最南端をめざす
シャリアーゼ国。中央大陸最南端にある小さな国である。
ただしシャリアーゼ国は決して弱い国ではない。わずかな土地しかない貧乏国で、見るところもない超絶ど田舎のように言われているのだけど、それは彼らが意図的に作り上げ、流布したイメージでしかない。
実は、シャリアーゼ国の国情は南大陸寄り、つまり人間族以外の人族に対して非常に好意的なのである。
かつて他の人間族国家に攻められた時も、彼らは表向きこそさっさと敗北した。だが巧みなイメージ戦略で「こんなとこ占領しても旨味がないどころか厄介すぎる」と占領軍に思わせた。彼らは中央にその通りの報告をして、そして、故郷への帰還を望まない一部兵士を形ばかりの現地担当に任じ、さっさと引き上げてしまったのである。
その実、その者たちはシャリアーゼの実態を知り、こちらに移住を希望した者たちだったのだが。
そういう『仲間』たちの間でのみ言われるシャリアーゼ国の本当の正式名称は『コルテア』。古代語で、ひっそりと幸せをわかちあうという故事に由来する名前である。
キャリバン号を南に飛ばし続けて4日。
砂漠の景色が昼頃から、急激に変わり始めていた。
砂の砂漠から、まずは岩石砂漠へ。後にステップのような景色に代わり、いかにも寒そうな原生林の森なども遠くに見えるようになってきた。
そして気温がだんだんと下がり、涼しい土地に向かっている事を強く感じさせた。
例の『騒音でランサがまいっちんぐ事件』でキャリバン号は性能アップしているので、メーターは時速100km/hに張り付いたままだ。これは凄いことで、時速55マイル(約88km/h)さえ維持するのが困難だった昔とはえらい違いだ。まぁちょっとさびしい気もするのだけど、泣く子とペットには勝てないからな、仕方ないだろう。
さらに地形の悪いところでは一時的に少し高度をあげるような事もできるようになった。フワフワ浮いてまた降りるから気持ち悪いけどな。浮揚感が気持ち悪いというか、乗ってた全員が不快感を訴えたので、やはりアレは最低だったんだろう。大きな渓谷を抜けるのに使ったが正直、俺ももうやりたくない。
そんな中。
これから行く南大陸の話で、車内はもちきりだった。といっても会話しているのは俺とアイリス、それにルシアくらいだけどな。
「南大陸ってね、遊牧民とかキャラバンが多いんだよ」
「へぇ、なんで?」
『南大陸は非常に広いですが、南の3分の2は冬場、雪に沈みます。冬季の過ごし方として、雪の中で過ごす種族もいますが、夏の村、冬の村と家族単位、あるいは集落単位で移動している地域も多いのです』
ああなるほど。雪の中で越冬するより移動を選んでいるわけか。
「もちろん職業や環境によって違うんだけどね。
あと魔獣車っていって、強化版の馬車を生活の場にしてる人たちもいるんだよ。だから車両用のオートキャンプなんかもできる所が多くて、キャリバン号でもそれほど違和感持たれないと思う」
「へぇ。そいつは」
大陸自体が昔の北海道みたいな感じなのか。そりゃ面白そうだなぁ。
なんでも、南大陸は花と旅の大陸とも呼ばれるという。寒暖差の大きさから春の芽吹きが劇的で美しく、また花も短い夏を競うように咲く。そして、詩人はそれを愛でて詠うのだと。
おぉ、そりゃあ楽しみだなぁ。
「ふうん。パパは、そのホッカイドウってとこに何度も遊びにいったの?」
「行った行った。てーか行き過ぎて、何年か住んでたよ」
「へ?」
嘘じゃない。仕事先の都合で出る事になったが、旭川に五年も住んでたからな。
「まぁ、住んでたといってもベースキャンプみたいなもんだったけどなぁ。しばらく仕事して路銀稼いで、それで旅に出て。それの繰り返しだったな」
「へぇ……その頃もキャリバン号だったの?」
「いや、当時はオートバイだったんだけど……冬場や悪天候でひどい目にあってね。仲間が軽ワゴン使ってたのを見ていて、旅の足に車っていいんだなって、しみじみ思ってたよ。俺も後期には車中泊専用の車持ってたしな。
でもワゴンは買わなかった。
キャリバン号を買ったのは北海道を出てからなんだよな」
「へぇ……なんで買ったの?」
「それは……んー、あんまり楽しい話じゃないぞ?」
「そう?でも聞いてみたい」
ふむ。
まぁ、じゃあ少しだけ話してみるかな。
俺は元々IT系の人間だった。
北海道でもIT系の仕事はあったけど、それは札幌中心でどちらかというとベンチャー系ソフトハウスとかで、それらの業界は年中とても忙しかった。
だから農業関係の仕事を選んだ。農業は業種にもよるが特定の季節のみ非常に忙しく、あとはそうでもないと知っていたからだ。
同じところで何度も仕事するようにして顔を売り、仕事を確保した。肉体労働ばかりでなく、しまいには農協施設でフォークリフトに乗るような仕事もした。特殊車両が扱えると仕事にあぶれないという情報を教えてもらったからだが、その情報は大当たりで、経済面でとても助かるようになった。
しかし余裕が出ると、元IT系の血が疼きだした。最新のコンピュータ事情を再勉強したくなったんだ。
旭川の電気屋で一世代前のパソコンを安くゲット。昔の友人に問い合わせ、ヤツがオススメしてきたフリー・ソフトウェアのPC UNIXをインストール。本来のOSと両方使えるようにして学習用とした。
一般のクライアント向けパソコンOSは数年で容易に変化するが、UNIXなどネットワーク上で使うユーザーランドの知識は長いスパンで使えると昔の知識で知っていた。また、一台のコンピュータで複数のOSを使うためにはブートローダ等、コンピュータに関する知識が色々と必要になる。そうやって久しぶりのコンピュータらしいコンピュータを弄り倒し、失敗と学習を繰り返し、時代遅れになっていた知識を整えなおしていった。
そしてネットに接続してあれこれやりつつ伝手を増やしていくと、田舎でコンピュータに明るい人を求めているアルバイト求人に遭遇。勉強しながら稼げるとはありがたいと交渉の末にしばらくやっていたら、半年ほどたってから、関東の本社で集中的に作業する仕事の話が来た。
ああ。
断りきれなくて、一年の予定で上京したんだよ。前の職場も横浜だったし、その意味では気楽だったな。
でも現実は甘くなかった。
もともと、俺の技能は田舎でシコシコとクライアント向けプログラムを組むより、計算機室でやるようなサーバ系の仕事に向いていたらしい。それに気づいた会社が北海道に返してくれなくなった。有能だからというより、道内で無理に使う必要はないって感じで。
無理に帰ろうとしたら、それこそ辞職するしかない。
おりしも世の中は不景気になりつつあったし、そして俺も、おっさんって言われる年代にさしかかっていた。
ここでやめてしまったら、もうその先の保証がない。
戻れないと気づいた時には、もう遅かった。
キャリバン号を買ったのはその後だ。
安給料だが休日だけはしっかり取らせてくれる会社だったので、週末くらいは好きな場所に行き、好きな場所で眠り、好きな場所で遊ぼうと考えた。まれに休日深夜等に呼び出しもあったが、車なら最悪、座席についてハンドルを握るだけで移動できる。どのみち道路が混雑するような昼間の呼び出しはまずなかったし、だったら移動は速いが撤収に時間がかかるバイクよりも有利だと考え、車に目を向けた。
昔の旅仲間と同じ軽ワゴンに辿り着いたのも、そういう理由だった。
キャリバン号は確かにポンコツだったが、店のおやじが断言したように大当たりの個体だった。オイルと冷却さえ注意していれば故障どころか不調もなく、古い車なのに俺のわがままに答えてくれた。いろんな所にいったし、いろんな思いを刻みつけた。本当に楽しませてもらったんだ。
そして……こちらの世界に来てしまった、あの日に至る。
「な、面白くないだろ?まぁよくある話だし」
「……そう?」
俺の話を聞いていたアイリスは、こてんと首をかしげた。
「んー、わたしにはよくわからないけど、人生、思い通りにいくもんじゃないってのはわかるよ。だからたぶん、確かによくある話なのかもしれないね。
でも、いい話じゃないかな?」
いい話?どこがだ?
「だって、キャリバン号と出会ってからは、悲しくなくなったんでしょう?楽しく暮らせたんでしょう?」
「いい歳こいて結婚どころか婚活もせず、軽四でフラフラ旅行者だぞ?そういうのって普通、負け組とか言わないか?」
「んー、日本の普通ってよくわかんないけど」
アイリスは苦笑するように首をふり、でも、はっきりと言い切った。
「でも、キャリバン号にパパが抱いてる特別な気持ちの意味が今、すごくよくわかった気がするよ?」
「特別な気持ち?」
「うん」
俺の言葉にアイリスは目を細め、微笑んだ。
「パパにとってキャリバン号は、ただの車じゃなかったんだね。帰れなくなっちゃった過去への想いとか、色々な大切なものがいっぱい詰まった、宝石箱みたいなものだったんだね」
「ほ、宝石箱?」
ちらっとルームミラーごしに後ろを見た。
「おまえ……このポンコツな内装みて、宝石箱って形容するか普通?」
「見た目の話じゃないよ、気持ちの話だよ」
もう、わかってないなぁとアイリスは眉をしかめた。
「ははは。でもま、アイリスの言いたい事はわかる。てか、それは当たり前じゃないか?」
「当たり前?」
「ああ」
俺はクスクス笑いながら、自分の持論を言った。
「青臭い言い方だけどさ。クルマに限らないけど、愛車ってヤツにはそいつの人生が詰まってるもんなんだよ。いろんな意味でな」
「……人生?」
「ああ」
俺は一瞬だけアイリスの顔を見て、また前方に視線を戻した。
「はじめて乗ったチャリンコとか。
はじめてのエンジンつきの乗り物で遠出とか。
ドキドキしながらの初デートとか。
悲しい事があって、ただひたすら一人で走っていた時の事とかな」
「……」
「むろん、乗り物なんて乗らなくても、ひとは生きられるさ。
だけどな、愛車と共に生きる人生は、ない人生より少しだけ広くて、少しだけエキサイティングで、少しだけ味わい深い。
そういうもんだと俺は思ってるよ」
「……そう」
アイリスは何か思うところがあったみたいで、特に茶化したりはしてこなかった。
「……」
でもそうなると、むしろ困ったのが俺だ。
(おい。頼むから茶化してくれよ。いい歳してクサイ事ほざきすぎて、空気が重くなっちまったじゃねえか)
ああ畜生。
なんか言わなくちゃいけないと思うんだが、激しく言い出しにくい。
参ったな……って、おや?
「む」
「なぁに?」
「いや……向こうに看板みたいなのが立ってるな」
今、走っているところはハイウェイとは名ばかりの道だ。数キロおきくらいにハイウェイである事を示す標識が立っている他は、舗装すらされてないただの地面だったりするが。
そんな『ハイウェイ』の向こうに、看板が立っている。
「アイリス、何か資料あるか?」
「えっとね……特にない。気をつけて」
「わかった」
そう答えると、俺はじわじわと接近していった。
「看板だな」
「看板だね」
実は、この世界で最初に見た看板だった。
看板はキャリバン号よりも大きかった。明らかに馬車のように大荷物で陸路を行く連中を見越したろうもので、何か楽しげな絵と宣伝文句が書かれている。まぁ、日差しやら何やらで汚く色あせているけどな。
で、その文面なんだけど。
「これは……『お食事はパタピラン亭で』と読むのかな?」
「たぶんそうだと思う」
こんなところでレストランの宣伝かよ。誰が読むんだ?うーん。
そんなこんなで見ていると、ふと妙な事に気づく。
「なぁ」
「何?」
「この看板、文字よりも絵の方が主役っぽいよな」
「うん、それで?」
「この絵の、ど真ん中あたりなんだが……」
看板のちょうど真ん中あたりは、女の子の髪の毛になっていた。
その髪の毛なんだけど、ラインが一部おかしい。ストレートのはずなのに変な線が引かれているんだ。
まじまじと注目してみると……。
「ああわかった。これ文字を隠してら。でもなんでそんな事するんだ?」
「そうなの?」
「ああ」
「ほら、これ。なんて書いてるかわからないが、これ昔の字だろ?」
例の翻訳魔法のおかげで言葉は問題ないが、文字はちょっと怪しい。特に古い文字はダメダメだった。
そこでアイリスに文字らしきものを示し、チェックしてもらったわけだが。
で、それを見たアイリスが「ああ」と手をポンと打つ。
「これ、たぶん南大陸を目指す逃亡者向けの案内看板だね」
「そうなのか?」
「うん。未来を求める者よ、職業安定所に問い合わせよって書いてある」
「職安かよ……」
「?」
「いや、なんでもない」
職安っていうと……うん、やっぱイメージはハロワだよな。ハローワールドでなく、ハローワークな。
ハロワっていわゆるセーフティーネットだと思うんだよな。何度か本当に助けられてるし施設としての重要性は本当によくわかってるつもりだけど、精神的に追い詰められていた時期に利用した記憶が多いせいか、同時にいい印象もなかったりする。
異世界にも職安あるんだなぁ……めっちゃ複雑な心境なんですが。
いや。だって今の俺ってさ、『住所不定無職』じゃん。
「ハローハローってか。ハハハ……」
「?」
「いや、悪い。意味わかんねえよな、ハハハ……さ、行こうか」
「う、うん」
きっと俺の顔は、ものすごく苦笑いになっている事だろう……ハハハ。
どうせならファンタジー世界らしく冒険者ギルドとか、それっぽいのにしてくれよな。
ボロの軽四で職安行くとか、すげえリアルすぎてイヤだなぁ……ハハハ。
俺は何ともいえない気持ちで、キャリバン号に戻った。




