初遭遇
車の内部の名前なんだけど、俺がゴミ箱置き場にしていた場所があった。センターっていうか、ほら、運転席と助手席の間にある狭い空間だよ。
ここ、車によってはシフトノブやハンドブレーキのある場所なんだけど、キャリバン号はコラムシフトの上にブレーキもハンドルの左下にあるのを引っ張る古いスタイルなんで、この空間はただの小物入れだったんだよね。まぁ、オリジナルのキャリバン号じゃ、その小物入れや助手席の下にはオイルタンクをはじめとする機関部の色々にアクセスできたわけだけど、今はそうしたエンジン部品がなくなっているわけで、まるっと小物入れになっちまってる。
で、ここを改装して走行中のわんこ部屋にしようと思ったんだけど。
「……すんでる」
改装どころか、ふわふわのわんこベッドが装備されていた。
「アイリス?」
「何もしてないよぅ」
ふむ。まさかと思うが、キャリバン号が勝手に構造変更……するわけないよねえ。むむ、謎だ。
「むう。ま、いっかぁ」
「いいの?」
追求しないの?と言わんばかりのアイリスにニコニコ笑ってやった。
「どのみち不思議ばっかだし、今さらだろ」
「そりゃまぁそうだけど……ねえ」
そういえば、いつのまにかアイリスの服も車内、厳密にはおもちゃ箱の中に沸いていた。これもびっくりだ。
「確か、前に出た時って魔力が抜ける感じがしたんでしょ?今回は何もなかったの?」
「言われてみれば……ランサに食わせる魚焼いてた時かな。寝場所作ってやらないとなぁって思ってた時に、何かフッと」
「その時だよねたぶん。うーん、何とかそれが自由に制御できれば無敵なのにねえ」
「まぁそうだけど……それはそれで寂しい気がするなぁ」
「そうなの?」
「うん、そう」
何でも願えばかなうなんて、堕落の元って気がするんだよね。むしろ今のまま、あれば嬉しいってくらいの方がいいと思う。
「でもでも、必要な時に必要なものがないと困ると想わない?」
「……う」
「やっぱり練習したほうがいいよ魔法、うん」
「そうはいってもなぁ。願えば品物がポンと現れる魔法なんて、どうやって練習すんだよ……ほれランサ、ここおまえのベッドね」
「わんっ!」
「ランサが怪我したりしたらどうする?手当てしたい時にできないと困らない?」
「……それは」
「ね、ね、使えた方がいいよ絶対」
「……確かに」
エンジン始動と唱えると、キャリバン号は胴震いしてエンジンをかける。まるでその存在を誇示するかのように。
「!」
いや、たぶんその感覚は嘘じゃないんだろう。ランサがびっくりして、入ったばかりのわんこベッドの中でキョロキョロと周囲を見ている。
「心配ない。この乗り物、キャリバン号も俺たちの仲間だからな」
そういってランサの頭を軽くなでてやり、そしてシートベルトをつけなおす。
「えーと、忘れ物チェック」
「大丈夫だよー」
「おけ」
「そういや、次はどこいくの?パパ」
「次か」
予定だと、北にあるって町に向かうつもりだったけど……。
「ランサがいるだろ?姿を偽装する方法が確立するまでは人間の町に近づかない方がいいな」
キャリバン号はあくまで車だ。近郊に隠して歩いていけばいいかもしれないけど、好奇心の塊みたいな子犬を車に閉じ込めておくとか、俺は絶対やりたくない。世話はかかるかもしれないが、連れ歩いてやりたいんだよな。
ならば、取扱い方が落ち着くまでは、ひとの町は避けるべきだろう。ケルベロスの仔だなんてバレたら、ろくな事にならないだろうから。
「うん、そうだね」
対するアイリスはなぜか優しげな目を向けていた。
ふむ。アイリスはケルベロスをこわがっているはずなんだけどな。やっぱり女の子だから仔は可愛いって事か?
よくわからぬ。
そんなわけで、予定を変更した一行。
海沿いに北に向かうとあるらしいツァールの町はまた次に回すとして、逆に南に向かう事にした。地図によると60kmほども進むと道はなくなり、あとはポリット平原という200km四方ほどに広がる草原と湿原の連続する平らな土地になるという。
「ところどころに小さな森がオアシスのように点在してるんだって。だからポリット平原には草原、湿地帯、水辺、そして森に住める動物やモンスターがものすごくたくさんいて、人間たちの間では死の平原って言われてるらしいの」
「死の平原ねえ」
ずいぶんと一方的な見方だな。動物が多いって事は猟だってできそうに思うから、別の見解もありそうな気がするんだけど。
ん、もしかして?
「なぁアイリス」
「なあに?」
「その平原、もしかして猛毒もちのモンスターがいないか?人間に怖がられるような」
「猛毒持ち?どうだろ?」
「調べてくれ。もしかしたらいないかもだけど、その場合は、人間を待ち伏せして狙うような厄介なモンスターがいるのかもしれない」
「そういうことか。ん、わかった。ちょっと待ってね」
アイリスはタブレットをあれこれやっていたけど、うわって感じで目を剥いた。
「うわ、いるいる。クロモリゴケグモっていう毒蜘蛛のコロニーがあるって。噛まれると人間もやばいって」
「ほほう、やっぱりか」
「やっぱりって……そういえば、猛毒持ちがいるってどうしてわかったの?」
「わかったんじゃなくて、そうじゃないかと思ったんだよ。つまり推測だな」
ほえ?と不思議そうな顔をしているアイリス。ふふふ、なんか動物チックで可愛いじゃないか。
「なに、簡単な理屈だよ。草原と湿原、小さな森まであるエリアなんだろ?だったら動物とかたくさん居そうじゃないか?
でも、こっちの人間たちはそれを死の平原と呼ぶ。
だったら簡単だろ、そんな豊かな土地なのに『死』ってどういう事だって話だよ」
「……あー、そっか!」
「わかったかい?」
「うん、わかった」
まぁ、戦場跡なんかに物騒な名前をつけているケースもあるかもしれない。だから絶対じゃないけどな。
だけど、地名にその土地の特徴を入れるのは昔からよくやってる事さ。
たとえば佐渡ヶ島。昔、アイヌのお年寄りが佐渡にいった時、主要な地名がアイヌ語由来らしいのに気づいたんだと。あとは地名を聞くだけでその土地がどんなところなのか即座に理解できたという。
そんな感じなのだ。現代日本のように昔ながらの地名を好き勝手に改竄し放題で利権にお金を回しているならわからないけど、普通は地名なんて、その土地の特色などを含めるもんだと思うんだよな。
と、そんな時だった。
「!」
興味深げにキャリバン号の中をあちこち見物していたランサが突然、何かに気づいたように怯えだした。俺のひざの上に飛び込んで動かなくなってしまう。
なんだ?
そうしているうちにアイリスも反応した。
「パパ、前方から何か来る。速度はゆっくりだけど」
む、そうか。
「やり過ごすか。アイリス、キャリバン号ごと偽装できるか?」
「んー、見えてると難しいかも。パパ、近くの森に入れられるかな?」
「まかしとけ」
近くに小さな森があったので、道路を外れてそれに向かう。
「モンスターは居なさそうだな。ここでいいか?」
「おけ。偽装結界作るからエンジンとめて」
「わかった。エンジン停止」
キャリバン号を止めると、ランサを抱き上げて腕の中に入れた。
「アイリス」
「わかってる」
そう言うとアイリスは布袋からクローバーの葉っぱを二枚取り出した。
「『結界・偽装草』」
そう言った途端、クローバーの葉が二枚、宙に浮いてチリチリと燃え始めた。
「よし」
「ごくろうさん。さて、誰が来たのか見物させてもらうか」
「うん」
しばらく待つと、遠くからそれは見えてきた。
「馬車か。人間かな?」
「どうだろ」
それは確かに馬車だった。
原始的な荷馬車を想像していたのだけど、乗合馬車的にきちんと屋根のついた馬車と、幌馬車の二台編成だった。しかも車軸はリジットじゃなくて、ちゃんとサスペンション装備になっているのが俺の目線でもわかる。地球でも近世の馬車レベルじゃないか?
ただし、乗ってる人間はやはり中世風だった。
外から見えるすべての者が武装している。ただし汚れ方は尋常なものではなく、中には何度となく返り血で染まったような、赤黒くも毒々しい色合いの者もいる。
「こりゃあ……ランサが気づくわけだ」
おそらく、魔物やら動物やらを狩ってきた帰りなんだろう。ここまで臭いがきそうだった。
本来なら記念すべき、この世界の人間初遭遇。
だけど正直、今は関わりたくない。最低でも自衛手段くらいは確立してからじゃないとね。
やがて人間たちはこっちに気づく事なく、そのまま馬車で通過してしまった。
「……ふう。もういいかな?」
「まだ。探知魔法の使い手がいたら気づかれる」
「そうか、ならもう少し待とう。ほれ」
何か食べたいよって顔のランサを見て、自家製の魚の干物を少し齧らせてやる事にする。
「塩気はあげちゃダメだよ?」
「わかってる、これはランサ用のやつだ」
結局、そこで一時間ほど過ごした後、このまま今夜はここで宿泊となった。