国境
『いえ、そういう事をするなと言っているのではありません。ただ特定の女性と特に親しく友誼を結びたいというのなら、その旨を告げていただきたいのです。でないと守るものも守れませんので』
「あー……確かに。すまん」
オルガを見送った後、俺はルシアとアイリスに怒られていた。
まぁ確かに、セキュリティの観点から言われると返す言葉がないわけで。
「そもそも質問なんだけど、プリニダク王女よりも彼女の扱いがいいのはどうして?それも破格に」
「ど、どうしてって言われても」
難しい質問してくるんだなぁ。
「グランド・マスターいわく、人間は王女様とかモフモフとか、ぷるんぷるんとかに弱いって聞いてたんだけど」
ちょ、こら待てってば。
「それは偏った見方だと思うぞ、アイリス」
「そう?」
「そもそも自分の胸を見てみろアイリス。俺の理想はそこにある、違うか?」
「あー……うん」
第三者が聞いたら頭の程度を疑われそうなセリフなんだけど、事実なんだから仕方ない。
アイリスはその成長の際、俺の深層心理的な好みを反映している。つまり、肉体的な意味で俺の理想を煮詰めたら、そこにいるのはアイリスに極めて近い存在という事になるわけだ。すくなくとも見た目だけはな。
だからこそ「俺の好みだって?おまえの胸に(物理的に)聞いてみろ」というおバカなセリフが本当に意味をもつわけで。
とはいえ……まぁ、アイリスの質問の真意にも応える必要があるだろう。
「まぁ、真面目な話をするとだ。プリンさんも好人物なんだけど、絶対に折り合えない部分があったろ?」
「……」
「プリンさんは確かに優秀な学者なのかもしれないが、あくまでこの世界の人類側の人って事だと思うよ。だからこその限界なんだと思う」
『オルガ・マシャナリ・マフワンは違うという事ですか?しかし彼女もこの世界の人族なのですが?』
「物理的にはね」
しかし、オルガの心情はおそらく、一般のこの世界の人とは異なっている。
「彼女はとてもフリーダムな人だよね。あまりにもフリーダムすぎてあちこちで問題を引き起こしているようだけど、彼女言ったよね?うっかりやばいものに手を貸して、その結果から危険に気づいて『これはやばいと思ったから止めた』ってあたり」
「あー……つまりパパは、王女様よりも彼女の方が自分と親和性が高い、すくなくともパパ的には好ましいと感じたって事?」
「そういう事になる」
俺は大きくうなずいた。
「俺はこの世界の人間じゃないから、いかにこの世界の人たちに好意的でも、これはないんじゃないかって事に遭遇する可能性はあると思うんだ。今後もね。
そんなとき、頑なにこの世界の人間としての立場を押し付けてくる人物と、俺の立場もちゃんと理解したうえで考えてくれる人物。俺から見たら、どっちが好ましいと思う?」
「……理解してくれる人だよね。やっぱり」
「うん。俺もそう思った」
アイリスの見解に、俺は大きく頷いた。
精霊分についての問題は、プリンさんの立場と俺の立場の違いを、あまりにもあからさまにした。
プリンさんは、あくまでもこの世界の人類側の人だ。従って、この世界の人類側にとって途方も無い価値のある精霊分についての情報を、聞かないふりをする事なんかできなかった。
俺はこの世界の人間じゃないから、精霊分についての話を客観的に受け止めた。そして、それほどまでにこの世界が禁忌とするものなら、そりゃあ広めない方がいいだろうと納得したわけで。
当然、両者は相容れない。
けど、仮にオルガがあの場にいたらどうなったろう?
おそらくオルガなら、世界そのものに関わるなら仕方ないと追求をあっさり引っ込めるか、あるいは自分の探究心さえ満足すればいいので、制約の縛りか何か、物理的に他言できないようにしてもらう事を前提に調査させてくれないかとか、そういう方向に進むかの二択だったと思う。
そこがつまり、オルガが俺をご同輩と言った事の意味だ。
彼女には人類のためとか、何かの母集団に帰依しようという考え方がおそらくない。俺のように物理的に元の社会との接点を失ったわけではなく、彼女はおそらくその選択の結果、どこかの勢力に都合の良い研究者である事をやめたんだろうけど。
それがゆえの災厄扱いであり、またそれがゆえのフリーダムさ。
あくまで自分の知的好奇心を満たすのが研究の主目的の人だから、かりに口外厳禁の情報だったとしても、それは今後の取り扱いが不便かどうかの問題にしかならない。もちろんそれが研究の大きな障害になった場合はマズイわけだけどね。
『なるほど。似ているがゆえの共感という事ですか』
「まぁ、あくまで俺の一方的な思いいれの可能性もあるよ。そして、いつかはそれが問題になる可能性もあると思う。
だけど、さすがにそこまで恐れていては誰ともつきあえないだろ?
こういうと酷い言い方になるけど、俺は彼女で『実験』をしたいのかもしれない。そう思うよ」
「……ふーん」
そういうと、アイリスはなぜか俺の横に、ぴたっと寄り添うように座った。
「な、なんだよ」
「なんでも?」
わけがわからない。
ただアイリスは、べたーっと俺にくっついてきた。なんというか、ものすごく露骨に。
まぁ、その、なんだ。
そういや、アイリスにとっては楽しい話題じゃないもんな。俺が他の女の話なんて延々していたら。
うむ、それならば。
頭の中にポンと映像を浮かべた。
「あ」
アイリスの手の中に、ふわっと柔らかく、そして光沢のある布の塊が落ちてきた。
「なに、これ」
「シュミーズという。地球の下着の一種だな」
ちなみに俺の母はシュが発音できず、シミーズと言っていたけどな。
シュミーズ、スリップ、キャミソール。このあたりの下着には明確な境界線がなく、しかもキャミソールに至っては下着じゃないものまで存在する。女の下着に詳しくない男性層には一番やっかいなものだ。俺も例外ではなく、このあたりは詳しくない。
だけど、スケスケのシュミーズとかキャミソールを好きな女がまとっていたらどうか?うむ、興奮もんだよな。
これとペティコート(ペチコート)との組み合わせ次第では、俺的には悩殺セットの完成だったり。
「なんかスカートみたいなのもあるねえ」
「それはペティコートという。ちなみに下着の一種ではあるが、それをつければパンツは履かないのが基本だ」
「履かないの!?」
「もちろん」
「嘘だー!」
「……」
「嘘だよね?」
「……」
「……ほんとに?」
「……おう」
俺限定、そしてベッドの上限定だけどな。
そんな心の中のひとりごとは当然聞こえてないわけで、
「あ……ああ、うん。そういう事ね、うん」
なんか困った顔で赤くなっている。
それにしても……アイリスと過ごすようになってから、ずいぶんと女の下着に詳しくなってしまった気がするなぁ。
まぁ、どれもこれも可愛いし目の保養になるからいいのだけど、タブレットのメインユーザーはアイリスになって久しいので、俺がタブレットに触る最大の理由が、女物の服についての検索だったり。なんだかな。
まぁ、可愛いから問題ないが。
「ねえパパ」
「ん?」
「……見たいの?」
それを着てるとこが見たいかってか?
うむ、そんなの決まってるじゃないか。
「当然見たいぞ!」
「……その煩悩まみれの爽やか笑顔が全てを語っている気がするよ」
むむ、よくわかるな。
「……見たいの?」
「当たり前だろ」
「……ほんとに?」
「もちろん」
「……うう」
すっかりエロ話にすり替えられて、何とかアイリスはごまかされてくれた。
だけど。
『……それが主様の誤魔化しの手法なのですね。なるほど』
まぁ、ルシアには通じるわけないもんな、ハハハ。
当たり前といっちゃ当たり前だが、そんなルシアの反応は物凄く冷たかったのだった……。
そんなこんなで、やってきました国境の町。
国境という雰囲気すら希薄だったコルテア・タシューナン国境の町タナ・タナに比べると、こちらは『国境なんだよー』という雰囲気がある。特にエマーン側はすぐ後ろに巨大な山脈があるため、最果てって感じもよく出ているし。
「うお……あの道登っていくのかよ」
「ん、そうだよ」
目前に広がる巨大な山脈。
その奥に向かって伸びる道筋が、はるか遠くだろうこの町からもハッキリと見えている。
「通行人はそこそこいるんだな」
まぁ、人でなくみんな魔獣車っぽいけどな。
「通過する者のほとんどが隊商だってきいたよ?」
「そうなのか?」
「うん」
『徒歩の一般旅行者も少しいますが、山中の苛酷さゆえに乗合便を利用するのです』
「あー、そういうことか」
山越えは過酷だし、上の方はまるでアルプスさながらの白さだ。おそらく寒さもひどいものだろう。
「魔獣車が通れるっていう事は、道幅は確保できているんだろうけど……注意するに越したことはないな」
「だね」
どんな世界でもそうなんだけど、道路には一種の規格があるものだ。
たとえば馬車道と言えば、二頭立ての馬車が考えられる。馬は生き物だから大きさにはばらつきがあるが、それでも平均値というものはあるわけで。だから二頭立ての馬車のサイズというのもだいたい決まってくるし、重さも、幅も似通ってくる。
となると当然、馬車道もそれらが通過できる事を前提に作られるわけだ。
youtubeで前、とんでもない大陸の古道をバイク等で走っている映像を見る事があるんだけど、あれも確か昔の馬車道だったと思う。日本と違って大陸では馬車の時代が非常に長いので、古い幹線道路の多くは馬車が、あるいは地域によってはラクダのキャラバンが通れる幅になっていたというわけだ。
さて。
「お、もうすぐ順番かな?」
「うん」
ここの検問は乗り物ごと行くらしい。ひとつ団体が進むたび、俺はキャリバン号を検問に近づけていくのだけど、
「……ふむ」
どうも、単に事務的交渉をしているだけではないみたいだな。
『通過にさいして、個人的に担当官に品物やお金を渡しているようですね』
「ワイロか」
ありがちだなぁ。
昔読んだ女の子のグァテマラ旅行記でも、お金のなかった筆者はたまたま持参していた日本のお菓子をふるまい、皆アミーゴになって和やかに通過したと書いてあったけど。
つまるところ、そういう事なんだなぁ。
さて。
俺たちの順番がきた。
国境担当は、なぜか人間族らしきおっさんたちだった。いやらしげな目でこっちを見ている。
さきほど書いた書類を渡したのだけど、見ようともしない。知らん顔をしている。
「……おやおや」
そう来たか。何かご献上さしあげないとお仕事しないと。露骨だなぁ。
さて。じゃあここで、何か食い物でも渡してやるかねえ。
そう思ってポケットを探る俺の肩越しに、動いたヤツがいた。
【何をボケッとしておる。さっさと書類を通さぬか無能ども!】
「!」
「!?」
おっさんたちはビクッと反応し、あたふたと動きはじめた。
「……何やった?アイリス」
「なんでもないよぅ」
嘘つけ、竜の威圧使ったろうが。
おっさんたちは、悲しいくらいにせっせと書類をチェックして、そしてああだこうだと会話し、そして何かスタンプをポンと押した。
そして、それを何かオドオドと俺のいるキャリバン号の窓口に持ってきた。
……なんつーかその。
職務上、当たり前っちゃ当たり前なんだけどさ。でも何か悪い事しちまったな。
そんなわけで書類を受け取りざま、ちょいちょいとそのおっさんを手招きした。
「やぁ。連れがちょっとイライラしていてな、びっくりさせて悪かったな。これでも皆で食ってくれよ」
「……これは?」
「異世界の菓子だ。ほれ」
試しにひとつ取って俺が食った。
うん、問題ない。今出したヤツだけど、ただのらくがんだからな。
俺を見て納得した男は、パクっとそれを食って。
「……おお、これは」
たちまち笑顔になった。
「おい、皆に世話かけちまったからな、皆で分けてくれよ。悪かったな」
「おお分かった!」
そういうと、おっさんは仲間のところにいき、何か説明したかと思うと皆でらくがんをパクパクと口にいれて。
「……」
そして皆、気持ち悪いくらいにイイ笑顔になった……。
戻ってきたおっさんは、とてもニコニコして俺に言った。
「キミの気持ちは受け取った。皆、気をつけてと言っているよ、友よ」
一気に友達かよ!現金な奴らだなぁ。
「うん、また通る事もあるかもしれないが、そのときは俺も気をつけるよ。悪かったな」
「なに、これも仕事だからね。そっちこそ悪く思わないでくれ。
それより友よ、この先の峠で天候悪化の兆しがあるって話をさっき聞きつけた。この車なら多少の天候悪化は問題ないかもしれないが、それでも気をつけていくがいい。どうしてもダメなら無理をせず、手前の宿場で休め。魔獣車用停留所もあるからな」
「そうなのかい?」
俺は思わず山の方を見た。
「今は晴れてるな?」
「ここのお山は東大陸とこっちがわをがっちりと区切っていてよ。そのせいか天気がおそろしく変わりやすいんだ。まるで商売女のハートみてえにな」
「そうか……わかった、参考になったぜ、ありがとう!」
「なぁに、気をつけていきな!」
「ああ、ありがとうな!」
待機してたおっさんたちまで外に出てきた。皆で手を振っている。
なんというか、入った時とは大違いの雰囲気だった。
「……ふむ」
「ねえ」
「ん?」
キャリバン号が走りだして少しすると、アイリスがちょっと渋い顔をしていた。
「わたし、なんかまずい事した?」
「へ?」
「だって、わたしが威圧したから、フォローでお菓子渡したんでしょう?」
「あー……そういう解釈したのか。違う違う」
俺はあわてて、アイリスの勘違いを訂正した。
「アイリスが思いっきり脅かしてくれたから、その後のアレがよく効いたんだよ。ほれ、おまえも食うか?」
ポケットからもう一袋、らくがんを取り出す。
「しかし、懐かしいよなぁ、らくがん」
「?」
「昔読んだ旅行記でね、その筆者が国境越えで、たまたま持っていた故郷のお菓子をワイロ代わりにふるまうシーンがあるんだよ。
そいつ、元々はアメリカ横断のつもりで出発したのが、なぜかふらふらとメキシコに渡り、そこから別の国を経由して、さらにグァテマラに行っちゃったような人でね」
ちなみにその作品では、筆者はスペイン語なんざさっぱりなので、笑顔とメキシコで習ったカタコトで誤魔化していたっけ。
「へぇ……もしかしてこのお菓子って」
「ああ、その筆者が振る舞ったお菓子がこれさ。ハハハ」
思わず笑いがこみあげた。
普通、国境でワイロなんて楽しい経験じゃないはずだ。もちろん今回のも例外ではなかったはず。
それなのに、何か楽しい。
俺はこの日、アイリスが呆れ返るまでクスクス笑い続けていた。




