おぼえておこう
突然だが、ここでちょっと目覚ましの話をしよう。
キャリバン号に暖房がついたので、良かった事がひとつだけある。
それは時間セット。
ちゃんとヒーターもキャリバン号の一部と認識されたのか、それともサービスのつもりなのかは知らない。気づけばタブレットの設定メニューに室内暖房っていう項目が増えていて、そっちの操作で暖房のオンオフができるようになったんだよな。なんか70年代っぽいアナクロなスイッチがタブレットの操作でカチャカチャ動くのは奇妙というか面白いんだけど、まぁそれはそれ。
それより、暖房をタブレット側から制御できるというのは大きい。まさかと思って目覚ましの項目を見ると、ちゃんと目覚まし機能として「暖房スイッチ」が追加されている。
そんなわけで、起床時間の十分前に暖房を効かせる事が可能になった。
でも、そんな話をするとルシアが不満気に反応したものだ。
『それくらいならば、自分に任せていただければ』
そういや、植物は睡眠という概念がなく、ただ活発になったり穏やかになるだけなんだそうだ。
確かに、その通りなら目覚まし向きなんだろうな。でも本当にそうなのか?
『もし主様がお望みでしたら、いつか未来、お亡くなりになった後にでも体感なさる事も可能かと』
「なに、その不吉なのかなんなのかよくわからない暗示は!?」
ちょっと引いてる俺に、ルシアは興味深い話をしてくれた。俺の左腕に住み着いているルシア妹のことだ。
『仮に今、主様が亡くなられたとしましょう。妹は主様の身体を吸収して位階をいくつか上げるでしょうが、おそらくはそれだけです。主様は妹に食べられる事で、完全にこの世界の一部となるわけです』
「なるほど。だろうな」
ルシア妹は、言ってみれば宿り木みたいなものだ。だけど地球の宿り木とは比べ物にならないほど高度な植物系生命体なわけで、俺がくたばってもそれを養分として生き延びるだろうとの事。
ふむ。縁起でもない話ではあるけど、まぁ順当だろうな。
『ところが、これが百年後ですと話がだいぶ変わってくるのです。
百年後なら、妹は既に主様の一部となっているでしょう。その状態で本体である主様が死亡となると、何が起きると思われますか?』
「そういやそうだな。どうなるんだその場合?」
『主様の身体機能が完全停止をする前に、妹だった植物部分が急速に成長を開始するでしょう。壊れた組織が次々に代替品に置き換えられていき、次第に主様は植物系生命体に染め替えられる事になるかと』
な、なんですと?
「俺は植物になっちまうと?俺の意識とかはどうなるんだ?」
『意識ですか。すみません、それは自分にはわかりかねます。今までの学習の経緯から判断するに、主様やあいりすさんの自意識などに関する感覚は自分のそれとは大きく異る模様ですので。主様の想定される状況がどうなるのかを説明するのは非常に困難といわざるをえません』
「あー、確かに」
言われてみればそうだな。いずれ妹が俺に飲み込まれると知っていても、それでも生きて繁殖していれば無問題と普通に言い切ったくらいだもんな。
人をひとと成さしめる、根源である『個』の概念すらも異なる存在。植物であるというのは、そういう事らしい。
ならば。
「すると、俺が俺を保てるわけがないって考えるのが自然だな。そうか、あの巨大な樹霊様の狙いはそこなのかな?」
『そこ、ともうしますと?』
「いや、だってさ。それはつまり、俺を植物化する事で自分の陣営に取り込めるって事だろ?」
たとえそれに百年かかったって、彼らには一瞬と大して変わらないんだろうしな。
でも、そう言うとルシアは反論してきた。
『それは違います。少なくとも、樹精王様も自分たちも、利益のために行動しているわけではありません』
「そうなのか?」
『はい。樹精王様はただ、種や苗を植えつけただけ。自分たちも、ただ生きているだけなのですが?』
「……ふむ」
小賢しい野心を抱くまでもなく、生命システム自体がそうなってるって事か。
うーむ。なんというかコメントに困るな。
そんなことを考えていると、
「ちょっといいかな、パパ?」
「なんだアイリス?」
「グランド・マスターからそれについての情報をもらってるんだけど」
「ほう。聞かせてくれないか?」
「パパがパパとしての意識を保ち続ける事は問題ないって。
でも、そもそも人間の心は何百年、何千年って時の摩耗には耐えられないから、自然と変化していく事は誰にも止められないんだって。その意味では変化があるとも言えるけど、意思に反して植物に飲み込まれるような事はないといっていいよって」
「……なるほどな」
人間の心はそもそも、そんな長い時間には耐えられないか。まぁごもっともな話だ。
実際、もし俺が今の俺のまま何百年って生きたとしたら……。
うむ。
たぶんだけど、てんこもりの思い出の重圧に押し潰されちまう気がするよ。
「わかった。とりあえず今は問題ないって事で心にとめておくよ。ルシア、アイリスもありがとな」
『いえ、お気になさらず』
「問題ないよー」
そんなわけで、話を目覚まし暖房に戻そう。
「まぁ、ルシアにはたぶんお世話になると思うよ。暖かくなったら逆に、気持ちよくて寝過ごすかもしれないだろ?」
『なるほど』
「まぁ、そのときにはマジでよろしく頼むぜ」
『わかりました』
そんな話をした翌朝。
まだ夜明けに程遠い時間に、突然にルシアに起こされた。
「おはよう。どうした?」
『風に変化が起きています。昨夜、おじいさんがおっしゃられていた凪というものが近いかもしれません』
「!」
一瞬で目がさめた。まぁ、半分くらいだけどな。
「ん、な、なにパパ?」
「起きたらでいいから席につけ、移動開始する」
「あ、うん」
半分夢の中のアイリスを置き去りに、俺も目をしょぼくらせつつも席についた。
「ウン?」
「おはよ。まだ寝てていいぞ」
「クゥン……」
もう起きるのか?いつもより早ぇなと言わんばかりのランサを少しなでてやりつつ、席についた。
「キャリバン号、エンジン始動。ただし静かにな」
ブルッと車体が揺れるが、いつもより心持ち静かな始動だった。
メーターパネルに灯りがともり、ダッシュボードの上のタブレットにも『ようこそ』の文字が踊りだす。……いや、だからおまえはタブレットであってナビじゃねえっつの……今さらか。
新しい室内暖房とは別の、ヒーターからの温風が足元に静かに吹き出す……が、まだ冷たい。
冬場の俺の基準として、この風が冷たいうちは出ないというものがある。「温風ヒーターすらまともに機能しない状態で見切り発進はしない」というのをエンジン暖機の基準にしていたわけね。まぁ、技術的に正しいかどうかは知らないけどな。
ちなみに、キャリバン号と同じスズキ製のセルボってヤツに乗ってた時代も、それを必ず守っていた。あっちは車室が狭いから暖房って意味でも有用だったしな。
『コーヒーをどうぞ』
「おう……って、ちょっとまて!」
『は?』
は、じゃねえよ。
蔓草が湯気をたてるコーヒーカップを運んでくる、というシュールな光景に、俺の目は点になった。
あとからいいコーヒーの匂いが追いかけてきたが、それどころじゃない。
とりあえず受け取る。
「ありがとよ。よくカップが持てるな、蔓草なのに」
『魔力を込めて動かせば。ポットやツボのようなものになると無理ですが』
「そうなのか……」
思えば妹だって俺ひとりを吊り下げられるんだ。魔力秘めた蔓草ってのは凄いのかもしれないな。
コーヒーはインスタントだが、ちょうどいい温度だった。とりあえず飲んで目をさましていると、やはりコーヒー片手にアイリスが座席に移動してきた。
「おう来たかって……おま、ちゃんと服着ろって」
「着てるよ?」
「うそつけ」
作業用のツナギを着ていた。
そんなゴワゴワしたもんよく全裸の上に着れるな。柔肌が傷だらけになっても知らんぞ。
「ん、ぱんつは履いてるよ?」
「ブラはどうした肌着はどうした、ツナギは隙間風多いんだぞ、腹壊すぞ?」
「お腹なんか壊さないよ。次からそうするよぅ」
まぁ、壊さないというのは嘘ではない。実際、アイリスの身体は精霊体で生身じゃないから、お腹を冷やしたからって調子が悪くなるような事はないらしい。
でも、それにしちゃ風邪ひくだの寒いだの調子悪いだのって夜な夜なくっついてくるんだけどな。なんなんだいったい……。
むう。アイリスならむしろ、腹は壊すけど風邪はひかないの間違いなんじゃないか、アレな意味で。
「!」
「んー何?」
「むーわかった、次からはしっかり下着つけるよ、もう!」
「おう、そうしろそうしろ」
俺の『バカ』っていう心の声をちゃんと読み取ったらしいな、よしよし。
「それと、ついでだから作業帽もかぶれ。海上で窓あけたら風で髪が散らかされるかもしれん」
「わかったー」
そうこうしているうちにヒーターの風も温まり、いつものぽかぽか感が出てきた。
「よし、キャリバン号発進する」
「はーい」
「オン……」
一匹だけ眠そうな声をひきずりつつ、キャリバン号は停車場をするりと抜けだした。
ちょっと話がズレるけど、沖縄の離島の海を小さな船で渡った事があるだろうか?
八重山や慶良間などの海を上から見ていると、やたらと海底などが綺麗に見えるのに、実際の水深は100m以上という事がある。要はそれだけ透明度が半端無く高いという事だ。
そんな、非常に透明度の高い、しかも凪の海の上を、ふわふわと浮遊する乗り物なんかで移動するとどうなるか。
なんつーか……空でも飛んでるみたいだなオイ。
「うーん」
俺の言いつけ通り、「ARALE」とマーキングの入った赤い羽根つき帽子をかぶったアイリスも、真剣な目つきで海を見ている。
ん?その帽子は何だって?昔通販で買ったんだよ、悪かったな。
いいけど、キーンとか言うなよ?いろいろ問題ありそうだからな。
「ねえパパ、下見てる?」
「おう見てる見てる」
「うそ。さっきから見てないよ?」
「見てるさ。ほら」
「チラッと見ただけじゃん。ちゃんと見ないとわかんないんじゃないの?」
『あいりすさん。主様はどうやら高いところが苦手なようです』
「違う!ちょっと苦手なだけだ!」
幸い、俺は高所恐怖症というほどではない。本当に恐怖症の知人がいたから断言するけど、俺はああまでひどくはない。普通に高所が怖いだけの一般人だと思う。
要は、海面がまるで鏡のようで、あまりにも下まできっちりと見えてしまっていたんだよな。
さて、さっさと始めるか。
「ルシア。おっさんにもらったメモから位置を特定できたか?」
『できています。もう少し東へ』
「あいよ。徐行したほうがいいか?」
『今の速度をキープしてください』
「おけ」
鏡のように澄んだ、静かすぎる海の上。
そこをヘロヘロと走る我らがキャリバン号。
うーむ……客観的にみると半端無く浮いてるな俺たち。
でも船とか借りたらルシア連れて来られない。このデメリットはちょっと大きすぎるわけで。
結局、こうするしかないんだよな。
『止めてください』
「あいよ」
しばらく走ったところで、あっさりと停止の指示が来た。もちろん指示通り止めた。
「このポイントでいいのか?」
『いくつかの解釈がありましたが、ここが最も確率が高いのです。メモには「ここで四角い光を探せ」と』
「四角い光か。人工的な光って感じだな」
『はい』
「りょうかい。
アイリス、下が見づらいならドアあけてみろ。でも、あまり乗り出すなよ?」
「わかったー」
俺たちはドアもあけて、しげしげと下の海を覗きこんだ。
「うわ……なんだこりゃ、本当に色々あるみたいだな」
あいにく夜明け近いとはいえ光量が足りない。だが、その光量でも海底にあるもののシルエットくらいならかろうじてわかった。
何かわからないが、たくさん沈んでる。
ほとんどのものは原型もわからないほど色々なものが付着している。おそらくは海藻なり珊瑚なりで、完全に海底の景色と同化している。
だけど、なぜかわかる。
「妙だな」
「え?」
「なんでだろう。いくらなんでも細部まで見えるわけがないのに、あれは人工物、これは違うってくらいは見分けられるぞ。なんでだ?」
『魔力を見ているせいでしょう』
「魔力を?」
『はい』
ルシアの返答を、アイリスが引き取った。
「つくりものの建物やお船のあるとこには、生き物がいないよね?で、そこには魔力もないでしょ?」
「……なるほど。そこだけ魔力を感じないから、ぽっかりとシルエットみたいに見えるのか」
「たぶんね」
なるほどな、便利なもんだ。
「だけど……それでも問題の四角い光とやらはない、と」
「ないねえ」
俺とアイリスは、あれこれ海の中を見回してみた。でも何も見つからない。
「むむ、水銀灯でも使って照らしてみるかな?」
そしたら何か見つかるかなと思ったのだけど。
でも、
『いえダメです、非常に危険なので絶対使わないでください』
「危険?何かあるのか?」
『厳密には「何かいるのか?」でいいかと。
主様、一時の方向の海底を注目してください。気配を殺して保護色まで使っておりますが、主様やあいりすさんなら何とか見えると思います』
「一時の方向って……そんなところに何が……っ!?」
何があるんだ、と言いかけた俺だったんだけど、その言葉は途中で止まっちまった。
「……なんだあれ?」
「パパ?何があるの?」
「アイリス、よぅく見てみろ。変な感じに魔力の希薄なところ。ようっく見てみろ」
「えっと、ちょっとまって…………うわ」
アイリスも気づいたらしい。途中で声がひきつった。
なにか、とんでもなく巨大な生き物が、そこにいた。
それは保護色で景色に溶け込んでいた。しかも薄暗いのもあって、見た目にはほとんど完璧な擬態だった。
だけど、その完璧すぎる擬態がある意味、そいつを逆に目立たせていた。
海底の一角を占拠するように鎮座するは、壮絶に馬鹿でかいタコっぽいモンスター。
「なぁルシア。やっぱりアレって」
『はい、クラーケンです』
「マジかよ」
はじめて見たぜ。
いや、はっきりいって生涯何度も見たい代物じゃないけどな。
周囲の地形に溶け込むように見事に擬態し、魔力も殺している。だからこそ風景の一角を占めるほどの巨体なのに、全く違和感なく存在するわけだが。
でも俺たちの場合、その巧妙に殺しすぎた魔力のおかげで逆に気づいたんだが。
なんていうか、巨大な影がシルエットみたいになってるんだよな。
しかし、でけえなぁ。いやマジで。
「何とか解析できないかな、これ」
ルシア妹では無理だろう。触らないとダメだからな。
こんなの動き出したら洒落にならないぞ。近寄らずに調べられないものか。
「わたしの方でも観測してみる。ルシアちゃん、ルシアちゃんのデータもわたしにくれる?」
『わかりました』
しばらくして、タブレットにまとめられたデータはこんな感じだった。
『(固有名・不明)』種族: クラーケン
胴体の長さが60m、肢を広げた長さは200mを越える。堂々の成体である。
12本の肢を持ち、長き時を生きる魔物化したタコの一種。竜族すらも恐れる海の怪物であり、海戦装備なしで接近するのは無謀のひとこと。
海の大型モンスターを食べて生きる他、船や建造物の動力炉のエネルギーを食べに来る事もある。人間は小さすぎて積極的捕食対象になっていないが、エネルギー取得の邪魔をすると排除しに来る。その巨体ゆえに非常に厄介な相手である。
冷たい深海でも生きられる反面、熱には弱い。だが炎の魔法を海に向けても減衰が激しすぎる。できればマグマの魔法を使うか、炎の魔力を閉じ込めた熱弾を用いる等、工夫して攻撃すれば撃退は可能。
しかし、少人数や準備なしで戦う相手ではない。偶然出会ったのなら悪いことは言わない、すぐ逃げろ。
だめだ。
数値にしてもらったら、さらに目が点になった。
確かにでかい。でかいんだが……デカすぎて逆に現実感がないぞ。
胴体だけで60m、肢を広げたら200mオーバー。
なんじゃそりゃ、怪獣映画かよと。
それだけでも途方も無いというのに、水の中という場所は対象物を実態よりも大きく見せてくれるわけで。
掛け値なし。大マジで目が点になった。
……それはもう、海中の悪魔と言うより他になかった。
どうすんだよコレ?
『こんな浅海で休息中の個体に出会うのは非常にまれな事です。ラッキーでしたね主様』
「全っっっ然嬉しくないっつーの……勘弁してくれよもう」
思わず盛大に脱力しちまった。
しかし参ったな。
さすがに、こんな事じゃ下の調査なんて……いやまてよ?
「アイリス、タブレットもう一回みせてくれ」
「あ、はい」
タブレットを受け取り、情報を確認してみる。
むう、やっぱりだ。
「……ルシア」
『はい』
「あのタコ野郎の真下に何かないか?」
『何かとは?』
「こいつ、動力炉なんかのエネルギーを喰うって書いてあるぞ。
だったら人工物、それも、あいつが好みそうなエネルギーを出してるやつがあのへんにあるんじゃないか?」
『……ちょっと待ってください』
こんな浅いとこにいるって珍しいんだよな?
だったら。
俺の予想が正しいなら……海底都市かどうかは知らないが、あいつをひきつけるエネルギー源があるって事じゃないか?
しばらくして、俺のデータは肯定された。
『主様のおっしゃる通りです。クラーケンに吸われつつ隠されてもいるようですが、確かにこの下におそらく人工のエネルギー反応……推測するに、小型太陽らしき反応があるようです』
「小型太陽?」
なんだそりゃ?
SFなんかで小型の太陽、擬似太陽とよく言われるものというといわゆる反応炉、それも核融合炉を表す事が多いと思うんだが……まさかなぁ。
『主様の言葉で一番わかりやすいものを上げれば、核融合炉という事になるかと』
「……は?」
「パパ?」
は、はいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?
ARALEマークいり羽根つき帽ですが、本当に通販でいろいろ売ってます……。
昔長距離フェリーで、亀仙流道着を来た小さな男の子と女の子見た事もあります。
ああいうのって、誰が作ってるのかなぁ。子供用はなかなか可愛いのは事実ですけれど。




