国境
夕刻に少し距離を稼ぎ、そして車中泊でしっぽりと夜を過ごした俺たちは、えもいわれぬ満足感と共に国境を目指していた。
「ごきげんだね、パパ」
そんな俺のご機嫌の意味を知っているアイリスが、にやりと笑う。
おう……いいけどその『わたしみんな知ってるのよ』みたいな邪笑はやめてくれ。
「お、おう」
しかしアイリスさんてば容赦ない。俺が一瞬引いたのに気づいたようで、
「そんなに好きなら毎晩でもいいよ?ん、なんなら今すぐしてあげようか?」
「ちょっと待てや」
だから俺はエロ猿ではないというのに。
『決まったパートナーがいて、相手も乗り気なのですから何の問題もないのでは?』
ちょっとルシアさん、妙なところで援護射撃はやめてくれませんかね?
「いやいやまずいだろ。後ろから昨日のやつらが追ってきてるだろうし」
『いえ、追ってきてませんが。全滅したようです』
「……は?」
どういうことだ?
「えっと、初耳なんだけど。何があった?」
俺がアイリスとよろしくやっている間に、状況が動いたってか?
いやま、追われている状況下でそんな余裕かましてた俺がアレなわけだけどさ。
『例の人物ですが、種を受け入れた直後に、自分を隷属させていた存在である彼らを皆殺しにしたようです』
「……おいおい」
いきなり殲滅かよ。もしかしてヤバいヤツだったのか?
『隷属者を開放した瞬間に反撃に移るというのは、別におかしな事ではありません。それに対象者の能力によっては、本人にその気がなくとも自動的に加害者を皆殺しにしてしまうケースもありますし。
確か異世界にはこれをうまく表現する言葉があると聞きます。因果応報、というものでしたでしょうか』
「あ、……ああ、因果応報ね。うん、確かにそうだが」
奪われていた自由を取り戻した瞬間にねえ。
自動的に反撃してしまうって事は、呪いのように間接的に働く能力を持っているって事か。なるほどね。
「それで、あの爺さんはどうしたんだ?」
『生き残りの少女をひとり保護したようです。それで、とりあえずジーハンを目指して移動して情報を集めるつもりのようですね。魔獣車は全滅していますから徒歩になりますが』
「徒歩?この寒空の下で?」
『例の村まで付けば移動手段の手配も可能でしょう。今は近くの冬の村にいるようです』
そうか。
「女の子を保護したっていう事は、残虐な人物ではないって事かな?
あれ、でもあの集団にどうして女の子なんて乗ってたんだ?保護したって事は戦闘員じゃないよな?」
『獣人族のようですから、ペットか、どこかで売りさばいてお金にするつもりで捕獲したかのどちらかでしょう』
「……そうか」
どういう経緯があったか知らないが、弱者を保護したって事か。なるほどな。
「わかった、ヤツの事は何かあったら優先的に教えてくれ。頼むぜ?」
ルシアが植物系生命体であり、人間の心の機微までは期待できないってのを忘れてたぜ。ここはちゃんと念を押しておかないとな。
『わかりました』
俺の気持ちがわかってかわからずか、ルシアはどこか神妙に応えるのだった。
さて、そんな益体もない俺の思考をよそに、キャリバン号は快適に東に走り続けている。
「ところで国境ってどんな感じなんだ?巨大な門とかあるのか?」
「ううん、小さい検問があるだけだよ」
「それだけ?」
「うん」
そんなんで、こっそり国境を越えようってヤツとか止められるのか?
「別に何もないよ。でも国境の手続きなしに越えてきた場合、行き先で人間の町に入る時に面倒事の元だよ」
「あー……そういう事か」
人間界で作ったルールなんだから、破れば人間社会で不利になると。なるほど合理的だ。
『国境では近隣の魔物や天候の情報もやりとりされますし、それぞれの国家の最新情報も得られます。また国境を通過した証拠がないと商取引に問題が起きるなど、守らせるための仕組みができているようです』
「なるほど」
日本じゃ、自分で小型漁船でも使って国境破りしない限り、港湾や空港で見つかっちまうからな。こういうとこは興味深い。
確か前に読んだ旅行記によると、ヨーロッパをバイク旅行していると国境なんて県境みたいな感じらしい。ドキドキしながら国境越えようとしたら「おお、日本人か珍しい!」なんてヒマそうな年配のおじさんがニコニコ笑ってるような国境もあったとか。有料道路の改札だってもう少し用心するだろってレベルだったとか。
おそらくコルテア・タシューナン国境も似たようなもんなんだろうな。
「で、その国境まではあとどれくらいだ?」
「もうすぐ見えてくるよ。小さい建物が2つあるっきりだから目立たないけどね」
2つ?
「コルテアの作ったのとタシューナンの作ったのがあるの」
「あーなるほど」
そんな話をしているうちに、視界の向こうに何か見えた。
「お、人工の建物が……って、なんだありゃ?」
「なぁに?」
「いや、いいけどさ……あんなんでいいのか?」
「たぶん。人のいるとこに商売ありだって」
「ふむ……」
遠くに見えるそれは、どう見ても町だ。
『中央付近にある大きな2つの建物が、それぞれの国境施設です。これを中心に広がっているのが国境の町、タナ・タナです』
「棚?」
妙な響きに思わず漢字をあてはめてしまったのだけど。
『何でも異世界由来の名前で、多くのものが並べられる町という意味だそうです』
あー、マジで棚なのね。なるほど、うん。
……なんとなく悪意を感じる名前だよな?
『主様?』
「いや、なんでもない」
名づけたのは日本人じゃないよな。さすがに。
いや、もしかしたら虐待されたヤツが嘲笑のために悪意でつけた可能性もあるが。
ふざけた名前はともかく、タナ・タナの町がそのヘンテコな名前以上にふざけた、いや面白い町なのは事実だ。
中央にある国境の建物はわかる。問題は町の方だ。
普通、こういう町だとコルテア側とタシューナン側に町が分かれるのが普通なんだけど、それらしいのはタナ・タナ中央通りと言われている一本の道路だけで、しかもその道路も、
「……いったい、どのあたりまでがコルテアでタシューナンなんだろう?」
「さあ」
「これは……国境通過自体がひとつの手続きと認識されていて、それに関わる人達以外は全く気にしてないって感じかな?」
「あー、そんな感じかも」
無頓着に広がる町は雑然としていて、国境という区切りなど知らぬとばかりだ。
そこかしこに子供たちが走り回っているが、これも人種から何からバラバラ。うむ、元気なもんだ。人間族の子供まで混じっているのに俺は苦笑した。
人間同士がどんな関係だろうと、子供は子供だからな。
子供はあなたのコピーです、なんて古いCMもあったけど、実際に子供社会は大人の影響を受けがちだ。だけどそんな中、人間族の子まで混じっているという事はたぶん、そういう大人社会のアレを乗り越えるような出来事があったという事だろう、きっと。
「ん、新世代の子が混じってるねえ」
「そうなのか?」
俺はてっきり、人間族がいると思ったんだが。
「ある意味間違いないかもね」
「ん?ある意味って?」
何か事情があるのだろうか?
そんな俺に疑問にアイリスが答えた。
「簡単だよ。
元々はパパが懸念するような理由でこの町に人間族が来て、で、ここで彼女こさえて子供が生まれたんだと思うよ。
でも、ここは精霊分の強い土地で食べ物も、水もそうだから影響受けちゃったんだと思う」
「生まれた子供は新世代。で、子供とここに永住するか子供捨てて引き上げるかってか?」
「うん」
それはまた。災難というべきか何というべきか。
「災難かどうかは、その人たちの気持ち次第だと思うよ。
パパの作るお砂糖……えーと、あの四角いやつってなんていうの?ニッシン?」
「それはメーカー名だ。角砂糖でいい」
この間、角砂糖をメーカーの袋ごと再現したんだが、まさかそっちを名前として覚えていたってか。
まったく、ベトナムのホンダじゃないんだから。
「紅茶にいれた白いカク砂糖は、溶けて色の中に混じってしまう。しばらくキラキラ輝いてる粒くらいはあるけど、やがてそれも溶けてしまって、元に戻す事なんてできなくなる」
「一方的に染め上げるしかない以上、白い角砂糖……つまり人間族が勝てる道理はないってか?」
「うん。まぁ、ひとつだけ勝つ方法があるけどね」
「……それを選んだのが聖国とやらだな」
「うん」
混沌をむしろ積極的に受け入れ、その中でイニシアチブをとればいいってわけだ。
普通なら、それをやると混沌に飲み込まれるだけだ。
でも聖国は宗教国家だ。彼らはただ『人間』の範疇を人間族オンリーから広義の『人間種族』に変更しただけで、しかも、そもそも聖典にすら『人間』の区切りについては言及していない。つまり歴史的経緯で人間族オンリーと勝手に決めていただけなのだから、解釈変更は当事者が納得してしまえば、実はなんの問題もない。
そう。
人間族の排他主義の究極であるはずの聖国が、実は二百年も前にその方針を変えていた事実。
これは、でかいよなぁ。
「あ、停車場あるよ、あそこ」
「おお、あれか……しかし、いいのかあれで?」
「いいんじゃないかな。なに?」
「いや、別に」
越境者用駐車場と書かれた、広い駐車場。
なんていうかその……ふたつの国境の建物の横に隣接しているんだけど、どう見ても郊外式のスーパーとその駐車場って感じだよな。白線もないし舗装もされてないけどさ。
まぁ、ごりっぱで停めやすいのは間違いない。遠慮なく使わせてもらおう。
キャリバン号を停止させた。
「アイリス、ランサ行……おわっ!」
言われるまでもなく、ランサが俺の身体を駆け上がり、肩のとこにつけっぱなしの空間ポケットに飛びこんだ。
……おまえは猫かっつの。
「ルシア、それからマイも。留守番頼むな」
「……留守、バン?」
『まいもこちらですか?しかしここは結界のみで問題ありませんし、守られるべきは主様の方ではないでしょうか?』
「わかってる。だけど必要な気がするんだよ」
俺はルシアの言葉に同意しつつも、自分の主張を告げた。
「ルシアにはこの時間を使って、昨日の戦いの記録をコルテア政府および各ギルドに流れるようにしてほしいんだ。他の何を差し置いても最優先でな。
で、マイはその間、警戒しつつ待機だ。ルシアの守りは素晴らしいが、他の仕事もさせる以上、まさかの可能性がある。おまえならただのフォロー以上の事だってできるだろ?」
「……ナルオド、ワガッ、タ……アイ」
マイは一瞬考えたようだが、納得したように返答してきた。
「もちろん、いつだって想定外はありうる。だから非常時はいつだって連絡をとりあおう。できるな?」
『わかりました』
「アイ」
俺たちは返事を確認しあうと、キャリバン号の外に出た。




