山越え
「ダートは続く~よぉっとくらぁ!」
といってもまぁ、多少の不整地ではキャリバン号はビクともしない。なんたって浮いてるからな。
だけど……。
国境の手続きを終えた俺たちは、いよいよ名物の山脈越えにとりかかった。
実は、国境であるガゾの町からエマーン国クリネルまでは直線で200kmと離れちゃいない。だけど実際には1000kmをはるかに越え、しかも危険も多い難所とされている。何しろその経路の中に、小さな宿場を入れると20以上の町があるというのだから凄まじい。
その理由はもちろん、北クリネル山脈越えだ。
北クリネル山脈は標高にして7000m級以上の山々がずらりと並び、中でも最高峰はロドム・ロ・クリネル山で標高なんと9980mにも達する。チョモランマよりも高いという途方も無い山なんだけど、それですらこの世界では最高峰ではないとも言われている。
ああ、もちろんだけど、街道はそんな高いところは通らない。
ちなみに地球における最も高い峠道はどこか知ってるかい?
昔ググッて調べたところによると、北インドにあり、高度はなんと5000mを越える。正確なところはわからないが、5679mという説もあるらしい。
話によるとチベットにはもっと高いところに道があるというのだけど、チベットは詳しい調査ができないので不明だとか。ふむ。
まぁ地球の話はともかく、要するに富士山よりもはるかに、はるかに高いところを通る峠道があるという事だ。ここで何が心配かというと、
「高山病は問題にならないのかなぁ?」
「コウザンビョウってなに?」
好奇心いっぱいのアイリスに、ごく簡単に説明する。
いきなりそんな高度のところにいけば、魔獣車だって肝心の魔獣がへばってしまうだろう。どうするんだ?
そしたら、ルシアがその答えをくれた。
『南北クリネル山脈には、コーダと呼ばれる動物がいるのです。5000~8000m程度の高々度に順応しており、ラムソア族と呼ばれる獣人種族がこれらを管理しています』
「コーダ?ラムソア?」
はじめて聞く名だな。
「アイリス、画像か何かあったら見せてくれないか?」
「はいパパ。これ」
タブレットで出してくれたコーダなる動物のデータを見たのだけど。
「……アルパカじゃねえかよ」
このすっとぼけた顔。細長い首。
どう見てもアルパカか何か、要するに地球でいうところのラマ(あるいはリャマ)族の動物っぽかった。
「ちなみにラムソア族ってどんな連中だ?」
「えっとね」
再びアイリスが検索をはじめて。
「はいこれ」
「……ラクダじゃねえかよ」
長いまつげ、閉じられる鼻、その他。
アルパカだって種族的にはラクダの仲間だし、ぶっちゃけクリネル山脈系ってラクダ族ばっかなのか?
「他にもいるよ?ほら、エマーン側の低地に住んでるカジヤン族とか」
「……カピバラじゃねえか」
カピバラは確かにラクダの仲間じゃない。テンジクネズミ、つまりモルモットの仲間なわけで、広義には齧歯目、ようするにネズミの仲間だ。
けど、そういう問題じゃないよなぁ。
なんというかさぁ。
アルパカ、ラクダ、カピバラって、すっとぼけた系っていうか脱力系というか、そんなイメージないか?もちろん偏見だが。
う、ううむ。
そんな会話をしながらも、キャリバン号は順調に進んでいく。
ハイウェイのように太かった道はだんだん細くなり、山の馬車道の様相を呈してきた。
「細くなってきたな」
「うん」
車の数が増えてきた。
道幅がちょうど日本の昭和中期の国道くらいのサイズだったんで、俺も日本の田舎を走るようなペースで進んでいた。実は多くの魔獣車も似たようなペースらしくて、若干こっちが速いものの、山道という特性もあって、みんな車は行儀正しい。無茶するやつは一台もない。
まぁ日本と違うのは、キャリバン号以外が全て魔獣車である事。つまり生き物が引っ張っている乗り物という事だね。
だからだと思うけど、この世界の道路は意外なほどに急カーブが少ない。魔獣車はその性質上どうしても前後に長いから、回転半径を小さく設定できないんだと思うんだけど、おかげさまで運転しやすいのなんのって。キャリバン号は彼らに比べるとずいぶんと小さいからね。
まさか異世界で車の行列に出会うとはなぁ。これもまた旅か。
ふと、久しぶりに何か聞きたくなりカーステに手を伸ばした。
カーステといっても、キャリバン号の時代のカーステってせいぜいカセットか、ヘタすると八トラってヤツになっちまう。さすがにそれでは使いにくいもので、SDカードを差し込んで鳴らすタイプの安いプレイヤーを無理やり組み込んであったんだけど。
え、なんで今まで使わなかったんだって?そりゃ忘れてたからだよ。
日本にいた時、これを使うのは渋滞の時だったからねえ。
まぁ、この車の行列に入ったことで、身体が思い出したというべきか。
流れだした音楽は、古臭いデルタ・ブルース。
ああ。そういや、これセットしてあったっけ。十字路で立ち尽くして何とかとか何とか。
だけど。
「これなに?」
当然だけど、そんな俺の奇行をはじめて見るアイリスは首をかしげた。
「渋滞音楽。車がいっぱい並んだら、イライラしないように聴くんだ」
「そうなの?」
俺的にはウソはついてないな、うん。
「ああ。そういや聞かせるの初めてだったな。日本と違ってこっちは渋滞ないもんな」
いや、都市部とかがどうなってるのかは知らないけどさ。
「まぁ、これ自体は単に音楽を聴く機械なんだけどさ。車の中で音楽流さんでも、ここじゃ普通は退屈しないもんな」
「パパの故郷では退屈したの?」
「たまにな。30分待って10メートルも進まないとかな。気が狂いそうになるぞ」
うわぁ、と眉をしかめているアイリス。
「またパパ嘘ついてる。そんな進まなかったらクルマの意味ないじゃん」
「そう思うだろ?でもな、クルマはやっぱり重要だったんだよ」
「なんで?変だよ」
「そうだよなぁ、変だよなあ。でも人間の社会なんて、そんなもんだと思うぞ」
「んー、そうかなぁ?」
「そうさ」
ひとの社会が本当に論理的に解説できるなら、それをやったヤツは神様にだってなれるだろうけどな。
でも現実にはそうはいかなくて。
納得のいかない事、矛盾したことをたくさん抱えて、人間の世界は動いているもんだ。
「さて、それはいいけど……クルマの流れが止まってきたぞ」
何か起きたかな?
「アイリス、ルシア、何か起きてないか?」
「んー、どうだろ?」
アイリスがタブレットとにらめっこしつつ眉をしかめていたが。
『前方で魔力流動と大きな生体反応が。20kmほど向こうです』
「どういう事?」
『平たくいいますと、魔物か何かが現れて戦闘しているようです』
ありゃ。
「大丈夫かな?」
『おそらく大丈夫かと………ああ、今終わったようです』
おいおい。
「こんなとこでも襲撃とかあるのか?いったい何が襲ってきたの?」
『こちらでは、そこまではわかりかねます。あいりすさんはどうですか?』
「あー、たぶんこれだね。リリン熊」
「クマだって!?」
アイリスの出してくれた画像を見た俺は、たぶんゲッという顔をしていたに違いない。
「何そのヒグマの化け物!?」
「そのまんまだね」
「へ?」
「リリン熊って、クリネル大ヒグマって熊が魔物化して生まれるんだよ」
「そ、そうなのか……やっぱり、この世界的にもやばいのか?」
『リリン熊は時として、8mほどになりますから』
「8m!?」
マジで正真正銘の化け物じゃねえか!
さすがにゾッとした。
「大丈夫だよ。ここいらを通る隊商なら、そんなの退治して獲物にしちゃうから」
「冗談だろ?」
そんなこんな会話をしていたら、対向車が一台やってきた。珍しい事もあるもんだ。
……ん?何か上に乗ってないか?アレ?妙に鮮やかな色の。
「ヒグマの腸だと思う。下山するまでの魔除けだね」
「そんなもんクルマの上に積むなよ!」
「だから魔除けだって。ああやっとくと、クマのニオイがするから変な動物とか近づかないんだよ」
「あー……そういうことか」
しかし、腸を屋根って……。
予備知識なしで腸を屋根に乗せたクルマに出会ったりしたら、俺ら日本人的には結構やばいぞマジで。
そんなこんな会話をしている間に、
「あ、流れだしたよ」
「ほんとだな」
どうやら片付けが終わったって事か。やれやれだな。
そんなこんなで、この日は終わった。
この世界では夜間移動はあまりしないらしく、夕暮れが来ると、どこのクルマもそれぞれ最寄りの駐車場に停泊しはじめた。
俺もどこかの駐車場に泊めようかと思ったんだけど、まだ未知の他人との同席に不安がないわけではない。だから人気のない場所を選び、少し道から外れたところで結界を張ってキャンプ地とした。
あとはまぁ、いつもどおりだ。町で購入した素材と水で調理を開始する。
「ねえ。パパ」
「ん?」
「この音楽って、どれくらい入ってるの?」
「プレイヤーのやつか?」
「うん」
「そうだな……」
頭の中でポンポンポンとファイル数が並ぶ。
「たぶん3000曲くらいじゃないかな。短いのとか変なのもあるから断言しないけど」
「3000!?それがみんな日本の音楽!?」
「そうだが?」
「……」
あっけにとられてプレイヤーを見ているアイリス。
えーと、何がどうしたんだ?
『主様』
「なに?」
『念のために申し上げておきますが、異世界音楽の録音ソースは大変貴重であり、その一曲を巡って人殺しが起きた事もあります』
「……マジすか」
『はい』
なんでこんなものが、と思うけど……けど、ないって事はそれ自体が価値なのもわかるからなぁ。
うーむ。
そんなこんなで、初日の夜は更けていった。




