第三話 恋は実らなくても、私の恋心は否定できない。
家に帰ると、居間にコスプレィヤがいた。
服装は学校の制服のまま。
帰り道にそのまま寄ってきたみたいだった。
ソファの上に座って、きょろきょろと忙しなく頭を動かしている。
目の前の机には、イチゴのショートケーキとオレンジジュースとスナック菓子とその他諸々が並んでいて、家に人が遊びに来たことがなくて、もてなし方が分からない人が用意したみたいになっている。
ごめんなさいね、私、家に連れてくるような友達がいなくて――そもそも、友達と呼べるような相手がいなくて。
まだ、コスプレィヤの方は私に気づいていないようだ。
正直、ハーフ&ハーフの一件とかがあった後なので、あんまり人と関わりたくない。というか、いつも関わりたくない。
せっかく来てくれたコスプレィヤには悪いが――いや待て。
約束もなにもなしに、勝手に家にやってくる奴に悪いなんて思う必要があるだろうか、いや、ない。そんなものはない。
勝手に来たのだから、私がなんとなく、いつもは本を一冊も読まないくせに、近くにある図書館に本を読みに行って、しかも夜まで、閉館時間まで読みふけってしまって、家に帰るのがすごく遅れて、おかげで話すことが出来なかったりしても、なんらおかしくないわけだ。
なにせ、約束なんてしてないのだから。コスプレィヤが家に来ていたなんて、私はなんにも知らなかったわけだから。
そうだそうだ。そうしよう。
私はさっそく、読みもしない本を求めて図書館に行くべく、踵を返して――背後にお姉ちゃんがいた。
気配を消して、忍者のように、ぴったりと。私の背後、五センチぐらいのところにいた。
にっこり。と笑みを浮かべている。
その笑みはまるで、私が今考えていることを「全て見透かしているような笑みで、あれ。これもしかして、逃げるの失敗しちゃった? って、地の文を奪わないでよお姉ちゃん」「考えていること全部お見通しだってことは分かったから!」
ぐわし。とお姉ちゃんは私の両肩を掴んで、私の体をぶんぶんと揺さぶった。
「お、と、も、だ、ち、が来ているのに、どうして家から出ていこうとするのかなー花ちゃん」
「いや、だって、別に、そもそも、友達じゃあないし!」
「友達じゃあない」
はて。とお姉ちゃんは首を傾げる。
「でも、彼女。うちに来たとき、『ハナの友達です』と言ってきたんだけど」
「あっちが勝手に思ってるだけだから。あいつとは同じ魔法少女。それだけ」
――ハナと仲良くなりたかったのデ。
――ハナはとっても可愛くて、素晴らしい子だと思ったからです。
――私がそう思ったから。そうなのです。これは私の感想で、私の意見で、私の事実です。勘違いはあれど、間違いなんて、あるはずがありません。
「……まあ」
ぼそりと呟く。
「敵か味方かで言えば、多分、味方なんだとは思う」
「花ちゃん、ツンデレ?」
「そんなんじゃあなくて!」
しまった。
思わず大きな声を出してしまった。
ぎぎぎ、とさながら油の切れたロボットのようなぎこちない動きで振り返る。
オレンジジュースを両手で持って飲んでいたコスプレィヤが、私の存在に気づいて、目をきらきらと輝かせていた。
コップを置いて、手をぶんぶんとふってくる。
なんなんだよ、なんなんだよこいつは。
どうして中身と外見がここまで一致しないんだよ。
もっと、魔法少女らしい、粗悪な雰囲気醸し出していてよ。
緑野みたいに、私をそこらのムカデを見るような目で見てきたり、怒鳴みたいに、にぃ。と獲物を見つけた獣みたいな歪んだ笑みを浮かべていて欲しい。いや、別に、被虐趣味《ドM》ではないよ。
思わず、お姉ちゃんの顔を睨んでしまう。
お姉ちゃんはニマニマと笑っていた。図ったな!
「ほら、お友達を待たせてたらだめだよ、花ちゃん。私は二人の邪魔をしないように、お仕事してくるから」
ぎゅー。と私を抱きしめて、エネルギーを充電したお姉ちゃんは、そのまますたこらさっさと仕事部屋に帰っていった。
残された私は、閉まった仕事部屋のドアを、満足がいくまで睨みつけて、渋々、コスプレィヤの方へ向かった。
コスプレィヤの前に座る。
「さっきの人が、ハナのお姉ちゃんですか?」
「ん。そう。りすお姉ちゃん」
「ハナが勝ちたい相手ですか」
「そんな、魔法少女になってまで叶えたいような願いだと思った?」
自虐的に笑いながら、私はコスプレィヤに尋ねた。
彼女は首を横に振る。
「いえ。ノー。そんなはずはありません」
「どんな願いも、願うこと自体が、それはそれは素晴らしいことだから?」
「違いますよ、ハナ。願わなければ、叶わなければ、敵わない人ということです」
「分かるの?」
「初めてですよ。顔を合わせた瞬間に、『あ、勝てない』と思ったのは」
まあ。勝てない、敵わないのはいつものことなのですが。と、コスプレィヤは言う。
「不思議な人ですね、勝てないと思っても、別に悔しいとは思えない。勝てないのが当たり前の相手と言いますカ――私たちが勝てないのは当然なんですけど。それでも、魔法少女の力だったり、究極魔法を手に入れたら、私たちは勝つこともできますよね」
「まあね」
「でも、お姉さんは勝つしかできません。勝つだけです。お姉さんの登場は、終了の合図であり、フィニッシュであり、試合終了なんです」
「大げさだよ」
とは言い切れなかった。
実際、お姉ちゃんは勝つことを宿命づけられている部分があると思う。
お姉ちゃんは勝つことができる。勝つことしかできない。勝たなくてはいけない。
それぐらい才能に満ちているし。
それぐらい周りからの目がある。
天才の苦悩……というのは、あんまり使いたくない言葉ではあるけれども。
天才の苦悩という言葉はあって、無能の苦悩という言葉がないのは、なんだか不公平な気もするし。
誰であれ悩むことぐらいできるはずだ。
大なり小なり、大きさは違うだろうけど、同じ悩みだ。
「それで、お姉さんはどこにいったのですか?」
「お姉ちゃんなら、私に気を使ったつもりなんだと思うけど、仕事部屋に引っ込んだよ」
「お仕事!」
と、コスプレィヤは両手を合わせながら言った。
そんな驚くようなことか?
「お仕事するのは凄いことですよ。お姉さんはどんな仕事をしてるんですカ?」
「知らない」
「それはよくないですよ、ハナ」
「叱られた。コスプレィヤごときに」
「ハナ、もしかして私のことかなり低く見てませんカ?」
「なにを今更」
「今更なのですカ……家族なのですから、なにをしているかぐらい知っておいた方がいいと私は思いますよ?」
「家族だから。は私、一番嫌いな理由」
「面倒な性格してますね、ハナは」
「あんただってそうじゃん。コスプレィヤ。というか、今思ったんだけど、あんたの家族ってなにしてるの?」
「私の家族について聞くことに、なにか意味があるのですか?」
「家族もダメなのかよ……」
コスプレィヤについて聞いたとして、ダメではないことは果たしてあるのだろうか。
でも、聞いて答えてくれるということはつまり、それは彼女が『自分ではない』と判断しているものになる。
……なんだか、ブラックボックスの中に手を突っ込んで、中にいたライオンに腕を食われるような愚行を犯しているような気がする。
余計な詮索はやめておこう。
「お姉ちゃんの仕事を知らないのは、私自身が興味がないから。とかじゃあなくて、単純に、なんでもやってるから、今何をしているのか分からないってだけ」
「なんでもしてる。almighty。凄いですね! カッコいい!」
「まあ、確かになんでも出来るはカッコいいけど」
なんでも出来て、なんでもやってしまって、なんでも引き受けてしまう。
それはカッコいいのかもしれない。
けれども。
「だから、なにをやってるのかなんて私には分からないし、理解らない。もしかしたら、犬の散歩をしているのかもしれないし、もしかしたら地動説を否定している最中かもしれないし、人の味覚を支配する料理の開発かもしれないし、運を完全に操作する方法を編み出しているのかもしれない」
「それは確かに、分からない。ですね」
「分からない。でしょ?」
他人の気持ちなんて分かるはずがないとか、そういうベクトルはもう既に通り越している。
コスプレィヤは頬をぴくぴく動かしながら、オレンジジュースを飲んだ。
用意されたケーキをフォークでつんつん触りながら、『これがもしかしたら、味覚支配の料理……?』なんて呟いている。
さすがに、実験台に私たちを使ったりしないよ、お姉ちゃんは。
ケーキは私の前にも用意されていたので、私もケーキを一口食べる。
ふわふわとしたスポンジに、口の中ですっと溶けるような、ホイップクリーム。
ケーキの上にぽんと置かれた、市販のイチゴすら高級品を使っているのではないかと疑いたくなるぐらい美味しかった。
やはり、味覚支配されているのではないだろうか。
頬に手を添えながら、コスプレィヤは「んー♪」と体を揺らして、全身で喜びを表現している。
こうして見ると、ただの、可愛い可愛い、憎たらしいぐらい可愛い女の子だ。
中身は、自分に自信がなく、意味はないと断ずる、整形女子なんだけど。
「ハナ、頬にクリームついてますよ」
「へ?」
コスプレィヤは机の上に身を乗りだすと、ティッシュペーパーで私の頬をゴシゴシと拭く。
「ちょっ、自分でやるから。それぐらい!」
「いいえ。ノー。ハナはそういうの気にしないタイプなのは分かってます」
「いや、さすがに頬にクリームついてる状態で歩いたりはしないから」
「袖で拭いたりしません?」
「うっ」
「分かったらしっかり拭きなさい」
「はいはい」
今更自分でやるのもなんだか面倒だったので、コスプレィヤに身を任せて、拭き終わるのを待つ。
ふきふきふき。ぐいぐいぐい。ぐぐー。ぐぐー。ぐちゃあ。ぐにぐにぐに。ぎゅーぎゅーぎゅー。
「……クリーム拭くのに、そんなに擦る必要ある? しつこい油汚れじゃああるまいし」
「正直、ぐにゃぐにゃ動くハナの顔が面白かったので、遊んでました」
「あんたね!」
キャー。と笑いながら逃げるコスプレィヤに、私は怒る気力も失ってしまった。
「あんたが見栄えを気にするとはね」
「おかしいですか?」
「自分のことが嫌いで、無意味だと言っているやつが、自分の見た目を気にするものかねって」
「ハナ、私は綺麗好きなんですよ」
綺麗じゃあないと、気になって気になって仕方ない。
それは、自分の体でも変わらない。自分自身でも、変わらない。
――また汚れると分かってモ、人はホコリを払イ、泥を拭うものデス。
つまりは、そういうことだろう。
対して、私は見栄えなんてものはそんなに気にしない。
誰になんと言われようとも、自分の価値は恐ろしいほど低いことは、誰よりも、私自身、理解しているつもりだし、なにより、
価値のないものが、見栄えを取り繕う。
おいおい、一体誰に見せるつもりだよってことだ。
「ハナも化粧とかしてみますカ? クマを薄くしたり消したりもできますヨ」
「私は私のことが好きじゃあないし、価値がないとは思っているけど、それを塗り潰して否定するつもりはないから良い」
「そうですか。そうですね。ハナはそのままでもとても可愛いですし」
「……あんたの美的感覚、どうかしてる」
「そうでしょうか」
「私みたいなのを肯定してみたり、自分のことを否定してみたり、綺麗じゃあないと、気になって仕方ないって言うけど、あんた、普通に、相当に、可愛いし綺麗だからね?」
「そうでしょうか」
「そうでしょ」
「ありがとうございます。ハナはとっても優しいですね」
「別に良心でそう言ってるわけじゃあないからね。あんた言ってたでしょ、私がそう思ったから、そうなんだって」
「言いましたっけ」
「自信満々に」
「私の言論に意味があるのでしょうか」
「あるよ。あってくれよ。もう、話がややこしくなるから」
頭をガシガシ掻きながら、私は言う。
ああ、くそ。
なんで、こいつへのフォローを私は考えないといけないのだろうか。
「『私は』あんたの言論に意味があると思ったし、それは間違っていても、間違っていなくても、誰にも否定はできない。だって、私の意見なんだもの」
意見が間違っていても、間違っていなくても。
『私の気持ち』自体を否定することはできない。
気持ち悪い表現をするならば。
恋は実らなくても、私の恋心は否定できない。
口の中が砂糖でいっぱいになった気分だ。
吐き気がする。
「じゃあ、ハナは」
コスプレィヤは驚いたでも、喜んだでも、悲しんだでもない、なんだかよく分からない――まるで能面みたいなのっぺりとした表情のまま口を開いた。
「私のことを否定しないのですカ?」
「するわけないじゃん」
私は即答した。
人を否定できるほど、偉そうに偉ぶった人になった覚えはないし。
「あんたが自分のことを否定することも、否定はしない。まあ、話すときもうざったいし、めんどくさいなー。とは思う……けど……ね?」
言っている自分が恥ずかしくなってきて、誤魔化すように、つらつらと言葉を並べていた私だったけれども、ちらりとコスプレィヤの顔を見て、言葉が止まってしまった。
だって。
そこにいたのは、金髪の少女ではなかったのだから。
なんといえばいいのだろう。
ホコリみたいな色をした髪だ。
肌は白くて、鼻の上にはそばかすがある。
目は、自信がなさそうな目をしていて、眉は八の字にさがってる。
「『偽装』を解いたわけではありません」
目の前にいるホコリみたいな色の髪の少女はそう言った。
聞いたこともない声だった。
しかし、その独特のイントネーションには、聞き覚えがあった。
「……コスプレィヤ?」
「はい。私の昔の顔――一番初めの顔に『偽装』しました。とはいえ、私自身、あんまり覚えてないので、口から下は、ちょっとぼやけてるかもしれませんが」
実際、彼女の顔の口から下は、まるで靄でもかかっているみたいに、どんな形をしているのか、よく分からなかった。
「へえ、あんた。昔こんな顔をしていたんだ」
「はい。あんまりまじまじと見てほしくないですガ」
「なんで」
「恥ずかしいからです。好きじゃあないからです」
「じゃあ、なんで私に見せたの」
「ハナに隠すのが、よくないと思ったからです」
「ふうん。別にいいのに……」
まじまじと見るなと言われたので、じろじろと見ながら(一緒だって? オノマトペが違うだろう) ふうん、と唸る。
コスプレィヤはそんな私の視線が気になるのか、顔を真っ赤にして、背けている。
「どう……ですか……?」
コスプレィヤが、もじもじと、顔を真っ赤にしながら尋ねてきた。
どうって?
「『ハナは』……この私のことを、どう、思いますカ……?」
「どうって、そりゃあ、まあ……可愛いと、思うよ」
私よりは。
私なんかより。
普通に。
すごく。
可愛いと。
思う。
口から言葉が、一つずつ漏れるたびに、全身がむず痒くなって、気持ち悪くなって、うえって嗚咽をもらしたくなる。
ああ、なんだ。なんだ。気持ち悪い。気持ち悪い。
私はそんなことを口走るようなキャラじゃあないだろう!
むぎゃー。と顔をおさえて、私は奇声をあげる。
コスプレィヤはと言えば、口元をもごもごと動かしながら、頬を少し赤らめている。
彼女はちらりと喚く私を見て。
にこり。とはにかんだ。
「あ、ありがとうございます。ハナ。嬉しいです」
「別に……嘘をつく必要もなかったから、そう言っただけだし……。それにあくまでも私の意見だから。あんたの意見を変えるつもりはないし、人の意見を変えられるほどの人間だとは、私は私のことを思っていないし」
「ふむ」
頷いて。
コスプレィヤはホコリみたいな色の髪から、いつもの、金色の髪――魔法少女コスプレィヤとしての姿に戻った。
「その姿が気に入ってるの?」
「いえ。別に。目が嫌いです。あと鼻も口も頬も首も耳も歯も唇も肌も眉も顎も首も胸も腰も足も手も指も爪も太ももも髪質も脳も頭蓋の形も全部嫌いです」
でも。とコスプレィヤは続ける。
「この姿が安心します」
それと。
「ハナが褒めてくれたあの姿が、今のところ、一番好きです。嫌いですけど。だから、ハナの前では、ハナの前だけでは、たまに、あの姿になってもいいかなと思います」
だってハナは。
友達ですから。




