なんか出た
その夜は、珍しくエロ夢ってやつを見た。
こっちの世界にきた当初は、緊張感のせいか熟睡できなかった。夢は見ていたと思うが、とりとめもない断片的なものばかりで、目覚めたら急速にその記憶は薄れてしまっていたものだ。
だから、その夜の夢は久しぶりで、とても心地よいものだった。
「……」
お相手は、緑色の髪の少女。
軽くウェーブのかかった、明らかに本人の身長よりも長い髪。歩きまわったり、何か仕事をする事を全く考慮していない不思議な布切れの衣装。履き物は何もなし。
そして、深緑の神秘の瞳に覗くは深い闇。
一瞬、その魔性と蠱惑にゾッとした。
逃げ出したい、そんな思いに駆られる。
「……」
だけど逃げられない。
だって、少女の緑色の髪はどういうわけか、俺の左手の手首につながっているからだ。
外そうとした。でも外れない。
そう……まるで少女の身体は、俺から生えているみたいだった。
『おいで』
「……」
少女がやさしげに微笑んだ瞬間、俺は自分の行動の無意味さを悟った。
ああ、そうだった。
少女は敵ではない。あの子と同じだ、俺の溢れる魔力を吸う、人でないものというだけの話。
『おいで……ほら』
誘われるままに、ふらふらとむしゃぶりついた。
少女は、その体臭までもが若葉の香りだった。
目覚めると、知らない女の子が横にいるという展開は、現実にはまずないが物語ではよくある事だ。
俺の場合はもちろん「ない」方だ。だから当然、なぞの夢から起きた俺を出迎えたのは見知らぬ女の子でなく、アイリスの笑顔だった。
「変な夢見た」
「そうなの?」
「ああ」
目覚めの第一声としては変な会話だけど、ボケた頭では違和感も何もなかった。
起きてみると、窓の外は明るいものの、見えているのは暗い森。一瞬戸惑ったけど、昨夜の事をぼちぼち思い出してきて、そこが植物系モンスターの巣であり、キャリバン号が止まっているのが超巨大な古代樹霊の頭の上である事を思い出す。
ああ、道理で鳥の声がしないわけだ。
こんな森の中なら小鳥の声がしそうなものだが、ほとんど聞こえない。
モンスターだらけの森には居づらいのか、それとも砂漠のどまんなかという位置関係のせいで移住してきていないのか。どっちかはわからないが。
どっちなんだろうな。
そんな事を思いつつ、俺は自分の左腕を見て……思わず目が点になった。
「……はい?」
一瞬、俺の眼がおかしくなったのかと思った。
だが、瞬いてもこすっても状況は変わらない。
「……お?」
実は俺の左腕には傷跡があった。
大昔に派手に大怪我をした痕で、さすがに数十年たった今、他人からは認識不可能なほどになっちゃいるんだけど、溶接したような不思議な自然治癒の痕跡は、周囲に混じって肌色になりながらも今も存在する。当然、その事件を忘れていない俺には痕跡どころか、当時の記憶と共に苦々しく存在するものだ。
その左腕に、なんか月桂冠みたいな変な植物のブレスレットがとりまいていた。ちょうど傷を隠すように。
「なんだ、これ」
外そうと思ったんだが、ビクともしない。
それどころか、外そうとすると、脳裏に『やだ』『はなれない』『エッチ』と変な声が響きまくる始末。
「……おい、アイリス」
「うん。ばっちり寄生されちゃったね」
「……あー、するってーと、これが例のやつか?」
「うん」
そうなのか。
「そうか……俺はてっきり、キャリバン号の方につくもんだとばかり思ってたが」
昨日の話では、キャリバン号の魔力を隠したり、そういう役目を果たしてくれるって話だったからな。当然のように、俺はキャリバン号につくんだろうなと思ってたんだよな。
そう言うと、アイリスはウンウンと大きく頷いて肯定した。
「キャリバン号にも付いてるよ。というより、予定通りなのはキャリバン号についてる方で、パパについてるのはオマケみたい」
「オマケ?」
『動物的にいうと姉妹、という形容が正しい関係なのだよ。そなたに付いた方が妹だな』
俺の疑問に、樹霊の声が答えてくれた。
『姉が行くというので、わたしも行くという事らしい。まだ小さいので大した能力はないし種が生成できるようになるのもだいぶ先の話なのだが、まぁ少しは役に立つであろう。連れて行くがいい』
「いや、連れて行くがいいって」
あいかわらず、ひとの話をきかない樹霊様だなぁ。
「実害はないのか?」
『ないだろう』
「ないわね」
ほう。慎重なアイリスまでそう言うなら、本当に問題なさそうだな。
「わかった。じゃあ、預からせてもらうよ」
『無理を言っているのは承知の上。すまないがよろしく頼む』
「!」
なんだが腰が低いな、樹霊様。
そう。昨日、最後に話した時の妙な腰の低さ。あれは俺の気のせいじゃなかったって事か?
『ふむ、昨夜の竜の娘との会話がきになるのかね?』
「まぁ気になる。意味がないのはわかってるから聞かないけどな」
『そうさな……』
樹霊様は少し考え、そして返してきた。
『そなたは敏い。知らぬ方がよい事もある、という事をちゃんと知っている程度にはな。
その事を踏まえた上で少しだけ、問題にならぬ部分だけ話してやろう。
昨日の会話はそなたに関する事だ。正しくは、そなたの旅路が与える影響の予測というべきか』
「影響の予測?」
『うむ、そうだとも。
そなたはこれから、この世界を旅する事になろう。そなたの言う元の世界に戻る方法とやらは残念ながら知らぬが、界を渡る「渡界の呪法」は確かに存在した。今も現存するかは知らないがな』
「!」
予想もしなかった言葉に、俺は本気で驚いた。
『待て待て、落ち着け、よく考えろ。「今も現存するかは知らない」と我が言う意味をよく考えるがいい』
「……あー」
ああ、そうか。
心当たりがないでもないが、残存するかどうかは疑問って状態だったわけか。
ドラゴンさえ小僧呼ばわりの古代樹霊ですら、わからないもの。
だったら……好意的に解釈したところで、容易に見つかるとは到底思えないな。
そうか。
そういう事なら、なぜ話してくれなかったかもわかる。
「すみません。気を使わせちゃったみたいで」
『こちらこそすまないな。
この話は昨日の話の本題ではない。だが話す以上、どうしてもこの話に触れないわけにはいかなかったのだ。だから言うのが躊躇われたのだよ』
「ふむ」
樹霊様は、少しだけ昨夜の会話の中身を教えてくれた。
かのドラゴンは、樹霊様が本当に無害有益な存在を俺たちに付けるつもりなのか、いまいち信用できなかったのだという。だから、今後の俺の行動から予測されるデータを竜言語でまとめあげ、アイリスを通して樹霊様に語って聞かせ、こういうヤツだから便宜をはかってやるべきだぞ……というのが昨夜の会話の内容らしい。
『当たり前だが、悪く言えばお前を単なる運命の盤上に乗っかったゲームのコマとしか思えない内容であった。ゆえに内容を話すべきではないと思う。人間という種は自分をなおざりにされたり、何かのコマのように例えられるのをひどく嫌う生き物だからな。たとえそこに悪意がないとしても。
蜥蜴の小僧も我も、そなたに興味をもち手を貸してやろうと思えど、苦しめる気は毛頭ないのだから』
「……はい、わかります」
さすがの俺にも、それはわかる。
ドラゴンにせよ樹霊様にせよ、俺に関わるメリットがあまりにも少ないのだ。でも、それでも関わってくるという理由はつまり、そういう事だろう。
異世界人という俺の属性ゆえの珍しさ。
そして、俺自身は魔力のわりに大した能力をもたない、その貧弱さ。
それらの結果として、彼らは俺なんかのために手を貸してくれるんだろうな……うん。
正直、ありがたい。どう返したもんかとも思ってしまうが。
そんな事を考えていると、
『付け加えるなら、その腰の低さに、でもあるかな?』
「?」
妙な事を樹霊様は言い出した。
『この世界の者なら、こうしていわゆる超命種と話す機会があれば、色々と手前勝手な要望をするものなのだよ。金をくれだの、村を救ってくれだの、力を与えろだの。そういう者を多々見てきた。
だが、そなたは違う。そうであろう?』
「いや……そんなの当たり前だと思うんですが?」
ドラゴンやら樹霊様やら、そんな凄い存在に対して偉そうにそんな要求するとか。どんな神経してんだよそれ。
まともに話してくれただけでも、凄いラッキーとか思わないのか、そいつらは?
『まぁ、好意的に解釈するなら、心に余裕がないのであろうな』
「心に余裕がない?」
『まぁ、そなたには理解できまいし、理解してほしいとも思わぬ。
そして、そんなそなたであるからこそ、我や蜥蜴のような者が手を貸そうとするのであろうよ』
うーん、よくわからない。
まぁ、助けてくれるっていうのなら、それはありがたい事だし気にしなけりゃいいんだろうが。
『うむ、それでよい。厚意は単に厚意として受け取ってくれればよい』
「そうっすか。了解です」
うん。これ以上は聞かない方がいい、そんな気がした。
簡単に食事をすませた。
何しろ森の中は木だらけだし、開けた広場は樹霊様の頭上ときた。直接火を使う事がためらわれたので、干物と乾パンで簡単にすませる事にした。
ああ、あと……味噌汁が欲しいなと思った瞬間、インスタント味噌汁が何袋か出てきたので、それも。
久しぶりに車内にテーブルを置き、窓をあけてガスの火を使った。薄暗いのでLEDランタンもつけて。
「そういや、ガスもLEDの電池もちっともなくならないなぁ」
「魔力で補填してるからでしょ」
「……なるほど」
今さら何いってんの、と言わんばかりのアイリスの反応に、そりゃそうかと苦笑した。
ランサに干物はどうかと思ったので、お湯で少しふやかしてやったら普通にもりもり食べてくれた。俺は網の上で焼いてもみたわけだが、
「……むしろ味噌汁に入れた方が良かったかもな」
むしろ豚汁風にするべきか。南大陸は寒いというし、豚汁の手法は悪くないだろ。
食事がすんだら片付けをする。水洗いが必要だが、それは出発してから悩む事にしよう。
何しろここは本来、砂漠の中なんだ。
一般的日本人は想像もしない事が多いと思うけど、食器は砂で洗う事もできるんだよ。まぁ、痛むから最後の手段にしたいけどな。
とにかく食器をまとめて適当なケースにいれておく。揺れるかもだからな。
コンロ類は冷えてくるのを待って普通に収納。
うん、準備よし。
「出るぞ。皆、いつもの席につけ」
「はーい」
「わんっ!」
「……」
ランサの声のあとに、森がざわっと鳴るような雰囲気が続いた。キャリバン号に住み着いたヤツっぽいな。
ふむ。あとでよく検証する必要がありそうだなぁ。
席につき、準備ができた事を確認する。
「エンジン始動」
キャリバン号が動き出した。
一応窓をあけて、挨拶する。
「そんじゃ、いつか機会があればまた来ます!」
そう声を出して挨拶すると、森が大きくざわめいたような気がした。
うん、よし。
窓を閉めるとハンドルを握り、キャリバン号を発進させた。
来た時のように森をゆっくりと抜けていくと、出口付近の狭い獣道にさしかかる。
「アイリス、センサーを見ててくれ」
「りょうかいー」
やがて出口がきて、視界が開ける。
「あ、センサー戻った!」
「周囲に敵はいるか?」
「近くには……いないね。1番近いところで200km近いね。みんな地上に降りてるみたい」
「ああ、そうか……いつまでも飛んでいられないもんな」
「たぶんだけど、わたしたちの反応が急になくなったから調査待ちなんじゃないかな?」
なるほど。
「という事は……ここからが正念場って事かな?」
「え?」
いや、だってそうだろ。
俺は振り返り、車内にむけて声をかけた。
「おい、キャリバン号に住み着いたやつ。えっと……名前はなんていうんだ?」
『名前?』
ふむ、名前がないのか?
「わかった、じゃあとりあえずルシアとしよう。それでいいか?」
少し沈黙があって『いい』と返答がきた。
「ルシア、今この乗り物……つまりキャリバン号ごと俺たちの気配を消せるか?追手が来れないように」
『よくわからない』
「わからない?」
えっと、どういう事だ?
困っていたらアイリスが助け舟を出してくれた。
「パパ。ルシアに限らないけどたぶん、魔力を食べた結果、気配が消せるって事を知らないんだよ」
「あ、そういうことか」
俺はポンと手を叩いた。
「ルシア。今、キャリバン号から出てる魔力を喰ってるか?」
『うん。えーと、何かビンビン出てるのは食べないように、漏れてるのだけ食べてる』
「漏れてるのだけ?」
ああ。センサーに使ってるやつは食べないように、漏れてるやつだけ食べてるって事か。
「へえ、器用なもんだ。なかなかやるな」
『えっと、あいりすが教えてくれた』
なるほど。
「そうかそうか。アイリスもごくろうさん」
「うんうん、それほどでもあるよー」
いや、ドヤ顔まではせんでいいから。胸はるなっての。
「わかった。悪いけど今日いちにちそれを続けられるか?どうだ?」
『うん。おいしいから問題ない』
「わかった。頼むぞ」
『うん』
よし、いけそうだな。
「そんじゃ、ぼちぼち行ってみるか」
「うん!」
キャリバン号に樹精が住み着いた。
これは小さな事件だが、これが俺たちの旅に与える影響は大きい気がした。
うん。
なんとなくだが、そんな気がしたんだ。
それに。
『……おいで』
あの夢の中の女の子は、なんだったのか。
流れからすると、左手にブレスレットのように取りついている方の樹精だろって事になるけど、こうして見る限り、人化するような能力があるとは思えないんだよな。少なくとも今のところは。
という事は、あれは予知夢みたいなもんだったのかな?
まさかな。俺にそんな能力があるわけもないし。
そんな事を考えていると、
「ねえパパ、おなかすいたねえ」
「は?さっき食べたばかりじゃないか」
突然、アイリスが妙なことを言い出すわけで。
「そうだけど、パパが何か食べたそうにしてたから」
「は?俺が?」
「うんそう。……まぁ、食べるものが違うのかもしれないけどぉー」
「……」
なるほど、何を言いたいかはわかった。
そして鋭いなアイリス。
成長したのはいいけど、そういう変なカンのよさはいらないと思うぞ俺は。
「ぬぬ、パパがなんか邪まな事かんがえてるー」
「ないない」
「考えてる考えてる♪」
「ドライバーの脇をツンツンすんなおまえは!あぶねえだろうがバカっ!」
「にひひひー」
「……」
アイリスとジタバタやっていたら、ふいに下から視線を感じた。
見てみたら、ランサの3つの頭がじっとこっちを見ている。しっぽパタパタふってる。
おう、なんかウチらも混ぜろって要求してんな。
「そういや今朝は散歩してないしな。
よし、あいつら撒いたっぽいって結論出たら、どこかよさげなとこで遊ぼうか。な!」
「わんっ!」
よしよしと片手でなでてやると、ランサもうれしそうにますます尻尾をふった。




