沈む者、浮かぶ者
大陸間海底トンネルから、東に約20km、さらに水深にして2000mほど下の深海底。
光すら届かない、低温と超高圧の世界。
深海という環境は過酷ではあるが、適応できさえすれば外敵が少なく安全と思われがちだ。
しかし現実にはそうではない。
たとえば、ちょっとキラキラと光を放っただけでも、数すくない獲物を得ようと各種センサーを油断なく働かせている、たくましい深海生物たちを大量におびき寄せかねないのだから。
ゆえに、深海に適応し、生き延びる者たちは上の方の者たちとは全く違う、一種のしたたかさを持つ。
それは水棲人たちも例外ではない。
彼らは深海に集落を作っている。それは要塞のように強固であり、また内部で光や音を出しても外に目立たないようにも工夫されている。深海には途方も無い巨大タコや化け物烏賊、さらに、それらを狙ってはるばる潜水してくる海獣や魔物という敵がおり、たくましい大人たちですら犠牲になる事があった。ゆえに、少なくとも子供たちが捕まらないよう、安全な居住区を作る必要があった。
ここは、そんな水棲人の集落のひとつ、コタヌ・マフ・モレナ。
そう、モレナ氏族の本拠地にして深海集落である。
「何をするのです伯父様!」
初老の水棲人の前に、数名の水棲人に引き据えられた女がいた。
「何をするのかだと?
それはワシのセリフだフラマ。
そなたのおかげで我らが氏族は今、行き場をなくして滅びるか恭順の意を示すかの二択を迫られておるのだぞ。それも全ては、そなたの信じがたい愚行のせいでな!」
「……はぁ?」
フラマと呼ばれた女は、男の言葉がさっぱり理解できないようだった。
「ちょっと待ってください伯父様。
確かに異世界人を確保できず、大切な同族の犠牲まで出してしまいました。次期当主となる者として、これらの事実は重く受け止める覚悟は当然できております。
しかし、何とか保険はかけておりますし、次なる手も用意してあります。必ずや異世界人をこの手におさめ、豊かな水の恵みを──」
「ふざけるな!」
男はフラマの言葉を聞くほどに抑えきれぬ怒りに顔が歪み……そしてとうとう激昂した。
「フラマ、ワシはそなたに指示したはずだな?姉の後を引き継げと。バラサの町でおまえの姉が異世界人に声をかけ話をしたから、おまえはそれに続き、かの者に声をかけ知り合えと。
それがいつ、そして何故、トロメの海に誘い込み略取する計画にすり替わったのだ?
フラマ、返答次第では大陸連合の議決を待つまでもなく、死あるのみと心得て答えよ」
「伯父様、おっしゃる意味が理解できないのですが?」
フラマは、きょとんと首をかしげていた。
「伯父様はおっしゃいましたね。姉の後を継いで異世界人に接近し、我らが手にせよと。
わたしは最も効率よく、確実にご命令を遂行できるよう計画をたて実施いたしました。まぁ遺憾ながら竜の眷属に非道な妨害を受け、部下を失い惨めな敗走になってしまった事は言い訳のしようもないのですけども」
「……そなた、それを本気で言っておるのか?」
「本気も何も」
心外だ、と言わんばかりにフラマはためいきをついた。
「このような暗く、みじめな深海にいつまでわが一族はくすぶっているのです?
大陸ひとつをも焦土と化す異世界人の力があれば、トロメの海どころではありません。ゆくゆくは周辺大陸の他種族をことごとく一掃し、我々モレナの、ひいては水棲人全てが明るく温かい水のほとりで幸せに暮らせる、違うのですか?」
「フラマ、それは人間族と同じ考え方だぞ。わかっておるのか?」
「彼らは単に力で押さえつけようとしたのでしょう。所詮は単純バカな人間族ですもの。
そりゃあ、異世界人はあの通り噂に違わぬお人好しで警戒心に乏しく、戦い方も身を守る術すら知らないウスノロかもしれません。でも抑圧されれば反発するのが当たり前でしょう。
でも、そんなの簡単じゃないですか。豊富な魔力を持つといっても、所詮は人間族もどきなんですから。わたしが欲しいですかと試しに言ってみたら反応してましたし、適当に人間族の女でも連れてきてあてがってやれば大人しくしてるでしょう」
「……フラマ、そなたは」
「そんな事より伯父様、すぐにでも追撃を!あんなの、放っといたら明日にもどこかの種族にとられちゃいますよ?
ならば、私たちが道具として有効活用して当然ではないですか!他の誰でもない、私たちの未来のために!」
「……」
フラマの声と態度に、激しく熱がこもってきた。
「伯父様、一刻も早く追撃の指令を!一秒でも早く!他に奪われてからではもう遅いのです!」
「……」
男は、姪の激しい主張をじっと聞いて……そして、
「そうか……もうよい、わかったフラマ」
「伯父様!それでは!」
聞き届けられたと思ったフラマは笑顔を浮かべかけたが、
「この、愚か者!」
「……え?」
それが次期モレナ族長候補だった娘、フラマの最後の言葉だった。
血潮を吹き出し、床を転がる姪だった者の首を、現族長である男は悲しげにみつめた。
「お館様」
「うむ」
控えていた側近たちに、男はうなずいた。
「フラマを処断した事、そしてモレナ氏族に反逆の意思はない事をコルテア政府に伝えるのだ。大急ぎでな」
「はっ!」
「それとバラサの町に連絡をとり、マーナを呼び戻せ。
あれの意見を取り入れ、まじめで優等生の妹を次期族長候補にとしていたわけだが……こうなっては仕方ない。昔の順序に従い、改めてマーナを候補とする。皆にもそう伝えよ」
「はっ!」
「急ぐのだぞ。猶予はならぬ」
「わかりました!」
側近たちが去った後、まだ残っているフラマの首なし死体をじっと見て。
「族長としては、おまえを葬ってやる事はできぬ。重大犯罪者だからな。だが……ひとりの伯父としては」
男は、誰よりもかわいがっていた姪の亡骸のそばに、静かにひざまづいた。
「フラマよ……」
そして肩を震わせつつ、声もなく静かに泣いていた……。
久しぶりに飲んだ酒で、俺はとてもいい気持ちになっていた。
店の常連さんたちとも飲んで話をした。皆、愛想の良し悪しはともかくいい人ばかりで、一番愛想の悪かったおっさんですら、ミナチス海……南大陸の北に広がる海の通称らしい……でとれる海産物について、色々と話してくれたし、他の人は、このあたりから東大陸にかけて伝わっている伝説などを、いくつか教えてくれた。
その中に、びっくりするようなものもいくつかあった。
たとえば。
「海底都市の話が興味深いな」
「そう?」
「ああ」
なんとこの近くに、今も生きている海底都市の遺跡があるというのだ。
海底都市なんて地球でもSFか何かの世界だからな、眉唾と思いつつも興味は湧いた。
「海っていうのはひとつのロマンだと思うんだよな。重い水圧に隔たれた等の世界。陸地とは違うなぞの世界。宇宙とは別の意味でフロンティアだと思う」
「ふうん……」
さすがに海のロマンは理解してもらえないか。
ちょっと残念だな。
「俺が生まれる前かな、よくしらないが、沖縄ってとこで海に夢を馳せる博覧会があったんだと。水上都市とか海底都市とか、海の未来を語る一大イベントだったらしい。
でも、それから40年近くたっても海上都市も海底都市もやっぱり夢のままでね。未来もののSF漫画とかでかろうじて描かれるくらいで現実にはならなかった。
だから、海底都市なんて言われると、ちょっと思い入れあったりするんだよな」
「……」
うう。やっぱりアイリスたちはピンとこないか。こないよなぁ……うーむ。
だけどね。
たとえ君らの興味がなくとも、確認だけはしておきたいんだよな。
「ま、ロマンとか思い入れはともかく、まだ生きてるって話は気になるんだよなぁ。確認できないものかな?」
「んー、でもどうするの?キャリバン号は海には潜れないでしょ?」
「無理だな」
俺だってダイビングとかできないし。
ついでにいうと、水棲人とはトラブルあったばかりだしなぁ。そっちも無理だろ。
第一、海の魔物とか来られたら洒落にならない。現状では手の出しようがないのは事実。
「ただ、直接中には入れなくとも、将来的にはなにか可能性があるかもしれない。だから実在するなら場所と、あとはシステムが生きてるかどうかの確認をとりたいんだけど……」
俺は腕組みをすると、うむ、とそれっぽく唸ってみた。
「ルシア」
『はい』
「かりにキャリバン号で海上を走り回ったとして、真下に人工の設備があるかどうかってわかるか?」
『わかります』
おお!
『しかし、この海域だと人工物が多すぎて混乱が生じるかもしれません』
「……多すぎる?」
はい、とルシアは答えた。
「あー、わたし知ってる。南大陸の北岸って、大戦期までは港があちこちにあって、職人さんとかの働いている町もいっぱいだったんだって。そこいら中で船が出入りしててね」
「へえ。工業地帯か何かかな?」
「こうぎょうちたい?」
「あー、つまりだな。鉱山とかから資材をもってきて、そこで加工するだろ?で、船であちこちに輸出するのさ。
工場とか港って作るのがすごく大変だしお金もかかるから、いろんな企業……こっちなら工房かな?そういう団体が手を組んでさ、それぞれの得意分野をあわせて、よそより早く、大量にいいものが作れるようにするんだな。
こういうのを地球では、コンプレックスだのコンビナートだのって言うんだけどさ」
「へぇ」
厳密に言うと少し違ったりもするが、コンセプト自体は間違ってないだろ。
「それにしても……するとアレか。大戦の時、そういう沿岸設備やら船やらが、海の底に散乱しちまったって事か。それは厄介だな……」
『はい。まぁ、このあたりが魚が豊富なのはそのせいだという説もありますが』
なるほど。
「まぁどのみち、今は海が荒れてるそうだし、当分は調査不能か……」
『そうなりますね』
むう、残念だけど、さすがに無理か。
そんな事を考えていたら、
コンコン、コンコン。誰かがキャリバン号の窓を叩いている。
誰だ?と顔をみてみたら、ありゃ?さっき海底都市の話をしてくれた、愛想は一番悪かったおっちゃんじゃないか。
迷わず窓をあけた。
「おっちゃん、さっきはありがとう。ところで、わざわざどうしたんだい??」
おっさんは、うむ、と大きく頷くと、懐から古びた一枚の紙を出した。
「おまえさん、海底都市の話にえらい興味をもっておったろう」
「ああすごく。潜る事はできねえが、あるなら見るだけでもってな」
そう言うと、おっさんはウムウムと大きく頷いた。
「もう引退したが、わしは元漁師でな。それらしいのを見た事がある……というより、網をうつ時の目印にいつも使っていたんじゃ。まぁ、あれが本物の遺跡かどうかと言われると、わしにもわからんがな」
「そうなのか!?」
おっさんは紙を俺に見せつつ、こう言った。
「これはわしが若い頃、まだちゃんと場所を覚えてなかった頃に書いたメモじゃ。
こんなもんですまんが、参考になるならと思ってな。家から掘り出して来たわい」
「おー……わざわざすまねえな、でもいいのかい?」
俺がいうと、おっさんは楽しげに笑った。
「わしはもう引退しとるし、ガキどもは漁師をする気もないらしいしな。
おまけにこのメモがちゃんと使えたとしても、遺跡が本物という保障もない。単に沈没船か何かかもしれんしな。
そもそも、そんな程度のもんでしかないんじゃよ。じゃが」
おっさんはそこまで言うと、俺の顔を見てにやりと笑った。
「現役時代唯一の心残りなんじゃよ、これは。
たとえ判明したのがゴミでもええ。それならそれで、わしのおごりで残念会でもやろうぞ。
どうじゃ若いの、こんな年寄りのワガママですまんが、ちと調べてみる気はあるかな?」
「……」
俺は、おっさんの話と顔、そして紙を、じっと見ていた。
まぁ、その、なんだな、うん。俺もおっさんに同意だ。
おっさんもおそらく、正体はどうでもいいものだろう。
ただ自分が現役だったころ、網を投入する時に目印にしていた、海底の謎のもの。
それが何だったのか、ただそれが知りたいだけ。
うん、おもしろい。やってみようじゃないか。
「なぁ、おっさん」
「む?」
「調査にはこれを使うんだ。こいつ水の上でも走れるんだが、さすがに船じゃないんでな。海が荒れていると出られない。
おっさん、ここの海はこの季節、いつも荒れてるのか?落ち着くのはやっぱり春か?」
「難しい事を聞きよるな。この季節で凪か……いやまてよ」
おっちゃんがその瞬間、酔っぱらいとは思えないほど鋭い目になった。
そして空を、そして北、それから南の方を見て……にやりと笑った。
「ほほう、おあつらえ向きじゃねえか。明日の朝、未明に『儲からない凪』があるぞ」
「儲からない凪?なんだそりゃ?」
「月神が寝坊をするといってな。この季節の寒い明け方、海が鏡のようになる事がある。
ところがな、この凪の下では魚が寄り付かん。大物を警戒しているんだと言われているが、わしにもわからん。
とにかく、この凪に出漁してもロクに獲れんのじゃ。
だから、儲からない凪じゃ」
「身も蓋もねえ由来だな……でも、なるほどな」
面白そうだな。
よし、ちょっくら遺跡調査といってみるか!
……見るだけ、だけどな。




