企み
「本当に申し訳ございませんで」
「いや、別にあんたらが悪いわけじゃないでしょ」
平謝りのモレナ氏族のおっちゃん……これも自称だけどな……の話を聞きながら、俺たちは昼食をとっていた。
時間を頂きたいといいつつ引き止める気なのが見え見えだったので、食事タイムという制限を儲けて話だけ聞く事にしたわけだ。
彼らの話によると。
ここしばらく、水棲人に化けた人間族らしき集団が問題行動を繰り返しており、このあたりで問題になっていたという。西海岸に水棲人がたくさん出ていたのはそのためもあるのだという。
そのため「も」ね。
『確かに事実でしょう。少なくともウソではないかと』
そう。で、この周囲の水棲人の状態は?
『このあたり一帯が、水棲人で埋め尽くされつつあります』
逃がさないためのいわば人間の盾、あるいは肉の壁か。いやな感じだなぁ。
まぁとりあえず、彼らから情報はもらえた。ここに宿泊するつもりもないのだから、そろそろおいとまするとしようか。
……ルシア?
『はい』
ちなみに俺とルシアの会話は、すべて言語以前の思考のやりとりで行われている。水棲人たちに聞かせるわけにはいかないからだ。
『退去結界を作動させます。動作対象は、水棲人』
ちゃんと道路を確保してくれよ?
『はい』
そう聞こえた瞬間、空気が変わった。
「さて、そろそろ我々もお昼ですかな」
「そうですなぁ」
さっきまで全力で俺たちを引き留めようとしていた彼らが、またぞろトロメの海に退去しはじめた。もちろん結界の作用だ。
注意をそらし、意識をそらし、穏便にすべて退去させる。
これこそ結界魔法の真骨頂だそうだけど、すごいもんだ。
漫画的な演出をするなら悪意結界みたいな強引に叩きだす方がわかりやすいけど、そういうのは実は結界の本流ではないらしい。そもそも結界というのは力技でなく、このように「誘導」的に使うものなんだとか。
ふむ。どうやら、やはり彼らの家は湖底にあるって事か。
「退去しない人たちがいるね」
アイリスがつぶやいた。
まだ水棲人じゃないのが混じってるのか。
『林の中に待機していますね。おそらく狙撃手です。悪意結界を使いますか?』
「そいつらの認識はどっちになってる?」
「黄色だね」
「そうか。やはりな」
「……やはり?」
「ああ」
アイリスの言葉に、俺はうなずいた。
「そいつら、プロのスナイパーだろ。悪意を悟られずに攻撃する術があるんじゃないか?」
この世界には魔法があるし、悪意を嗅ぎつける方法もある。
だったら。
狙撃をしようってヤツは、悪意から位置を知られる事は避けるはずだ。
「じゃあ、どうするの?」
「まぁキャリバン号に戻ろう、話はそれからだ。戻るぞランサ」
「わんっ!」
足元でもりもり喰っていたランサに声をかけると、緊急でバーベキューセットを携帯魔道倉庫にまとめて突っ込んだ。あとでちゃんと片付けるぞ、もちろん。
ぞろぞろと車内に戻っていると、
「お」
ピキューン、ビーンと何かが高速で飛来する音、そして何かに刺さる音がした。
「うわ、撃ってきたよ!退避ー」
「あぶないねえ」
『矢止め結界を使用しておりますから無駄ですが』
「え、そうなの?」
『はい』
矢止め結界というのは本当に矢を止めるのでなく、厳密には矢そらしなんだと。要は攻撃的飛来物から護衛対象を守るというものだが、特に力なき俺にはほとんど常に、ルシアが勝手にかけているんだと。
後でそれを知らされた俺は、そりゃどうもと言うしかなかったが。
とりあえず、急いで車内に戻った。
「相手の武器が推定できる?」
『矢はこれでした。近くに刺さったのを回収してみたのですが』
「お、さすが」
見てみると、妙に短い矢だ。
「こういうのってよくしらないけど、もしかして……」
「クロスボウの矢かも」
「お、こっちにあるんだクロスボウ」
『超射程用の特殊なものかもしれませんね』
外ではまだ、何かが刺さるような音がしている。
「犯人たちの所属はわかる?」
『調べましたが、人間族の殺し屋としかわかりませんね。特定の国に所属してないフリーランスの暗殺組織のようです』
「物騒だなあ」
のんびり旅をする上では、最も迷惑な存在だろう。国と違って頭がつかみにくいのだから。
「そいつらについて、何でもいい、とれるだけの情報をコルテア・タシューナン両政府に通報しといてくれる?あとの措置は彼らに任せよう」
『わかりました』
「うんうん」
さ、行こうか。
東海岸の道は西と違い、のんびりしたものだった。
もっとも、常に退去結界を使っていたから、というのもある。さきほどのスナイパーみたいなのがまだいたら水棲人を巻き込みかねないし、それは望むところではない。水棲人の上層部にどんな思惑があるのかは知らないけど、少なくとも現時点で俺は、水棲人と敵対するつもりなんかないんだから。
退去結界をしかけ、それで退去が間に合う程度の……つまり、せいぜい魔獣車程度の速度でゆっくりと流す。
「ん」
道の分岐点らしきものが見えた。
「こんなとこに分岐点なんてあったか?アイリス、地図どうなってる?」
「ちょっと待って」
アイリスがタブレットをいじり、ふんふんとうなずいていた。
「なんか近道ってなってるね。山間部をぐるぐる回るみたい?」
ほう。しばし悩んだ。
だけど経験的にいうと、確実な通過が推奨されている時に突発的な脇道って、たいていロクな結果にならない。
そんなわけで。
「そのまま進むぞ」
「はーい」
そのまま走り抜けた。
このまま走り続ければ、どのみち辿り着くのは国境の町ガゾだ。エマーン人に触手があるかどうかも確かめられそうだしな。
「触手?」
「いや、ただのネタだ。気にしないでくれ」
さて。
「このまま進めば国境の町まで、あとどのくらいあるかな?」
「えーとね、このままの速度なら、夕方までには到ち……」
「?」
なんかよくわからないが、アイリスが途中で絶句した。
「どうした?」
「えっと、なんかすごいのが接近中、かも」
「すごいの?」
『何かが急速接近中です。個体数1』
アイリスの、なんだか妙な反応をルシアが引き取ってくれた。
「何か?」
『どうやら魔族のようです』
魔族だって!?
ちょっとそれでパニックになりかけていたところだったんだが、脳裏に聞こえた声で全部氷解した。
『やぁ、久しぶりだねえ』
「……この、どっか間延びしたような声は」
肉声でなく頭に直接響いたんだけど、間違えようがない。
「バラサで逢った人か。えーと……オルガさんっつったか?」
『おや、名前まで覚えておいでかね。そりゃまた光栄だねえ』
「そりゃお世話になったからね」
正しくは、その後にアイリスと会話もしたからなんだけどね。
魔族の、マッドのつく科学者との噂も名高い、オルガ嬢。俺にとっては、ランサの件で世話になった恩人の印象が強いのだけど。
結界は維持したまま再度の休憩にしようとしたんだけど、そのままでいいという。だから走り続けながらの歓談となった。
ちなみにオルガさんはドアもあけず、いきなり後部座席にいた。さすが空間魔法の使い手だ。
ところで。
「どうして脇道に入らなかったんだい?そうすれば、こうして追ってくる必要もなかったのに。や、ありがとう」
ルシアの煎れた紅茶を美味しそうに飲みつつ、オルガさんはそんなことを言う。
「そりゃ決まってるでしょ。あんなタイミングで知らない道が登場するなんて、絶対何かやばいものって決まってますって。ちなみにですけど、あの先には何があったんですか?」
かけてもいい。オルガさん関係なんだろうなと思ったわけだけど。
「あの先はジャンプゲートだねえ。飛び先は魔大陸の私の工房のある敷地だねえ」
……入らなくてよかった。本当によかった。
「今、何か失礼なことを考えてないかねえ」
「いやいや。旅の順番がめちゃくちゃになっちゃうでしょ」
俺はそのまんま、素で返した。
「まぁ、どのみち魔大陸も予定に入ってるんですけどね。一度うちのを魔族の獣医さんに見てもらいたかったし」
「ほう?何か問題があったのかい?」
「ないですよ。けど、ずーっと俺の旅に同行でしょ?イヌ科の動物って本来、あまり狭いとこに閉じこめるべきじゃないと思うわけで。だから一度はプロの目でね」
「なるほどねえ」
ふむふむと楽しげにランサを見つつ、オルガさんは笑った。
ミラーごしではあるのだけど、あいかわらずの黒ローブに黒髪。そして膨大な魔力が特徴だ。
何よりランサの反応がわかりやすい。カリーナさんたちの時には寝たままである事も珍しくなかったのに、きっちり起きてオルガさんを見ている。長年魔族に飼われてきた種族という事なんだろうな。
「おや」
そんなオルガさんだが、ランサを見ていて何か気づいたようだ。
「どうやら進化しかけているようだけど、ちょっと気になるところがあるねえ」
「気になるところ?」
「君以外の強い魔力を感じるねえ。誰か、魔族かご同輩にこの子を見せたかい?」
はて?
心当たりはと悩んでいたら、
「ミニラ博士じゃない?」
アイリスが助け舟を出してくれた。
「ミニラ博士って、生物学者のミニラ博士の事かい?」
「知ってるの?」
「博士の分野そのものは私の専門外だねえ。だけど生体加工に際して用いるドワーフの術式は範疇なのだねえ。いくつか術式によくわからない点があって、質問に行った事があるねえ。もうかれこれ200年も前になるけどねえ」
「そうか……」
「ああなるほど、これはミニラ博士の魔力なのかねえ。それは懐かしいねえ」
そうかそうかとオルガさんは頷いていたが、
「だけど、ミニラ博士の手が入ったにしてはバランスが悪い気がするねえ。何かあったのかねえ?」
「あー、実は……」
俺は再び博士の話をする羽目になった。
オルガさんは俺の話をじっと聞いていたが、
「あの博士がねえ。そっかい。少年もなかなかドラマチックな場面に出会う宿命にあるんだねえ」
「褒めてないですよね?それ」
「褒めてないからねえ」
クスクスとオルガさんは笑う。
「まぁ、事情はわかったねえ。
こんな年数が過ぎてから、博士の調整の手伝いをする事になるとはね。まさしく巡りあわせ、運命を感じるねえ」
「調整の手伝い?」
「そうだねえ」
俺の問いかけに、オルガさんは大きく頷いた。
「博士はね、この子の変化の方向を補強しようとしていたんだねえ」
「変化の方向?」
「つまり、少年の護り手にふさわしい個体への変化だねえ」
そう言うと、オルガさんは大きくうなずいた。
「ケルベロスをただ成長させるのでなく、進化させるためには飼い主の魔力だけではダメなんだねえ。かといって、単に魔力の強い者をぶつけるだけでもダメ。これにもちゃんと法則性があるんだねえ。
少年、今夜の停泊予定はどこかねえ?」
「ガゾに行く予定だった」
「だった?」
「オルガさん、人間族社会で手配されてるでしょ。こっちも人間族とは事を構えたくないから、利害の一致って事でガゾ近くの郊外に野営予定だよ」
「……なるほど。いい男になるねえ少年は」
そういうと、オルガさんはにっこりと笑った。




