準備
「これが異世界式職安か」
職安の中は、こういっちゃ何だけど、驚くほど普通だった……が、雰囲気は日本の職安とはちょっと違っていた。
どちらかというと、田舎の警察署って感じかな。
その雰囲気の違いが民族問題のためであるとわかったのは後の事だ。つまりここの職安には、人間族に入り込まれるとまずい部分があるわけで、そのために警戒していたんだな。
事情をきちんとわかっていない俺に、それが理解できるわけもない。ただ、素人目にも感じられる僅かな緊張感が空気を引き締め、日本のハローワークとはちょっと違う印象をもったのは間違いないんだが。
さて、窓口はどこだろうと周囲を見渡したのだけど。
「いらっしゃいませ。ご用件は何でしょう?」
突然に声をかけられて驚き、きょろきょろと周囲を見た。
「あ、あれ?」
誰もいない。
だがもちろんアイリスの声でもない。
「あ、すみませんこちらです」
声のする方を見ると……なんと、結構離れた窓口で山羊人らしき人が手を振っている。受付さんみたいだ。
どういう事だ?
今の、すぐ近くで聞こえたようだけど?
「声飛ばしね。魔法というより一種のスキルだわ」
おや、そんな技術があるのか。
「なるほど」
まぁ、呼んでるんだ。とにかく行ってみよう。
窓口に近づくと、山羊のお姉さんは俺をじっと見て微かに微笑んだ。
「異世界の方で間違いございませんか?」
「はい」
「市民カード申請にいらしたのでしょうか?」
よくわからないので、正直にぶちまける事にした。
「すみません、実はよくわかってないんです。北から砂漠をおりてきて、看板に職安へと書いてあったものでここに来ました」
「なるほど。南下されてきたという事は、これから南大陸に渡られますか?」
「はい」
「ならば、流れとしては市民カード申請となりますね」
受付山羊さんは、にっこりと微笑まれた。
「異世界の方の場合、非常に魔力が強力ですから、それを身分証明の代わりにできます。ですが場合により、封術などで魔力を隠して移動する必要が生じる可能性もございます。そういう時の事を考えますと、市民カードをお持ちになる事をオススメいたします。
実際、職安で市民カードを発行するのは私たちが身分を証明し、労働や移転をしやすくするためなのです。信用の証明になりますから、便利な場面もあると思いますよ?」
なるほど、サイカな黒猫さんと同じか。
考えてみれば、戸籍なんて存在しない世界だもんな。でもコネのない人だって最低限の信用が欲しい事があるわけで。
だからこそ、それを職安でサポートしてるわけか。
なるほど。日本とは違うがこれもまた合理的、か?
「よろしく頼みます」
「わかりました。では……この紙をもって指定の窓口へどうぞ」
そう言うと、何か紙を渡された。
だが。
「ん?」
紙は白紙だった。
だから「これ白紙じゃん」と言おうと思ったのだけど。
「……お」
見ている間に、うっすらと数字と言葉が浮かんできた。
あー……これはもしかして、該当者しか読めない仕掛けって事か。
「ああなるほど了解、そういう事か」
「はい。よろしくお願いしますね」
そういうと、山羊のお姉さんはにっこりと笑った。
さて、ではと不思議な紙の従い、建物の中を歩く。
「えーと、この裏をこっちか……ああ、これだな」
道を確認した。
さて、ここで確認。
「アイリス?」
「大丈夫、ついてきてる」
魔術的な仕掛けを通りそうだから、はぐれないほうがいいと言おうとしたんだが。
さすがにアイリスはわかっているようで、既に俺の腕を掴んでいた。なぜか異様にがっちりと。
「あの、アイリスさん?ちょっと動きにくいと思うんだが?」
「大丈夫、ぜったい離れないから」
なぜか物凄くマジ顔。
確かに離れそうにないな、うん。
ま、まあいっか。
とりあえず表示に従っていくつかの細い通路をくぐると、突然目の前が開けた。
「いらっしゃいませ、こちら移民受付窓口です」
急に明るいところに出たせいかな、ちょっと目がチカチカした。
なぜかここの受け付けも山羊人らしい。
「……市民カード申請にきたんですが」
「はい存じております。こちらへどうぞ」
言われるままに窓口に立つ。
「お名前をどうぞ。ただし諱でなく名乗り名で」
名乗り名?
ああなるほど、例の名前問題か。
「ハチです」
「わかりました、ハチさんですね。申請されるのはハチさんと……そちらの女性は?」
「あ、わたしは精霊体だから……」
いらないと言おうとするアイリスを片手で遮って止めた。
「二人分でよろしく」
「わかりました」
受け付けさんは俺たちの態度から何かを察したのか、それで二人分だと理解してくれたようだ。
「それでは、あなたのお名前を、やはり名乗り名で」
「えっと、だからそれは」
アイリスは反論しようとして、チラッと俺の方を見た。もちろん俺は知らん顔。
しばし沈黙していたが、やがてアイリスはあきらめたように、
「アイリスです」
「わかりました。手数料が若干かかりますが、どういたしますか?」
「いくらです?」
「お二人分で銅貨六枚です」
「じゃあ、これで」
何しろ人の町なんてバラサ以来だからな。小銭は余ってる。
「確認しました。では、すぐ作成いたしますので、そちらに掛けてお待ちください」
「よろしく」
フロアの中の椅子に腰掛けた。
「まるっきり日本のどこかだな。こういう設備って似るもんなのかな?」
そんな事を考えていると、アイリスが横から突っついてきた。
「なんだ?」
「なんで、わたしの分も申請したの?」
「ん?あ、まさかと思うけど、あれが真名だったのか?だったらまずいが」
「わたしの真名はグランド・マスターが持ってるから」
「だったら問題ないだろ?」
「そういう意味じゃなくて!わたしは人間じゃないよ?」
お金の無駄じゃんと言わんばかりのアイリスに、俺は苦笑した。
「何言ってんだ、そういう問題じゃないっての」
「へ?」
「あのなアイリス。アイリスはいわば俺のアシスタントみたいなもんだろ?俺たちの中で単独行動の可能性があるのって、おまえだけじゃないか。違うか?」
「それは」
「それともおまえ、ランサに市民カードとらせる気か?」
「……それは無理だと思うけど。でも」
「だったら、おまえが俺と同等の市民カード持ってないと、必要な時にこまるんじゃないか?」
「……」
ようやく納得したようだ。眉をしかめてはいるけど、納得できないって感じではなくなった。
「納得してくれた?」
「まぁ、うん。わかった」
うん。合理性ではちゃんと納得するんだよな。
うちのメンツはひとりひとり、種族も立場も全然違っている。だから別々の価値観があり、倫理があるのが当然だと思うんだな。
俺は、それを無理に統一しようとは思わない。
心あるのは人間だと思い、アイリスを人間と考える俺も確かにいる。
だけど、それを一方的にアイリスに押し付けるのは、それは逆にアイリスを侮辱してるんじゃないかと思うんだよな。
おっと、話を戻そう。
「ハチさん、アイリスさん。こちらへどうぞ」
呼ばれて窓口に立つ。
「はい、こちらはハチさんの市民カードです。こちらはアイリスさんの。再発行も可能ですが、手数料がだんだん上がっていきますのでご注意ください」
「はい……」
すごい、なんかマジでカードだな。日本にあっても違和感ないぞ。
プラスチックに似た触感のカードだった。ご丁寧に大きさまでクレカサイズだった。
そして何か、微かな魔力を感じる。
「質問いいですか?」
「はい、なんでしょう?」
「何か魔術仕掛け入ってますよね。これは何です?」
「ご本人を示す認証機構ですね。昔はなかったのですが、とある異世界の方により寄贈され、魔族により管理されているものです」
「ほう」
なるほど、地球人の考え方や原理が反映されているわけか。
「もしご興味がおありでしたら、本なども書かれておりますのでお読みになられる事をオススメします。ただし人間族側と魔族側で主張が全く異なりますので、その点には留意なさるのがよろしいかと」
「なるほど」
まぁ、よくある事だな。後で調べてみよう。
「……」
アイリスは、なぜかじっとカードを見ている。
「どうした、何か問題あったのか?」
「ううん、ない。ないよ……うん」
「?」
どうしたのかね。嬉しいような、何か複雑な顔をしているのは。
むう。しかし、ないというものを問い詰めるのもな。
「問題ないなら行くけど、大丈夫か?」
「あ、うん、大丈夫」
「そうか」
受付さんにお礼を言うと、その場を辞した。
外に出ると、黒猫さんはまだ居た。ただし人が増えていた。
「やぁ、どうも」
増えたのも黒猫、ただしこっちは男のようだ。
「貴方が異世界人さんですね。手続きはどうでした?」
「おかげさまで問題なく。ありがとうございます」
「いえいえ。うちのがお役にたてたようで何より」
「ニャ~にを偉そうにこの宿六が!」
「ふん、悔しかったらその赤子語をいい加減直しやがれってんだ。そんなだからナメられるんだよ!」
「あー、そういう事ゆうニャね。そのニャン語が可愛いから絶対ニャおすなってベッドの中ではさんざんほニャくくせに、都合のいい時だけ子供扱いすんニャね、そかそかー」
「ば、バカっ!人様の前でおまえ何言って……!」
「……」
ハハハ、そういう事だったのか。
ふむ。猫人族の幼児語を、俺の翻訳システムはニャン言葉と解釈してるんだな、ニャるほど……。
ま、とりあえず同性としちゃ、ちょっと助け舟出してやるとするか。
「あーコホン、お忙しい所をすまない、ちょっと聞きたい事があるんだが……」
「ん、何かニャ?場合によっちゃ情報料がいるようニャ情報も対応するニャよ?」
先の女猫さんの方は、すぐ乗ってきてくれた。意図をちゃんと汲んでくれたようだ。
「海底トンネルについて知りたいんだ。俺はあくまで噂で知るだけで、現地情報としては何も知らないんだよね」
「ああ、ムラク道ね。いいニャ、そのくらいならサービスにゃよ?」
「おい、サービス以前に公開情報だろそれは?」
「余計な事言わんでいいニャ!せっかく恩を売って仲良しになろうと思ったのに台無しニャ!」
「……おい」
なんだこの夫婦漫才。
ま、そんなこんなだったけど、やはり商人だけあって、なかなか詳細な情報をくれた。
『海底トンネル』通称:ムラク道。
大戦以前から存在する、中央大陸と南大陸をつなぐ巨大海底トンネル。当時の管理システムは現在生きていないが、巨大な植物系の魔物が通路をがっちり固めて維持しており、通行人は魔力の1から5%ほどを支払う事により、普通に通過する事ができる。
ただし魔力を一切持たない通常生物、および人間族は本坑を通れない。これらは本坑でなく横の細い予備坑を使用すれば通れるが、ミナミオオカミをはじめとするいくつかの魔物が住処や道路に利用しており、非常に危険である。
「ああ。オオカミと一般人の住み分けどうなってるのかと思ったら、オオカミは作ぎ……予備坑を使ってるわけか」
「そうだよ。なるほど、どうやって混在しているのか知らなかったんだね?」
「ああ。難なく通過できるという話とオオカミが通ってるって話が矛盾に聞こえてね」
「そういう事か。うん、ちゃんと分かれているから心配しなくていいさ」
「なるほど。参考になった、ありがとう」
危ない。
どうやらこっちじゃ作業抗って言わないみたいだな、気をつけないと。
この後もいくつかの話をしたり情報を聞いて、俺たちは黒猫さんたちと分かれる事になった。
「また会おうニャ。まぁ、たぶん間違いニャく会う事にニャると思うけド」
「そうなのか?」
「んむ、ウチのカンはよく当たるニャ。その時は飲むニャ!」
「そうだね。その時はよろしく!」
「約束したニャ~!」
俺たちは手をふり、別れた。
しかし別れた後で妙な事に気づいた。
「あ。猫さんたちの名前聞き忘れちまった……」
「まぁ、本物のサイカ商会なら、また会えるでしょ」
「そうなのか?」
商会自体にはまた会えたとしても、あの人たちに会えるとは限らないんじゃないか?
そしたらアイリスは、
「たぶんだけど……あの二人、本物なら商会の現オーナー夫婦だと思う」
「……はい?」
「用があったなんて大嘘って事。最初からパパに会いに来たのよ、あのひとたち」
「……」
嘘だろ?そんな雰囲気、微塵も感じなかったぞ?
そんな俺を見て、アイリスは呆れたように肩をすくめ、首をふった。
「あー、やっぱりパパは搦め手がダメダメだニャー」
「うるせえ、おまえが言うな!……で、ホントに本当か?そのオーナーがどうのってのは?」
「わかんない、顔の情報とかないからね。
でもサイカの直系は異世界人と猫人族の混血なんだよ。これは間違いないよ?」
「そうだったのか……」
ふむ。
だとすれば、あの二人ともまた会えるかな?ふむ。
そんなこんなを考えつつ、俺達はトンネル入り口を目指していた。
次話で、ようやく海底トンネル行けそうです。




