すれ違い(1)
あなたがバイクやクルマで移動する人なら、よほどの田舎でない限り前にも、後ろにもクルマがいると思う。
だけど、田舎どころか多少の都会であっても、時間帯を選ぶとまるで無人の荒野のような道を走れる事も知っていると思う。
何を言いたいかというと、異世界における交通事情についてだ。
中央大陸ではそもそもハイウェイを無視して飛ばしていたんだけど、ここ南大陸では道路をきちんと使っている。まぁキャリバン号は浮いているので本当の意味できちんと使っているかは微妙なんだけどね。
つまり。
場合によっては前後に、あるいは対向車もいる可能性があるって事だ。
『前方30km付近に魔獣車あり。対向車のようです』
「了解。アイリス、回避ポイントを探してくれるか?」
「わかった。ちょっとまってね」
え?何をしようとしているのかって?もちろん対向車のやり過ごしだよ。
キャリバン号は時速60kmほどで東に移動し続けている。この速度はこの世界における魔獣車の最高速度よりもさらに上らしいんで、相手がラシュトル級以上の生き物か、それに騎乗して飛ばしてこない限り、陸上を走って後ろから追いつく事はできない。
でも当然、前にいれば追いつくなり、すれ違うなりしてしまうわけなんだけど。
ここで問題がひとつある。
はっきりいって、たとえ異世界人というネームバリューがなくてもキャリバン号はそれ自体がアーティファクト、つまりお宝と見られる可能性があるんだ。つまり悪人でなくとも強欲な商人なんかだと、いらぬ邪心を抱かせる可能性があるって事。
悪いが、今はそういう可能性とつきあうつもりはない。
え?ひとを疑いすぎだって?ああ、俺も確かにそう思う。
だけどね。
『全ての人を信じなさい、だけど牛には焼き印を押しなさい』って言葉を知ってるかい?
人の善や好意を信じる事を由とした人ですら、善意の他人に出来心を起こさせるような事をしちゃいけないよと言っている。
そして俺も、この言葉には本当に同意したいんだよ。
「あった、一時の方向に7km、丘になってる」
「丘?結界頼りになるけど隠しきれるか?」
『現在、視界3kmほどのモヤがかかっていますから、その距離で結界と組み合わせれば可能でしょう』
ああなるほど。自然の靄を利用するわけか。
「わかった。アイリス誘導してくれ」
「じゃあ、ただちに一時の方向に。しばらく行ったら背の高い茂みがあるから、そこだけ気をつけて」
「わかった。進路変更、7km先の丘の上に向かう」
速度を落とし、少しハンドルをきった。
キャリバン号はただちにハイウェイをはずれ、南の荒野に向かって走りはじめた。
と、その時。
『主様、警告という程ではありませんが、ひとつだけ情報があります』
「何だい?」
『自分に近いもの……同じ樹精王様の姉にあたる木が近くにあるようです。まだ若いですが』
「え、こんな寒いところにかい?」
『はい。生育が遅くはなりますが、この気候ならばまだ生きられますので』
「へぇ……」
そりゃ驚いた。本当に強い植物なんだなぁ。
『それで姉からの情報なのですが……先方から迫ってくる者たちは商人なのですが、過去にこの近郊で商人らしからぬ行動をしているようです』
「商人らしからぬ行動?」
『詳細がよくわかりませんが、出会った別の商隊を皆殺しにし、同乗していた女性たちを連れ去ったそうです』
なんだって?
「それが本当なら、まずいな」
もちろん事情がわからないので断言はできない。しかし油断は禁物だろう。
『はい。丘の上までお急ぎください』
「わかった」
ここしばらくのドタバタであまり解説してないが、うちの結界は進化が続いている。
まずアイリス印の偽装草結界なんだけど、これがさらに進化した。悪意もつ者を追い出す他、追い出されないグレーゾーンの存在でも、俺たち関係者には一見してわかるようになったんだ。これは便利。
で、その外側にはルシアの結界がつくわけだけど。
『今回は、まいの結界を使います』
「え、マイも使えるのか?」
「アイ」
ぶつぶつと、名状しがたい泡立つような声でマイもうなずいた。
『悪意を増幅し狂わせる攻性の結界のようですが、我々のとは基礎部分が異なります。大変めずらしいものです』
「へぇ。ルシアが珍しいなんて表現するとはね」
ルシアたち植物勢にとって結界系は身を守る術でもある。そのルシアたちすらも珍しがる技術とは。
「ドワーフの技術ってことだね。なんかワクワクしちゃうね」
アイリスまで興味深そうに見ていた。
まぁ確かにそのとおりだ。マイが使える魔法・魔術とはつまるところドワーフの技術である。それも古代の遺物ではなく、現代を生きていたドワーフが、その手ずから刻み込んだもの。
その希少性だけでも、珍しいではすまないだろう。
まぁいい、今はマイの結界よりも対向車だ。
キャリバン号を停止し、しばらく待つ。
タブレットはスタンドの方に戻してある。スタンドは向きを変えてドライバー以外も見やすいようにしてあるんで、アイリスだけでなく、俺も、そしてランサも地図表示を見る事ができる。
「……おまえも見るのか?」
「アイ」
なんか、後ろの方から名状しがたい触手が伸びてきたと思ったら、その先端に目玉が生えやがった。気持ち悪い事おびただしいんだが、そんなのアイの他にいるわけもないので、とりあえず気にしない事にする。
「問題のやつは……この光点か?」
「だね」
「ワン」
白い光点がハイウェイを移動している。
「結構速いな、さすが魔獣車ってところか」
この世界で初めて馬車を見た時、ちゃんとサスペンションがついていて驚いたのだけど、こうして見ているとうなずける。
発明とか進歩ってのは、必要性が後押しするもの。
おそらく、魔獣車のように速い乗り物があったからこそ、ショックアプソーバの開発を進めざるを得なかったんじゃないだろうか?サスなしで無理やりスピードだそうとしても乗り物が壊れるか人間がもたないからな。
逆にいうと、この世界にもし馬車しかなかったら、発達はずっと遅れていたに違いない。
と、それはいいのだけど。
「ん?」
唐突に光点が黄色に変わった。
「黄色って、どういうことだ?」
『こちらを認識したという事ですね。どうやら、かなり高度な探知システムを持っているようです』
なんだって?
「かなり高度なって……おまえらの結界ですらものともしないって事か?」
『そうとは限りません。むしろ、こんな場所で高度な結界を張っている事に気づける者たち、という可能性の方が高いかと』
「……あー」
つまり、こっちの結界が何であるか判別できる者なら、逆に「ここに何かある」と疑うって事か。
なるほど。そりゃあもっともだ。
「つまり、向こうからこっちを探りに来る可能性があるんだね。どうするパパ?」
「どうもしない」
俺はきっぱりと言い切った。
「あっちがスルーして通り抜けるならこのままで。近づいてくるならさっさと移動しよう。つきあう義理はない」
「それでもし追ってきたら?」
「振り切ればいい」
なんてことはない。答えはカンタンだ。
相手が単にこっちの正体に興味をもっただけの第三者なら、深追いはしてこないだろう。
逆にいうと、そこで無理して追いかけてくるヤツだとしたら、それはこっちを確保したい理由があるって事だ。それも、目撃者のいないこんなとこで。
そしてそれはたぶん、高確率でろくな理由ではないだろう。
『こちらに反応する雰囲気はありません。そのまま通過するようです』
ふむ。
「後続はいるか?」
「後続?」
『後続ですか?』
「ある程度の距離を置いて同じようなのが続いてないかって事だよ」
俺がもし、悪意ある者である程度の規模の部隊をもち、何かを確実に捕縛しようと考えるなら。
おそらくは複数の部隊に分けて先頭はそのまま通過させ、後続との間で挟み撃ちにするのではないだろうか。
そのように二人に言ってみたのだが、
「ありうるね」
『あり得そうですね』
「ちょっと調べてみてくれ。同じような後続が何台かいないか?」
『了解』
「わかったー」
二人はさっそく、ああだこうだと言いつつ調査を開始したのだけど、
「いるねー」
『いますね』
嫌な予感が大当たりってわけか。
「10kmくらいの間隔を置いて六台ほど続いてるね。規模も同じだよ」
『隊商にしては距離が開き過ぎですし、だいいちこんな距離で均等間隔に並んでいるわけもありません。申し合わせてか連絡をとりあいつつ、正確に距離を保っているようです』
そうか。
「構成員の種族はわかるか?」
『大多数は人間族です。ただし新種族が少し混じっている他、奴隷と思われる獣人族も少しいるようです』
「……そうか。所属はわかるか?」
『中央大陸の国家群の者たちが主体、それと盗賊団の混成のようです。国家群の方は東大陸ルートで回ってきた可能性があります』
東大陸ルート?
「トンネルはないけど、大陸同士がかなり近づいてる海峡があるの。そこから上陸したんじゃないかってことだよ」
なるほどね。
『どうされますか?』
「そうだな。一定の距離を保ちつつ、知らん顔で通過してみるかな」
たまたま好奇心に惹かれただけの連中なら、追いかける気をなくす程度に。
「挑発だと思われるかも」
「悪意ある存在なら、それでもかまわないさ」
敵対する者にまで優しい顔する趣味はないよ。
「ハイウェイから一定の距離をキープしたまま東に向かいたい。障害物とかありそうか?」
「向かって、えーと……100kmくらいはないと思う。そのあたりで大きな川とぶつかるけど」
「む、わかりにくいのか?」
「地形情報がハッキリしないみたい。雪の下になってて何か見落とすかも」
「あ、そういうことか」
「うん」
キャリバン号は浮いて走る乗り物だが、あくまで地面や水面に対して距離を保っている。
逆にいうと、水中から唐突につきだしている尖った岩とか、うっすらと雪に隠された岩の突端なんかがある場合、故障はしないまでも唐突に振り回される、意図しない挙動を示す可能性は充分にある。
微妙なカーチェイスの最中に、それは充分に危険だろう。
なるほど、そいつは面倒だな。
「……ならばいっそ、逆の手でいくか」
「逆?」
「決まってる。ハイウェイを普通に走って、堂々とすれ違ってやるんだよ」
アイリスは、えっという顔でこっちを見た。
「犯罪予備軍を刺激する可能性は?」
「もちろんある、だからやり過ごそうとしたんだからな。
だけど、相手の意図もわからないのに、雪に埋もれた障害物の可能性もある場所を下手に進んで自爆する気はさすがにないな。はっきりいって、見たこともない相手に対して自己犠牲するほど立派な人間になった覚えもないしな。
だったら、あとは普通にすれ違えばいいだろ」
そう言うと、俺は「キャリバン号、エンジンスタート」とつぶやいた。
キャリバン号が胴震いをはじめた。
「アイリス、マイ、結界を解除してくれ。ハイウェイに戻る」
「パパ、本気?」
「もちろん本気だとも。
ところでアイリス、最小単位の悪意結界はどの程度のサイズになる?」
「えっと……キャリバン号の周囲2mくらいかな?」
「それは一応、貼っといてくれ。さすがに2m以内に接近するつもりはないからな」
「わかった」




