診察
オルガさんがランサの調子を見てくれる事になった。
アイリスたちはオルガさんを警戒していた。これは以前もそうだったし今もそうだ。魔族という事もあるけど、やはり危険人物認定されているというのが大きいんだと思う。
だから俺は彼女たちを責められない。むしろ、その手を煩わせている俺の方が悪いんだから。
「仕方ないねえ。不本意ではあるけど、私はどこにいっても警戒されるようだからねえ」
「そうなの?そもそもオルガさん、なんで危険人物指定なんてされたんだ?」
「昔、人間族が魔薬って薬を発明した事があってねえ。簡単にいうと、薬や毒の効用を魔力で何百倍にもしたり、しかもその発動を十日後にしたりと、発想は興味深いけどあまりにも危険な代物でねえ。
で、それの開発をした人間族の国から依頼があってね、獣人族にだけ効くようにできないかって言われてねえ」
「なんだそれ……」
「私もそう思ったから断ったねえ。
そしたら、なぜか魔薬を私が開発したってその国が大々的に宣伝して、一方的に私を指名手配したんだよねえ」
「いや、ちょっと待った。それって濡れ衣じゃないの?」
無実の罪じゃないか!
そんな事を言っていたら、
『オルガ・マシャナリ・マフワン。主様に言うべき情報をひとつ隠していますね』
「隠している?」
う、と困った顔をするオルガさんに、ルシアが冷静に突っ込んだ。
『そもそも魔薬の基本である、食品や飲み薬に魔力を編みこむ手法は彼女がオリジナルなのです。それを人間族国家が盗みだして研究し、兵器転用で作り上げたのが魔薬とされています』
あー、そういうことか。
「だったら別に罪じゃないよね。オルガさんは悪用には関わってないんだろ?」
「いやぁ、それがねえ」
バツがわるそうにオルガさんがボソッとつぶやいた。
「彼らの解釈が面白くて、ここもうちょっといじればもっと面白いと思うよ、とかついついやっちゃってねえ。気づいたら性能が十倍以上に」
「……ダメじゃん」
まぁ、その光景が目に見えるようではあるけれど。
「私もさすがにやばいと思ってねえ。使用をやめさせようとしたんだけど、彼らは完成した魔薬で私を殺して口封じしようとしてねえ。やれやれ困ったもんさねぇ」
「それでどうしたの?」
「あー、仕方がないからねえ。開発元のメンバー全員、記憶をなくしてもらってねえ。記録や薬そのものも全部処分させたんだよねえ。
でも、情報は全部なくなったのに、どういうわけか私の事だけ悪人扱いになっていてねえ……あれは理不尽さに涙がちょちょ切れる思いだったねえ」
「どうしてだろう。どういうわけか、弁護しようって気にならないのは……」
「ひどいね少年。これで私が被害者だとわかったろうに……しくしく」
「や、自分でしくしく言う人とか、信用とか無理だから。オルガさん干物食べる?」
「おや、これはクロコ・クマロの若魚の干物だねえ。こりゃ中央産かねえ?」
「当然。ほら、あの砂漠の町に前に釣ったヤツの残りなんだよ。俺が干物にしたの」
「ほう、少年の自家製!いいねえいいねえ、是非いただくかねえ」
そんな感じでオルガさんと話していると、何やら周囲からボソボソ、と脳内に響く会話が。
『なんでこの人たち、こんな仲いいのかしら?』
『常識人に見える主様も、その本質は彼女と同類なのかもしれませんね。というより、主様から殺人などの禁忌を削除すると、彼女の男性版のような人格が現れるのかもしれません』
『うわ……それ怖すぎるよ。パパには絶対、同族殺しだけはさせないようにしないと』
『そうですね』
なんか周囲で、うちの女連中が言いたい放題な件について。泣くぞもう。
いや。ぶっちゃけるとね。
確かにこの人、いろいろとやばい人なんだと思うよ。
でもね、なんていうかね。
ひとことで言うと、昔よく遊んだ変なギャルゲーとかに出てくる『保健室のマッドサイエンティスト先生(たいてい攻略不可)』ってやつのイメージと妙にダブるんだよね。
で、その心はというと。
「言動と行動は非常識だけど、人物としては信用できる人」というか。
俺個人としては、実はプリンさんよりも信用できる気がしてならないんだよね。
まぁ、ひとつだけ気になる事があるとしたら。
この人、なんで俺のとこには来るんだろ?
異世界人だからって事?でも専門外じゃないのかなぁ?
「ん?私がどうして君に興味をもつのか、かい?少年?」
「よくわかりますね」
「敬語はいらないねえ。君は私の弟子ではないし、私も偉い人間というわけではないからねえ」
「そっか。じゃあ、なんでなんだ?」
「まぁ、強いていえばユニークって事かねえ。私の分野である魔法もそうなんだけどねえ、他にも乗り物といい行動パターンといい、実に興味深い存在なんだねえ」
そこまで言うと、オルガさんはちょっと黙った。
「あと、そうだねえ。何か似たもの、近いものを君には感じるのだねえ」
「似たもの、近いもの?」
「少年、君は興味のあるもの、好きなものを見て歩いたり、探索する事が好きだろう?」
「そりゃ好きだけど、そんなの誰だってそうでしょ?」
物見遊山とか旅行好きなんて、それこそ履いて捨てるほどいるだろうに。
だけど、オルガさんはクスクス笑って首をふった。
「それは少年、君の認識違いなんだねえ」
「認識違い?」
「普通の人間は、自分の暮らす環境や、所属する母集団を捨ててまで探索の旅をしないものだねえ。当たり前の話だけどねえ」
「……」
「けど少年は、それを破った事のある人間なんだねえ。見ればわかるんだねえ」
「……」
それは、さすがに聞き流せない内容だった。
というのも俺は昔、務めていた会社をやめ、家も引き払い、年金手帳まで持って旅に出た経験があるからだ。行き先で気に入った土地に住み着くつもりで。そして実際、日本中をふらついた挙句、北海道は旭川の近くに本当に移り住んだ。
旅の経験があるヤツは、巷には当然たくさんいる。
だけど、年金手帳まで持ち、居住地を完全に引き払って旅するのは。それは単なる旅行好きとは全く異質のものになるんだ。
この違いは小さくない。
だけど、それをちゃんと理解できる人は意外に少ない。
旅の経験がある事は、こっちにきてからも複数の人間に話した。
だけど、本当に全てを引き払って旅した事まで知っているのは、おそらくアイリスだけのはずだった。
まさか、俺を見ただけで見抜いている人がいたなんて。
「そういうのって、わかるもんなの?」
「ああ、わかるねえ。少年がそれに対して複雑な感情を持っていて、だけど本質的な意味じゃ後悔してない事もねえ」
「……」
さすがに言葉がなかった。
もちろん、そんな旅をしたのには理由もある。
だけどそんな事はどうでもいい、とも思った。
だって。
それがわかるって事は。
「まさかオルガさんって……」
「ご名答だねえ少年。だからご同輩と言ったじゃないか」
「なるほど、そうか。そうだったのか……」
いや本当にびっくりだった。
今日のキャンプ地に到着したところで、ランサの様子を見てもらう事にした。
食事の準備の方はアイリスに頼んである。いつもなら「わたし一人?」と渋るところだろうけど、ランサの事なら仕方ないねと簡単に折れてくれたので助かった。いやマジで。
で、キャリバン号の後部荷室エリアに移動した。
「おや、知らない魔獣が眠ってるかと思っていたが、ショゴスもどきだったんだねえ」
「知ってるの?」
「昔のテストの際に同席していたねえ。懐かしいねえ」
「彼女の遺作になっちまったんですけどね。博士手ずから、俺を主人に設定してたらしくて」
「なるほどねえ。人に懐かないショゴスもどきが馴染んでるのは、そういうわけなんだねえ」
ふふっとオルガさんは笑ったが、
「悪いけどこの子をどけてやってくれないかねえ?今からやる療法のためには、魔力喰いが同席するのは良くないからねえ」
「わかった。マイ、悪いが座席の方にいっといてくれ」
「アイ」
ずるずるとマイが移動していった。
「少年、主役の嬢ちゃんをここへ」
「はいよ。ランサおいで」
「わんっ!」
ランサがやってくると、オルガさんは表情をフッとゆるめ、まるで別人のように優しい顔になった。
「さ、ここだぞ?」
口調までどこか優しい。
まぁ、たぶんこの感じが本来の姿なんだろうな。学者としての顔が出ていない時の素顔というか。
おとなしくランサが指定の場所に座り込むと、そのランサを中心に何か光が走った。
「……魔法陣だ」
円形に広がり、意味ありげな模様がその中に刻まれた光の筋。どう見ても魔法陣だった。
そしたら。
「ほう、よく知ってるねえ」
「え、本当に魔法陣なの?」
「……知らずに言ったのかねえ?」
逆に驚かれた。
仕方ないので、地球における魔法陣のイメージについて話した。
「なるほど、そういう事だったんだねえ。
これは魔族の魔紋という技術と異世界人由来のアイデアを組み合わせて作った円陣型の魔法陣なのだねえ。いわばキワモノなのだけど、作ってみると円形というのは術の展開にも効率がいいのがわかってね、今や本来の魔紋の方が絶滅の危機にあるくらい普及しているんだねえ」
「へぇ……」
何が役立つかわからないもんだなぁ。
「それはそれとして少年、ここを見てごらん」
3つ並んでいるランサの頭をさして、オルガさんは今度は険しい顔になった。
これはおそらく、研究者としての顔なんだろうな。
「頭の発達具合に偏りがあるね。それも真ん中の頭だけがよく発達している。
実際、普段の行動でも真ん中の頭だけ活発な事があったはずだねえ。違うかい?」
「そうだね……確かに。違わないよ」
言われてみればだが、確かにそうだった。
「自然生物しかいない異世界出身の君ならわかると思うが、三つ首の犬なんてのは言うまでもなく、魔物もしくは人造の生命体になる。したがって、その成長のバランスについては我々育成側の責任なのさ。
この子くらいの偏りなら問題ないが、ひどい場合は成長時に首のひとつかふたつが崩壊し、ソレが全身を道連れにして死亡するケースだってある。特に進化はね、劇的に起きるだけにリスクが大きいんだ」
「……なるほど、すみません」
「君が謝る事ではない。実際、普通に育てるだけならこれでも全く充分なんだからねえ。
ミニラ博士にしろ私にしろ、これはただのお節介にすぎないんだからねえ……よしと」
何やら魔力を注ぎ込み、何かを整えているようだった。
「この魔法陣は、少年なら覚えておくだけで再現できるはずだねえ。魔力そのものを制御して流し込むのに便利だから、少年のような大魔力保持者は使い方を覚えておくのがオススメだねえ」
「わかった。これって種類は色々あるの?」
「あるねえ。……ほら、これをあげるねえ」
そういうと、オルガさんは空間魔法で茶色い本を覚えてひとつ取り出し、それを俺に渡してくれた。
「私の作ったもので悪いけどねえ、魔法陣のテキストだねえ。良かったら使っておくれねえ」
「え、いいのか?手製だろこれ?」
この世界では印刷の普及が遅れている。それに製本技術も印刷用とは違うため、特に本の複製となると写本、あるいは高度な魔法で複製するかの二択が多い。
どちらの製法をとるかは地域や種族次第との事だけど、どのみちコストは安くないと聞く。
ところが。
「その本は、もし異民族の男とそういう関係になったら、あげるつもりで作ったものだねえ。だから構わないねえ」
「ちょ、余計まずいじゃないかそれ!?」
想定外の返答に驚いた俺は、即座にそう返した。
だが。
「ちっともまずくないんだけどねえ」
「え?」
「少年はその異民族の男だし、そういう関係になったら実に楽しそうじゃないか。何より、少年は無意味に人命を犠牲にでもしない限り、私の研究の邪魔はしないだろうしねえ。むしろ、できる事なら助けてくれそうだ」
「……そうか?ヤバい研究だったら止める気もするけどな」
「その基準が普通の男より、少年はかなり甘いという事さ。自覚はないようだけどね。
……よし、終わったぞ少年」
「え、もう?……あれ?」
言われてみると。
さっきまで感じてたランサの3つの首の違和感が、ほとんど消えている。
「横2つの首に加工済みの魔力を注いで、真ん中の首の活力を少し奪った。違和感がなくなったろう?」
「ああ」
「この状態がパーフェクトだ、感じを覚えておくといい。
進化が起きてしまえばもう気にする必要はないが、進化の前にまたおかしな事になったら、その時はまた措置が必要になる。私に連絡をとるなり、魔族の獣医に速攻でわたりをつけた方がいい」
「なるほど」
オルガさんは、そこまでを真剣な、研究者の顔でピシッと告げると、
「……まぁこんなとこだけど、わかったかねえ?」
元の、のんびりした顔に戻って、そんな事をのたまうのだった。




