トンネル最深部
ゆっくり、ゆっくりとトンネルの中を進んでいく。
これが普通のトンネルなら、こんな低速では進まなかったろう。特に俺自身が最初に倒れちまって多くの時間をロスしている今、できれば飛ばしたいというのもあったしな。
ただ、今までの俺の行動を見てきた諸氏ならわかると思うけど、俺は基本的にこういう遺構や古いトンネルなんかが好きだ。それに、さすがにこんな世界地図にも載りそうな海底トンネル、しかも千年モノとなれば、安全を確保するという意味でも、やっぱりちゃんと見ないとな。
ほら。なんか巫女さんだか何だかが加護を願ったって話があったろ?
ここを支えてくれているという精霊さんたちには申し訳ないんだが、あの話をきいた時にピンとくるものがあったんだよ。うまく説明できないんだが、まずは安全を確保したいと思うくらいね。
いやいや、だから言い訳じゃないって、うん。
「パパ、どうしたの?」
「ん?」
「なんか厳しい顔してるから。何かあったの?」
アイリスが不思議そうに尋ねてきたので、少し考えて俺も答えた。
「アイリス、壁にラインが走ってるのわかるか?」
「え?」
「蔓草いっぱいで隠れてるけどさ。壁にラインが走ってる。組み合わせた建材の隙間だと思うが……見えるか?」
「あ、うん。……うん、何とか」
おー、見えるのか。さすがにいい目してんな。
俺は確かに見えるけど、それは土木建築物の類を色々見てきた過去の経験もあっての事だからな。予備知識が全くなかったら、俺にはわからなかったと思う。
さて、それはいい。話を進めよう。
「ああ、見えるなら大したもんだ。
で、だな。問題はここからだ。
そのラインをな、ずーっと後ろからたどって、前の方までなぞってみ?何か気づく事はないか?」
「えーと、ちょっとまってね……」
俺が教えたように目線でラインをたどっていたアイリスが、あれ?という顔になって、やがて何か納得したように頷いたり。
「何かわかったか?」
「うん。なんか途中で線がガクガクになったり、なくなったりしてるとこがあるねえ。……これって何?」
「ぶっちゃければ崩落跡だな。いつの時代かしらないが、このあたりは既に壊れてるって事だ」
「え……」
アイリスは一瞬、ぽかーんとした顔で俺を見た。
で、目をまんまるにして壁を見なおして「ええええっ!」みたいな顔をした。
「え、うそ。だってトンネル自体は全然デコボコもなにもないよ?」
「それだけ完璧に修復してるって事だな。
まったく、よくやるよ。
元のトンネル建材ならともかく魔物の身体って事は生物素材って事だろ?しかも、もしかしたら千年前って事か?
難易度からいえば、普通に土木工事で治すよりもずっと大変だったろうに……」
「……そうだね」
その大変さを想像してしまったんだろう。アイリスもコクコクとうなずいた。
「あくまでも俺の想像なんだけど……おそらくは千年前、例の大戦とやらの時の話だと思う。ほら、ルシアが言ってた、中央帝国の巫女が助けを求めたとかいうやつ」
「うん」
「崩壊があったのは、たぶんその時なんじゃないかな」
「……」
「何とか南大陸に人を避難させたい。でも海路は何らかの理由で使える状態じゃなくて、そして頼みの海底トンネルも崩落してしまった。そんな危機的状況だからこそ、願いが聞き届けられたのかもしれない。そんな気がするよ」
千年前に何が起きたのかは知らない。
しかし、こんな巨大な海底トンネルの最深部なんて、おそらく当時の土木技術としても最先端に等しいものが使われていたはずだ。もし破壊が起きたらその損害の大きさは洒落にならないから。
だってそうだろう?
たとえば、青函トンネルの中央部がもし崩壊し、海水が流れこんだらどうなる?
もしも修復しようとするなら、それだけで何百兆円かかるかもわからないし、そもそも修復しきれるかどうかすらもわからない。だって、青函トンネルの最深部っていうのは、水深140mを越える海の底の岩盤を、さらに100m以上も掘り下げた、本物の大深度地下にあるんだぜ?
岩盤だけでもとんでもない大工事だが……本格的に海水がなだれ込んだら、おそらく現代技術では修復は果てしなく困難。場合によっては不可能かもしれない。
だからこそ。
こんな最深部に修復跡がある、この意味は凄まじいものがあるんだよ。
「……そっか、そうかも」
アイリスも何か納得げだった。
「そっか。パパはこんなトンネルの壁から、そんな事まで読み取れるんだ」
へ?
なぜそっちに来る?
「いやいや、あくまで推測だぞ?俺は土木の専門家じゃないしな。単に旅先でやたらとトンネルを見たもんで、変に目が肥えちまってるだけの話で」
好意的に解釈すれば、好きこそものの上手なれってヤツかもしれないが。所詮は素人だぞ?
でもなぜかアイリスは、そんな俺の発言に微笑み、首を横にふった。
「パパ。ひとに見えないものが見えるって、それはひとつの価値だと思うんだよ」
「そうか?」
ひとよりちょっとトンネルを見慣れてるってだけの話だぞ。
それにそのトンネルだって、あくまで日本で見たものが基準だ。こっちが同じだって保証はない。
そんな会話をしていたら、
『その件なのですが、気になる点があります。確認させていただきたいのですが』
唐突にルシアが話に割り込んできた。
「何だ?」
『主様は以前にも、山のトンネルで中の構造をだいたい把握していたと聞きましたが本当ですか?』
「ぬ、主様!?」
俺はいったい何様だよ。むず痒いから勘弁してくれ。
『とりあえず呼び名は横に置いといてください。本題ではありませんので』
「ルシア……だんだんアイリスに毒されてるんじゃないか?」
「パパ、それどういう意味?」
最初の頃より急速に饒舌に、ただしヘンな方向に進化している気がするルシアが……いや、そこはとりあえず置いといてだ。とにかく話を続けた。
『で、どうでしょう?その時に自分は居なかったのでお聞きしたいのですが』
「把握してたわけじゃないぞ。ただ手前の道の雰囲気から隧道が生きてるだろうって予測して中に入っただけでな。まぁ本当に偶然、俺の知ってる日本の近代トンネルと似た構造だったわけだが」
俺はそう素直に当時の状況を説明したのだけど、
「確かに偶然にしては不自然だよね。見たこともないはずなのに、まるで元から知ってたみたいに構造を言い当てたし、そこにあるのが当たり前って感じだったし。いくらパパがそういうマニアック?ヲタク?えーと、よくわかんないけど、そういう知識に詳しいっていっても」
「あのなぁ……」
補足したとも混ぜっ返したともつかないアイリスの言葉を聞き、コメントに困ったのだけど、
『やはりそうですか。主様、ひとつ自分は仮説を立ててみました』
「何かな?」
『少なくとも大戦期までの文明や文化の発展に、異世界人が寄与している可能性です』
……なんだって?
俺は思わず、蔓草にぎっちり固められたトンネルの風景を見てしまった。
『いくら用途がほぼ同じとはいえ、異なる世界の構築物にそこまで共通点があるというのは奇妙ではないでしょうか?手法なりなんなり、どこかに違いがある方が自然だと思われますが』
「いや、ちょっと待て。しかし幾らなんでもそれは無茶だろ」
『なぜでしょう?』
「なぜっておまえ……」
俺は脱力しそうになったが、それでも続けた。
「千年前だぞ、日本だって平安時代だ……つってもわかんねえか。とにかく、千年前にこんな近代トンネルの知識がどこにある?」
中央ではお貴族様が和歌を詠み、地方では未だ弥生の頃を思わせる農村風景があったろう時代だ。近代技術以前の問題じゃないか。
かりに、そんな時代の人間がこの世界に来ちまったとして、どうなる?
俺みたいに魔力があったとしても、それだけだ。どんな人生を送ったとしても、こっちの技術革新を促すような生き方は無理だろう?
だが。
『その仮定は奇妙に思えます』
「……は?」
『主様。それは主様の世界とこの世界の時間の流れが、同じという仮定の元のお話ではありませんか?』
「……何?」
時間の流れだって?
『本来、関わりのない異世界なのです。時の流れが同じである保証はどこにもない……いえむしろ、同じである方が奇妙なのかもしれません』
「……なるほど、たしかに」
『ご理解いただけましたでしょうか?』
「ああ。何とかな」
正直、俺はその考えを全く持っていなかった。
そりゃ一年の長さくらいは違うかもしれないが、その程度の差異しか考えていなかった。
まさか同じ現代人が千年前と今、両方に呼ばれるなんて。
それほどの時の流れの違いなんて、頭っから全然考えちゃいなかったんだ。
いやぁ、なんていうか。
新人なんて言われてた新社会人時代を思い出すね。意見はまず出し尽くせって、しつこいくらいに言われたっけ。
まさかこんな年数たってから、しかも異世界で思い出すなんてな。
いやはやまったく。
『続けてよろしいですか?』
「もちろん続けてくれ」
『はい。では申し上げますと、世界間転移の際、同じ時間に移動している保証もありませんね』
「そうなのか?」
世界同士の時間のズレはともかく、同じ時間ならこう、真横にスッと移動する感じで距離的に近いんじゃないか?
『それは2つの世界が隣接し、並行しているという仮定上での事になるかと』
「あ、そうか」
そりゃそうだ。違う世界なんだから、隣り合って並んでる保証すらもないわけだ。
「という事はだ。同じ瞬間、同じ場所から転移した2つの存在が、千年、万年と時を隔て、あるいは同時刻としても全く別の場所に出現してしまう可能性もあるって事か?」
『はい。まったくその通りかと』
「……」
なんというか、言葉がないな。
『むろん、これは仮説にすぎません。そもそも、主様の世界でも同様と思われますが、いくつもの世界が別個に独立して存在する、いわゆる多世界解釈については多くの仮説や議論こそあれ、世界間を自由に移動する事ができない以上、有力な仮説以上のものにはならないのですから。
ですので、今のこの解釈もまた、仮説のひとつにすぎないのも事実です』
「……」
なんというか。
魔法とか精霊とか亜人種とかのファンタジーワールドのつもりが、めいっぱいハードなSFになっちまったぜオイ。
「お」
いや、現実逃避している場合じゃないな。
どうやらトンネルの底に到達したらしい。トンネルの向こうが上り坂に変わったし、メーターパネルの上に貼り付けてある謎メーカーの傾斜計も、車体が完全に平坦になっている事を示唆している。
アクセルを踏み込み、徐行速度を維持しつつ進んでいく。
む、こっちは中央大陸側より少し暗いようだな。
「車幅灯を点ける」
ヘッドライトはまだいらないと思うが、念のためだ。
ポジションをつけた事で、微かに周囲が明るくなった。どうやら予想以上に薄暗かったらしい。
むむ。
南側から誰かくるとヘッドライトの光が迷惑になるかと思ったが……これは、ヤバいと思ったら早めに点灯したほうがいいかもな。
「とりあえずこれでいいか。ところでルシア」
『はい』
「話を戻すぞ。
つまりおまえが言いたいのは、大戦前の技術に地球の人間、それも俺と大差ないか、もう少し未来の人間が関わっている可能性がある、そう言いたいんだな?」
『はい、そうなります。ちなみに、この事は主様の旅の上で、大きな武器になると思われます』
「大きな武器?」
「あー、確かに」
じっと話を聞いていたアイリスが、ウンウンと大きく頷いた。
「グランド・マスターも知らなかった古代遺跡の使い方がわかるなんて。確かに大きな武器かも!」
「そうは言うけどなぁ。所詮は素人の半端な知識だぞ?」
『それでもです。他人にないものがある、それはひとつの武器になると考えます』
「……そうか」
まぁ、確かにな。
頼りないといっても、確かにないよりは全然マシだ。
思い出から取り出した乗り物に乗り、道具を使う俺は、誰よりもその恩恵を受けやすいはずだしな。
うん。
「ああ、そうだな。わかった」
俺はうなずき、そして言った。
「ふたりともありがとうな。これからもよろしく頼む」
そうしたら、
「もちろん!」
『こちらこそ』
「わんっ!」
「(ぷるぷるぷる)」
なぜかランサまで鳴き、左腕もぷるぷる震えやがった。
ああ……たしかにな。おまえたちもよろしく頼む。
左手でランサの頭をそれぞれなでてやった。今は運転中だから少しだけだが。
「さて。そんじゃ、少しペースあげるぞ。アイリス、シートベルト締め直せ」
「はい!」
「ランサ、ちゃんと箱に入ってろよ。ルシア、今魔力はどうしてる?」
『主様が休眠された瞬間から、念のため魔力喰いは停止しております』
「再開してくれ。もう遅いかもだが、念のため出るタイミングを誰かに悟られないようにする」
『了解』
俺もベルトを締め直した。
「アイリス、出口までの距離を推定でいい、教えてくれ」
「えっと、たぶんあと27kmってとこかな」
「そんなもんなのか。ここ、ほぼ中間地点だよな?」
「そうだよ。全長55kmくらいかな」
青函トンネルとほとんど変わらないのか。さすがのデカさだな。
いや、むしろ大陸間を結ぶトンネルという意味じゃ、奇跡の短さなのか?
ちょっと気になるな。あとで俺も地図見るか。
「よし、進行方向上に誰かいるか?」
「今はいないみたい。中央大陸側の異変に気づいて入洞を先送りにしているのかも」
なるほど。
「よし、じゃあいくか。
キャリバン号、通常速度に移行。出口まで突っ走るぞ!」
「了解!」




