いっきりぶん殴ったのだ。
バイクを殴った妖精の腕は、バイクに触れた途端、さながらYの字のように、真っ二つに裂けた。
同時に、バイクに乗っていた二人のうち一人が、痛みをそのまま言語にしたような絶叫をあげる。
突然現れたバイクを思いっきりぶん殴ったのだ。バイクを殴った妖精の腕は、バイクに触れた途端、さながらYの字になるように裂けていった。
同時に、バイクに乗っていた二人のうち一人が痛みをそのまま声にしたような絶叫をあげる。
「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう! 回復は魔法力を消費するからぜってー使いたくねえって言っただろ!」
「痛いのは嫌ですヨ! ここまで連れてきたのですから、私のことも守ってくださいヨ!」
着地したバイクに乗っている二人は、向かい合っていがみ合っている。
ただ二人ともヘルメットを被っていて、顔は見えない。
着ている服は、片方は鼠色のローブ。もう片方はふりふりひらひらなピンク色の衣装を着ている。
衣装。
バイクに乗るには明らかに適していないし、なんなら日常で好んで着こむような格好に見えないそれは、衣装と言うべきだろう。
魔法少女の衣装。
その衣装を、私は知っている。
私のスマホカメラの中に、その衣装の写真がある。
バイクから降りたピンク色の衣装を着こんだ魔法少女は、倒れて顔の半分から血をだくだくと流している四二代さんの前に立つ。
魔法少女の左手は、中指から肘まで一直線に真っ二つになっていたが、眩い光に包まれたと思ったら、綺麗さっぱり元通りになっている。
「努力と才能は、魔法には敵わない。最高だね。それは私が望んでいたことだ。さきに実験してくれてありがとう」
ヘルメットを脱いだ。
四二代さんと同じように顔の半分がやすりで削られたようになっている魔法少女――花ちゃんは直ったばかりの中指を突き立てた。
「だからこっちからも教えてやるよ。魔法だって、物理には敵わない」




