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俺の主はヤクザの頭  作者: 一九山 水京
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一章   「神の悪戯に愛された男」

「くっそぉぉぉぉぉぉぉぉ! こんな日に限ってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 太陽が意気揚々と地上を焦がしにくる夏真っ盛り。熱線にあてられて地面やビルの外壁が熱々になっている都市の歩道を駆け抜ける影が一つ。

 それは自転車に乗って街を爆走している。自転車はところどころ錆や汚れが見えることから相当使い込んでいるのが見て取れる。

 その自転車に乗っているのは少し背の高い高校生くらいの少年だ。彼は太陽の責め苦にも負けず、汗で服が張り付くのも構わずに自転車を立ち漕ぎしている。

「今日の物は条件は多いが結構羽振りがいいから確実に終わらせるつもりが……」

 少年は息を整えて

「なんでいつも行く道が突然工事中で迂回したら野良犬に追い掛け回されあげく飲酒運転の車がこっちに向かって突っ込んでくるなんてアクシデントに見舞われるんだ!?」

 少年がブレーキをかけて止まる。

「おまけにこれで信号待ち三連続目だぞ! 俺がなにしたってんだ!?」

 少年は人がいるにも関わらず心の内を大声で暴露する。やがて何かを諦めたかのようにため息をつく。

「しょうがねぇ……やりますか」

 少年は自転車から降りて信号機の横のガードレールにもたれかけさせて、荷台に括り付けていた小脇に収まるくらいの茶色の包みの箱を持つ。そして自動車側が見る青信号が点滅し始めたところで少年は改めて横断歩道の前で待つ。

「到着時間まであと三分、そして目的地まで約十キロか……ふぅ」

 少年が目を閉じる。自動車側の信号が赤に変わり自動車が止まる。横断歩道の信号が青に変わるのも時間の問題。

 数秒と待たずに信号が青に変わる。それと同時に少年が目を開く。

 その目は先ほどの黒目とはうって変わって煌めく金色になっていた。

 信号と目、二つの光が変わった瞬間、突風が起こった。突風の原因は少年が横断歩道をありえない速度で駆け抜けたからである。

 少年が道路に走る自動車を置き去りにして走りぬく。途中女性のスカートがめくれる、サラリーマンのかつらが宙を舞うなどの被害があったが彼は気にしない。

「ここで近道だ!」

 そう言って少年は右手にある狭い路地を通り反対側に出る。出たら正面にコンクリートで固められた川がある。普通向こう岸に行きたい場合は川沿いに右に行ったところにある橋を渡るのだがこの少年は躊躇うことなく落下防止の柵に足をかけて、川を飛び越えた。

 川の幅はそこまで広くないものの優に十メートルはある。とても助走をつけたから飛べましたなんて言い訳で納得できる距離じゃない。

しかし少年は難なく反対の道路に着地すると間髪入れずにまた文字通り爆走していく。

「旦那にゃ止められてたが、ばれなきゃノープロブレム! 報酬は丸々いただくぜ!」

少年は風を巻き起こしながら勝利を確信していた。


               ・ ・ ・


「おい、そろそろ時間だが例のものは届いたのか?」

「あ、はい。もうすぐ配達時間になりますからもう来るかと」

 そこは何の飾りつけもない会社の一室だった。大きな部屋にたくさんの机と椅子、そしてそれらと同じだけあるパソコンとそこで一心不乱とまではいかなくとも黙々と作業をしているサラリーマンの姿が見えるごくごく普通のオフィスだった。

 そこに上司と部下を思わせる二人が話していた。

「そうか。ならいいが……」

「やっぱり不安ですか?」

「顔に出てたか? すまんすまん。確かにいつも契約している運送業者に不都合があったから急遽別の運送業者に頼めたのはいいんだが……ええっと、なんて言ったかな?」

「確か物部運送事務所だったかと」

「そうだそうだ、聞いたことないところだから大丈夫かと思ったが、期限には代えられんからな。果たして大丈夫か――」

「お待たせしました!」

 バン!!! と大きな音がしたと思って驚きながら音のしたほうを向いてみると扉が壊れたのではないかと思うくらい無作法に開けられてそこから一人の少年が入ってきた。脇には茶色の小包がしっかりと挟まっている。

 少年が使い込んでいると思しき腕時計を覗き込んでから言った。

「物部運送事務所の従業員の柏木隼斗と申します。午前十時。配達物の確認とハンコをお願いできますか?」

 唖然としている社員をしり目に柏木隼斗と名乗った少年は淡々と仕事の段取りをこなしていこうとした。


               ・ ・ ・


「ただいまー。配達終わったぜー」

「おーうごくろーさん」

 隼斗は先ほどよりかは落ち着いた動作で扉を開け放って言った。そこは先ほどのオフィスと部屋の構造自体はさして変わらないがさっきよりかは狭めで、机や椅子も今返事した男が座っているものと真ん中にあるソファとこれに合わせた低いテーブルだけである。少し上等なコーヒーメーカーや簡単な食器棚があるあたり、やはり会社ではなく事務所であることがよく分かる。

「旦那。さっそくだが配達の報酬をいただこうか」

「あーそうだな。その前にお前、俺に言わなきゃならねぇことねぇか?」

 少し動揺したが顔には出さず返事をする。

「言わなきゃならないこと? それって俺が旦那の買い置きしてあるプリンを食ったことか?」

「それについては後で処刑するとして、もっと別のことだ。正直に言えば罪は軽いぞ?」

「な、なんのことかなぁ? それより配達は完璧に終わったんだ! 約束通りの報酬をくれよ!」

「ほぉ……あくまでしらを切るか。いいだろう、麗」

「はい、では報告させていただきます」

 麗と呼ばれた女性が手元のiPadを操作しながら淡々と告げる。

「まず自転車の荷台に括り付けるという配達物の安全を考えない行動に減点。工事中の道路をリサーチできておらず時間をとってしまったことに減点。野良犬に追い回されと時に猛スピードで走り歩行者を危険に晒したことに減点。飲酒運転の車については問題なし」

 次々と問題点を告げられていった隼斗は顔が青ざめてフラフラしている。

「うぐぐ……こ、これで終わりでしょう?」

「まだです。次のことが一番の減点です。それは公衆の面前で神憑きを発動させたことです。」

「ぬ、濡れ衣だ! 他は認めるがそれはやっていない!」

 ここを譲っては報酬がガクッと減ってしまうことは承知なので、隼斗は何としてでも隠し通そうとした。

「麗、目撃者の証言は?」

「はい、調査したところ十人のうち九人が爆走する少年を見たと。中にはカツラが飛ぶなどの被害に見舞われた者もおり……」

「すいませんでしたぁ! 俺が悪かったですぅ!」

 人間なんでも素直なことが一番であると、この時隼斗は思い知った。

「お前何度も言ってんだろ? 人様の前で神憑きを使うんじゃねぇって」

「しょうがないだろ? ああでもしないと間に合わなかったんだ。事務所の顔に泥塗るくらいなら少しくらい、ね?」

「何がね? だ。とにかく今回の報酬は減らさせてもらうからな。あとは……」

今まで椅子の背もたれに体を預けていた男がゆっくりと立ち上って隼斗に近づいてきた。

「えっと……旦那? 眉間がものすごい寄ってますよ? どうしました?」

「勿論てめぇが勝手に俺の愛するプリンを食べたことについてのお仕置きに決まってんじゃねぇか。覚悟できてんだろうな?」

「待って旦那! 新しいプリン買ってくるから、それで勘弁してくれ!」

「いいやダメだね。泣いても許さねぇしむしろ泣いてからが本番だと思え。麗、倉庫から日曜大工一式持ってきてくれ」

「いったい何する気だ旦那!? 麗さん助けてくれ!」

「……報酬の現金を用意してきます。受け取れるといいですね」

「不吉なこと言わないで! あ、ちょ、ダメ! 奥の部屋は防音で助けが呼べないからあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

隼斗は首根っこを掴まれてそのまま奥の部屋に引きずられていった。防音でも隼斗の阿鼻叫喚が外に少し聞こえていたことがお仕置きの凄まじさを物語っていた。


               ・ ・ ・


「お待たせしました。所長、折檻はお済みになられましたか?」

「あぁ、また一つこの世から悪の心が消え去ったぜ」

「あんたの場合、心ごとぶっ壊そうとするからたちが悪いぜ……」

 隼斗は喋ってはいるが体はピクリとも動かさすこと無くソファで仰向けに倒れている。相当おぞましかったのだろう、口からよだれが垂れていることに気がついていない。

「これに懲りたらもう冷蔵庫漁るんじゃねーぞ」

 隼斗にキツイお仕置きをした張本人でありこの事務所の所長の 物部万丈(もののべばんじょう)。整ってるようで整ってないぼさぼさの髪にいかにもジョリっとしてそうな髭。シブいことこの上ないおっさんなのだが甘いものに対しては一切の妥協はしないおかしな一面もあったりする。

小さいころ路頭に迷っていた隼斗を拾ってこの事務所に住まわせてくれた恩がある。本人は給料を貰ってはいるがその時の恩を返すためにこの事務所で働いているのだ。

「では隼斗君。これが今回の報酬です」

 先ほど麗と呼ばれていたこの女性が 水籐麗(みとうれい)。全体的にスレンダーな体に本職顔負けレベルで着こなしたレディーススーツがフィットしていて、ふちの細い眼鏡が彼女のつり目によく似合っている。見た目どおり仕事は完璧にこなし一部の隙も無いクールビューティな人である。

「ありがとうございます。さてさて一体どこまで減らされたやら……」

 諦めムードで受け取った茶封筒を開けて見てみると

「え!? 麗さん、これあってますか?」

「間違いありません。これがあなたの報酬です」

「でも、何だか思ったより減らされてないような……」

「所員としての初の給料ですから特別に大目に見ました。次は気をつけてください。あと……これは所長には内密に」

 ありがとうございます! 愛してます麗さん!

 声に出すと所長に聞こえるので心の中で感謝の気持ちを言って、両手で茶封筒を挟み麗さんに向かって拝んでおく。

「俺の甘味の件はまぁしかたなく、ホント仕方が無くだけど許してやるとして」

 釘を刺すように隼斗を睨み付けながら言う。

「何度も言うが神憑きを人前でみだらに使おうとするな。あれが公にでもなったらいけないことぐらいてめぇの小っせぇ脳みそでも理解できんだろうが」

 神憑き。それはある特定の人間だけが使える人智を超えた力。俗な言い方をすれば超能力とか異能とかそんな感じのものである。

 この力は神様の力の一片が宿っているもので。例えば彼、柏木隼斗が所有している力の元となっているのは[韋駄天]。俗説は多々あるが世間でよく知られているのが神速の神。故に彼の力も常人を超えた脚力となっている。

 だがこの力。得ようと思って得られるものではなくて、生まれてから大体十三歳。早くて十歳で力が発現するかどうかが分かるのである、つまり自分たちではどうしようもないのだ。

「悪かったよ。次は気をつける」

「当ったり前だ。ただでさえこの街は神憑きが集まりやすい土地なんだからな」

 この土地は古くから神やら精霊やらの信仰が深い土地であった。今こそ建物が乱立する町並みになっているが所々に神社やら石碑やらがそこいらに存在している。

 その名残なのか雰囲気なのかは分からないが、神憑きを所有している者がよく集まるようになるのだ。

 まぁそれは始まりであって、今では神憑きを認知している住人が他に比べれば多いほうなので能力を使用しても騒ぎになりにくいからとかそんな理由に変わってきている。

 それでも一般には明かされていない未知の力ではあるので物部が厳重に注意しているようにみだりに振りかざていいものではない。

「まぁ不幸中の幸いか、てめぇの印は地味だから気づかれにくいがな」

 神憑きを発現したときには体のどこかに何らかの印が現れる。それは力の元になった神様に由来するものが多くて、隼斗の場合は普段黒目のところが金色になる、といった具合だ。

「さぁて説教はこの辺りにして、そろそろ昼飯だなぁ。麗、何が食いたい?」

「それは所長が奢って頂けるという意味ですね? 分かりました少々お待ちください」

「待て待て違う! ただ参考に聞いただけだ! 違うから高級出前のチラシを漁るのはやめてくれ!」

「旦那、ご馳走さんです」

「調子に乗るなよクソガキ! てめぇはどっか適当なところで食ってこい!」

「えー? まぁ元々そのつもりでしたからいいですけど」

 隼斗は痛めつけられた体に活を入れて立ち上がって出口に向かった。

「あーそうそう、二時までには戻ってこいよ。別の仕事があっから」

「はいはい、ではいってきまーす」

 用件を聞いたのでそそくさと部屋をあとにする。麗さんが物部に高級寿司とうな重の二択を迫っていたが隼斗は気にせず事務所を後にした。


               ・ ・ ・


 事務所を出て町をぶらつく。初めての給料で麗がおまけしてくれたのでそこそこのものが食べられる。

「さぁてどこで食べようかな~」

「あらぁ? もしかして隼斗君じゃない?」

 後ろから声が聞こえたので振り返るとそこには美しいと同時に艶やかな女性が歩いてきていた。

「あぁ深雪姉さん。ご無沙汰してます」

「ホント、久しぶりねぇ」

 彼女は 甘城深雪(あまぎみゆき)。純金を髣髴させるほどの綺麗にウェーブのかかった金髪におっとりとしたルビーのような瞳、そして目のやり場に困る艶やかな衣装。胸元・太もも・背中と可能な限り露出させた、少し触れればすべて脱げてしまいそうな危うさを持った服である。

 そんなレベルが高い服を着こなす理由が、彼女の蠱惑的な肢体にある。今にも服からこぼれそうなたわわに実った双丘。服がはりついてより明確に浮き出たくびれた腰。日差しを受け輝いて見える肉好きの良い脚。

 すれ違えば万人が振り向く絶世の美女。数多の男性の理想妄想を合わせて具現化させたような女神。それが彼女、甘城深雪だ。

「深雪姐さんはこれから昼飯ですか?」

「えぇ、どこか適当な(さいふ)をひっかけて済ませるつもり……だ・け・ど」

 深雪は軽やかに身を寄せると体が触れるか触れないかのところまで迫ってきた。顔にいたっては吐息が首筋にあたるようなところまで近づいている。

「君が空いているというのなら……お昼と一緒にいただいちゃおうかしら?」

「ちょ……勘弁してくださいよ。折角の初任給が消し飛んじゃいますよ」

「あら? ということは、お仕事させてもらったんだ?」

「えぇ。やっとこさ所員にしてもらいましたよ。これも深雪姐さんのおかげです」

 このままの距離だと色々と危険なので肌に触れないように優しく両手で押し返し距離を戻した。

 彼女は全世界で八十パーセントのシェアを誇る超有名化粧品メーカーの会社「ドルチェキャッスル」の社長である甘城幽奈の娘である。だが彼女は家の仕事に関与することもなく、自由気ままに生活している。

 そんなある日、まだ隼斗が物部に拾われてないころに家に連れて行かれて飯や風呂を世話になっていた過去がある。あれがなければ彼は道端で倒れて死んでいたかもしれない。言ってしまえば命の恩人である。

「もう、いつまで昔のことを持ち出すのよ。私の気まぐれなんだから気にしなくていいのに」

「いやいや、本当に感謝しているんですから。これといって大した恩返しが出来る訳じゃないですけど……」

「そんなこと気にしなくていいのよ。私はあなたにとても興味があるから助けた。私の魅力に屈しないあなたに、ね」

 深雪はそう言いながら上目使いで宝石が霞んでしまうような綺麗な瞳で覗き込んでくる。男ならば一発で惚れてしまうようなその仕種だが、彼女の性格と能力を知っている隼斗は安易に道を踏み外しはしない。

 能力という言葉を使った理由は明確。この人、甘城深雪も神憑きなのである。

 彼女の力の元となる神はフレイヤ。北欧神話の美の女神である。彼女の能力は魅了。そして美貌の顕現である。(ただ美貌に至っては能力だけの力ではないように思える)

 ただ隼斗と違うのは能力が常に発動していることだ。

 神憑きは大まかに分けると二つのタイプに分けることができ、一つが自分の意志で能力の発動のオンオフを切り替えられて、発動した時に何かしらの印が現れる。隼斗のような神憑きがこれに当たる。

 もう一つは能力が常に発動していてオフに出来ない深雪みたいなもの。だがこちらの場合これといった印が体に現れないのである。

「一応言っておくけど、私の能力は理解した程度じゃ紙切れ一枚ほどの抵抗にさえならないのよ?」

「え? そうなんですか?」

「当たり前よ。私が本気を出せば一日で町の男全員を虜にして忠実な軍隊を作りあげられるわ」

「……頼みますから徴兵令だけはしないで下さいよ?」

「そんなつまらないことしないわ。今はあなたをどう攻略するかの方が面白いもの」

「そんな攻略だなんて、深雪姐さんがその気になったら俺なんてすぐに骨抜きにされますよ」

 そんなことを話していると町の時計が一時を告げる鐘の音を鳴らした。

「あっと、もう一時か。すいません、二時から仕事があるのでこのへんで」

「えぇ、分かったわ。呼び止めてごめんなさいね」

「いえいえ、では!」

 お昼時で店が混み始めるので、駆け足で店を探しに行った。

「ふふ……私はいつも本気で能力も技術も使っているのにね、不思議なものだわ」

 深雪が後ろで何か言っていたような気がしたが、食欲を優先そたので聞き直そうとしなかった。


               ・ ・ ・


「ただいま戻りましたー」

 昼ご飯を終えて事務所に戻る。今日の給料があったので贅沢に吉田屋の牛丼を大盛りに味噌汁まで頼んだ。彼なりに贅の限りを尽くした。

「おーう、じゃあさっそく仕事の話をしようか。まぁつっても……」

 物部は麗に指示を出して部屋の一角にあるダンボールの中からいかにも重要そうなものが入ってそうな、銀色に鈍く輝くジェラルミンケースを出してきた。

「こいつをここに書いてある住所に届ければいい。時間の指定はなくて今日中に届ければいいから午前中のような失敗はないだろう。どうだ? なんか質問あるか?」

 物部は机の引き出しに入っていた住所の書いてある紙を差し出してきたので隼斗はそれを受け取って確認してみる。しかしその場所は普通ではなかった。

「……旦那。俺の記憶が正しければこの住所って……あれか?」

「そうだ。泣く子も自主的に黙る藪鮫組のお屋敷だ」

 藪鮫組。この辺りの住民なら知らない人はいないほどの暴力団組織である。

 表でも名が知れ渡っていることから、裏のほうではとんでもない大物であることは伺える。

 噂ではドラム缶の中に人をパンパンにつめて海に流したとか人を焼いてかろうじて生きているところで野犬に喰わせたりだとか闇ルートでヤバイ物を流して儲けているだとか。とにかく悪い噂が絶えないような連中である。

 近所の人も厄介にならないように、極力あの屋敷の辺りには近づかないようにしているのである。

「旦那! 確かにこの事務所は何だか怪しいものでも運んでんじゃないかと思っていたが、まさか本当にそんなものを!?」

「お前が日頃どう思ってんのかはよく分かったぞクソガキ。だが安心しろ、こいつはそんな得体の知れないものじゃーねぇ」

「じゃあいったい何が入ってるんですか?」

「それをぺーぺーのお前に言うわけないだろう? クライアントを敵に回すつもりかお前は?」

「それならぺーぺーの俺にそんな危険な橋を渡らせるのもどうかと思うぜ。一歩間違えたらと思うと……」

「そんなビビることはねぇよ。ただインターホン鳴らして判子もらって渡すだけ、そんだけじゃねぇか」

「そんな簡単に言うがね……あぁもう分かったよ! ぱっぱと行って帰ってくるよ!」

「ではこちらを」

 麗が持っていたジェラルミンケースを手渡してきた。隼斗が受け取ると見た目に反してさほど重量を感じない、中身が少ないように思えた。

「中身は衝撃で壊れるようなものではありませんしそのケースも頑丈に造られていますが決して傷が付くなんてことが無いように安全にお願いします」

「分かりました。さっさと帰ってくるので報酬用意していてくださいよ?」

「へーへー。報酬が医療費か葬式代にならないように祈ってるよ」

「ちょっと! 幸先悪いこといわないでくれよ!?」

 ニヤニヤ笑う物部を尻目に隼斗は再び事務所を出て配達へと向かった。こんなことならお昼にもっといいものを食べておけばよかった。いくら大盛りにしたといっても最期の晩餐が牛丼だなんて悲しすぎる、と後悔しながら。


               ・ ・ ・


 午前中に注意されたので荷物を荷台にしっかりと括り付けてから自転車を走らせること二十分ほど。夕方のせいか屋敷に近づいているせいか人通りがだんだんなくなっていった。

 周りが静かなのも相まって思考がどんどん悪いほうへと膨らんでいく。ドラム缶に詰められやいないか、体をウェルダンに焼かれて野犬のディナーになったりしないだろうか? 余計なことを考えないようにするため頭の中で「判子もらって渡すだけ判子もらって渡すだけ……」と繰り返していく。まるで紫色の人型決戦兵器の初号機パイロットのようだった。

 なんだかんだ言いながら自転車をこいでいると大きな屋根つきで日本特有のお屋敷によくある白色の外壁が見えてきた。

 端から端までが一つの視界に収まりきらないほどの堀から中の屋敷がとんでもなく巨大で豪勢であるかが目に浮かぶ。

 外壁に沿って自転車を走らせていくと、自分の身長を優に超える大きな木製の両開きの扉が見えてきた。

「さて……インターホンはどこかな?」

 見たところそれらしき物は壁に取り付けられていない。とすればドアを叩くしかないので、恐る恐るドアについているノッカー(この手のお宅によくあるライオンが口にくわえた輪っかのやつ)でドアを叩く。

 ゴンゴン、ゴンゴン。

 しばし待ってみるが反応はない。よくよく思えばこんな広いお屋敷でこの程度の音だったら聞こえないであろう。

「おいおいどうすんだよこれ。誰かいないのか……って、この扉開くぞ」

 ギギギっという音とともに扉は思った以上に簡単に開いた。このまま入れそうな感じはあるがそんなことをすれば不法侵入でウェルダンにされても文句は言えない。

「う~ん、でも覗いた感じ誰もいないしなぁ……入るしかないかぁ」

 出来るだけ響かないように扉を開けて屋敷の中に入っていく。中は想像通りで砂利の地面に屋敷に続く道にだけ石畳が敷いてあり、屋敷は正面から見て右と左と真ん中の三棟存在している。

「はー、なかなかどうしていいところに住んでいらっしゃる……でもその割には人が少ないような気、がぁ……」

 奥に進みながら間の抜けた感想を漏らしていると、とんでもないものを目撃してしまった。

 屋敷の柱のところに刃物が深々と刺さっている。あれは任侠物のドラマなどで見たことのあるヤクザが好んで使う、ドスなのだろう。しかしテレビで見るような刃渡り十五センチなんて物ではなく三十センチはあろうというような、もはや刀に近い代物が刺さっていた。

 そしてこれまたテレビでしか見たことないような銃を撃った時に出てくる空薬莢が石畳や砂利に転がっていた。それも一つや二つではない、両手の指では収まらないほどの数が転がっている。想像しただけで恐ろしい。

「マジかよ……早く帰らねーと俺もこの辺のシミになっちま――」

「おい! 誰だそこにいるのは!?」

 ビクゥ! と全身を震わせて驚きを表現してしまう。若干泣きそうになりながらも声のした右側に首を回すとそこには……想像通りのヤクザを表したような人が立っていた。

 髪はスポーツ刈りのように短くしてあり身長もそこそこ、そして顔には鼻を横切るように生々しい傷跡が残っていて、もちろん人相が悪い。服はよれよれの白であったようだが汚れていてくすんでいるシャツに茶色の腹巻、黒いだぼだぼのズボン。

 そして一番やばいのは肩に担ぐようにして右手に持っている加工された木の棒だ。あれは恐らく先ほど見たアレで間違いないのであろう。

「やいやいやい! てめぇここがどこだかわかってんのか? 天下の藪鮫組のお屋敷だぞ! あぁん!?」

「えと、その、あの! お、俺はここにお届け物がありまして!」

「お届け物ぉ? またまた見え透いた嘘をつきやがって、さてはてめぇ! うちの姉御の(たま)を狙いに来た賊だな!?」

「はぇ? いやいやいやいや違う! 俺は本当に荷物を……ほら! これがその荷物だ!」

「やかましい! どうせそれも荷物に見せかけた爆弾とかそんなところだろう! この(あぶれ)凶次郎の前に現れたのが貴様の運の尽きだったなぁ、覚悟せぇや!」

 炙と名乗った男は口上通り手に持ったドスを抜いて、銀にぎらめく刃同様目をぎらつかせながらこちらに襲い掛かってきた。そう! 襲い掛かってきた!

「嘘! ちょっ、待って、信じてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 半泣きになりながら炙が走ってくる方と逆の方に走り出した。

「逃がさんぞ悪党め! って早ぇなあいつ!?」

 無我夢中だったのか神憑きが発動していて距離を離すことができた。そこから外に逃げられれば良かったのだが、パニックになっていて冷静な判断ができず屋敷の奥に奥に走って行った。

「くそ……なんなんだあのガキは……はぁはぁ……葉巻やめよっかな……」

「おいおいどうした炙。そんな息を切らせて、またへたくそな素振りか?」

「おぉいいところに! 侵入者だ! 姉御の命を狙って賊が入り込みやがった!」

「何だと! よりにもよって今か! 姉御は今豊穣の真っ最中だぞ!?」

「そりゃほんとか!? よし、俺はあのガキを追いかけるから、あんたは他の連中を集めてきてくれ!」

「わかった!」

こうして屋敷の中で隼斗包囲網が敷かれ始めていた。


               ・ ・ ・


「はぁ、はぁ、はぁ……なんだってんだよ、一体」

 パニック状態で現状が理解できないまま走ったので初めに入った入口から思いっきり離れてしまった。だが追われている事実だけは理解出来ているので屋敷から少し離れたところにある倉庫と思われる建物の陰に背中を預けていた。

「落ち着け落ち着け、こんな時こそ落ち着いて状況を把握するために一つ一つ確認していこう」

 隼斗の脇にはしっかりと荷物が抱えられている。そしてなぜこんなことになったのか。

 まずは屋敷に入ろうとしたがインターホンがなく音を立てても反応がなかったので恐れながらお邪魔した。

 次にあの炙とか言う男が出てきてこちらの身分を証明しようとしたらいきなりドスを抜いて襲いかかってきた。

 これより導き出される答えは明白。あの男の大きな勘違いである。

「弁護士を呼べ! 勝率百パーセントの裁判を用意してやる!」

 一人理不尽を空に向かって叫んだ。しかし相手はヤクザ者。あの男を見る限り話が通じるやつに会える確率は限りなく低いと考えたほうがいい。

 どうしたものかと考えを巡らせていると

「あ! おい、いたぞ!」

「え? うわわわわ! 仲間引き連れてきてんじゃねぇか!」

 倉庫を回り込んでヤクザが仲間を呼んでこちらに走りこんできた。慌ててヤクザの反対側に走り出したが

「はっはー! ここは通さんぞ!」

 さっきの炙といった男が両手を広げて立ちふさがっていた。

 だが走るのに邪魔なのかドスを腹巻の中にしまいこんでいる。ので

「あれならば……やってやる!」

 精神を集中させて神憑きの力を発動させる。脚に力が溜まっていくのがわかると同時に一気にスピードを増幅させた。

「え? おいおいちょっと!」

 突然スピードが増したことに驚いてあたふたする炙だが隼斗はかまうことなく

「チェストォ!」

「うぐぉばぁ!!!」

 炙の鳩尾に勢いに乗せた右足の蹴りを叩き込んだ。あまりの衝撃で軽く五メートルは吹き飛んだ炙は体をぴくぴくと痙攣させながらうつぶせで倒れた。

「あんたには一発入れないと気がすまんと思っていたところだ」

「炙がやられたぞ!」

「敵は取らなくていいがあの餓鬼はひっとらえろー!」

「畜生! 俺はただ荷物を届けに来ただけなのにぃ!」

 隼斗は再び走り出す。彼の嘆きはヤクザの野太い声にかき消されて儚く消えていった。


               ・ ・ ・


「……なにやら表が騒がしいな」

 パチン

「まーたいつものしょーもない喧嘩やろ。ホンマ飽きんとよーやるわ」

 パチン

「飽き性のお前に言われる筋合いはないと思うがな」

 パチン

「ありゃーいつも通り手厳しいなぁゴローちゃんは。はい角取った」

 パチン

「…………まだだ。まだ勝負は」

「いやいや、もうわしの勝ちやろこれ? ゴローちゃんの白のコマ三つしかあらへんやん。あと置くとこも三つしかないし」

「…………」

「相変わらずゴローちゃんはこの手のゲーム苦手やなぁ、ほなこの大福もらうで」

「…………なぜだ、なぜいつもいつも……!」

 ベキンバキンポキン!

「ちょっとゴローちゃん!? 八つ当たりでオセロのコマをプチプチ感覚でつぶさんといて!」


               ・ ・ ・


 平穏な空気が流れるその傍らでは一人の少年が汗と涙をこぼしながら自らをドスの錆にしようとする輩から死に物狂いで逃げまとっていた。

「だめだ! もう屋外では逃げ切れない!」

 隼斗の脚力があればヤクザを撒くのはたやすいが厄介なのがその数である。

 時間がたてばたつほど溢れてくるヤクザ連中は妙に連携が取れていて、隼斗が逃げるところ逃げるところに現れて追い詰められていく。

 開けた屋外ではすぐに囲まれるようになってきたので、入り組んだ屋内に逃げる覚悟をした。

 とりあえず手近な縁側に足をかけて勢いに任せてふすまを開けて中に入った。

「まずい! あいつ屋敷の中に!」

「追え、追うんだ! 何としてでも姉御のいる豊穣の間には近づかせるな!」

 後ろから様々な怒号が聞こえてくるが気にしているよう余裕はない。とにかくどこか身を隠せる場所を探すことが最優先だった。

 屋敷の中は意外と静かだ。自分を捕まえるためにほとんど表に出ているからであろう。なんにせよこの期を逃すわけにはいかないので手当たり次第に部屋のふすまを開けて進む。

「どこか、どこか身を隠せそうなところは……ん? これは?」

 スパンスパンとふすまを開けていくと窓があった。曇りガラスで中の様子が分かりにくいがおそらく中庭のようなところなのだろう。

「そうだ! 中庭に出てそこから屋根の上に乗ればだいぶ安全じゃないか!?」

 これ以上の名案が浮かびそうにもないので急いで中庭に出る扉を探す。難なくして木製の洋式ドアが見つかったが鍵がかかっていた。

「ええい構うものか! おらぁ!」

 神憑きの力でドアを蹴って無理やりこじ開ける。蝶番も外れてドアが吹き飛んだが目もくれず中に入る。

「な……これは……」

 まず感じたのは鼻を通り抜ける香ばしい土の香り。そして全身を優しく包む清涼な空気。そこは中庭ではなく畑であった。

 屋敷の中に畑があることに疑問を持つのが当然ではあるが、隼斗にとってそんなことが瑣末に思えるほどのものが目に映った。

 その畑の真ん中に女の子が立っていた。身長は百六十あるかないかくらいだろうか、中学生のように思える。赤い髪で箒のように大きく広げたポニーテール、服装は……ない。ありのままに表現すると全裸であった。

 だがそれも意識の外。それほどのものがありながら隼斗の視線と意識を捉えて離さないものがある。

 彼女の腰の辺り。正確にはへそからまっすぐ十センチほど下にいった辺りに本来存在することが許されないものが雄々しく屹立している。


 奇天烈にも彼女の下半身には男も裸足で逃げ出すほどのビーックなイーチモツが存在していた。


「……………………」

「……………………」

 彼女はこちらに気がついたのか顔を赤らめて両手で胸とナニを隠しながら畑の隅に脱ぎ捨ててあった服に向かって走り手につかむと着ることもなくそれらで体を覆ってからこちらに向かって言った。

「……見たな?」

「へ!? あ、いや、その~、な、えっと……」

 さっきとは違った形でパニックになっていたので何を言えばいいか分からなかった。冷静な判断ができないまま頭に浮かんだ言葉をそのまま言い放った。

「み、見事な一振りだったな!」

「記憶を墓場まで持っていけぇ!!!」

 目に涙を浮かべた彼女は服と一緒に置いてあったものを構えてこちらに向けてきた。

「痛っ!」

 プシュっという空気が急に抜けるような音が聞こえたと思ったら胸のあたりに痛みが走った。見てみると胸には小さな注射器のような物が刺さっていた。

彼女が構えたのが麻酔銃でこれが弾なのだと理解する前に意識が遠のいていきそのまま床に倒れていきながら意識は闇の中に消えていった。


               ・ ・ ・


 隼斗は地面がピンク色の場所に立っていて青い空以外は何も無い。

 どこなのかと考えていると地平線の彼方から何かがものすごい数でものすごい勢いで走ってくるのが見えた。

 何かと思い目を凝らしてみてみると赤い髪で全裸(惜しくも大事なところには謎の光が差していて見えない)の女の子の軍団がこちらに向かって駆けてきた。

 若干変にテンションが上がりながら見ていると上のほうから何かゴゴゴゴという音がするので見上げてみる。

 すると天空には肌色のなんとも形容しがたい棒状のものがミサイルよろしく降ってきた。棒状といっても本当にミサイルのような太さであり、これまた数が半端ない。

 降ってきた肌色ミサイルの一つが少女軍団のど真ん中に命中した。すると肌色ミサイルはパァンと手品で聞くような音を鳴らして弾けて少女軍団を吹き飛ばした。

 吹き飛んだ少女の一人がこちらに転がってきて、痛みを感じる間もなくこちらに這ってきて一言。

「うまい棒を墓で見た」

 まったくわけが分からないことをのたまった。そして肌色ミサイルの一つがこちらに突っ込んできた。 その先端から少女がにゅっと出てきて怒りの形相で

「一振りの肉を二人で分け合うヘルシー思考ぅぅぅぅぅ!!!」

 何のことか分からないまま肌色ミサイルは着弾した。俺は腰を振りながら恍惚の笑みを浮かべて吹き飛んだ。俺、フラダンサーになるぅ!

「なに言ってんだ俺ぇ!?」

 がばっと体を起こした。体から嫌な汗をかいている。そして辺りを見回すと見えるのは畳やふすまが見える。どうやら眠っていたようで、先ほどの世にも奇妙なものは夢であった。

「いやいや、夢でもなんちゅうものをみてるんだ……」

「ようやく目が覚めたか」

 背後から急に声がしたので振り向いてみる。そこには

「あ! さっきの奇天烈少女!」

「誰が奇天烈少女よ! 私は 藪鮫(やぶさめ)紅音よ!」

「何だっていいが、おぉ? あらぁ!?」

 立ち上がろうとしてびっくりするほど招けな声で倒れてしまった。原因は体にきつく巻きつけられている縄だ。

「あれ? 俺はなんでこんなことに?」

「あんた自覚無いのか!? 私のア、アレを見てよくもぬけぬけと……!」

「あれ? ……あぁ! あのちん――」

「思い出すんじゃない!!」

「げぶぅ!」

 横になっている俺の腹に思いっきり蹴りを入れられた。少女の細足でなければさっきの炙みたいになっていただろう。

「あれ? 藪鮫ってことは……あんたもしかして」

「ふん、やっと事の重大さに気づいたようね」

 赤髪の少女は冷静さを取り戻して両腕を組んでこちらに向き直る。

「そう! 私こそが古くから代々続く藪鮫組の7代目当主、藪鮫紅音よ! そして」

 藪鮫紅音がビシッ!とこちらを指さす。

「あんたは組の者でさえ知らせていない重大な秘密を知った大罪人よ!」

「な、なんだってー!」

 すごく重要なことを言っているような感じだったからとりあえず驚いておく。

 しかし彼は自分が大罪人であることに大いに疑問を持った。まぁ確かに少女の裸体を目撃したのだから言い逃れはできない。

「あ! おいあんた! 俺が持ってた荷物はどうした!?」

「荷物?」

「そうだ。俺は元々この屋敷に荷物を届けに来ただけなんだ! それなのにあの炙とかいうやつが盛大な勘違いをしたせいで」

「届けに? 炙? いったい何のことを」

「そいつの言ってることはホンマでっせ姫さん」

 別の声が聞こえふすまが開く音がしたので体をひねって見てみると、そこには二人の男が入ってきた。

「飽彦、大吾郎も」

 飽彦と呼ばれた男はべたべたの関西弁を話していて、体の線が細く筋肉があまりついてないように見える。髪はぼさぼさだが不潔には見えない天然パーマ、顔に目が隠れるくらいのグラサンをかけている。

 一方大吾郎と呼ばれた男は体つきががっちりしていてほとんどの人がボディビルダーと思ってしまうような体格をしている。頭は輝かしいスキンヘッド、しかし歴戦の猛者の証かのような左目を縦に割る古傷がより一層彼の物々しさを表している。そして右手には土汚れと打撲の傷でボロボロになった炙が引きずられている。

「姫様。まずはあの豊穣の間に勝手に入室した非礼をお詫びいたします」

「それはいいわ。続けて」

「はい。あそこに入り調べたところこのジェラルミンケースが落ちておりました。これは姫様が我々に依頼していたもので我らがこの物部運送事務所に頼んだもので間違いありません」

「そしてなんでこないなことになったかゆーと、まーた炙の奴が一悶着起こしてましてな。今しがた折檻が終わったところですわ」

 確かに炙は大吾郎に引きずられながらぴくぴくと痙攣している。お仕置きなるものがいかに凄まじかったか一目瞭然だ。

「わかった。こいつの事情はよく分かったし彼にはなんの悪意もないことも分かったわ」

「お、ということは無罪釈放ですか?」

「何を言っているの? たとえ悪意がなかろうともあれを見られたことには変わりはないのだから完璧に有罪よ」

「え!? いやいやいや! あれは事故の範疇じゃないか!」

「そうね。確かにあなたが悪くないけれども、そんなものは関係ないわ。問題はあの秘密を知られたか知られてないか、それだけよ。つまり……」

 藪鮫紅音が傍らに置いてある刀を持ってシュラリと抜くとこちらに向けてきた。


「秘密は知られては秘密でなくなる。裏社会のヤクザ者の掟に乗っ取って、あんたにはここで死んでもらうわ」


 ………………は?

「いや、ちょっとまて。なんで? 理不尽すぎるだろ!」

「だってしょうがないじゃない。あなたは偶然にしろ知ってしまった、恨むなら自分の不運を恨みなさい」

「冗談だろ!? 待ってくれ! 落ち着いて話をしよう!」

「もう会話の余地はないわ。それともなにか気の利いた辞世の句でもある?」

「俺はそんな言葉残す気はない! 死ぬつもりもない!」

「諦めなさい。何か言うなら今のうちよ?」

 藪鮫の持った刀が上段に掲げられる。あとは重力に従って振り下ろせば生首の出来上がりだ。

「く、くぉぉぉぉぉぉぉ! お、恩赦だ! せめて恩赦をくれ!」

「恩赦?」

「そうだ! そちらもあれは事故でそっちの組の奴がやらかしたのだと理解しているのだろう!? ならば俺に少しでもチャンスをくれ!」

 藪鮫は刀をゆっくり下げてしばし考える。そして口を開いた。

「……そうね、確かにあなたの行動はうちの者が引き起こしたものではある。このまま殺せば後味が悪いわね」

「姫様?」

「いいわ、あなたにチャンスをあげる。でもあなたにあげるのはほんの一握りよ。それでもいいの?」

「あぁ、それで死んだら俺も諦めがつく。可能性は決めるものじゃない、自らの手で押し上げるものだ」

「へぇ、なかなかかっこえーこと言うやないか。わし、あんたみたいな奴は嫌いやないで」

「よろしいのですか姫様?」

「いいわ。どの道殺すのならすっきり殺った方がいいじゃない」

 藪鮫は刀を持ったまま出口のふすまの方に向かう。その後ろに続いて男二人も歩き出す。

「少しここで待ってなさい。あんたにふさわしい処刑場を用意してあげるから」

 氷より冷たく言い放って部屋を出て行った。張りつめた緊張感が抜けて起こしていた体を畳に預けるように倒れ伏す。

「なんとか首の皮一枚繋がったが……今日は一段と不幸だなぁ」

 いつもはここまではいかないが人より不幸体質な隼斗はこのようなことは慣れている。故に焦った時でも冷静に対処するように日ごろから心がけてはいる。

「それにしたって今回のはひどいな……神は俺に何をさせたいんだろうな?」

 自分の不幸を神に愚痴りながら迎えの者が来るまでおとなしく横たわっていた。


               ・ ・ ・


 縛られたまま横になってしばらく待っているとひとりの組員が部屋に入ってきた。近くまで寄ってきて縄を解こうとしているのを見るに例のお迎えが来たのであろう。

 組員が縄をほどいて俺を立たせ、背中に拳銃らしきものを押し付けながら歩かせるように指示された。

 複雑な屋敷の中を歩いていくと玄関にたどり着く。靴は履いたままだったのでそのまま扉を開けて表に出る。まず目に入ったのはインターホンがないと困っていた門。そしてなにやら右のほうから騒がしい声が聞こえてきたので振り向いてみるとヤクザ達が広い中庭で集まっている。隼斗が出てきたのに気付いたのかほとんどのヤクザがこちらを向いてビームが出るんじゃないかってくらいのガンを飛ばしてきている。

「針のむしろってのはまさにこれだな……」

 案内役のヤクザにせっつかれているのでヤクザがたまっている場所に歩いていく。

 俺が近づくとヤクザはさらに力強くガンを飛ばしながら道を開ける。すると円になっていたのか真ん中のほうが空いている。まぁ十中八九あそこで何かをするのだろう。そう思い円の中に入っていくと

「へぇ、逃げ出さずにちゃんときたんだ?」

 円の内側、ちょうど自分の真正面に藪鮫紅音が土で作ったかのような椅子に座っていた。その両脇には先ほどの取り巻き二人が椅子をはさむようにして立っている。

「おいおい、逃げるなんて選択肢があったのならもっと早く教えてくれよ」

「悪かったわね。でもその選択をしてもあんたの結末は死のみよ。大吾郎」

「はっ」

 藪鮫が指で示唆して、禿頭マッチョの大吾郎が俺の前まで来た。

「ルールはとても簡単よ。あなたは大吾郎と戦ってもらう、万が一あんたが大吾郎を膝付かせることができたらあんたの命は見逃してあげる」

「なるほど、実に分かりやすい公開処刑だな」

「分かっているのなら覚悟は出来ているのね? ヤクザ者に慈悲はないわよ」

「ルールがあるだけ遙かにマシさ」

 藪鮫と会話しているが隼斗の目線は目の前にいる大吾郎に向けられている。否、向けずにはいられない。一度でも目を離せば瞬時に命を取られるような、人間なのかと疑いたくなるような威圧感を放っている。

「……先ほどの姫様と同じことを言わせてもらおう。残す言葉はあるか?」

「では先ほどの俺と同じことを言わせてもらおう。無いね、俺は生きるんだ」

「そうか、ではせめてもの慈悲だ……楽に殺してやる」

「両者死力を尽くせ、勝者だけが道を歩め」

 藪鮫が口上を述べる。隼斗は神経を集中させて敵の動きに気を配る。

「いざ尋常に……始め!」

 さぁどうしたらよいかと隼斗が考えようとした、が


「ごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」


「                   っっ!!」

 空白。

 あまりの爆音に意識が消し飛んだ。頭の中が台風が通った後のように全てが木端微塵に吹き飛んだ。数秒たって空白になった頭に意識が戻り、正常に機能するころには大吾郎が五メートルほどあった距離を半分以上詰めてきて、腕を振りかぶっている。

「ぐ! ああぁ!」

 意識が飛んだことにより動かなくなった体に必死で鞭を打ち後ろに下がる。

 しかし勢いに乗っている大吾郎相手ではほとんど意味をなさない、なので

「ぬ!?」

 着ていた上着を脱いで目の前に広げる。脚に神憑きの力を蓄えて振りかぶっていない左手の方、前方斜め右に向かって思いっきり飛ぶ。

「く、ぜあぁ!」

 ボバン!!

 大吾郎は上着を障子でも破くかのように貫通させた。だが威力はそんなに生易しくない。その証拠に拳圧で地面がハンマーで思いっきり叩いたかのようにへこんでいる。

 隼斗は着地を考えることなく地面に転がる。間一髪のところで回避した。

 大吾郎は貫通して腕に通っている上着を払い落として隼斗の方に向き直った。

「……まさかあれを躱すとはな、正直驚いているぞ」

「そりゃどーも。でも無傷って訳じゃないんだよなぁ」

 隼斗はしゃがんだまま左の脹脛をさすっている。完全に回避したわけではなく飛んで逃げた時に大吾郎のパンチがかすっていた。

 地面を触れずにえぐるパンチ。かすっただけでも重症は免れないが、神憑きで脚を強化していたおかげでさすって治る程度で収まっている。

「しかしあんた。ムキムキなのは分かっていたが、そこまで化け物じみてはなかったと思うんだが?」

 隼斗が指摘した通り、大吾郎の体は上半身がアメコミヒーローのように現実ではありえないほどオーバーに隆起していた。先ほどまで来ていた服も衝撃で細切れになって元いた場所に散乱している。

「化け物か、まぁそうだろうな。だがそれはお互い様ではないか?」

 大吾郎は隼斗の目をじっと見ている。おそらく向こうもこちらの手札を理解している。

「まいったな……ごり押しで勝てる相手じゃないなこりゃ」

「貴様。名は何という?」

 大吾郎がたくましくなりすぎた腕を組んで問いかけてきた。

「月並みのセリフだけど、相手の名前を聞くときは先に自分の名を明かすのが筋じゃないか?」

「……我が名は鬼塚大吾郎。姫様の御側人にして絶対の盾である」

 隼斗は一息すって立ち上がり言い放った。

「俺は柏木隼斗。ただの小粋なイケメン運送業者だよ」


               ・ ・ ・


 二人が円の中で戦っている様子を見ていた藪鮫紅音と 那滝飽彦(なたきあきひこ)は前者が眉をひそめて、後者がニタニタ笑っていた。

「いや~驚いたなぁ。まさかゴローちゃんのあの必殺コンボを躱してくるとはな!」

「私は大吾郎のあれを見るのこそ少ないけれども、五体満足でいられた奴は初めて見たわ」

 彼、鬼塚大吾朗には組の者なら全員が知っている必勝パターンがある。それが先ほどの一連の動き、戦いの開始と同時に渾身の咆哮を飛ばして相手の意識と戦意を削ぎ、相手が動けなくなっている状態の隙を付いて必殺の右ストレートにて敵を屠る。

 このパターンは相手が初見であることや試合などのタイミングが存在してなければいけないなどの条件があるが、今回のように揃いさえすれば負けることのない技であるはずだ。

 例え意識が戻って回避行動に移れてもそのほとんどが間に合わず重症を負わされて、止めに繋がる、はずなのである。

「ねぇ飽彦。もしかしてあいつ……」

「えぇ。わしもそうなんじゃないかって思とったとこですわ」

「やっぱりね……妙に落ち着いてると思ったら、あいつも神憑きだったのね」

「そうみたいですなぁ、まぁそれだけじゃゴローちゃんと同じ土俵には立てまへんがな」

 鬼塚大吾朗の神憑きの元となる神はアローアダイ。ギリシャ神話の恐るべき怪力の持ち主。だがわずか九歳でオリュンポスの神々に挑み、滅ぼされた豪傑。

 その能力は単純に怪力。全身のあらゆる筋肉が強化される。能力を行使するときに出てくる印は見て分かるとおり上半身が異常なまでに隆起する。

「見たところ彼の神憑きは脚を基本とした肉体強化かな? はは! ゴローちゃんとはよー似てるな!」

「たとえ似ていても、同系統の神憑きなら大吾朗が負けることはないわ」

 何の心配もせず戦いを見守る姫と従者。静かに見守る二人とは裏腹に周りのヤクザは盛大に声を上げて戦いを盛り上げている。


               ・ ・ ・


「えぇい、やかましいな。静かに見ることくらい……出来ないんだろうな」

 隼斗の思い通り観客であるヤクザ達の興奮が冷めることはない。なにしろこれは彼らにとっては試合ではなく公開処刑。ライオンが人間という餌を食べる姿を見ることとなんらかわりはしない。

「では……ここからは小細工はなしだ」

 鬼塚がこちらに向かって走ってくる。肉体強化があるため普通の人よりは速い、がそれだけ。神速で名高い韋駄天の神憑きである隼斗にはハイハイを覚えた赤子のようなものだ。

「(接近戦なんてしようものなら数秒とたたずにミンチにされる、となれば取る選択肢は一つ)」

 隼斗が動く。

「すぅ、は!」

 力を集中させて脚を動かす。隼斗は円の中を凄まじい速さで動き回る。

「……中々の速さだ。持ち前のスピードを生かして俺を撹乱させるつもりだろうが……」

 隼斗の姿が見えない。目を凝らしてもかろうじてぶれる体が見える程度だ。

 そして

「でりやぁ!!」

 完全に視界から消えたところで死角からの強烈な右足の蹴り。

 バアァン!!

 砂袋が破裂したかのような凄まじい打撃音。脚の筋力はもちろん撹乱で出していたスピードを百パーセント乗せた渾身の一撃。たとえガードしていようとも無事では済まない今の攻撃に対して鬼塚は

「生憎、見切れんことはない……が、力量を見させてもらった」

 後ろから右わき腹を狙った一撃は右腕によって防がれている。一般人なら防御した腕ごと吹き飛ばしているが鬼塚相手では倒すまでには至らない。それどころかその体を動かすことさえ叶わなかった。

「くっ!」

 隼斗は急いで鬼塚から距離をとる。もしもあの腕に捕まれでもしたらポッキーのように脚をへし折られても不思議ではない。

「……賢明だな。戦いにおいて中々頭がきれるようだ」

「褒めてくれるならちょっと手加減してくんない?」

「それは出来ぬ相談だ、な!」

 またしても鬼塚が走って距離を詰めてくる。隼斗の攻撃が効かないことを理解したので防御を一切考えず真っ直ぐこちらに突っ込んでくる。

 ひとまず距離を置きながら回避行動に専念する。しかしこれでは確実に隼斗の体力が先に無くなりあっさり殴殺されるだろう。何か決定打があれば――

「……そうだ!」

 隼斗は鬼塚に背を向けて円になっているヤクザ集団を見る。

 そいつはすぐに見つかった。先ほどから誰よりも汚く誰よりも声を張り上げて罵ってきている炙の姿が。

「さっさとくたばりやがれ! てめぇのせいで今日は最悪の日だこのすっとこどっこい! この速いだけの紙切れ同然の貧弱野郎が!!」

 改めて聞くとやっぱりイラッとくるので隼斗は作戦を何の躊躇いもなく決行する。

「早く諦めて殴り倒されろや! そして俺が受けたお仕置きと同じ目に、いやそれ以上の仕打ちを受けろ! このボンクラ頭のチキン野郎! てめぇ金玉ついてんのかこのインポ野ろうがぼらべぎょあぁぁ!!!」

 うるさい炙に一気に詰め寄ってまずは蹴り上げで金的をおみましてから腹に右ストレートを入れて、最後に戻した足で下から顎を蹴った。炙は倒れ伏してビクンビクンしている。

「……炙、自業自得だ……ん?」

 悪態ついた鬼塚はあることに気が付いた。隼斗が起こした行動の意味が。あれはただの八つ当たりではなく

「……得物の調達するためか」

「まぁそうだが、あいつが腹立つもんだからな。暴力はついでだ」

 隼斗は炙から奪ったものを構える。それは炙が持っていたドスだが鞘は抜いていないので見た目はただの木刀だ。

「……抜かぬのか?」

「知らないのか? 一般人はむやみやたらに刃物を振り回さないんだぜ!」

 隼斗はドスを抜かずにそのまま持ち再び疾走する。

 またしても隼斗の姿が見えなくなる。高速の移動、攻撃を見切れると言った鬼塚だが相手は先ほどと違い獲物を持っている。何をするか分からない。

「なればこそ相手の初撃を見切り後手必勝を勝ち取らん」

 鬼塚は動かない、全神経を研ぎ澄ませていずれ自分の身に降りかかる脅威に備えている。その姿はまさに静かに佇む巨石のよう。

 見ている側が長く感じるくらいの硬直状態。しかし実際は一分もかからずにその時はやってきた。

 鬼塚がカッ! と目を見開いて

「そこだぁ!!!」

 豪腕を突き放つ。放った先は真後ろ、体を百八十度回転させて背中に感じた脅威を迎撃する。

 バキィィン!!!

 軽快に物が砕ける音が響く。しかしそこにはドスを振ったはずの隼斗がいない。

 だがそれは投げただけだと思えばなんら不思議ではない。それよりおかしなことがある。それは

「抜身のドスか!?」

 鳴り響いた音は金属が砕ける音。抜いてないドスならば木製の鞘が砕ける音もしているはず。

 隼斗と鞘の行方。これは考える間もなく答えが出た。

 下を見ると、開いた足の間に木の棒が通っている。それは浮いているので後ろで隼斗が持っているのだろうと思った瞬間。

 思考をめぐらす暇もなく鬼塚は盛大に体勢を崩した。

「な、にぃ!?」

 自分に起きたことの把握より、まずは完全に倒れるのを防ぐために体勢を立て直す。なんとか四つん這いになることができ、地面に顔をつけることは免れた。

「おっりゃぁぁ!!」

 右側から隼斗が足を振り上げている。手は地面につけているので防御は間に合わない。

だから

「ふん!!」

 体を力ませる。どこに攻撃が来るかが分かっていれば腹の下、丹田に力を込めて耐えようとすることはできる。

「力を入れても、無駄だぁ!!」

 ボールを蹴るように足が振り抜かれる。直撃した足は鬼塚の体にめり込んでいる。

 完璧なまでのクリーンヒット。手ごたえとしては骨はもちろん内蔵すらも耐えられない一撃である。


 が、動じない。鬼塚は悲鳴を上げるどころかその場から一ミリも動くことはなかった。


「な、なに!?」

 鬼塚は攻撃が無為に終わって驚いているその隙を見逃さなかった。

 右腕で隼斗の胴体をつかんでそのまま自分の目の前の地面にたたきつける。

「ぐぼあぁ!!」

 背中を強打して肺の息を吐き出させられる。鬼塚は文字通り息の根を止めるかのように左手で隼斗の首を掴んで抑え込み、身を乗り出してマウントポジションをとる。

「ぐ、がぁ、あぐがぁ!」

「……しかし、してやられたな」

 自由に息ができない隼斗に構うことなく話し始める。

「抜かないなんてハッタリをかまして抜身のドスを投げる。しかしそれすら陽動。本当の狙いは鞘で俺の体勢を崩す、か。まさかあんな簡単に崩れるとは思いもしなかった」

 実際隼斗が行ったのは鞘を足の間に通してそのまま横に回転させる。相手が巨体であって意識が他のことにいっていれば意外と簡単に相手を転倒させることが出来るのである。

「……そしてその後の一撃。タイミングも狙いどころも完璧。だが唯一の誤算は俺の神憑きを読み間違えていたことだな」

 先ほど藪鮫と飽彦は似たような神憑きだと言っていたが厳密には少し違う。

 隼斗の神憑きは脚力の強化。

 鬼塚の神憑きは単純に怪力。

 印で上半身が隆起しているせいで腕力の強化のように見えるが、実際は全身の筋力強化。なので先ほどの一撃は能力で底上げした筋肉の鎧によって阻まれていたのである。

 だからと言って完璧に防ぎ切れたわけではない。実際鬼塚は少し息が乱れてるし、蹴られた横っ腹は赤くなっている。ただ鬼塚が予想を上回るほど規格外すぎただけだ。

「さて……なかなか悪くはなかったが、これで終わりだ」

 鬼塚の右腕が上に上げられる。畳の上に転がされて生首にされそうになった状況と全く同じだった。

「くぁ、が、ああぁ!」

 必死に拘束から逃れようと足を動かす隼斗。しかし左腕は全く力が緩まる気配はなく、むしろ時間が経つごとにウインチを回す万力のようにギリギリと締め上げられる。

「無駄だ。この体勢ではいくら脚力があろうと満足に力は出せん」

 その証拠に背中を蹴ろうとしても届かず、地面に足を着けたり叩いたりしているが腹にずっしりと鬼塚が座っているので少しも動かない。

 鬼塚はそれ以上何も言わずに右腕に力を込めている。

「(くそ! 何か、何か手はないのか!? 早くしないと……)」

 しかし隼斗は首を絞められて呼吸がまともにできない状態なのでしっかりと頭が回らない。起死回生の策を考えられる状態ではない。

 そしてその時は来た。鬼塚が眉間に寄せたしわをより一層よせて腕を振り下ろす。地面を触らずにえぐる腕力だ、隼斗の頭蓋骨など豆腐を潰すようにぐちゃぐちゃにされるだろう。

 走馬灯はなかったが、自分に死をもたらす拳が近づいてくる様子がスローモーションのように見えた。

もう何しても間に合わないことを悟り、目を閉じてその時を待つ。

 あと一センチ、あとコンマ一秒で拳が顔に到達するところで


「そこまで!!!」


 何者かの声が聞こえ、何かと思い考えると、自分がまだ考えられることに気付く。

 なぜかと思い目を開けると、まさに隼斗の目の前に止められた拳が存在していた。

「姫様、どういうことでしょうか?」

 鬼塚が戦いでも見せなかった困惑した表情をしている。

「考えていて時間がかかったけれども、そいつの勝ちよ」

「な!?」

「ありゃー。そうしちゃいますかー」

 鬼塚は隼斗から離れて藪鮫の元に向かった。

「何故ですか!? 奴は多少奮闘しましたが、ご覧のとおり虫の息です!」

「そうね。だけどあんた、 膝付いたじゃない(・・・・・・・・)

「っ!?」

「まぁ確かに勝負の前にルール説明で膝付かせれたらってゆーとりましたな」

「は、はは……まさか、かけていた保険が役に立つとはな……」

 隼斗はルールを聞いたときに気が付いてはいた。ただヤクザに通用するとは思わなかったが、一様保険として考えていた。

 その結果が先ほどの作戦。鬼塚をこかして屁理屈を言えるようにしていた。

「……俺は構わないのです。姫様がお決めになされたことですから」

「問題はあの秘密を直に見られてこのままでえーんかってことですわ。わしらにも面子ってもんがありますし」

「それなら問題ないわ、ちゃんと相応のことはしてもらうから」

そう言うと椅子から降りてこちらに向かって歩いてきた。事態が飲み込めないのか周りのヤクザ達はざわついている。

「一応ごくろーさま。大吾朗相手にサシであそこまでやれたのはあんたが始めてよ」

「そりゃ、どーも。で? 俺の勝ちならもう帰っても構わないか?」

「いいえ。一応あんたの勝ちにしてあげたけど、あんな屁理屈で済ませる問題じゃないのよ?」

「なんだよ。じゃあ俺は何をすればいいんだ?」

「えぇ。あなたには……」

 藪鮫はさっき名乗ったときのようにビシッとこちらに指を指して言った。


「私の組に入って御側人として私を守ってもらうわ!!」


 こんどこそ意味が分からなかった。とりあえずさっきから悲鳴をあげつづけている体が限界に近づいてきたので寝てしまおうと思った。

 地面に頭を預けて寝る。それが苦にならないほど疲弊しているのを実感しながら隼斗は意識を手放した。


               ・ ・ ・


 隼斗は自主的に寝ていたつもりが気絶していたらしく、その後屋敷に運ばれて介抱されていた。

 そして数時間後に目が覚めた。今度は訳の分からない夢は見ることはなかった。

「ん……ここは……」

「あ、起きた? どう体の具合は?」

傍で声が聞こえたので振り向いてみるとそこには藪鮫紅音がいた。デジャブを感じるような気もするが相手の反応が穏やかなので真にそうは感じなかった。

簀巻きにされていた時はそれどころじゃなくて気にしなかったが、藪鮫の格好は祭りで着るようなはっぴに胸元はさらしを巻いていて、はっきりとは明言しないが胸は慎ましい貧にゅ……品乳だ。

ズボンは土木作業員がはいているようなサイズが一回り大きいものだ。どれを見てもなかなか奇抜な格好をしていらっしゃる。

「えっと……ここはさっきの部屋か?」

「そうよ。あの後あんた気絶しちゃったからここに運んだのよ。神憑き相手にして気絶で済んでるのはすごいけどね」

彼らは普通に神憑きという単語を口にしている。どうやらこの組織では普通に認知されているみたいだ。

「さて、まず何から聞きたい?」

「あぁそうだな、ではお前が男か女かをはっきりさせておこうか?」

「はぇ!? そ、そこからなの!?」

藪鮫が顔を赤くしてうろたえる。聞いた本人は冗談が言えるくらいには回復している。

「ま、まぁいずれ話すつもりではあったから順番が変わっただけだわ……あんた、神憑きの知識は?」

「大丈夫だ。基本的なことなら知っている」

「そ、なら話は早いわね。言ってしまえば私は正真正銘女よ。そして私は神憑きでもある」

そういいながら藪鮫は近くにあった盆栽を手元に寄せる。

「私の力のもとになっている神はエジプト神話のミン。その能力は豊穣。どんなものかというと……」

藪鮫は盆栽に掌を向けて力を込める。すると盆栽の木はみるみるうちに活き活きとしてきて、やがて葉っぱがどっさり生えてもさもさになった。

「このように植物なら簡単に、そして高速で育成・栽培できる。まぁ能力はこの辺にして、私が言いたいのは神憑きの印」

「あ、なるほどな」

「察してくれたようで助かるわ。神ミンは豊穣の証とも言える具体的なものを持っていた。それがそのまま印として私に表れるの」

納得した。それは確かに例え組の人間にも隠したくはなる。ましてやそれを見られたのだから目撃者を消そうと躍起になるのも納得である。

「オーケー事情は分かった。事情が分かったところで改めて謝罪しよう」

 布団をのけて正座をする。そのまま頭をおろして両手を前に。日本伝統の非礼をわびるポーズ、ドゥゲザをして

「あなたの大事なアソコを見てしまってすいませんでしたぁ!!」

「あんたそれワザとやってんならドスであんたの急所切り落とすわよ!?」

 怒られた。本人は誠心誠意やっているつもりである。

「いや、ほんとに悪かったと思ってるって」

「どうだか……さて、他に聞きたいことは?」

「では気絶する前のあんたのセリフについて聞こうか?」

「あぁあれね、簡単よ。あんたには私を守ってもらうの」

「いやだからそれが分かんないんだって、お守りならあの二人がいるだろう?」

「それなんだけどね……あんた学校はどこ行ってるの?」

「学校? 俺は学校行ってねぇんだ。両親がいないからな」

「へ? そうなの? じゃあ今どうして食べていってるの?」

「知り合いのところで働かせてもらってる」

「あ、それでナントカ運送事務所に結びつくのね」

 隼斗は物部運送事務所だと訂正しようと思ったが話が脱線しそうだったのでやめておいた。

「あんた、護衛はあの二人がいるっていったけど、あの二人が学校に来たらどうなると思う?」

 あの二人が学校にやってきたらどうなるか、隼斗自身は小学校までしか行ってないから想像しにくいがおそらく生徒の大体が委縮して居心地の悪い学園生活を送ることになるだろう。そもそも校門あたりで不審者として止められてもおかしくはない。

「理解できたようね。だからあなたには私が学校に行って護衛が全くない状態を埋めてほしいのよ。あの二人じゃ生徒はおろか、保護者としても怪しいしね」

 そういわれて隼斗はあの二人が生徒の姿を想像したがあまりにも違和感の塊が半端ないので、すぐに想像したものを頭から消し去った。

 そのまで想像したところでふと、初歩的な疑問が頭に引っかかったので質問する。

「え? あんた、学校行ってるの?」

「なによ? おかしいの?」

「いや、ヤクザの方も学校って行くんだなーと……」

「すさまじい偏見ね! あたしだって立派な高校生よ!」

「コウコウセイ!?」

「ぶっさ刺してやるわ! 誰か、ドス持ってきなさい!!」

「わー! 俺が悪かった! だから怒りを鎮めてくれ!」

 うっかり口が滑ってしまった。いくら本人の発育が発展途上だからといって中学生と間違えたのは失礼だった。

「えーと、つまりあれか? 俺の起こした事故を見逃す代わりにあんたの護衛をしろと?」

「失礼な割には理解が早くて助かるわ。そうと決まれば、後藤!」

『はい。なんでしょう?』

 どこから声が聞こえてくるのかと探していると、天井のかどに和室に不釣り合いな四角い箱のようなスピーカーが取り付けられていた。

「さっき戦っていた彼を私の学校の護衛にするわ。入学手続きをお願い」

『へいへい、入学試験は?』

「あんたならうまくパスにでも出来るでしょう?」

『えー、それくらい何とかならないんですかぁ? あれめんどくさいんですよねぇ』

「うだうだ言ってるとあんたの小遣いからあんたが使った電気代を差し引いてもいいのよ?」

『分かりました分かりましたやりますから勘弁してください、では』

 ボソボソとしたしゃべり方の後藤と呼ばれた奴は話し終えたところで電源を切ったのかスピーカーからはブツンという音が聞こえ、それ以来何も聞こえなくなった。

「えっと、今のは?」

「うちの組の電子系担当の後藤。優秀なハッカーである以外はただの引きこもりよ」

 最近のヤクザはそっち方面も充実しているらしい。時代の流れというものは実に恐ろしい。

「転校の書類とかはまた後日、届き次第渡すわ。あんた、連絡先は?」

「事務所で大丈夫だ。俺はそこに住んでいるから出られるよ」

「了解。他に質問がなければ今日のところは帰っても大丈夫よ?」

「そうか。ならお暇させてもらおう。怪我の治療、あんがとな」

 帰宅のお許しが出たので立ち上がり出口に向かって歩き出す。怪我は目立った外傷もなく、やっぱりひどく疲弊していただけのようだ。

 部屋を出ようとふすまに手をかけたところで

「……反抗しないのね」

 藪鮫に一言言われた。

「ん? どういうことだ?」

「いや、ね……ヤクザの頭の護衛だなんて、もうヤクザになったようなものじゃない。普通ならヤクザになるなんて冗談じゃない、くらいは言うかと思っていたのだけれど、あんたはこっちが拍子抜けするくらいすんなりと受け入れたから」

「あぁ。まぁ確かにヤクザになるのはまっぴらごめんだけどな。でも……」

 隼斗は体を今一度藪鮫の方に向きなおす。

「俺は事故とはいえあんたの秘密を見てしまった。それでもあんたは俺に猶予を与えてくれたし、その上屁理屈でルールを曲げてでも俺の命を繋いでくれた。たとえどれもこれもがヤクザの理不尽が原因だとしても俺はあんたに感謝している」

 それは理屈であり、屁理屈。

「ヤクザの掟を捻じ曲げてでもたった一人の人間の命を守ってくれたあんたにな」

 藪鮫は面食らった。あれだけ容赦なく首を落とそうとした、人知を超えた力を持つ部下を差し向けた相手に対してこの男は感謝しているといったのだ。

 藪鮫は不意に恥ずかしさから顔が紅潮していくのが分かった。

「バ、バッカじゃないの!? 感謝なんて必要ないわ! これから馬車馬のように働いてもらうんだから!!」

「はいはい、せいぜい守らせてもらいますよ。姫様」

「茶化すな! ……紅音でいい」

「ん?」

「正直こそばゆいから紅音でいい。あの二人は言っても聞かないけど」

「そっか、じゃあな紅音」

 隼斗は今度こそふすまを開けて部屋を出た。

 紅音はしばらくの間何をするでもなくぼーっとしていた。給仕の男が呼びに来るまで心ここに非ずの状態が続いていた。


               ・ ・ ・


 意気揚々と帰るといったものの迷路のような屋敷を適当に歩いていると案の定迷ったが監視カメラで見ていたのか後藤さんがスピーカーで道案内してくれたおかげで何とか玄関までたどり着けた。

 玄関には隼斗の靴が綺麗に並べてあったが靴の中に画びょうが仕込んであったので丁寧に取り除いた。犯人は恐らく炙なので今度蹴り飛ばそうと思い心にメモをした。

 屋敷の玄関から門までの長い砂利道をありきながら思う。なんだかんだ色々あったが仕事であった荷物の配達は無事に完了した。

 その無事が自分にヤクザの頭の護衛という新しい肩書がつくことと引き換えだと思うと釣り合ってないように思えるが気にしてはいけない。ヤクザを怒らせて五体満足で生きているだけでもマシなのだ。隼斗は自分に言い聞かせるように己が内で答えた。

 無事に帰りの門を開けられることを実感しながらギギギと軋む門をくぐる。

 インターホンがないと嘆いていたがよくよく見ると監視カメラとスピーカーが存在している。見ていたのなら対応してほしかったと思った。

 今更言ってもしょうがないので門の脇に止めていた自転車に乗って事務所まで帰ろうとしたその時、あるものが目に入った。

「眼鏡……眼鏡はどこだ……困ったなぁ」

 灰色のスーツを着た若い男性が地面に膝をついて手さぐりで何かをしていた。

 セリフからして眼鏡を探しているのだろうがよほど視力が悪いのだろう、手さぐりで探している丁度目の前、ほんの一メートルくらいのところに眼鏡が落ちている。

 この状況を見て手を差し伸べないほど隼斗の心は非情にできていないので、自転車から下りて眼鏡を拾って声をかけた。

「あの、お探しの眼鏡です。どうぞ」

 男性は見えないながらも声がする方をみて眼鏡を受け取った。

「ありがとうございます! いやぁ助かりました!」

 男性はこちらの手を握って感謝の意を伝えてきた。こんな海外ドラマみたいなことをする人がホントにいるんだなと思った。

 改めて男性の顔を見てみると、あまりにも整いすぎて嫉妬するのも忘れるくらいの美男子だった。

 男前ではなくイケメン。しかもしかるべき恰好をすれば女性に見えてもおかしくない中性的なイケメンだ。

「い、いえ、大したことはしてませんよ」

「そんなことありませんよ! 私、一度こうやって眼鏡を落とすと見つかるまで大変なんですよ……」

 男性はサラリーマンがよく使っているような手提げ鞄の中身をゴソゴソ漁り、何かを見つけたのかこちらに差し出してきた。

「私、この町の市役所に勤めています 否断一針(いなだちいっしん)と申します」

 否断と名乗った男は両手を使って丁寧に名刺を渡してきた。

 この男性を知っているわけではないが、彼が勤めている市役所なら心当たりがある。

 この町の人なら割と有名な市役所、というより市役所の中にある相談窓口が有名なのだ。

 町のことならどんなことでも親切丁寧に答えてくれて解決までしっかりとサポートしてもらえるとか、中には恋愛相談や孫の誕生日プレゼントの検討までしてもらえるなどの噂はよく耳にする。

「もしかして、相談窓口の係りだったり?」

「いえいえ違います。あそこは私では役不足ですよ。あっと……こんな時間か」

 否断さんは腕時計を見てから先ほどあさった鞄の口を閉めなおす。

「ほんとにありがとうございました。また何かありましたら市役所までどうぞ。では」

 そう言って軽くお辞儀をしてから小走りで去っていった。

「あぁ……善い行いをするっていいなぁ」

 先ほどまでどす黒いヤクザの邪気にあてられ続けていたので、彼から貰った感謝がいつもより眩しいものに感じていた。

「さてと、そんじゃちゃちゃっと帰って仕事の報告しますか」

 再び自転車にまたがり行きとは打って変わって軽快にペダルをこいで帰路へとついた。


               ・ ・ ・


「ぶわはははははははは! いやぁお前はホント見ていて飽きねぇなぁ!」

「笑い事じゃないねぇよ……」

事務所に戻った隼斗は仕事の報告(あんなのでも仕事中であった)をして物部に盛大に笑われていた。

「ただいま戻りました……あら? 隼斗君、お帰りなさい。所長は今すぐその下品な笑いをやめていただかないと口に石を詰めますよ?」

「くひひ、だってよぉ! こいつ配達に行っただけでヤクザになって帰ってくるんだぜ!? これが笑わずにいられるかよ!」

「ヤクザ? ……隼斗君、事情を話していただけますか?」

「えぇ……実は……」

 配達に行ってから門を出るまでのことをかい摘んで説明した。

「えっと……ご愁傷様です」

「見切りが早すぎるよ麗さん!」

「冗談です、実際どうするんですか? 学校、行くんですか?」

「えぇ、まぁ。なんか話がトントン拍子に進んで行って入学手続きがどうのとか言ってたから選択の余地がないように思いまして……」

「隼斗君。これは仕事中に起こったことで、責任はあそこでひーひー言ってる間抜けな所長にあるんですよ? だから嫌だったらこちらで対処しますよ?」

 麗が救いの手を差し伸べてくれたが、隼斗は

「大丈夫ですよ麗さん。学校に行くだけですから何とでもなりますよ。まぁあんまりにやばかったらお願いします」

「……分かりました。一人で抱え込まないで下さいね」

 麗は渋々ながら納得してくれた。曲がりなりにも自分が起こした不祥事で迷惑はかけられないと思ったからだ。

 その時所長の机に置いてある黒電話がなった。古い型の電話でボタンではなく指を引っ掛けて回すタイプの奴である。何を固執する理由があるか分からないが一向に買い換えようとしない。

「はいこちら物部運送事務所です。ご用件は?」

 そしていつも通りのけだるそうな対応。麗も毎度のことなのでもう突っ込みもしない。

「はい、はい……えぇいますよ。今変わります。隼斗、てめぇに電話だ」

 そういうと物部は受話器をこちらに渡してきた。

 何だか予想は付いていたが受話器を受け取って返事をする。

「はいお電話変わりました、柏木です」

『薮鮫よ、待たせたけど入学の手続きが終わったわ』

「早いな!? まだ数時間しか経ってないじゃないか!?」

『あれ? そこに驚くの? てっきりあたしからの電話に驚くと思ったのに』

「俺にかかってくる電話なんて悲しいことにお前くらいしかいねーよ。で、俺はどうすればいいんだ?」

『明日からあたしと一緒に登校してもらうわ。だからあんたがあたしの家まで迎えに来てね』

「あいわかった。七時くらいか?」

『八時くらいでいいわよ。あ、でも明日は制服に着替えないとだから少し早めに来なさい』

「委細承知。ではまた明日な」

『え? あ、ちょっと! まだ話――』

 ガチャン、チンという昭和じみた音と共に電話を切った。まさか明日からだとは思いもしなかったな。

「で? ヤクザのお嬢ちゃんは何だって?」

「えぇ明日から早くも学校デビューらしいです。仕事はどうしたらいい?」

「いいよ別に。てめぇなんていてもいなくてもさして変わんねぇよ」

「へーへー。じゃあとっとと寝させてもらいますよー」

 お互いに悪態をつきながら隼斗は自分の部屋へと向かった。

 自分の部屋といっても他の部屋と大して変わらないくらい物がない。違いがあるとしたら埃がかぶってるかそうでないかくらいだ。

 隼斗は無趣味が全面に現れているのであまり好きではない。かといって何を置こうかと考えると何も浮かばない。

 だが学校に行ったらこの簡素な部屋も少しは散らかるかもしれないと一縷の期待を胸に秘め、一日の疲れをそぎ落とすかのように風呂に入ってから眠りに付いた。

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