昔話
アマルティア。
その、なんだかよく聞くような聞かないような、どこぞの学者さんみたいな名前の国は、ずーっと昔にあったらしい。
どのくらい古いかというと、ドワーフよりも古いくらいで……。
「ちょっと待て、ドワーフより古い!?」
「その通りニャ。だから伝説だと言ってるニャ」
「いわゆる古代遺失文明、そんな感じかな?」
ふむ。サイカさんとアイリスの微妙な温度差が興味深いな。
考えてみれば、アイリスの背後にはドラゴン氏がいるわけだからな。人間種族にとっては伝説でも、ドラゴン氏にとっては伝説じゃないのかもしれないな。
けど、おそらくアイリスがそれを言う事はない。もしかしたら俺にすら言わないかもしれない。
なんとなくだけど、そんな気がする。
「少なくとも五千年、もしかしたら一万年も昔の大文明ニャ。ケド、彼らを伝説としているのは古さではなく種族の方ニャ」
「種族?」
「彼らはドワーフの源流とも言われているニャ。
けどそれって妙だニャ。
ウチらの常識では、この世界の人族は元々人間族で、そこから精霊分を取り込んで色々な種族に進化したとされているニャよ?ドワーフだって例外ではないニャ。
つまり、ウチらの常識と一致しないニャ」
「……なるほど」
それは確かに妙だな。
「実は、人間族の先祖がアマルティア人だった可能性は?」
「それはないニャ」
「断言するんだ。理由は?」
「ドワーフの学者が残したアマルティア人についての文献があるニャ。種族的特徴が一致しないニャよ。
アマルティア人はドワーフに似て繊細で小柄な種族だったらしいニャ。それに金髪碧眼は居なかったそうニャ」
「あー……人間族って白人ぽいよな。どこか」
そうなのだ。
人間族は地球人に近い外見ではあるのだけど、アジアっぽさがないんだよな。欧米人種と黒人だけって感じだ。少なくとも、俺が今まで見た人間族は全部そうだった。
これと対照的なのは魔族であるオルガ。美女なんだけど、すごくアジア的美人なんだよね。
あと、カリーナさんたちとか獣人族の人間部分の肌って、日本人のそれに近いと思う。
これが何を意味するか。
「もしかして、この世界の人間族も、元々はいくつもの人種があったのか?」
「人種?人間族は人間族だニャ?」
「あー……パパの言いたい事わかった。
えっとね、種っていうほどの差異はないけど、見た目が違うのはあったよ」
「種というほどの差はない?」
「うん」
アイリスが静かに頷いた。
「逆にパパに質問していい?」
「ああ」
「パパの記憶の中に、猫の種類があるよね。いろんな姿カタチの猫がいて、世界中にいるよね」
「そうだな」
「けど、猫は猫、種はひとつだよね。地球人の言う『人種』なんかよりも、はるかにバリエーションに富んでるのにさ」
「……うん、確かにそうだな」
言われるまでもなく、確かにその通りだ。
どんな猫だろうと、家猫ならそれはたった一種『Felis silvestris catus』しかいない。あれだけの色やら外観のバリエーションはつまるところ、ちょっとデカいとか顔が細いとか、そういうレベルの差異にすぎない。だから家猫には、見た目の好み以外のいわゆる『猫種』問題は存在しない。
これは地球の現代人にもあてはまる事だ。
今の人類の祖先はただひとり、ずっとむかしにアフリカで生まれた女性から始まっているという。そして現在も、学術的な意味でのヒトはホモ・サピエンスただ一種であり、異種族なんて存在しない。
ではどうして地球に人種問題なんてものが存在するのか。
結局、それは歴史的、地理的、外見的な差異からくる偏見にすぎないんだろうと思う。
何しろ、いじめっていうのはサンゴ礁の小魚でもやるような事らしいからね。そういう事なんだろうさ。
まぁ、地球人類の悪口を言っても仕方ない。話を戻そう。
「パパの着眼点はわかるよ。つまり、獣人にせよ魔族にせよ、元の人間族からの変化には地域性があったんじゃないかって事でしょう?たとえば、寒い土地にいた人たちがモフモフの獣人になった、みたいな」
「うん。そんな感じかな」
黒人がアフリカにたくさんいたのだって、灼熱の太陽への適応だろう。アジア系をベースに南に適応すると赤銅色になり、白人をベースに適応すると黒くなった。ただそれだけなんだと思う。
だけど、この世界の人間族から別人種への『進化』はちょっと違う。
何が違うかって、早さが桁外れだ。おそらく変化は数世代程度で、しかも大規模に進んだんだと思うんだけど。
「これはあくまで俺の予想なんだけど、変化にはメンタルな面の影響も大きいんじゃないか?」
「どういうこと?」
「つまりだ。
ひとつの家が猫人族になりましたと。で、その、もっふもふを見た周囲の家も同様にもっふもふになっていって……で、気がついたら国中が猫人族になってました、みたいな感じかな?」
「……」
「……」
「ん?どうしたんだ?俺、何か変な事言ったか?」
なんか知らないけど、サイカさんたちが口をあんぐりと開けて固まっている。
えっと、どうしたんだ?
「……な、なんでウチらの種族のはじまりを知ってるニャ?それは門外不出のはずニャ!」
「へ?」
「いやまてサイカ。彼はもしかして、自分なりの推測で言い当てただけなんじゃないか?」
「そ、そんなばかニャ!」
「落ち着けって」
なんかサイカさんがパニックを起こしてて、それを旦那さんがなだめてる。
「えっと、何がどうなってるんです?」
「……つまりだね」
マーゴさんが苦笑すると、返答してくれた。
「我々猫人族は特定地域には多く住んでいるんだけど、獣人全体の中では少数派なんだよ。
で、そもそもの種族の始まりとして言い伝えられているのが、まさに君の言った状況なのさ」
「……そうなんですか?」
「ああ」
マーゴさんは微笑み、うなずいた。
「遠い昔、ひとりの異世界人がこの世界にやってきた。彼は自分をサイカの者と名乗り、ひとりの人間族の女の子を今で言うエマーンのとある土地で娶ったらしい。
彼らの生活の中で何があったのかは、今に伝わっていないからわからない。
わかっているのは、彼の巨大な魔力にあてられた女の子の身体が種族変換を起こした事だけさ」
「えっと……どういう事です?人間族と異世界人が夫婦になると種族変換が起きるって事?」
「いやいや、そういうわけじゃないさ」
マーゴさんは苦笑すると、俺の考えを否定した。
「種族変換が起きるには、長い時間をかけた精霊分の蓄積が必要だ。これは世代をまたがって行われるものだから、別に彼らの異種族結婚がそれをもたらしたってわけじゃないよ。
ただ、彼の膨大な魔力が、本来の変換のタイミングを何世代か早めたのは間違いないと思う。これは今でも知られている現象だからね。
まぁ理屈はともかく、彼は驚く事になった。自分の妻が別の種族に変わっていくんだからね、そりゃ驚いて当然だろう。特に彼は予備知識もなかったろうから、まさしく仰天したと思うよ。
そうして変化して生まれた新種族は、彼が世界を越えてまで愛してやまない生き物の姿を持っていた。
彼は妻に起きた変化に驚きはしたが、むしろ溺愛度が加速したと言われているよ。そしてたくさんの子供とたくさんの異界の知識を残したわけだけど。
実はこの時、まさに君の言う『周囲の家も同様にもっふもふになっていく』現象が起きたそうなんだ」
「…ま、マジすか」
「ああ。コメントに困るような話だけど、全部事実らしい」
あっけにとられた俺の言葉は、情け容赦もなく肯定されてしまった。
「ひとつの村がそっくりそのまま、わずか数ヶ月で人間族から猫人族の村に変わってしまったんだ。もちろん前代未聞だったから、かなりの大騒ぎになったらしいよ」
「……そりゃそうでしょうね」
そんな事になって、騒ぎにならない方がおかしいだろ。
「それで質問なんだけど、君はどうして猫人族の状況を言い当てられたんだい?そのあたりが気になるところなんだが」
「あー……それは別に言い当てたわけじゃなくて、単に人種変換が起きるタイミングとか、どういう要因が各種族に変化するのかって思った末の事です。まぁ仮説みたいなものですね」
「ふむ」
俺は、あくまで俺の仮説にすぎないんですがと割り引いたうえで、自説を改めて披露した。
「この世界にはいろんな人族がいますけど、人間族以外は何らかのカタチで、精霊分を取り込んだ時に変化したものだって話ですよね?」
「うん、そうだよ」
「思うんですけど、その変化に規則性を感じないんですよね」
「規則性?」
「ええ、だってそうでしょ。
たとえば、水に適応して水棲人になるのはわかる。膨大な魔力を欲するような生活をしている者が魔族に変貌したというのも、何か納得がいきますよね。
でも、じゃあ獣人はどういう経緯で獣人になったんです?
いや、そもそも、単に『ケモノ的な人類』にならずに、露骨に既存の各種動物っぽい顔になったのはどうしてです?
犬猫にしろ猪にせよ山羊にせよ、見るからにソレってわかる姿じゃないですか。
この世界の人には見慣れた光景なのかもしれないけど、あきらかにおかしいです。進化上の必然性が全く感じられないんですよ」
「……なるほどニャ。そう言われてみればそうだニャ」
いつのまに復活したのか、サイカさんが真剣な顔をしていた。
「ここから先はあくまで俺の仮説ですけど、ここで重要になるのは『精霊分』だと思うんですよ。たとえばホラ」
「お」
「!」
おふたりの目の前で、ホットの缶コーヒーを呼び出してみた。寒いからな。
「これは缶コーヒーといって俺の世界の飲み物です。簡単に出せるものじゃないんですが、お二人はいわば聴衆ですからね、特別サービスです。
ちなみに甘いですけど、この甘味もこの世界にないものですよ。口にあえばいいのですが」
そう言うと缶を二人に手渡した。
「うわ、熱いニャ!」
「寒いですからね、こうして冬には温めて売るんですよ。ちなみに開け方はこうやります」
目の前で実演して、少し飲んでみた。……うん、小さい缶そのままの懐かしい味だ。
おふたりはそれぞれに真似して飲んで「ほう」「くどくないニャ。これはいい甘味ニヤ!」とか感心している。
「ちなみにこの缶コーヒーは今、魔法を用いて取り出しました。異世界人の俺ですから、その構成や術式も、まるっきり皆さんとは異なるものから導かれているわけですよね。
でもね、ここで問題があります。
つまり、俺は魔法の知識なんかないって事です。だから術式を自分で組んでいるわけではないですし、詠唱もやっていません。
にも関わらず、魔法は発動する。これはどういう事でしょうか?」
「ふむ……もしかしてそれは」
「ハチさんの意思が、なんらかのカタチで精霊分に共鳴してるって事かにゃ。……ちょっと待つニャ」
サイカさんが、何かに気づいたように真剣な顔になった。
「ハチさんの言いたい事がわかったニャ。
つまりハチさんは、種族変換が起きる際、どう変化するかには当事者の意識が強く関わってると言いたいのかニャ?」
「はい、そう考えています」
俺はサイカさんに同意し、大きく頷いた。
「本人の意識が関わるわけですから、既にあるもの、それから先人の影響を強く受けるわけです。
おそらくですけど、ドワーフ、水棲人、魔族あたりが最もスマートな変化ですよね。何しろ人間としての基本要素はほとんど変わらないんですから。
対して獣人族系の変化は劇的だ。
これほどの変化ともなれば、さすがにランダムに変化するというのはありえないでしょう。なんらかの指針なりガイドにしたがって変わっていると考えるのが自然です」
「それで、既存の生き物がベースになって『変換』した結果がウチらで、そして同時に、最初に変化した猫人族を見たまわりの人も、無意識にそれと同じ種族に変化したと?」
「はい」
「……なるほどニャあ」
サイカさんは、やれやれと顔を洗うような妙なポーズをとった。
「今の話、ハチさんの発言として資料まとめていいニャ?できれば学会に提出したいニャ」
「サイカさんも学会つながりあるんですか……」
「ん?タシューナンのお姫様に言われたニャ?」
「言われましたね。トンネルの件で論文書かないかって」
「経緯はともかく、お姫様の言い分自体は賛成ニャよ。
ハチさんの見解には確かに価値があるニャ。論文に出しておけば、自分でやらずとも興味をもって学者が研究してくれるニャよ。だから、出しておくのがオススメだニャ」
「あー、そういう事か。なるほど、確かにそれなら魅力的だな」
「……お姫様はなんていってハチさんを勧誘したニャ?」
「生活保障とか、名誉とか」
「あー……それは失敗だニャあ。ハチさんタイプはそういうのじゃ動かないと思うニャ」
「……ご名答です」
結局、なんだかんだでデータ取得できたのは、予定の出発時間ぎりぎりだった。




