新しい変化
心地良い目覚めがあった。
不思議な気分だった。苦しいものから開放されたような、閉塞感のない爽やかさに満ちていた。
「む……」
背伸びをしようとしたが、ピクリとも動けない。暖かい何かにぎっちりと固められていて、1ミリたりとて動く事がかなわない状態だった。
どうも開放的なのは精神面だけで、身体の方は色々とアレらしい。しかし何事だ?
いや。理由はわかっているんだけどさ。
「おいアイリス……眠ってるのか」
俺にがっちりと抱き込ついたまま、アイリスは眠っていた。
「……」
何とか押しのけるなり脱出なりしたいのだけど、それも無理らしい。対象年齢の都合で細かい描写は端折らせてもらうが、絶妙なパズルのように俺とアイリスの身体は完全無欠に組み合っていて、アイリスが動かない限り絶対に外れそうになかった。しかも無理に動こうとすれば、むしろ刺激が強くてますます奥にはまりこむというか、とても説明不能な感じになってしまいそうで。
というか、既にはまりこんじまってるみたいだ。
うむ、とても説明不能な感じにキモチイイんだが、色々と困ったぞ。
まいった。どうしよう?
『おはようございます』
頭の中に、静かにルシアの声が響いた。
『お返事は必要ありません。できれば、あいりすさんをもう少し眠らせてあげてもらえませんか?結界など、外のお仕事はこちらで担当いたしますので』
あー、それはいいけど。何が起きたんだろう?
俺の疑問を察したのか、ルシアの声はさらに続いた。
『昨夜、精神的負担に苦しめられたのを覚えておられますか?自分が手をかけた人の亡くなる情景がフラッシュバックして、心に深刻なダメージを受けてしまったのです』
ああ、あれか。
眠れなかったのって、そういう事だったんだ……確かに半端なく、きつかったが。
でも、だったらどうして眠れたんだ?
『あいりすさんが竜の気を注ぎ込んでいたのです。落ち着いてお休みになるまでずっと』
「……」
なんだって?
『主様の精を吸い上げて何とか補填していたようですが、かなりの消耗だったと思われます。今も触れ合っている身体から少しずつ、無意識に魔力を吸い上げ続けているようです。
主様、できれば彼女を怒る事なく、起きるまでそのままにさせてあげてもらえませんか?』
「……」
そんなの臆面もなく怒れるかよ……。
だから俺は心の中で、わかった、すまないが今日はよろしく頼むとつぶやいた。
『了解です。主様もまだ完全ではありませんから、ちょうどいいと思います。おやすみなさい主様』
ああ。おやすみ。
再び目覚めた時、太陽は西にだいぶ傾いていた。
「んむ……おはよう」
「おはようパパ」
目をあけて最初に見えたのは、薄い下着に包まれたアイリスの胸だった。いや視線的に。
「……」
俺の目線にばっちり気づいたアイリスは俺の額をツンと指で押し、そしてクスクス笑った。
「ちゃんと起きられたんだ。よかった」
それは俺のセリフだっつの。
「アイリス調子はどうだ。無理させちまったみたいだけど」
「大丈夫、ありがとパパ」
先に起きたらしいアイリスは、ちょうど結界を張り直したところだという。
俺も起き上がって、そしてとりあえず注意する。
「ところでアイリス」
「なぁに?」
「上も着ろとは言わないが下はちゃんと履け」
「大丈夫だよぅ、近くに誰もいないから」
「慎みの問題だ!」
「えー」
「あと安全な。野外じゃ下半身の方が怪我しやすいんだぞ、言っただろ?」
「はーい……」
ぶちぶちと文句を垂れているが、安全を盾にすると言う事きくのは小さい時から変わらない。
まぁ小さい時っていっても、そう何日もたっちゃいないから当然なんだけどさ。
寝る時は断固として全裸なのもあの日から変わらない。
いや、今の関係を思うと全然悪くはないんだが……寒くないのかね?未使用のピンクのクマのパジャマが泣いてますが、ええ。
まさか、ガキっぽいからイヤだったのかな?むむむ。
「夕食どうする?せっかくだから町で暖かいの食べる?」
「ああ、それはいい考えだな」
アイリスの提案に思わず同意する。2日続けて野営もないだろうしな。
あ、でもひとつ問題がある。
ここまでの移動で食料もだいぶ使ったし、色々と補給もしたいんだよな。
要するに。
「売るものがないな……」
あのワニはいい売り物だったが、お金としてはそうでもない。食料としてはものすごく寄与していたし、あの時点ではそれで正解だったんだけど。
「職安で言ってたよな。中央大陸のお金も使えるけど信用されないから、早めにこっちのお金に替えろって」
しかし、レートも考えずに両替は正直不安があるぞ。
だから。
「できれば今のお金には手をつけず、こっちのお金を少し手に入れたいな。妙案があればいいんだが」
そんな発言をしていたら、
「ん、どうしたんだ?」
ランサが車内の隅っこで何か見つけたらしい。ガラガラと大きな音がする。
なんだ、この軽トラの荷台の上で金属かガラスの球でも転がすような音は……って、ありゃ?
「ビー玉じゃん。ランサ、これ車内にあったのか?」
「わんっ!」
車内にあったらしい。でも何でだろう?
飾り気のないビー玉だった。中身も無垢、つまり何も入ってないプレーンなやつ。
こんなもの、俺の車内においてあるわけが……?
あ。もしかして。
「もしかしてこれ、昨日作っちまったのか?」
トンネルの中で昏倒してた時、懐かしい夢を見たような気がする。
思い出の時間か、もしくは場所か。そんな夢を。
だったら。
「夢の中から持ってきちまったのか。ありがとうなランサ、ハハハ。しかし懐かしいなぁ」
ランサの頭を順番になでてやると、ぶんぶんと尻尾をふって喜んだ。
ははは、これくらいで喜ぶとか、マジ癒やしだよなぁ。
しかしビー玉ねえ。どんだけ昔の夢みたんだか。
覚えてないのが残念なような、これでよかったような。
……あれ?
そういえばその夢の中に、アイリスがいたような……あれ?
「ねえパパ」
「!」
思考に沈みそうになった俺を引き戻したのは、アイリスの声だった。
「この宝玉みたいなの、なに?」
は?宝玉?
「いや、これ子供のおもちゃだよ。ビー玉っていって」
『いえ、ちょっと待って下さい』
天井から蔓草がわらわらと伸びてきて、ビー玉の検分をはじめた。
『主様、この球体はこの一つだけなのですか?増やせませんか?』
「は?このビー玉を?なんで?」
『この球体が、ほぼ完全な真球だからです』
え?
『主様、考えてください。今のこの世界のどこに、こんな真球の玉を作る技術があると思いますか?』
「魔法を使えばいいんじゃないか?」
『これはクリスタルガラスで間違いありませんか?』
「たぶんそうだけど、何だ?」
『では、この球体を今のこの世界で作る事は不可能です』
ルシアの言葉が続く。
『一般的な炎の魔法ではガラスを溶かす熱は得られません。異世界人が炎の魔法を魔改造して石英すら溶かしたと記録にありますが、一般化はしておりません。
鍛冶師はその熱を得られますが、炉の中の話です。魔法でないと、これほどの球体を生み出すのは困難でしょう。
とどめに。たとえどんな魔法でも、何かを真球に加工する技術などありません。要するに腕自慢の職人個人の手を借りて限りなく球体に近づけるのがせいぜいで、安価に量産などできないという事です。
結論から申し上げて……この球体を作るのは不可能ではありませんが難易度が高すぎます。市場に出せば、オークションで取引されるレベルの貴重品として扱われるのは間違いないでしょう』
「……ははは」
冗談だろ。ただのビー玉だぜオイ。
『冗談だろはこちらのセリフです。ガラス製の真球の玉が子供のオモチャって、どんな超文明の世界ですか』
「勘弁してくれ……」
結局、3つほど作らされた。
そして討議の結果、アイリスが売買交渉に立って売る事になったのだった。
「いいお金で買ってもらえたねえ。これでしばらく心配ないよ?」
「マジかよ……言い値で大金貨三枚て」
「それでもあの人たち的には安かったはずだよ?値段のつけようもないようなものだし」
一個だけ試しに売ったわけだが、まさかの大金貨三枚。
え?貨幣価値がわからんて?すまん、俺もわからない。
ただひとつ言える事は……大金貨って貿易商か貴金属系が使うような単位のお金で一般には出まわらず、あとは家を買う時に考えるくらいだという。大金貨一枚かけて家をたてたというと、プールつきの豪邸ゲットってレベルみたい。
するとだ。大金貨三枚て……たぶん億円単位だよな。ビー玉が。
「単位が凄すぎてアホになりそうだ……」
小市民にはきっついわ。マジで。
「でも、いくつか用意しておけば働く必要ないね」
「いやいやダメですアイリスさん、そういうのは人間腐るよ?」
「そうなの?」
「そうです!」
お金なんて、湯水のように散財しようと思えばいくらでもできるだろう。たぶんだけどな。
だけどな、俺たちは旅人なんだよアイリス。
「たくさん金があってなんの役にたつ?変なヤツを呼び寄せるデメリットしかないと思うぞ」
「そっかなぁ……」
「そうなの!」
旅人なんてのは、路銀と食料に何とか少し足りないくらいがベスト。俺はそう思ってる。
持ちすぎれば、それは欲をかいたバカを呼び寄せる。
さらに持ちすぎれば、余計なものを購入して重荷になるかもしれない。
特にうちの場合、肝心かなめの乗り物が燃料いらずだからな。ちゃんと食べなくちゃいけないのも俺とランサだけだし。
こんな状況で大金持っていても、間違いなく害にしかならんぞ。
「とりあえず、両替した小銭だけを持って行動しよう。他は仕舞っておくぞ」
「はぁい……」
なんでおまえが残念そうなんだアイリス。
キャリバン号ではやたらと脱ぎたがったり、妙に散財に固執したがったり、意味がわからん……。
そんな事を考えていたら、
『最初に設定した人間要素のせいだろうな』
そんな声が、俺の脳裏に大きく響いた。
えっと、もしかしてこれはドラゴン氏かな?
あ、どうもしばらくです。
『いや、突然声をかけてすまないな。昨日の今日だったものでね』
ああ。
じゃあやっぱり、アイリスが俺にやってくれた事って、あいつにすごく負担だったって事か……。
『負担にならなかったといえば嘘になるが、そう大きな負担でもないだろう。
最終的にアレは一種の放電極として働いたにすぎない。つまり、我の力をアレを通して君に流し込んだわけだな』
そんな無茶をしてたんですか……。
『まぁ心配はいらない。むしろ心配なのは君の方だな。同族殺しの心理的負担を和らげるためとはいえ、その全身に竜の気を通したのだ。一晩中ね。計算では、多少気が大きくなるだけで影響は少ないはずだが、ここ2日ほどの間は注意してくれたまえ』
注意っすか。でも注意って何を?
『おそらくは、ものすごく異性の誘惑に弱くなっているだろう。心当たりはないかね?』
あー……それでか。
うん、あやうくアイリスにセクハラかましそうになりまして。
『アレが相手なら問題なかろう?』
いやいやいや、男女ってのはそう簡単ではないわけでして、ええ。
『ふむ、そうか。
話を戻すが、たかが誘惑といっても君を狙う人間族は多いようだ。気がついたらその女の手で隷属の首輪をかけられていない、とも限らない。ゆえに今夜一晩はまだ、町には近づかない事を強く推奨するよ』
うげ。
りよ、了解です。いつも本当にありがとうございます。
『我は好奇心で支援しているのだ、気にするな。ではまたな』
それっきり、また声は途絶えた。
「どうしたの?」
ふと気づくと、アイリスが俺の顔を見ていた。
「今夜いっぱいは町に出るなって、昨夜の力の影響があるから、すぐ戻って休めって」
「え、そうなの?」
「うん」
「大変!すぐ戻らなくちゃ」
「あ?あ、ああ」
言われる前に、もう町にいたんですよドラゴンさんや。無茶ってもんですぜ。
いや、しかしアイリスさんや。なぜそんなに慌ててる?誘惑っておまえ、そんな道端でホイホイ起きるような事じゃないでしょうに、なぁ。
まぁでも、慌てるアイリスには勝てないわけで。
そんなわけで仕方なく、急いでキャリバン号を泊めてある停車場に戻ろうとしたのだけど、
「あの、すみませんそこの異世界の方!ちょっとお願いがあるのですが!」
へ?
背後から響いた女の人の声。
小声で「だめっ!」とか言って袖を引いてくるアイリス。
うん。
いけないと思いつつも、俺は思わず振り返ってしまって。
で、そこには。
「……水棲人?」
その水棲人の女性が、ふわりと微笑んで立っていた。
……ん?
青いけど艶かしい不思議な素肌をもつ美人、というのは変わりないんだけど。
はて。どこかで見たような気がするのは気のせいか?
「この近くの深海に住む、モレナ氏族の次女フラマと申します。ハチさまにおかれましては、姉がバラサの町でお世話になったとか。本当にありがとうございます」
「え?……いや、全然お世話とかしてないから」
言われて思い出した。というより該当する水棲人なんて一人しか浮かばない。
そう。結界について教えてくれた水棲人のお姉さんだ。
「むしろ俺の方が情報教えてもらったくらいだよ。いいお姉さんだな、本当にありがとう」
「い、いえ、そんな!」
ふるふると首をふる。
ああ。なんだか瞳がキラキラしててかわいいなぁ。
「……なるほどね」
そんな俺の横で、なぜかアイリスが「失敗した」と言わんばかりの顔をしていた。
むむ、どうしたんだろう?
だけど俺は、アイリスの苦い顔の意味が全然理解できなかった。




