訪問者
今回は短いです。すみません。
眠くなったので、先にキャリバン号に引き上げた。
そして、運転席に座ってのんびりしていたのだが……。
こんこん、こんこん。
誰かが窓を叩いていた。
ふと顔を向けると、なんだか懐かしい顔があって驚いた。
あわてて窓をあけた。
「ありゃ、ターさんじゃないか!」
「こんばんわ」
こりゃまたずいぶんと珍しいお客さんだった。
俺の旅の大先輩、ターさん。ちなみに女性で、おそろしく古い時代の知り合いだ。
なんてこった。ターさんこっちに来てたのかよ。
彼女は謎の多い人だった。
わかっているのは元お嬢だという事と、愛知以西のどこかの出身という事くらい。そして俺が旅をはじめた頃、もう彼女は旅のベテランだった事。
俺の旅のスタイルは彼女の影響を強く受けている。
たとえばキャリバン号がそうだ。軽ワゴンで旅をするというスタイルを俺……当時は俺でなく僕だったが、俺に見せてくれたのは、彼女とぽんこつホンダ・アクティのコンビだったんだ。
それ以前の僕は、250ccクラスとはいえ高性能のオフロードバイクで走るのが旅のスタイルだった。レースではないから速度を落とすとはいえ、やっぱり北海道では車の流れに乗る速度、つまり郊外では80kmから100km出して走ってたって事だ。当時のホンダXLRバハなんかは、それを余裕で可能にしたし。
それを根底から覆したのが、彼女と古いホンダ・アクティだった。
無理してがんばらないと車の流れにも乗れず、大抵はウインカーを出してやり過ごす。そしてマイペースで旅を続け、マイペースで現地に着く。
人生は旅。だから急がず、でも確実に行きたいところにいこうよと。
だけど、ある時期からターさんには会えなくなった。まぁ、俺の生活が変わってしまったせいだ。
俺は次第に旅の生活から離れ、ひきこもり気味のIT屋生活に移行していった時代。昔の旅仲間とは疎遠になり、連絡がとりにくくなっていった。
それでも最初の数年は、まだ行き来があったのだけど。
ひとり離れ、ふたり離れ。
そして最後に行き来のなくなった友達が死んだ事を知ったのは、彼と縁もゆかりもないはずの埼玉の警察からの電話だった。彼もまた孤独死をしており、彼の荷物の中に転送された俺の年賀状から、友人であろうと当たりをつけて連絡してきたらしい。
その事で、俺はもう完全に当時とのつながりを無くしてしまったのを知って。
でも、色々と事情があって連絡をつける気もしなくて。
結局、そのままになっていたんだよ。
しかしまさか。こっちで、こんなカタチで出会うとはね。
とりあえず助手席のドアをあけて、彼女に入ってもらった。
なぜか彼女は恐縮しながら中に入ってきて、へぇーと目を細めて車内を見た。
「なんだか懐かしいねえ。ケンちゃんがご近所にいた頃のクルマかな?」
「ハハハ……そうだよ、なぜかあの年代のなんだよね。売れ残ってたんだよ。ぽんこつで」
「……わざわざ合わせたの?」
「貧乏だったの!」
クスクスと笑っている顔は、当然まったく信じていなかった。
いやまあ、そりゃそうだよな。
キャリバン号を俺が選んだ時、彼女のアクティ号とダブって見えなかったかと聞かれたら、百パーセント否定はできない。それも確かに事実だろう。
どれ、ちょっとドライブしてみるか。
「シートベルトしめて」
「え?うん」
シートベルトをしめさせると、エンジンをかけた。
そして何も言わず、夕闇の町に走りだした。
町はゆっくりと、夕方の赤みと夜の黒に沈みつつある。だけどキャリバン号のヘッドライトはまだ明るいというほどではなく、古い箱型を時おりガタピシと鳴らしつつ、懐かしい田舎の道をゆっくりと北上していく。
ターさんは何も語らない。ただ、キャリバン号を見てとても懐かしみ、あれこれと話しかけてくるだけだ。
俺もそんなターさんと会話を楽しんだ。まるで遠い昔のあの頃のように。
だから俺はつい、あの頃に聞けなかった事を尋ねてしまう。
「ねえ、ターさん」
「ん?」
「あの時さ。最後に逢った時、ターさん」
最後に彼女と逢った時、何故か彼女は昔と違っていた。
とても陽気でアクティブで……。
でも、昔と悪い意味でも変わらなかった俺は、彼女がどうしてそんな感じなのかわからず。
そして……彼女は目の前で泣きだして。
そして……自力で笑顔に戻り、いいの、いいのと笑いつつ去っていく彼女を、俺は止められなくて。
彼女に何があったのか。
もしかして、俺が彼女に何かしてしまったのか。
何もわからないまま、とうとう彼女とは二度と会えず終いで。
だけど。
「……」
ターさんは沈黙したまま、唇に人差し指をあてた。言うなという事らしい。
「ねえケンちゃん」
「なに?」
「自分にとって大事なことを決める時に、甘えるのはよくないよ?」
「……」
「ケンちゃん、誰かを傷つけたと思ったんでしょう。だから私を思い出した。違うの?」
それは。
「会えてうれしいけど、でもそれはダメだよ」
……。
いつしか、キャリバン号の中も夕闇に包まれていた。
暗闇に浮かび上がるメーターパネルが、いつのまにかキャリバン号のそれでなく、もう忘れかけた遠い昔の、彼女のアクティ号のそれになっていた。
そして俺は助手席にいて。
彼女もあの頃のように、ちょっとぎごちない手つきでハンドルを握っていた。
「だいたい、ケンちゃんは変なとこで古臭いんだよ。女は男が守らなくちゃって、そんな気持ちをどこかで持ってるでしょう?
だからこそ、学者さんだっけ?ちゃんとした大人の女を傷つけたと思って、そんなに落ち込むんだよ」
「……」
だってそれは。
俺、マサが死んだ時のターさん知ってるから。あの、なんでもないって笑いながら手に数珠巻いてたターさんを知ってるから。
だから俺は……。
「思いあがりだよ、それ」
「思いあがり?」
「そう」
ターさんはクスクス笑った。
「どうして、5つも年上の女相手にそんな考えできるかな?顔は年寄りなのに困った子だねもう」
「ほっとけ」
クスクスと苦笑いするターさんに、俺は悪態をついた。
「確かに、女は男に比べると弱いかもしれないよ。
でもねケンちゃん、ケンちゃんが思うほど女が弱かったら、そもそも世の中はもっと全然違う姿になってると思うよ?」
そうなのか?
「あったりまえでしょうが。女だって同じ人間だよ?まったくもう」
「……うん」
ターさんの叱責はまぁ、当たり前すぎた。
仮に俺が何かの失敗をして、そのせいでターさんを傷つけた事があっとしよう。でも、それが良いか悪いかは別として、それを当人不在のまま、いつまでもくよくよ悩んでいても誰も喜ばないだろう。
「ターさん、ごめんなさい」
俺は、あの時どうしても言えなかった、謝罪の言葉を彼女に告げた。
彼女は一瞬、ポカーンとして俺の顔を見た後、
「今さら何を謝るってのさ、もう20年近くも前の事なのに。はぁ、男ってほんとに」
わけわからんと首をふる男前な笑顔は、確かに遠い日のあのターさんだった。
目覚めは唐突にやってきた。
眠っていたと気づいたのは、寝汗を感じたからだ。若い頃と違って背筋にそってべったり濡れるほどではなかったけど、確かにそれは寝覚めの感覚だった。
眠っちまってたのか。
「パパ。風邪ひくよ?」
「あ、うん」
アイリスに起こされ、俺は重たい意識をようやく目覚めさせた。
そこはもちろん、あの古いアクティ号でなく俺のキャリバン号の中で。
そしてここは懐かしいあの頃の日本でなく、どこともしれない異世界の、南大陸のはしっこの丘の上で。
俺は、ひとでない、でもやさしい仲間たちと共にいた。
「……」
ふと目を巡らせ、アイリスを見た。
「?」
どうしたの、と言わんばかりのアイリスのふたつの瞳。
目線を落として、ランサを見た。
「クゥン」
無垢に俺をみあげる、つぶらな6つの瞳。
目は向けてこないが、それとは違う3つの意識が、俺を気遣ってくれているのもわかる。
ああ。
俺は……とても幸せ者なんだと、この瞬間に改めて自覚した。
確かに、ここは見知らぬ異郷だ。
だけど、大切に思ってくれる仲間がいて。戻る場所があって。
人間の幸せなんて結局は、そこなんだよな。
なあみんな。みんなは友達がいるか?
昔いて、今は遠いっていうのなら……時々でも連絡をとっているか?
忘れないようにしようぜ。
人間は、誰かと共にいて、はじめて成り立つ生き物なんだから。
誰かと関わりを忘れちまったら、きっと、それは寂しい事になるから。
なぁ。
「アイリス」
「ん?」
「悪い、なんか頭ン中しっちゃかめっちゃかでな。コーヒーいれてくれるかな?」
「ん、いいよ」
そう答えたアイリスの目は、なぜだかとても優しくて。
「ねえパパ」
「ん?」
「……ターさんって誰?」
「!?」
うん。
それはとても、とても幸せなことなんだと、思ったひとときだった。
明日から再び、元に戻ります。
ちなみにターさんにはモデルとなった人物がいます。マサというのはターさんの彼氏でこれも実在。まぁ、一部情報は本人を辿れないようにいじっていますが。
では。




