結界と米
できうる限りの記録をとった俺たちは、再び移動を再開した。
ただしサイカさんたちから提案があり、通路とおぼしき場所に結界石を置いていく事になったけどな。
「まさかと思って用意してきたニャ。これを使うと今後の予定に影響があるニャけど、アマルティア探索の元にするニャら損どころか大儲けになるニャ」
「大儲け?」
「元々この結界石は、タシューナンのトンネルに何かがあった時に提供するために持ってきたニャ。1kmごとに一組で設置するようになっていて、48km分あるニャ。……マァぶっちゃけると、お姫様経由でタシューナン政府に出資させる目的で用意したものニャ」
「そりゃご愁傷さまで」
「いいニャ。結局使わず終いになるかもだったからニャあ」
それにしても、よくできた結界石だった。
ひとつひとつ何らかの封がなされていて、通路の両端に1kmごとに設置していくらしい。そうする事で相互にも影響を与え、結果的に通路全体を強力な結界で守るというんだけど。
「中央大陸の幹線道路にも同じ結界石があるニャ。商人が販路を開拓する時に使うもので、古くから伝わる伝統ニャよ」
『遺失文明時代の設計ですが、今となっては製法以外の理論は人間種族からは失われているようです。しかし機能は当時そのままに作られ続けているのです』
「……すごいもんだな。それで、さっきのデカいムカデとかも防げるの?」
「あれはとんでもないニャけど、それでも野生の魔物なら充分に防げるニャ」
『遺跡のガーディアンのようなもの、あとあいりすさんや自分たちのような眷属には効きません。しかし野生の魔物や魔獣には充分な忌避効果があります』
「なるほどなぁ」
サイカさんの言葉と、頭にこっそりと響くルシアの言葉の両方に俺は頷いた。
「野生と、そうでない者の境界線って何だろう?」
「たとえが悪いニャけど、さっきのムカデと、アイリスさんを比べればわかる事ニャよ?」
「あれとアイリスを?」
ルシアと同じ事をサイカさんまで言い出したのは、はたして偶然なのか?
「あのムカデは野生の本能で生きてるニャ。だから、これはヤバいと思った結界には近づかないニャ。
だけどアイリスさんは、それが通路を安全に守るための仕掛けと知っていて理性的に利用できるニャ。
つまり、違いはそこニャ」
「野生だけに頼る者はそこで引き返し、理性をもって行動する者は、それが何かを理解すると?」
「そういう事にゃ……まぁ、ニャからラシュトル族のいる地域はちょっと困るニャ。彼らは魔物じみた外見に反して全く理性的で平和的ニャんで、結界が効かないニャ」
「あー、彼らか」
「お、ハチさんも彼らにやられたクチかにゃ?」
「当時はアイリスがいませんでしたからね……実はその件でドラゴン氏、つまりアイリスのマスターである真竜様と知り合ったわけなんで」
「なるほどニャあ」
好奇心のままに大量にまとわりつかれたのを、食われそうになったと勘違いして半泣きで逃げたあの時を思い出す。
「これでよし、ここもできたニャ」
結界石を設置し終わったサイカさんが、ためいきをひとつついた。
「これで何個だニャ?」
「28セットになる。やはり今日中には無理だな」
マーゴさんが嫁さんの愚痴に答えた。
「さすがに警戒しながら1kmごとに置いていくのは堪えるニャ。けどやめるわけにはいかないニャ」
「やめたら何か問題出るのか?」
何か設置上の問題があるんだろうか?
「設置上の問題はないニャ。けど、ここで安全に宿泊しようと思ったら、ガチガチに結界を張ってビバークになるニャ。誰かが起きてないとダメニャし、大変ニャよ?」
「ああ、そういう事か」
ぽんと手を叩いた。
「アイリス、ここの中でウチの結界使った場合、どんな感じだ?サイカさんたちも包めるか?」
ウチの結界という言葉はもちろん、ルシアたちを含む意味がある。
で、その意味を正しく汲みとったアイリスは大きく頷いた。
「いつもどおりで問題ないよ。まぁ、悪意結界の外に動物避けも張るけど」
「だ、そうだけど。どうする?野営するなら一緒するけど?」
「是非よろしくニャ!」
旦那さんも引く勢いでサイカさんが食いついてきた。
「その代わりといっては何ニャが、どんな質問でも応えるニャ。食材も出すし、あと論文の代筆もついでにするニャ!」
「代筆て……俺の名前で出すって事?」
「ウチの名前も調査協力として入れるニャ。そうしておかないと、後でこれを調べたい学者に余計な手間をかけさせるからニャ」
なるほど、しっかりしてるな。
ん、ちょっと待てよ?
「食材?」
「東大陸には異世界由来の食材が多いニャ。ウチらがメファスと呼ぶもの……おコメと言えばいいニャ?もちろんあるニャ」
「おお、こちらこそよろしく!」
「合点承知だニャ」
「……」
俺とサイカさんのやりとりを見て、何かアイリスが苦笑しているのが印象的だった。
いや、だってさ。米だぜ米。あの村で見るだけは見たけど、結局買わず終いだった米だ!
ふふふ、ふふふ……さあ食うぞコンチクショー!
35km地点まで進んだところで、今日は野営にする事となった。
ちょうど、そこは広くなっていた。おそらく古代なら何らかの設備があったんだろうけど、今は何もない。そこだけまるで郊外の大型スーパーの駐車場の如く広くなっていて、俺たちはその一角に車をとめた。
「もう車は動かさないで。ここを中心に結界を作るけど、車を動かすと最悪、解除とみなされるから」
「わかったニャ……それにしても凄いニャこれは」
「結界が?」
「そうニャ。本当に探索向きのチームだニャ。できる事ニャら専属になって欲しいくらいニャ」
無理だとわかっているが、とサイカさんは微笑んだ。
「こうしてハチさんを見ていればわかるニャ。
ひとところに収まるのが苦手で、無理にとどまると後を濁すタイプにゃ。ならば普段は好きに放浪してもらって、手が欲しい時には依頼するのが賢い選択ニャ。幸い、ギルド関係につながりを持っているようニャし」
ほう。そうきたか。
と、そしたら珍しい事にアイリスが問いかけた。
「捕獲しておこうという発想はないの?一部の国はそうしようとしたようだけど?」
「空を飛ぶ鳥の目が欲しいのに、その鳥を捕まえてどうするニャ?」
クスクスとサイカさんは笑った。
「ウチらは空をとべニャいし、鳥は空を飛べるニャ。空から俯瞰して何が見えるかを鳥に聞きたいわけニャから、その鳥は当然、好きに飛びまわってくれないとむしろ困るニャ。違うかニャ?」
「なるほど、違わないわね」
むう。
あまり他人と話す事のないアイリスなのに、珍しいな。
サイカさんとアイリスはこうやって、時々なぞの議論をする。俺がネタになっているのはわかるんだけど、妙に言い回しがこの世界的で、翻訳されている俺の耳には掴みにくい事がしばしばある。直訳されているけど意味がわからないというか。
今の会話もそうだ。たぶん鳥に関わる何かの逸話をモチーフにしていると思うんだけどね。
「さて、ハチさんこれがメファスにゃ。使ってみるかニャ?」
「うお、いきなりいいのか?」
空間魔法でポン、とサイカさんが取り出した陶器のツボは、何かの魔法的な封印がしてあった。
「陶器のツボで運ぶんだ。これはまた珍しいな」
「タワラというやつもあるニャけど、大きすぎるからニャ。ウチらの本来の仕事は販路開拓にゃから、持っているのはサンプルにゃ。それでツボに入っているニャ」
「なるほど」
そりゃそうか、組織のトップだもんな。
「見ていいかい?」
「封印のかけ直しがあるから、ウチが開けるニャ」
「お、おう」
そう言うと、サイカさんは何か唱えて、そして封をあけてくれた。
「おお……米だ」
念のために左手を出し、ルシア妹に調べさせた。
『メファス・ファルン』エマーン東部産
日本的に言うと『うるち米』である。組成としては、沖縄のでいご米に近い。
おっとマニアックな。そこで、でいご米を例えに出すかね。
でいご米っていうのは沖縄の地場産のお米だ。おいしくないって話だけど、そりゃ日本人むけに品種改良と淘汰されまくった内地米とくらべての話だろ。はるかな異世界で出会う米だし、もち米でなくうるち米に出会った事自体を驚くべきだと思うが。
「どうにゃ?」
「あえて日本人目線で厳しく言えば70点てとこです。百点満点で」
「ほう……」
「何合かもらって炊いてみますね。ちなみにこっちじゃ米をどう使うんです?」
「蒸し米が多いニャけど、少ない水で煮る地域もあるニャ。焦げ目がないように微妙に調整するのが面倒ニャけど、出来上がったものは、なかなかおもしろいにゃ。こぶし大に握って色々中入れると持ち運びに便利ニャ」
「おっと、握り飯あるんだ。いいね!」
使い方や食べ方が近いという事は、味やら食感も似通っている可能性が高いって事だ。
しかも原始的とはいえ炊飯するのか。うるち米が開発されているのも、その関係か?
ちなみに電気炊飯器を世界で最初に採用したのは旧日本陸軍だそうだ。シベリア出兵の際にあまりに寒すぎて旧来の炊事マシンが使えず、だったらどんな環境でもメシが作れるようにしてやるぜと知恵を寄せあって発明したという。まぁ、当時は色々と問題があり家庭用とは言いがたかったらしいけど、これらの技術が後に民生用に身を結び、戦後の電気炊飯器発売に向かっていくわけだ。
ちなみに当時の陸軍じゃ、寒い大陸でも士気を維持できる、素晴らしい新兵器と賞賛されたらしい。開発された炊事車は機動部隊に随伴し、走りながらでも一時間に四百食を作り上げたとか。
そこまでいけば、もはや戦術さえも塗り替えるだろう。なるほど新兵器の名は伊達じゃなかったわけだ。
話を戻そう。
「これは……久しぶりに一切自重なしでやってみるかな?」
「どうするの?」
「炊飯器でやってみる」
電気炊飯器を持ってきた。俺が知るかぎり一番お気に入りの、某、鼻の長い動物印のヤツだ。
「動力源は……魔力で何とかするか」
「この不思議な機械は何だニャ?」
「電気で炊飯する機械ですよ。ここには電力がないですけど、俺の魔力で誤魔化して使ってみます」
「おお。見ていていいニャ?」
「いいけど、たまにちゃんと知らせてくれるから問題ないですよ?」
日本人の食にかける熱意は半端じゃないからな。あれよあれよという間に魔法のような進化をとげちまった。
大昔の自炊旅行の思い出から即席の流し台を作り上げ、水を流す。そこで米を洗い、そろそろいいかと炊飯器に戻す。
「米の質が俺の世界と少し違うんですよね……二台に分けてみるか」
全然違う時代の炊飯器をもうひとつ出した。こっちは古い時代の松下製で、俺が生まれる前に全盛だったもの。小さい時の思い出にあるんだよな。
「ふたつにわけるのは、出来上がりを比べるためかニャ?」
「ええ、そうです」
さすがにサイカさんはわかっているようだった。
どちらも電気炊飯器なので、あとで動かして放置するだけでいい。仕掛けたところでおかずにとりかかった。
「って、魚使いたいけど切れてるな。うーん……」
「干物でよければある少しあるニャよ」
「お、さすが猫人さんだ。トゲピーある?」
「ほう、その名で覚えているとは通だニャ。あるニャけど中央産でなく東大陸の養殖ものだニャ。それでもいいかニャ?」
「養殖やってんだ。ちなみに味の違いは?」
「ほとんどニャいと言いたいけド、油のノリが少し足りないとかもだニャ」
「ほう。オッケー、そのへん含めて検証してみるか」
「料理法はどうするニャ?」
「素材そのものを知りたいから、焼き魚で。タレの類はどうします?こっちは醤油があるけど……」
「ほう、まさか異世界の醤油かニャ!?」
「こっち産もあるの?」
「あるニャ」
「まさか魚醤……」
「ナムプラーにゃ?それはエマーンじゃ作ってないニャ」
「いや、それはいいの。焼き魚にはやっぱりこっちの醤油が……」
「……」
そんな俺達たちのケンケンガクガクを、アイリスは何か面白そうに見ていた。




