老学者の遺産
「む?今の声は……竜の娘の口を借りておるが娘のものではないな。もしや上位者、つまり娘の主であるところの竜であろうか?」
アイリスの声が「違う」事に博士は一瞬で気づいたようだった。
『いかにも、我は真竜と呼ばれし者。
ドワーフの女よ、そなた、この異世界の青年に何をさせようとしているのか。場合によっては許さぬぞ』
「なんと、竜は竜でもまさに神族たる身の真竜殿であったか。これは失礼をいたした。わしはミニア・ミニラ、しがないドワーフの学者でござる。
さて真竜殿のご指摘の件であるが、わしが青年に頼んでおるのは、わし以外の魔力で、この生き物を目覚めさせたいからでござる。これには魔族やドワーフに匹敵する魔力が必要であるが、青年ならば申し分ない。それがゆえでござる。他に理由はござらん」
『ふむ』
どうやら今回はドラゴン氏、アイリスに全面介入しているようだ。
本来なら「アイリスに憑依したドラゴン氏」というべきだが、長いのでアイドラ氏と呼ぼう。反論は許さない、よし決定。
アイドラ氏は博士の言葉を吟味するように少し考え、そして首をかしげた。
『説明と状況から判断するに、その生き物は『ショゴス』であろう。異世界人のもたらした物語を元に作成を試みられたがなかなか実現せず、ドワーフとしては異例の長い、長い開発期間を経てようやく陽の目を見たという珍種であると記憶している。相違ないか?』
「いかにも。ご存知であったか」
『では聞く。ショゴスを異世界人に目覚めさせる実験は、開発完了時に一度行われておるはず。今さらその者で再度行う必要を感じぬが?ドワーフともあろう者が同じ実験を何度も繰り返すとは、何か理由があるのか?』
「目覚めの悲劇をご存知か。では話が早い。
目覚めの悲劇の失敗原因がわかったのじゃ。そして実験も成功、既にわしらドワーフでの実験は終わっておるのじゃ。他ならぬわしの手でな。
しかし、ダメ押しというか、最終確認をしておきたい。
つまり悲劇と同じ状況を、今度は問題ないカタチで行うという事じゃ。
つまり、それがこの少年に魔力注入を頼んだ理由でもある」
『ほほう』
な、なんかよくわからないが、俺を放置してどんどこ話が進んでるなぁ。
まぁでも、名前がショゴスらしいというのはわかった。そしてショゴスという名前で、だいたい何だろうっていうのもわかった。
知らない人のために少し、ショゴスについて書いておこう。
まず20世紀のアメリカに、H.P.Lovecraftっていうおっさんがいたらしい。彼は『クトゥルフの呼び声』っていう作品を書き残した人なんだけど、この作品の世界観を面白がった人たちが群がり、これを拡張し、やがて体系が組み上がって完成したものが、いわゆるクトゥルフ神話、クトゥルー神話、またはク・リトル・リトル神話と呼ばれる一連の作品群になっているんだな。
なに、よくわからない?
でも君もたぶん「ネクロノミコン」「ハスター」「ルルイエ」「ナイアルラトホテップ」「アトラク=ナクア」「アル・アジフ」果ては「アロハ座長」「ひでぽんの書」などなど、一連の言葉の中に知っているものがおそらくあるはずだ。クトゥルフ神話はいわゆるシェア・ワールドと呼ばれる体系になり、作家も、国境も越えて同じ人物、同じ世界観、同じ神や魔物が登場する作品を全世界に無数に生み出してきたんだ。王道ホラー作品から果てはSFもの、愛憎もの、ついには萌えアニメ、制服姿の謎の姉様に至るまで、本当にたくさんだ。
で、ショゴスについて語ろう。といっても俺は専門家ではないから間違いがあるかもしれないので、大雑把な概要だけ書いてみる。
ショゴスというのは簡単にいうと、不定型でうにうにと動く奉仕種族である。古き者ども、なんて呼ばれる種族に仕えていたらしい。が、この古き者どもっていうのがあまりにもショゴスたちをこき使うもんで、とうとう彼らは反逆を起こしたのだとか。
その結果がどうなったのかは俺は知らない。ただ彼らについて書かれていると思われる作品群によれば、今もルルイエってとこで眠り続けていたり、物好きな学者に掘り起こされて変な青年の元でメイドさんをしたり、幼女の姿をした魔導書がベッド代わりにしたりしているんだという……だったと思う、うん。間違っていたら誰か訂正してくれプリーズ。
どうだ、わけがわからないだろう。俺もわからないから安心してくれ。
要はだな。なんか好きなカタチがとれて、何でもありで、そこいらの人間の魔法使いなんか全く相手にしない凄い人外の魔物。それがショゴスってやつだと思えばいい。
しかし。
そんなものの模造品を、わざわざ何百年もかけて作ってみたってか?
これは……異世界にまでこんな濃いものを広めちまったバカを責めるべきなのか。それとも、物語にでてくる得体のしれない奉仕生物なんて、わざわざ再現しようと試みるドワーフがイカれているのか。
さて、それはそれとして。
「話の途中で悪いんだけど、目覚めの悲劇ってなんだ?」
「む?」
俺の言葉に反応してくれたのは、博士の方だった。
「ショゴスの再現、まぁ厳密にはショゴスに似たような不定型の高度生命体であるからして、正しくはショゴスではないの。ではショゴスもどきとしようか。
その、ショゴスもどきが完成してすぐの頃の事じゃ。
目覚めのための魔力が足りんでな、近郊の国が囲っていた……まぁ。隷属させていたんじゃがな、そこの異世界人を借りて魔力を注いでみたんじゃよ。
ところが目覚めたショゴスもどきは、わしらの命令をきかず暴走した。とんでもない大惨事になってしもうたんじゃな」
「大惨事ね……ちなみに被害は?」
「逃げ出したショゴスもどきは人に化けて町に入り込んで……擬態能力が高すぎて捜索もままならず、そして隙を狙ってはこちらの手の者まで食われてしまうありさまでな。結局、ひとつの国の3分の1にあたる人間を喰ってしもうた」
なんだそりゃ。確かに掛け値なしの大惨事だなオイ。
「それで目覚めの悲劇、か?」
「うむ、そのとおりじゃ。
原因は、皮肉な事じゃが複数人の魔力を注いだ事にあった。ショゴスもどきは初回起動時に注ぎ込んだ魔力の持ち主により強い影響を受けるのじゃが、複数人のそれを注いだ場合には混乱を引き起こすようなんじゃな。まぁ、半年もたてば自力で学習して落ち着くようなんじゃが、その間の危険性が洒落にならん。
この問題のせいで、ショゴスもどきを扱える者は非常に限られてしもうた。
わしは元々、ショゴスのベースになった海洋生物の専門家じゃ。しかも魔力はドワーフでは珍しい特級もちでな、量だけなら魔族のそれに達する。ゆえにこの問題の検証に取り組み、わしひとりの魔力ならば問題なく起動する事も確認したとまぁ、そういうわけじゃな」
「ふむ……で、そのやばいもんを目覚めさせるのに俺の魔力を使いたいと?」
「そのとおりじゃ。さ、そういうわけでここに座っておくれ?」
「断る」
「な、なぜじゃ!?」
きっぱり断ると、博士は信じられない、と言わんばかりに目を開いてこっちを見た。
「いや、そんなヤバイ昔話をきかされて、それでもやる方がむしろ頭おかしいだろ。普通に断ると思うぞ」
「問題は解決しておるのじゃ。ただ、わしの魔力で確認はとったものの、以前と同じ異世界人での確認はとれておらん、ただそれだけの話なんじゃ。
既にそなたの魔力も登録ずみじゃ。ここに座って魔力をおくればそれだけですむ。
そんなわけじゃから、な、頼むぞ」
「だが断る」
「な、なぜじゃ!?」
話が終わりそうにないなぁ。
終わりそうにないから、速攻で切り上げる事にした。
「わざわざ招いてくれた事に感謝するつもりだったんだが、そういう事情で招いたのなら撤回させてもらうわ。邪魔したな博士」
ついでに、ドワーフってのがどういう人種なのかも、ようっくわかった。
過去にドワーフに頼った異世界人がいないって聞いた時に不思議に思ったけど、なるほど納得だよ。そりゃあ誰も頼らねえよなぁ。ははは、自分の馬鹿さ加減に今回ばかりはさすがに呆れたよ。
研究バカとは聞いていたけど、まさかここまでやばい連中だったとは。
「アイリス、いや中の人違っててもいいや、とりあえず帰るぞアイリス」
『うむ、わかった』
中の人はまだドラゴン氏のままらしいが、空気読んでそのまま従ってくれるらしい。
ありがたい、あとでお礼言っておこう。こっちも空気読んで静かにしているランサともどもな。
だが、出口に向かおうとした俺の後ろで異変が起きちまったようだ。
「ふ、ふふふふ、ふざけるな、逃がすかい!」
うわ、ロリババアがいきなり怒り出しやがった。沸点低いなオイ。
そう思った次の瞬間、前方でガチャリと音がした。
「お」
「ふふん、出られるもんなら出てみるがよい、この施設の開閉コードは儂しか知らんし、人間族や獣人の術ごときで壊せはせぬぞ!」
……ほう。
「……あんた、俺を逃さないつもりか?」
「ふ、決まっておろう。二度と得られぬ貴重な実験のチャンスじゃぞ。悪いがな、何がなんでもつきあってもらうわい」
「……俺さ」
ふうっと、ためいきをついた。
「そういう手前勝手な輩は別に嫌いじゃないんだけどさ。でもな、危険に他人様を当然のように巻き込むってぇその態度は気に入らねえな、おい」
「なんとでも言え。
そなたはここから出られん。眷属どのなら古代語は使えるじゃろうが、合言葉なんぞ自由に変えられるからどうにもならぬ。
それに竜の力でわしを殺せば、そなたらはここに閉じ込められて餓死するだけじゃ。ここの設備は千年前の破壊でもビクともせなんだ特別製でな、ドラゴンのブレスも竜言語魔法も早々受け付けんからな。
さぁ、もうわかったであろう?わしの言う通りにせよ」
ああ、もういい、わかったよ。
「一応言っておくが、何が起きて俺は責任もたんぞ。全部おまえの罪だ、償えよロリババア」
「……は?」
ロリババアを無視するとポケットから光線銃を出した。
あの日に外してキャリバン号に起きっぱだったけど、結局は俺のもんだからな。出そうと思えばどこからでも出せるし、なんならもう一度造成もできるわけで。
んで、迷わず扉を撃った。
「な!?」
扉にはキレイに穴があいた。
「ほうほう、ならばこうだな」
射線をぐるっと巡らせて、丸く穴をあけた。
「な……ば……」
「ほれ行くぞ」
『うむ』
フリーズしているロリババアは無視して穴をくぐり、ホールに出た。
「そ、そんなバカな!どんな高圧高熱にもビクともせぬ魔鉱石の扉が!」
背後から声が追ってきたが無視して歩き続ける。
『主様』
そんな時、手首に巻いたルシア姉の蔓から声が響いた。
『異常事態です。核融合炉と思われる反応に想定外の大きな負荷がかかったようです』
「なに?」
もしかして、俺の銃が何かやらかしたのか?
『もともとエネルギー的に不安定なところに大きな負荷がかかり、バランスを失ったと思われます。壊れる事はありませんが、安全装置が働いて緊急停止がかかるかもしれません』
ほうほう、緊急停止ね。
そりゃ大事だが、こっちにはキャリバン号がある。さっさと扉破壊して上に逃げよう。
「む、これも動かないな」
もう一枚ある扉も閉じているので、これも破壊した。
通り抜けたら、次はエントランスホール。キャリバン号も目の前にあった。
「ぬおおお、き、貴様、貴様はぁぁぁっ!」
「おっと」
さすがに我に返ったな。なんか怒って走ってきたぞ。
「キャリバン号エンジン始動。非常事態だ、扉は俺が開ける」
『了解。始動して隣に移動します』
ブルッと音がしてエンジンが始動した。
その間に俺は銃をかまえ、エントランスホールの入り口を破壊した。
え?そこまでする必要あるのかって?
あのロリババアにどういう思惑があれ、無理やり中に拉致して危険な実験をさせよう、なんてヤツにつきあうつもりはないね。
そしてキャリバン号に乗り込もうとしたところで、
『主様危険です、対象の所属カラーが赤に変わりました!』
「なに!」
ここで攻撃かよ!
だめだ、相手はそこいらの暴漢や人間族とはワケが違う!
逃げるにもトンネルは急勾配の登りだ!キャリバン号の性能じゃ、逃げ切る前に飛び道具か何かで致命的な攻撃を受けちまう!
くそ、やるしかねえ!
俺は振り返った。
何も考えなかった。ただ向こうにババアの姿が見えたと思った瞬間、その姿に向かって引き金をひいた。
「お……」
光条がまっすぐにロリババアに命中、ババアがフリーズした。
よし、命中だ!
結果を見届ける事なく俺はキャリバン号に飛び込んだ。
できるだけ急いでトンネルにキャリバン号を出した。
「アイリス、ランサ、何かに捕まるか潜り込んでろ、走るぞ!」
そしてそのまま、アクセルを踏み込んだ。
ぬ、ぬお、こ、こ、こ、このぉっ!
上り坂なら安定するだろうと思うのは、おそらくはあまりクルマに乗らない人だと思う。
重心の高いボックスカーを急勾配の上り坂で、しかも時々大きな段差のある上り坂を走らせるのだ。無風とはいえ不安定だし、しかも定期的にジャンプよろしく大きく重心が揺さぶられる。
くそ、あぶねえ!
『エネルギーシステム、ますます不安定に。まもなく停止します』
「ヘッドライトつけるぞ!」
「はいぃぃぃー!」
結局、何とか脱出に成功した時には全員、心底疲れ果てていた……。
やれやれ。
【海底・研究設備】
弱々しく明滅していた動力炉がついに先ほど緊急停止に入った。活動は急速に低下しており、数日のうちに止まってしまうだろう。
「魔力備蓄は……ふ、そう長くはもたぬか」
ミニラ博士は研究室まで引き返し、後始末を開始していた。
異世界人の攻撃力を侮り、結果として大敗してしまった。
だが、それはいい。
大した怪我ではなかった。彼も命をとる事は意図してなかったのだろう。
あの恐るべき武器……おそらくは異界のものであろうが、あれをまともに使えばおそらく自分は即死させられただろうとミニラ博士は直感していた。おそらく意図的に、しかもギリギリまで絞り込んだ一撃だったに違いない。
「異世界人の本質とは、ああも心優しい者なのか。
まったく、わしらドワーフも人間族を笑えぬな。最も古き新人類でありながら……っ!」
ふらり、とよろめいた。
「……大した一撃ではないが、動脈を傷つける事には何とか成功しておるようじゃな。緊急措置では血が止まらぬわ」
無理やり止める事はできるが、それは出口を塞いでいるだけだ。
このまま流血が続けば、いずれ死ぬだろう。
そしてミニラ博士は、治療してまで生き延びるつもりはなかった。
「最後の最後が大失敗かの。まぁ、それもよかろうよ」
どっこらしょっと、手近な座席に座った。
「誰にも強制される事を嫌がり、旅しているような者じゃ。無理強いすれば怒らせるのはわかっておったのになぁ。
ふふ……これだからマッドなどと呼ばれたのじゃろうな。ふ、ふふ……」
自分の城である研究室を見渡す。
千年という途方も無い時間の中、どれもこれも心血を注いできたものばかり。どれもこれも宝物だ。
「……おお、そういえば一つ忘れておったな」
そのまま睡魔にまかせて眠ろうか思ったが、ひとつ仕事を忘れていた。ショゴスもどきの存在だ。
「ふむ。せめて、わしの魔力で起こしてやろうと思ったが、さすがにもう足りぬか。
それにそもそも、あやつの魔力を先走りでちょっと注入してしもうたしな、ふふ。
……む、いやまて」
そこで彼女は、失血で鈍りはじめた頭でひとつの結論を出す。
「未完成のままでも、現状なら自力であやつを追えるかもしれぬな。
ふむ……能力は大幅に低下するであろうし、無事に追いつけるかもわからぬが。ふむ、まぁ賭けのようなものか。
しかし、面白いの……」
そう言うと彼女は、水槽の中のタールの塊に呼びかけた。
「お主、あの者の後を追いかけたいか?どうじゃ?」
『……』
「ふむ、既に主人と認識しておるようじゃな。よろしい。
ではな、製作者としてお主に最後の指示をしてやろう。
わしが死んだらその心身を喰い、それを燃料にして自分の主人を追うがいい。
追いついたらヤツに魔力をもらい、無事覚醒したら……あとはヤツの護り手になってやれ。
できるか?……おおよしよし、上等じゃ。
そなたは、わしの最後の作品じゃ。名前はヤツにつけてもらえ。
ならばよいな、命令したぞ?」
『……』
そう言うとミニラ博士はポケットから何かをとりだし、それを小さな魔法を使って腕に撃ち込んだ。
「よし。これで楽にいけるじゃろ。……おや」
ふと見上げると、クラーケンに塞がれていた場所に何もなくなり、海面の向こうに揺れる空が見えている。
「あやつ、喰い物がなくなったら逃げおったか……ふふ……ふふふ……」
それがミニア・ミニラ博士の、最後の言葉だった。
『……』
しばらくたち。
ミニア博士が完全に生命活動を止めたと思われたその瞬間、水槽の中にあったタールの塊が突然に動き出した。
それはミニア博士の亡骸を取り込むとこれを食べ始めた。
そしてすっかり食べ尽くしてしまうと、むくむくと変形をはじめ、そしてどこかで見たような人の形になった。
『……』
それはまるで、全身タールをかぶって真っ黒になったミニア博士のようだった。
『テケリ・リ』
その奇妙なヒトガタはそんな奇怪な鳴き声を出すと、出口らしき方に向かってゆっくりと歩き始めた。




