旅のお供完成
ようやく、なんかそれっぽいお供が登場です、ええ。
ドラゴンの眷属。そして精霊。
その言葉を聞いた時、俺の頭に想像したのはまぁ……王道ファンタジーなソレだった。つまり美少女……は無理としても、そこそこよさげな年頃の女性の姿だよね。今俺が最も欲しいのはこの世界について詳しい人材っていうのは間違いないんだけど、やっぱり俺だって男だもの。期待しちまってたのは仕方ないよね。
だって、人間の世界が殺伐としていてヤバいんだろ?
そんなところに常識知らずの異世界人がやってきて、こう、街角とか飲み屋にいる、そこそこよさげな女の人に指出して交渉して……って事も難しいだろうなって思うわけで。
そこはそれ、やっぱり俺も男だからさ、やっぱり、そこは期待しちゃうわけで。ファンタジー世界だしねえ、うん。便利だなファンタジー。
なのに、目の前にいた眷属さんときたら……。
「……なんで親父がここにいるんだよ」
なんとドラゴンと俺の間には、二年前に病気で死んだはずの親父が立っていた。
『故人だったのか、それはすまない事をした。そなたの記憶にある親しき者から選び、姿を似せたのだが』
「……なんだと?」
つまりこれは、親父そっくりに似せた精霊って事か?
「……」
一瞬、激昂しかかったのを必死に押さえた。
ダメだ、落ち着け俺。
相手はドラゴン、人間じゃないんだ。
何百年生きてるのか知らないが、人間の心の機微がドラゴンにわかるわけがないだろう。つまり彼は、あくまで厚意のつもりでわざわざ親父の姿に似せてくれたんだろう。
問題があるなら、指摘すればいいだろ?
結果はともかく、その気持ちに激昂してどうする?
「……ふう」
しばらく深呼吸して、気持ちを落ち着けた。
オーケイ、落ち着いたか俺。そして問題を考えようぜ。
まず、ドラゴンは気を遣ってくれている、これは間違いない。ただ方向性がズレているだけなんだ。
だったら話は簡単だ。遠慮せずにリクエストすればいいように思うぞ、うん。
よし。
もう一発深呼吸をすると、俺はドラゴンに向かい直した。
『大丈夫か?すまないな、逆に苦しめてしまったか』
「ああ問題ないです、どうも。あくまでこれは俺の問題なんで、気にしないでください。
ただひとつ、すみません。身内はできるだけ避けてくれませんかね?その……それは悲しくて胸がつらくなるので」
『そうか』
ドラゴンはなぜか納得げだった。
『思えば君は異邦人だものな。異界と現時点で行き来できるかどうかは知らないが、一時的にとはいえ一族の者と引き離されている事には変わりないはず。その事について気を遣ってしかるべきだった。
異世界人とはいえ短命の人族に指摘されるとは。すまなかった』
そう聞こえたかと思うと、親父そっくりの精霊は幻のように消えた。
なんか、少し口調が変わった気がする。いや、脳内に直接響いているわけだから、これは彼の心情の変化という事か?
とはいえ、こちらが彼の素のように思えるな。
巨大で恐ろしげな姿に驚かされてしまったが、本来の彼はそれに似合わず……いや逆か。むしろ王者にふさわしく、穏やかな性格なのかもしれないな。
『光栄だ』
おっと、こんな下世話な評価まで聞かれちまったらしい。いや、失礼ですみません。
『かまわない。君は面白いな、実に』
なんだか楽しそうだ。聞こえる口調まで、グッと砕けたものになっちまった。
ふむ、まぁいい、楽しんでもらえてるのなら幸いだな……って、いけない、本題に戻らないと。
「話の続きなんですけどね。どんな姿にもできるんですか?」
『いや、限界はある。現状、最も得意ですぐできるのは、老人と子供だな』
老人と子供?そりゃなんでまた?
……あー、もしかして……そういう事か?
「もしかしてですけど、その精霊、本来の用途は人間世界への潜入用?」
そう言ったら、なぜかドラゴンから驚いたような反応が来た。
『その通りだが……なぜそう思った?』
「なぜって、そりゃ簡単でしょ。年寄りと子供は警戒されないから」
『それはそうだ。だが同じ意味で重要部分にも潜入できまい?』
「そりゃ考え方によりますね」
俺は肩をすくめた。まぁ、車の中だけどな。
「潜入捜査をするには、相手をよく知らないとダメでしょ?でも、こういう場合、種族の違いは決して小さくないと思うんです。特に相手の社会に入り込み、しっかりと調べようと思えば。
あ、えーと、こんな感じの説明でわかります?問題あります?」
『いや、ないな。よかったら続けてくれるかね?』
ドラゴンにうながされて、俺は続けた。
「あくまでこりゃ俺の個人的見解なんですけど。
いい女やイケメンを使って情報を引き出すとか、そんなスパイ映画みたいな真似ができるのは、同じ人間だからだと思うんですよ。同じ人間だからこそ、社会的に潜入して違和感なくやれるわけで。
逆にいうと、いくら優秀でも人間でない者がやったら……どこかに矛盾を生じるんじゃないですかね。
そして、人間でない者が指揮する限り、それに気づかない。
で、おそらくプロはそれを見抜いてしまうんじゃないですか?」
『……ふむ、ほぼ満点だな』
ドラゴンが大きくうなずいた。俺には何かそれが「よくできました」と微笑む学校の先生に似てる気がしたんだが。
『もう少し補足もできるが、概ね君の考えで正解だよ。事実、我は過去にそれで何度も失敗してな。経験則により老人と子供に落ち着いているのだよ』
そう告げるとドラゴンは、スッと目を細めた。笑っているのか。
『ふふ、ますます気に入った。もしこの世界に骨を埋めるつもりなら、我の元に来ないか?生きている間が無理なら死後でもよい。その気があれば、いつでも連絡してくれたまえ』
「……はぁ。まぁ、その時がもしあれば」
とりあえず、俺はそう答えておいた。
いや、さすがに骨をうずめるつもりはないから。キャリバン号で世界中探し回ってでも、きっと帰る方法を探し出すから。
だからまぁ……本当に帰れないって事になって、骨を埋める時がきたら……その時にまた考えさせてくださいと。
『うむ、あいわかった』
ドラゴンはそんな俺の内心まで見透かすように、鷹揚に笑った。
『話を戻そうか。眷属の姿だが、改めて聞こう。どんな姿がいい?』
「ひとつ聞くけど、その姿って途中で変えられます?」
『できなくもない。だが、あまりやらない方がいいだろう。どうしても不自然になる』
「あとから作った姿だから?」
『うむ、理解が早いようで結構だ』
ドラゴンは大きくうなずいた。
『我としては……そうだな。メス……失礼、小さな女の子がオススメだな』
「女の子?なぜ?」
俺はロリコンじゃないんですけど?
『ロリコン?……ああなるほど、まだ成熟していない幼生体が好きという趣味か。よく理解できないが、人間の趣味はなかなかに多様なのだな』
「いや、そこ感心しなくてもいいですから。そして俺はロリコンじゃないですから、断じて!」
俺は歳上属性です、ええ。
って、なんで話がそういう方向にいくかなもう。
『小さな女の子の姿を勧めるのは簡単だ。つまり成長すれば女になるからだよ』
「成長、するんですか?」
するとも、とドラゴンとうなずいた。
『眷属は我の作りしものだ。しかし君に手渡した時点で君の魔力を受け君のものになる。
で、君は成長を望むのだろう?
ならば、君のものになった眷属は急速に成長するだろう。君の魔力を、情報を、そして願いを受けて成長し、急速に君の求める姿に変貌していくだろう。驚くほど短い時間でね』
「すみません。俺、子育てした事ないんですが」
『相手は魔力と知力の集合体とも言える。必要なのは魔力を分け与えるだけで、あとはそうだな、たくさん話してやれ。旅の途中の世間話でもな。それでその子は、しっかりと育つだろう』
「……」
『ああ、もちろん老人でもよい。しかしその場合、日々若返っていくのを見る事になると思うが』
「それはそれで興味深いですけど、さすがにちょっとシュールすぎますね」
所詮見た目の問題とはいえ、せめて見た目くらいは普通であって欲しいのも事実だ。
『理解できたようだな。では、改めて眷属を出そう。問題があったら指摘してほしい』
そういった次の瞬間、さっき親父もどきがいた場所に、お人形さんみたいな幼女が立っていた。
なんていうか、効果音も何もなく。
え?
あ、うん、間違いない。それは、まぎれもなく幼女だった。
銀色の長い髪に、灰色の瞳。
どう見ても小1か幼稚園かってサイズだし、どう見てもマジ幼女だった。髪や目の色からもわかるように欧州系の容姿なのはおそらく、明らかに俺の一族と違うっぽいのを記憶から掘り出したのかもしれない。どこか見覚えのある顔だからな。まるでお人形さんみたいに可愛い。
だが、それよりも問題なのは……。
「おい、なんで裸なんだよ」
さすがに敬語を忘れた。いや、忘れざるをえなかった。
眷属だかなんだか知らないが、かりにも人間の女の子だ。服を着せないってのはどうなんだよ、おい。
『その容姿はたった今作り上げたものだからな。衣服がないのはむしろ当然だ』
「そういう事か」
この子が魔力とナニカから合成されたものというのなら、そりゃ確かに衣服まで同時作成するのは無茶だよな。
『すまないが、衣服は自力で何とかしてくれまいか。君なら可能だろう?』
「何とかって、そんな事言われても子供服なんかどうすりゃあ……あれ?」
一瞬、世界がグラッと揺れたような気がした。
「ん?……ありゃ?」
ふと振り返ると、キャリバン号内に見知らぬ半透明のプラスチック箱が唐突に湧いていた。キャンプ道具の横にちょこんと置かれている。
いや……見知らぬ?そんな馬鹿な。俺はこの箱をよく覚えている。
「これ、俺のおもちゃ箱じゃねえか」
間違いない。俺が小さい時にあったおもちゃ箱だ。
単なる半透明の大きな衣装ケースだった。古ぼけていて、何かのおまけみたいなシールがいっぱい貼られていたり落書きもされている。俺の前には姉貴も使っていたヤツだからな。俺が物心ついた時にはもう、落書きだらけだったもんだ。
なんとも懐かしいなオイ……ん?
「あ、そうか」
運転席から手を伸ばし、ぱちんと引っかかりを外してフタをあけてみた。
「あー……やっぱり」
中に入っているのはおもちゃじゃなくて、姉貴の下着だ。小さい頃に見たっきりだけど、あの女の子なら何とか着れそうだった。年代的に。
あ、下着だけじゃないな、こりゃオーバーオールじゃないか?素材はデニムだな。
Tシャツも何枚かある。
うん、とりあえずこれだけあれば何とかなるだろう。
「何とかなりそうです」
『そうか。それは良かった』
「すみません、変な心配させちまって」
『いや、こっちこそすまないな……さぁ、それでは行きなさい』
女の子は大きく頷くと、とことことキャリバン号の方に走ってきた。
ああ、なんか歩き方も可愛いな。ほっこりしそう。
運転席の方に来ようとするので、窓をこんこんと叩いて意識を向けさせる。で、助手席の方にまわれと指示してみるる。
女の子はコクンとうなずくと、助手席の方にまわってきた。
鍵をあけてやると、普通にカチャッとドアをあけた。まるで乗り慣れているかのようだった。
そして俺が驚く間もなくスルッと乗り込みドアを閉め……なぜか俺の顔を見てにっこりと笑った。
だが、変な口上とか言い出す前に、まずやる事があるだろ。
「あの」
「ちょっと待った」
「……はい?」
彼女がしゃべりだそうとするのを制すると、まず俺は告げた。
「細かい話は後、まず服を着て。女の子が裸んぼはダメ」
「……あ、はい」
「後ろの箱わかる?中に下着が入ってる。ほら」
おもちゃ箱の蓋をあけてやる。
「下着以外がTシャツとオーバーオールしかない。サイズがぴったりじゃない可能性があるが、どっちもかなりルーズですむものだからね。多少のズレは何とかなるだろう。
そうだ、着方はわかるかな?俺の世界の服だからな、それだけが心配だが」
「大丈夫です」
何でもいいが、妙に発言が大人びてるな。まぁ人間じゃないんだから当然か。
女の子は後ろを向いて服をまさぐっている。
いいけど、横から色々と丸見えなのがアレだなぁ。子供だから問題ないが、十年後なら大問題のとこだったな。
「着れそう?」
「問題ないみたいです。ただ、ここじゃ狭いです」
「裏に行くといいよ。一端外に出て回るかい?」
「いえ。何とかなりそう」
キャリバン号は元がトラック系のボックスのせいか、座席側と後ろの荷室の間に仕切りがある。大昔の完全なトラック時代のものじゃないし俺の用途的に仕切られていると不便なわけで、通りぬけできるようにはしてあるんだが、隙間は正直いって狭い。俺は慣れてるから簡単に通り抜けるけどな。
女の子はそこをスルッと簡単に通り抜けると、
「これ、どれでもいいんですか?」
「当然。それ君のだから」
「……ありがとうございます」
「うん、さっそく着てくれ。問題があったら迷わず言ってね」
「はい」
外見と発言が似合ってないなぁ。すごく大人っぽい。
でも仕方ない、それは課題って事だな。
さて。前に向き直ると、やはりそこにはドラゴンがいた。
「大丈夫みたいです」
『うむ』
ドラゴンは鷹揚に頷いた。
『繰り返すが、それは我とつながっている。そして今は子供だが、君の魔力や会話によるデータ集積などで成熟していく。見た目も必要ならば、相応に変化するだろう。必要ならばね』
「必要です」
とりあえず断言しておいた。
『ふむ、断言するのだな。理由があるのかね?』
「今のままだと、第三者からの見てくれが凄く悪いですから」
『そうなのか?君の感覚的にはかなり可愛くしてみたつもりだが』
いやぁ、可愛いのは確かにいいんだけど。要は子供なのが問題なんだよね。
ぶっちゃけ、俺とこの子とキャリバン号の組み合わせって、映像的には幼女誘拐だろ(泣)
俺が警官ならまずこの子に声かけて、あのひとは君のお父さんかいって言いそうだよ、ていうか言うよ間違いなく。
せめてもうちょっと上なら、実は遠い親戚で日本に遊びにきたんですとか言えそうだけどなあ。
『まぁ、年代的問題はしばらく我慢してほしい。肉体の成長とは違うから、君の魔力量ならそう日数もかからないだろう』
「了解です」
む?
そんなこんな会話をしていると、何かキャリバン号の外があわただしくなってきた。
何事かと外を見てみると。
「……お」
まわりにいた大型動物やら恐竜たちが、一斉に引き上げ始めていた。
な、なんだ?
『日常にもどれと指示したのだ。興味があるのはわかるが、わが眷属からの情報を待てとね』
「あーなるほど。で、その眷属が今こっちに乗りこんだから?」
『そうだ。彼らは、わが眷属が乗り込んだなら好奇心が満たされる事を知っているのだよ』
なるほど。今までも似たような事があったって事か。
『さて、では我も去ろうか。あとは仮とはいえ同族同士、何とかやってみるがいい』
「ええ、わかりました。さっそく色々とありそうですし」
『そうか』
俺の言葉に、一度立ち去ろうとしたドラゴンだったが、
『言葉遣いに問題があるらしいのはわかったが、そんなに問題があるのかね?』
俺の言葉に何かを感じたらしく、そんな事を言ってきた。
「まぁたぶん、色々と」
『そうか』
少し考えるようなしぐさをした後、
『問題点はその都度指摘してやってくれ。先刻も言ったが我とそれはつながっているのでな、よろしく頼む』
「わかりました」
『うむ。では、今度こそさらばだ。また会おうぞ異界からの友よ』
そう言うと、ドラゴンはその巨大な翼をゆっくりと、優雅にひろげた。
うおぉ……かっこええ!
思わずスマホを取り出し、カメラスイッチを押した。
ええいくそ、スマホってカメラ起動遅いよな、やっぱりガラケーにしとくんだった畜生!
何とかカメラ起動すると、離陸していく雄大なドラゴンを何枚も撮影した。
おおぉぉぉぉ!やっぱりすげえぜ!
一度だけ、ごうっと風が起きて、キャリバン号が少し揺れた。
そしてもう一度見上げた時には、もうドラゴンはいなかった。
どのくらい呆けていたろう。たぶん時間にすると数分だと思うのだけど。
「終わりました」
「お、そうか。すまんちょっとボーっとしてた」
ふと横を見ると、きちんとオーバーオールにTシャツまで着込んだ、やんちゃそうな美幼女が静かに座っていた。
なかなか可愛いんだが、ふたつほど問題があったようだ。
まず、靴下はあるが靴がない。これはまずい……あれ?
「ああ、その靴をはいてくれ」
「……わかりました」
助手席の下のフロアに、靴がそろえてあった。
当たり前だが、たった今までそこに靴なんかなかったはずだ。なんで靴が?
ふむ、どうなっているんだろう?
「何か疑問が?」
こてんと首をかしげる銀髪幼女。
むう、しぐさと声は可愛いんだけどさ。
なんか幼女はただのインターフェイスで、実は巨大なコンピュータと話してるみたいだ。
「疑問というか、問題はてんこもりにあるね。だけど、まず最初にやる事がありそうだ」
「契約ですか?」
「いや、契約よりも先にやる事だな」
「なんでしょう?すみません、教えていただけますか?」
不思議そうに、可愛い声でスラスラと論理的な反応を示す幼女。うん、色々と問題ありすぎだ。
だけど、まずやる事はひとつ。
「まずね、名前を知りたい。君の名前?」
「ありません」
「……ないの?」
「はい。さきほど存在を始めたばかりですから」
なるほど。
「じゃあ、俺がつけていいのか?」
「はい」
「そうか、じゃあ……」
いくつか名前を思い浮かべた。
だけど、銀髪に灰色の瞳の白人系の女の子に、純和風の名をつけるのはいかがなものか。やっぱり、名は体を表してほしいしな。
よし、決めた。
「よし、アイリスにしよう」
「アイリス?」
どういう意味だろう、と言わんばかりに首をかしげた女の子に、俺は告げる。
「瞳の事だよ」
「ひとみ……この瞳のこと?」
「ああ、そうだ」
自分の目を指さした女の子に、もちろんとうなずいた。
「まるで鉱石みたいな、不思議な不思議な色合いだ。俺の身内はみんな黒……いや厳密には濃褐色だっけ、そういう色ばかりでね。灰色は君しかいないんだ」
「……」
「だからアイリス。そのきれいな瞳はきみだけのものって意味」
「……」
「だめかな?」
「……」
な、なんだろう?
なんかよくわからんけど、びっくりしたような顔でこっち見てますが?
「……」
女の子はしばらくフリーズしていたが、少ししてやっと動き出して、
「わかった。私、アイリス。うん、それでいい」
「そうか。よかった」
「ウン」
そう言うと、女の子……アイリスは少し姿勢をただした。
「なんて呼べばいいの?」
「俺かい?」
「うん」
「そうだな。健一でいい」
「ケンイチ?」
「そう。それが俺の名だ」
「ケンイチ……意味は?」
「健やかであれって事らしい。親父が身体弱くてね、俺には健康であってほしいって考えたんだって」
「……そう」
アイリスは何か、考えこむように少しうつむいたが、
「わかった。よろしく、ケンイチ様」
思わず脱力した。
「様はいらん、様は」
「ご主人?」
「名前で呼べよ。なんでご主人様なんだよ」
「でも、アイリスのご主人様」
「違う」
「違うの?」
「ああ、違う」
「そう」
なんか困ったようにうなずいている。ようやくわかってくれたかな?
「わたし、不要品?」
「……はぁ?」
「わたし、ご主人様のために作られた。でもいらないって言われた。不要品?」
「いやいや、だからそうじゃないって!」
なぜそっちに行くかなぁもう!
だけど、アイリスは不本意そうな、ちょっと困ったような顔でこう言った。
「わたしは道具。命じられたことをするのがお仕事。ちゃんとお仕事できたら嬉しい」
「……道具?」
「そう。わたしは人間ではない。そう……この子たちと同じ」
アイリスはそう言うと、ちょうど目の前にあるタブレットに触れた。
「この子たち、ご主人様の魔力で満ち満ちてる。助けになりたい、役に立ちたい、そんな思いで満ち溢れてる」
「……こいつは機械だぞ。確かに、俺のアシであり大切な相棒ではあるんだが」
「それでいいの、道具なんだから。大切に、でもしっかり使っている」
そう言うと、愛しげに目を細め、まるで宝物みたいにタブレットやダッシュボードに触れた。
「道具は使われてこそ道具。この子たち、幸せそう……うらやましい」
「……」
使われてこそ道具、か。
なるほど。人間の姿をしているからって人間扱いするのが正しいとは限らないって事か。
「わかってもらえた?」
「……ああ、わかった」
こてん、と幼女のように首をかしげたアイリスに、俺はうなずいた。
「なんていうか……いろんな意味で面白い事になりそうだな」
「?」
「なんでもない、ただのひとりごとだ」
そう言うと、俺は前を向いた。
「エンジン始動」
その瞬間、キャリバン号は胴震いして車体を目覚めさせた。メーターパネルに灯りがともり、すべてが動き出す。
「……おー」
興味深そうにパネル類をながめているアイリス。こういうとこはマジで子供みたいだな。
「アイリス、シートベルトつけろ。やりかたわかるか?」
「ちょっとまって、えーと……わかった。今つける」
もぞもぞと動き出したかと思うと、パチン、カチンと金属音がした。
「できた」
「どれ……ちょっと調整が甘いな。どれ」
横から手を出して直してやる。ひょいひょいとベルトをしめこんでやるのだけど、
「……楽しそうだな」
「うん、楽しい」
なんか、すごくニコニコしている。
「知らないことばっかり。とても楽しい」
「……ああ、そうか。そりゃあ楽しいよな」
未知がたくさんあるのって、とても楽しい事だ。それはとてもドキドキする事。
うん、なんか、免許とりたての頃を思い出しちまった。
あの頃は、どこに行っても、何やっても、何に乗ってても楽しかったよなぁ。うんうん。
アイリスの幸せそうな顔を見たら、なんかほっこりしちまった。
「よし、これでいいだろ。苦しくないか?」
「大丈夫」
「オッケー、それじゃあ行くか」
「ウン」
返事をしてくれるヤツがいる。
たったそれだけの事なのに、何か楽しい。
そうか。そうだよな。
誰かとドライブする楽しみなんて、忘れちまってたよ。
手を伸ばしてタブレットのマイクボタンを押した。
「森から出て海にいきたい」
『海。一番近くの海辺への経路です』
地図がパパッと出てきた。ふむ。
ふと見ると、アイリスがしげしげと地図をのぞきこんでいた。
「なんだ、読めるのか?」
「えーと……ここが今いるとこ?」
「そうだ」
「じゃあ……いきたいところはここ?」
「そうだ。ふむ……よし、じゃあアイリスがナビやってくれるか?」
「わたしが?」
おぉ、瞳キラキラしてら。
「そのタブレットはとても優秀で頼りになるんだ。だけどな、運転しながら操作するのは大変なんだよ。アイリスが覚えてくれると助かる」
「……わかった。がんばる」
こくんとアイリスはうなずくと、タブレットに「よろしくね」と言った。
むう、いちいちやる事が可愛いなオイ。
なんか、いろんな意味で楽しい旅になりそうな予感がするぞ。
これがキャリバン号と同じく俺の大事な仲間、合成精霊アイリスとの出会いだった。
見知らぬ世界を走り回るうえでキャリバン号は大切な相棒だったけど、あいにくキャリバン号は機械だ。さすがに人間の会話はできないわけで、旅しているとどうしても会話には飢えてしまう。
だからこそ、彼女の存在はとても大きくなった。
まぁいい。
大切なのはこの時から、この世界における俺の旅が、本格的に始まったって事だ。