トンネルにて
俺は闇の中にいた。
おそろしい空間だった。闇の中だというのに無数の人々の顔だけが見えて、彼らは一斉に俺を無言で睨んでいた。
よくも殺したな。
よくも。
よくも。
よくもよくもよくもよくもぉぉぉっ!
闇の中で俺は嘔吐した。
正直いえば、俺はこの結末に気づいていた。
あのカマキリを灼いた時、俺を捕食しようとした魔物なのに気持ちが重くなった。命を奪うという事に俺は慣れてなくて、気分が悪くなった。ただ、同族でないから、虫の魔物だからと気持ちをそらしていた。
え?魚は平気なのにどうしてだって?
いや、魚も少しはあるよ。慣れてるけどな。
俺は日本人だし、魚をさばいて食べるなんて普通にあるだろ?さんまのシーズンだって、冷蔵庫にビールしか入ってないような独身男でも食べたいじゃないか。まして俺はキャリバン号というアシがあるんだしな。
だけど。
「!!」
スバッと大根みたいに輪切りになった人間たち。
だめだ、思い出すだけで気が遠くなって……!
気がつくと、何だか懐かしい場所にいた。
それが物心ついた時、ほんの小さな子どもの頃にいた家だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
平屋の借家。長屋でないのがまだマシって感じの家だ。風呂は数軒で共同、しかもガスさえないオガライト炊き。
うちは田舎だったからなぁ。俺が小さい時には、そんな古い古い長屋群が辛うじて残っていた。俺が小学生の頃に親父が家を買い、そっちに移ったんだけどな。
そんなボロい借家の中、俺は眠り続ける。なんの心配もいらない、安心できる場所だからだ。
……あれ?
何か忘れてるような気がするぞ?
ふと気がつくと、お人形みたいなお姉ちゃんが布団の横に座ってた。
すげえ、銀髪だ。目も灰色だ。ガイジンさんだ。
「……」
お姉ちゃんは何も言わない。ただ頭をなでてくれた。
それが気持ちよくて、俺は目を閉じた。
ふと目覚めると、子供の頃によく遊んだ野原にいた。
年長の、知らない子が何かやってる。近づいてみると……。
「なにやってるの?」
「ん?ナイショだ」
うそつけ。オケラにロケット花火セットしただろ。
なぜかは知らないが、それがわかった。
場面は止められない。
オケラは吹き飛ばされ、もちろん死んだ。
そいつはオケラだけでやめるつもりはないようで、今度は食用ガエルを探し始める。
ああ。そうだよな。
そう心がつぶやく。
俺はああいう事はしてないが、やっぱり無数の虫を、魚を、食うわけでもないのに無邪気に殺しまくって育った。
田舎で野育ちってのはそういう事だからな。
あいつだって特別残虐なわけでも、やばい性格なわけでもない。
田舎のガキが野で生き物を捕まえるのは、言ってみれば本能だからな。昔ならその延長で、やがて狩りや猟をするようになったわけで。
うん。
大人になってからそんな昔は忘れちまったけど、そんな事実まで変わるわけがない。
「……」
そいつが生き物を虐殺する凄惨な風景が、見知らぬ風景と重なる。
おかしな銃を構えた変な男が、見知らぬ人々を殺しまくる風景が。
「いや違う、そうじゃない」
うん。わかってる。
それは僕……いや、俺だと。
「気がついた?」
「……ああ」
ふと気づくと、アイリスの顔が目の前にあった。
キャリバン号の中のようだった。
俺は後部のベッド区画で、たぶんアイリスに膝枕されている。そしてキャリバン号はゆっくりと動いて……。
……動いてる?
くそ、頭がだんだん回ってきたぞ。
「まだ起きなくていいよ」
起きようとしたが、アイリスに止められた。
「状況を教えろ、今どうなってる?」
キャリバン号は誰が運転してるんだ?
「誰も運転してないよ。ハンドルはルシアちゃんが操作してるけど」
ハンドルだけ?
「パパ、中に飛び込んだところで意識なくなったもの。キャリバン号はその勢いのまま中に入って、あとは下り坂をゆるゆると降りてる最中なんだよ。加速はつかないみたいだからスピードは全然出てないよ」
「……そうか」
という事は、最深部まではこのまま下り続けるって事か。
「他の通行人の邪魔になってないか?」
「あの飛空艇騒ぎのおかげで誰も通ってないみたい。南大陸から来た人たちは見かけたけど、出口が落ち着くまで休憩所で野営だって」
休憩所があるのか、なるほどな。
「すまん、無理させてるな」
「そうでもないよ。いくつかわかった事もあるし」
「わかったこと?」
うん、とアイリスは大きくうなずいた。
「まず、パパはあそこで戦うべきじゃなかったね。ごめん、わたしが止めるべきだった」
「それは俺個人の問題で、おまえのせいじゃないだろうに」
「ううん、わたしのせい」
きっぱりとアイリスは言い切った。
「だってパパが倒れたのは、自分の心を誤魔化して人を殺したせいだもの。ただ、あまりに目の前の光景がキツすぎて精神が耐えられなくて、それで物凄いストレスがかかったところで魔力を吸われて、一気にダウンしちゃったわけで」
「……」
「わたし、パパの故郷がすごく平和なのも、だからパパが戦いを知らないのも知ってた。そして、それをサポートするのが、わたし本来の任務で、だからわたしは」
「アイリス!」
俺は無理やり起き上がると、アイリスを何とか抱きしめた。
うわぁ、頭がちょっとクラクラ……でも、かまっていられない。
「パパ……」
「それを言うなら、バカでマヌケでミスったのはお互い様だろうが。あれをおまえひとりの失敗にできるほど俺の面の皮は厚くないぞ」
「……」
「まぁバカ同士、後で対策は考えようぜ。それより今現在のこった。な?」
「う、うん」
「それにしても、なんか臭うな」
ゲロの香りがぷんぷんしやがるぜ、オイ!ゲロ野郎はどこだ?
「パパが吐きまくったから……」
「すまん」
ごめん、ゲロ野郎は俺だったか。
「窓を閉めきってるのはなぜだ?危険でもあるのか?」
「精霊の気が濃かったから。病人には悪影響を与える可能性があるってルシアちゃんが」
「もういいから開けろ。ランサはどこだ?」
「上」
「上?屋根の上か?」
「ゲロの臭いに参っちゃったから……」
「すまん」
「パパのせいじゃないよぅ」
苦笑するアイリスに俺も苦笑で返すと、窓を全部開けさせた。後部座席のも全部。
んで、ルーフもあけて顔を出してみた。
「おーいラ……!?」
一瞬絶句して、次の瞬間、大笑いしそうになった。
確かにそこにはランサがいた。ああ、いたとも。
だけど、干物マシン……そう、某密林通販で万能干しカゴとか乾物ネットとかいう名前で売られてるアレだ……魚好きのウチでは必須のアレなんだけど、アレに入れられたランサが、平和そうに惰眠を貪っていた。
「おま……せめてバスケットに入れてやれよ。さすがに干物マシンはねえだろ」
干しケルベロスでも作る気かよ。
あまりのマヌ……もとい、微笑ましい姿に思わずプッとか笑いそうになったのはここだけの話だ。
「ウケてるじゃん」
「いちいちウケを狙うな!関西人かおまえは!」
まったく、こいつらと来た日にゃ落ち込むヒマもねえな。
とりあえずカゴごとランサを回収する。
「?」
空気が変わったのでランサも起きたらしい。3つの頭でそれぞれ、あくびしたり唸ったりしてみせた後、一斉にブルブルッと首をふってお目覚め完了。
うん、健康そうで何よりだ。
「わふ?」
「ありがとよ。とりあえず大丈夫だ」
まだちょっと臭いな、大丈夫かって顔だったので、そう答えておいた。
ランサはそんな俺の答えに満足したのか、いつもの定位置に戻っていった。
さて、俺の座席なんだが、シュールなことに天井から蔓草が生え、それがハンドルを動かしてる。
まぁ、ルシアが運転ってことはそうだよな……。
文面だけ見ると誤解している人がいるかもしれないが、ルシアは植物であり、キャリバン号になかば同化している身だ。
だけどキャリバン号だってちゃんと自意識あるらしくて、だからルシアはキャリバン号の機関部や制御系には同化できないんだそうだ。だから運転しようとおもえば、天井から蔓草をのばすしかないという。
うむ。まぁ、変といえば変だが、こんなものか。
「ルシア、運転ありがとよ」
『いえ、どうしたしまして』
席についてハンドルを返してもらった。
スルスルと天井に飲み込まれていく蔓草を見てちょっぴりSAN値が下がった気がするが、まぁ気にしない。そんな事より運転だ運転。
さて。
俺という存在を欠いたまま、でも人間族から逃げるためなんだろう。キャリバン号は止まる事なく、ゆるい坂道をゆっくりと下り続けていた。エンジンも止まっておらず、しかしアイドル付近で静かに回り続けている。
妙に静かだなと思ったけど、660cc仕様に進化したんだから当然か。
とりあえず、ゆっくりとアクセルを踏み込み加速を開始した。まぁそれでも20km/hくらいで徐行だけどな。
だって。
「しっかし……すげえな」
間違いなく俺はこの瞬間、この世界にきた事を感謝していただろう。
だって、考えてほしい。
千年も前に作られた、青函トンネル級の海底トンネル。その中を今、軽ワゴンで走ってるんだぜ。
こんな景色、どこぞの秘宝狙いの冒険親父だって想像もしないだろうよ。
さすがに周囲は、無垢のトンネルとはいえない状況に成り果てていた。
「すげえなこのトンネル。精霊って、こんな完全管理までできるんだな……」
「そんなに凄いの?」
「基幹システム止まってるだろコレ。それをよくもまぁここまで」
おそらく無垢の建材だったところには、何やらよくわからない植物系モンスターの蔓草がぎっしりと覆っていた。
柔軟かつ強度も出ているのだろうが、さらにその上、適度に水をトンネルから吸い上げているに違いない。
なんでかって?
水面下かなりの深さだと思うんだが、水の気配もろくにないんだよ。へたなコンクリ固めトンネルよりも完璧だ。
「元の設備が止まってるって、どうしてわかるの?」
「あれ見ろよ」
壁の一部にわずかに見えている、なんか標識っぽいのを指さした。
「あれ非常標識だろ、いつぞやの隧道に同じのがあったしな。覚えてないか?」
「えーと……」
「あっちは明かりがついてた。これでもわからないか?」
「え?」
アイリスは少し考えこんで……そして「ああ!」と、ポンと手を打った。
「あったあった、明かりついてたけど向こうにもあった!……で、これなに?」
「たぶんだけど、管理スタッフむけの標識だろう。ここはどこで、詰め所までの距離とかがわかるようになっている。事故で闇になっても見えるように工夫されてたりな」
「そうなの?でも明かり消えてるよ?」
「管理システムが落ちてるからだろ」
俺は肩をすくめた。
「排水の話を覚えてるか?
ここは海底トンネルだから、常に排水していないと水没しちまう。なのに本体のシステムが止まっているというのなら、誰かが何らかの手段で、その代用をしなくちゃならない」
「で、それを精霊さんや樹精様が代行してるってこと?」
「そういう事になる。な、すげえだろ?」
「そ、そうだね……」
アイリスは何かを噛みしめるように周囲を見て。そして、
「うん、すごい!」
にっこりと笑って、それを肯定した。
「……」
俺はその顔を見て、なぜだかちょっと不埒な気持ちになった……。




