遭遇
「車室の狭さが問題ですね。特におやすみの時に」
「そうか?眠れてると思うけどな」
「ん、でも確かに現状ギリギリだよ。パパが寝返り打てないのは問題だと思うな」
ふむ。それは確かにそのとおりなんだが。
キャリバン号はあくまで軽ワゴンだし、しかも550cc時代の旧規格でもある。ゆえにどうしてもボディは小さく、車室も相応に狭い。
『それなのですが』
「ん?」
『現在も荷室の構成に空間魔法が使われています。ならば、同じ方法で寝室が作れないのでしょうか?』
「そうは言うけどなぁ」
貨物室と人間が寝る場所は、同一には考えられないさ。
そんな事を言っていた俺は、知らなかった。
その問題が、あまりにも想定外の形で解決する事を。
色々あった南大陸上陸。
ようやくというか何というか、無事に南ジーハンを出発した。
しばらく走り続けて彼らの追撃をフッたわけだけど、俺たちだって食事もしたい。そのまま一時間ほど走り続けた先で丘をみつけ、そこで結界をはり、警戒しつつも野営となった。
「いやいや、ようやく料理ができるよ」
念のため、ここの周囲にはルシア姉たちの手で、何重もの結界が張られているという。
まずひとつは、おなじみトリリランド。これはアイリスの作で、悪意あるものを『排除』するもの。
その外側にあるのは、忌避系もの。つまり、悪意あるものには「ここはやばい」と感じさせ、自分から退去してしまうものといってもいい。
だがこの二点をもってしても、自分の意思なく操られているような魔物、被造物の類はまだ接近可能。つまりゾンビだのゴーレムだのってやつもそう。
このためその外側には、命なきものの接近を拒む隔壁が作られている。
これら全てを悪意もって突破するのは不可能に近い。できないとは言わないが、そもそも樹精王ゆかりの術式を解除したりスルーできる者なら、そもそもこの結界自体が意味を持たないので接近できるし、その場合はキャリバン号の警報システムが反応するだろうとの事。
さらに警報装置としては、結界の中を小さな『草のゴーレム』も何体か徘徊しているらしい。
え?なんだその草のゴーレムってのはって?
んー、現物を見ればわかるんだけど、細い、草笛が吹けそうな感じの文字通りの草でしかない。
ところが、これが魔力を少し帯びててフラフラと歩いてるんだな。
そんなものを何に使うかというと、ルシアの目らしい。犬にも踏まれるほど弱い草のゴーレムだけど探知能力は優れていて、何かを見つけるとその所在をすぐに知らせてくるとか。先日の賊の遺留品も、彼らを使って集めたんだと。
なるほどなぁ。
んで、それすらも抜けた場合はアイリスたちが直接対応するわけで。
本当に鉄壁の防御だな。
だけど、それを非難する気はない。
安全を確保した旅は別に異世界だけの専売特許ではない。むしろその心配の少ない日本が異端というべきなんだから。
「そんなわけで、と」
アクをとり、何とか出来た水炊き空間に各種の謎の野菜、それが煮えてきたあたりでバラし終わった鶏肉をぶっこむ。現地の素材ばかりだからね、細部はヤマカンだ。
んで、さらにそこそこ時間が過ぎた。
いやぁ、ブロイラーと違って立派なもんだな。匂いも素晴らしい。
アイリスには食べ方を説明してあり、さらに日本製のポン酢等を並べてある。で、ランサは一足お先に煮えてきた鶏肉でハグハグやってる。俺の横で。ビンビンふりまくってる尻尾が可愛いよな、うん。
「よし、そろそろいいかな?」
そんなわけで、はぐはぐと食べ始める。
「む……」
当たり前なんだが、遠い昔に母が作ってくれた水炊きには余裕で負ける。出汁だったり素材だったり色々あるんだろうけど、くやしい。
対するアシリスはというと、
「おいしいねえ」
「そうか」
水炊きってあまり世話のかからないおかずの代名詞じゃないかと思うんだ。それでこうも喜んでくれるなら言う事はない。
「パパはおいしくないの?」
「まずくはない。ただ昔、おふくろの作ってくれた水炊きと比べちまうからな。勝てるわけがないが」
「ふうん、パパのお母さんかぁ……」
む、まずい。何かシリアスに考えさせちゃったかな?
「お母さんて、もう日本にもいないの?」
「ああ。って、よくわかるな?」
心でも読んだのか?
「前に、お友達の話をした時に似てる感じだから」
「そうか……」
そういうのって伝わるもんなんだな。
「親はいなくなったし、姉貴は自分の家庭がある。実家はもうない。
あの頃は何だか、自分がもうどこにも行けなくなった、そんな気がしたもんだなぁ」
「……キャリバン号を手に入れた頃のこと?」
「ああ、そうだな」
親が死んだから買ったってわけではない。他にも色々理由はあった。
だけど、せめてもの癒やしを、週末の短い旅に求めたのも事実だ。
故郷にだって墓はあるけど、実家がないならどこに寝る?
わざわざ故郷で宿に泊まる気がしないし、姉貴の嫁入り先にお世話になるのもな。あっちも義理のご両親が亡くなったそうだけど、姉貴の立場は微妙。俺が泊めてくれといえば喜んで泊めてくれるかもだけど、間違いなく無用な面倒をかけてしまう。
そんな時、寝泊まりできるクルマで移動するというのは、とてもいい言い訳になったのは事実だ。
まぁ問題として、ボロの550cc軽四ワゴンでほいほい走って帰るのは少々遠いって問題があったけど、これは長距離フェリーの無人航送とか、いくつか回避手段もあった。しょっちゅう移動するならキャリバン号でなく普通車サイズのボックスカーになった可能性もあるけど、そうなると別の問題が起きたろう。
俺としては、キャリバン号が一番よかったんだと思う。
さて。
なんだかんだ言っているうちに、それは起こった。
『主様、お楽しみ中すみませんが』
「いや、もうそろそろ食べ終わりだから。で、何があった?」
『草ゴーレムの一体が妙なものを発見しました』
妙なもの?
『それが……キャリバン号に似ているようなのです。少なくともこの世界のものではないようで』
「!?」
なんだって!?
「そ、それは移動しているのか?」
『いえ、活動停止して半分土に埋もれているそうで。雪に埋もれていた痕跡もあるそうです』
「わかった、ここを片付けたらすぐ見に行く!」
『了解』
それはボロボロに風化した状態で、確かに半分土も埋もれていた。
どうやらこの地方は、真冬には雪に埋もれるらしい。だからその疲弊度は想像以上で、毎年の雪や、その溶けた水が崩壊を早めていた。だがそんなボロボロの状態でさえ、俺はそのクルマを知っていた。
「幼稚園バスじゃないか」
トヨタ・コースター。
幼稚園バスで有名な車種なんだけど、俺にとってはそれだけではない。北海道に住んでいた頃、新旧いろんなコースターが走っていて、いろんな場面で見た。それに死んだ友達が買おうとしていたのもコースター。思い入れがたくさんある車のひとつだ。
しかしまさか、異世界でその草ヒロ、つまり廃棄された機体にお目にかかるとは。
あ、草ヒロってのはネット用語で『草むらのヒーロー』って事らしい。今では珍しい旧式車なんかにお目にかかる事があるので大の男でも「おっ」と目を剥く事があって、だからこそ「草むらに埋もれたヒーロー」って事なんだと。
ま、ごたくはいい。問題は目の前のコースターだ。
見たところ、キャリバン号のように不思議な謎車に進化している感じはなく、普通に幼稚園バスみたいだ。ちゃんと『幼児バス』と書かれた横断歩道みたいな三角ステッカーも、ひとつだけだが確認できた。
しかし、こんなところにどうして幼稚園バスが?
と、首をかしげた瞬間、その声が頭の中に響いてきた。
【助けられなかった】
!?
【自由に動けないまま車輪がはまりスタックした。襲い来る魔物たちに子どもたちよりも大人が……子供たちを守るべき大人が……】
……これは?
【自由に動けず、守る事もできず……死んでいく子供たちを見ている事しかできず……】
なんだろう、この悲しげな声は。
まさか。
まさか……このコースターの声だっていうのか?
「パパ」
「あ、うん」
背後からアイリスが声をかけてくれた事で、ようやく我に帰った。
「俺の世界の乗り物だよ。幼稚園バスといってな。子どもたちを幼稚園……まぁ託児所みたいなところに送り届ける仕事をしていた車だよ」
「幼稚園バス……」
アイリスは興味深げに、ボロボロになった幼稚園バスを見ていた。そして中を覗き込み、
「パパ、ねえこれ……」
「通園用のかばんだろ。幼児サイズだからそんな小さいんだ。ほら椅子も」
「そっか……」
中には椅子もそのまま残されていた。雪が毎年入り込んでいるらしく、ひでえ侵食ぶりだったが。
それより、園児のかばんが残っているというのはつまり、さっきの変な声の主の弁、そのままではないか?
俺は思わず、声の主に向けて話しかけていた。
「なぁ、さっき話しかけて来たあんた。あんたはこの幼稚園バスか?」
横で、え?とアイリスが言っているが気にしない。
そしたら。
【そうだ、同郷者よ】
マジかよ……。
なんで廃車の幼稚園バスと話ができるのかは知らない。もしかしたら魔力のせいとか、こいつの心残りが強すぎるせいとか色々あるのかもしれないが。
「さっきの話だと、園児やら引率の先生を乗せたままこっちに転移したって事だよな?その子たちはどうなった?」
【全員、魔獣に喰い殺された】
ぼつり、ぼつりと語られる内容からすると、こういう事らしい。
その日は天気が悪かったが、問題のあるほどではなかった。『彼』はいつものように子どもたちを拾いつつ幼稚園に向かっていた。ハンドルを握っているのは彼をもう八年も運転している初老の男性で、幼稚園バスの運転手としては寡黙だが信用できる。
そして、忘れもしない幼稚園の手前にある小さな橋にさしかかる前の信号待ちで、それは起きた。
突然にガクンと大きく揺れたかと思うと、次の瞬間には道路も何もない、荒野のど真ん中にいたというのだ。
「なんてこった……」
それでも運転手の男たちや高齢の保育士先生はがんばったらしい。突然の周囲の激変に大騒ぎの子どもたちをなだめ、落ち着かせようとしたという。
でも、若い保育士の方は耐えられなかったらしい。半狂乱になって騒ぎ出し、それを逆に諌めようとした園児を殴りつけ昏倒させるなど、感情的で未熟な本性を子どもたちの前でむき出しにした。
おそらく、なまじ身体が大人であるため、園児などよりはるかに洒落にならない爆弾になっただろう。
そこで何か起きたかについては……もう聞くのも語るのもアレな内容なのでカットする。
で、最後。俺の時みたいにデカいオオカミの群れに襲われたらしい。
男はその状況に至るまで、ここが日本のどこかであると断言して耳を貸さなかった。だけど明らかに異常なサイズのオオカミの群れにパニックを起こし、運転手に命令して無理やり走らせたのだ。
確かにコースターは車体が大きくホイールベースも長い。タイヤも大きい。キャリバン号なんかよりはるかに悪路にも強いだろう。なんだかんだで業務車だしな。
だけど。
異常な状況で、しかも道路ですらない場所を、虎ほどもあるオオカミの群れから逃げるために走るなんて……そんなものが続けられるわけがない。
それでもしばらくは走れたろう。
だけど、何とか冷徹にオオカミたちと車の状況をみて、安全速度で距離を稼ごうとしたドライバーを、例の男が殴りつけたらしい。もっと飛ばせと。自分がパニックしている事にも気づかず化け物じみたオオカミに怯える男は、ドライバーが余裕をもって運転している事にだけは気づけたわけだ。貴様ふざけんなと殴り蹴りしようとして、結局、それが原因で反応が遅れ、車はスタックしてしまう。
動かない車。園児たちの悲鳴。
様子を見てこいと車外に蹴りだされた高齢の先生が、反対側から大人数名で押せば何とかなるかもしれないと提案するが、男は外に出る気がない。園児全員とおまえたちで押せば動くだろうとフザけた事を言っているうちに、オオカミたちが迫ってきた。
急いで全員車に戻る。
が、男がここで、高齢の保育士を生贄に出しておけば満足して引き上げるだろうとか無茶苦茶を言い出した。もう目の前にオオカミたちが来ているというのにドライバーたちの意見には耳を貸さず、それどころかドライバーを蹴り倒し昏倒させると、泣き叫ぶ園児たちを尻目に高齢の保育士の首をひっつかみ、外に叩き出そうとドアを開いた。
その瞬間、男はその保育士ごとオオカミたちに引きずり出された。
そしてそのまま、園児たちも侵入してきたオオカミに引きずり出され、皆殺しになったのだという。
「……」
正直、言葉がなかった。
最後の最後に、ドライバーの意識があったら?せめて男を何とか叩きだす事ができていたら?
いや。
それでも結局、動けずスタックしたこのサイズの車が大人ひとりでどうにかなるわけもない。それに男性ひとりで、何人乗ってたのか知らないが園児たちを守り切るなんてどう考えても不可能だ。おそらくはどうにもならなかったろう。
でも……。
「そうか。つらい目にあったな」
俺には、それしか言えなかった。
相手は人間じゃない。それどころか生き物でもない。『本人』の自己申告によれば、この幼稚園バスそのものだという。
あまりにも荒唐無稽な話だ。
だけど。
それを言うなら俺だって、初日から異常な状況だったじゃないか?
【同郷者よ、ひとつ頼みがある】
「何だ?」
【我を連れて行ってはくれまいか】
「……なんだって?」
捨てられた、いや、ひとりぼっちの幼稚園バスの要望は、あまりにも無茶苦茶だった。
要するにだ。
キャリバン号の存在をこのバスは感知していて、同郷者が同じ系統の同郷の乗り物をこの世界で運転しているのに心底驚いたのだという。
そして、そんな俺なら、自分を使ってくれるのではないか。そう思ったのだという。
「俺は一人しかいないんだぞ。たとえおまえを直せたとしても、同時に二台は運転できない。無理だ」
それ以前に、このバスは不思議チートカーとなったキャリバン号とは違って本当に普通のバスだ。道もないこの世界じゃ、とても扱いきれないだろう。
そう思ったら、バスはこう言ってきた。
【ならば部品だけでもせめて。このまま朽ちるのはあまりにも……】
「そうは言ってもなぁ……」
そう思った瞬間だった。
「え?」
パパーン、パパーン。聞きなれない、しかしまちがいない車のサイレンの音が響き渡った。
「……まさか」
キャリバン号か?
誰がホーンなんか鳴らしている?
「は、パパ大変だよ!」
「え?」
なんか、沈黙していたアイリスが急にあわてだした。
「ルシアちゃんからなんだけど、キャリバン号が勝手に動き出したって。こっちに向かってるって!」
「何だと!?」
驚いていると、本当にキャリバン号が近づいてきた。
マジか?本当に勝手に動いているのか?
唖然としているうちにキャリバン号は俺たちのそばにくると、スタックしている幼稚園バスと向かい合うように停止した。
【おお……おお、これは……】
驚いている幼稚園バスの声に対応するかのように、不思議な声が響いた。
《我、汝の呼びかけに答えり》
これは……キャリバン号の声か?はじめてきいたぞ。
つーか渋いな。俺なんかより、よっぽど年季の入った名俳優が似合いそうだ。
《我、ひとつ案アリ。しかし我は車なり。運転者の意思により決定したし》
【聞きたい。是非教えてくれ】
「俺も聞きたいぞキャリバン号。おまえ自身の意思なんてはじめて聞くしな」
《了解した、運転者》
そういうと、キャリバン号は話を続けた。
《運転者は我を大きくしたくない。我を我のまま、この小さな車のままでいてほしいと願っている。
だがここにきて定員や積載に問題が予想されている。この問題を何とかする必要がある。ゆえに、我は汝に提案したいと思う。
運転者、この問題が両立できるのなら詳細は任せてもらえるだろうか?》
そんなもん、言うまでもない。
「いいぞ。おまえがおまえであり続けるならそれでいい。細部は任せた」
《了解した、運転者》
その後は、何かノイズみたいな音の応酬になってしまった。人間に聞こえることを考慮してない声というか。
なんだ?
「よくわからないけど、具体的にどう融合するとか、細かいところを詰めてるみたい」
『情報量が多すぎます。人間用の翻訳魔法では聞き取り不可能かと』
なるほど。
そのうちに会話が終わったらしいが……。
「……え?」
その後に俺たちが見せられたのは、なんというか、強烈過ぎる光景だった。




