迷い子
突然だけど、古い軽ワゴン車、特に550cc時代の過給器もパワハンも何もない時代のやつで高速運転をした事があるだろうか?
だいたいにおいて、これらの車は高速道路を想定していない。せいぜい「法定速度で移動可能」程度の設計になっているうえに、ワゴンという車種の都合上、重さのわりに風のあたる面積が広い。
結果として「荷物がないと軽すぎて不安定、しかし荷物を積むと重すぎて速度が出ない」という事になる。しかもエンジンはいっぱいいっぱいなわけで、車内は、わんわんと不愉快な振動とエンジンノイズがうなりをあげるわけで。
「パパ。でもそれって地球の、日本で乗ってた元のキャリバン号の話だよね?この子は関係ないんだよね?」
「そうだな。こいつはそもそもガソリン車じゃないしな」
「だったら、ここまで再現しなくてもいいと思うんだけど?」
「……そうなんだけどね」
オマケのように取り付けられている速度警告灯は、冗談でなく後付けだったり。もちろん本来の『キャリーバン』の純正部品ではないはずだが、買った時には取り付けられていた。いかにも後から取り付けましたよって感じで。
後で友達の古いカワサキに同じのがついてた時には笑ったけどさ。
で、その速度警告灯。
これがまずメーターよみ87km/hくらいで「カコン、カコン」と赤く点灯しながら鳴り出すだろ?
さらにエンジン音も豪快にわんわんと響きまわるわけで。
そう。とにかく、うるさいのだ。
ぶっちゃけた話、キャリバン号って100km/hも出したら、もうこれは騒音の塊になってしまう。
しかもハンドルも気持ち悪いくらいスカスカに軽くて、何かあったら吹っ飛びそうな感じがヤバい。
なんていうか「スピード落とせぇ、落とさないと死ぬぞぉ」って感じがヒシヒシと伝わってくるというか。
うん。この時代の軽四で遊び倒した人間ならこのギリギリ感、きっと同意してもらえると思うけどな。
「でもなぁ、これでも元と比べたら全然いいんだぜ?前は100km/hなんてエンジン壊れるほどぶっ飛ばしても無理だったしなぁ。こいつなら、友達三人乗せて富良野から吹上行っても途中で登れなくなったりしないだろうし」
「だからパパ。オリジナルにそこまで準拠しなくてもいいんだってば……」
そうだよな。俺もそう思うんだけどさ。
「なんでか知らないけど無理なんだよなー」
「どういう事?」
「んー……あくまで推測だけど」
「うん」
要するに、キャリバン号みたいな車の性能はこんなもんって認識が俺の中にあるんじゃないか?
これは、いい方に働けば先日の風船ダミーみたいな事になる。つまり、いいかげんなイメージでもちゃんと動作するものが出てくる。
だけど悪い方に行くと、本来もっと色々できるものに制限がついちまうんじゃないだろうか?
「わかってるんなら、それを何とかすればいい気が……」
「いや、これは簡単には治らないと思う」
心のイメージを自在に組み替えるなんて、それこそ神様でもないと無理だ。時間がたってイメージが変わるのを待つしかないだろう。
「うーん……そっかなぁ」
俺の言葉に少しだけ反論しかけたアイリスだったが、やがて「むむ」と考え込んだ。
「まぁ、そうね……ある意味仕方ないことか」
「わかってくれた?」
「うん。長い目で治療しないとダメってことは理解した」
「いやいやいや、病気じゃないから!」
あんまりな言葉に反論しようと思った。
だけど俺が反論する前に、アイリスは「だってねえ」と俺に向かってニヤニヤ笑うんだ。
「な、なんだよ」
「ま、わたしが言わなくてもパパは治そうとすると思うよ。だってほら」
「え?」
アイリスの指し示す方をチラ見した俺だったが、
「……」
「な、なんだ。ランサどうした、おい!」
「や。一目瞭然だと思うよ。うるさいんでしょ?」
そこには、頭をよせあい、うるさそうに箱の中で小さくなっているランサの姿があった。
「……しまった」
犬の耳は人間なんぞ比べ物にならない。
しかもこの世界の動物なんだから、クルマの音と振動自体にそもそも不慣れ。
とどめに、ケルベロスなわけだから頭の数は3つ、という事は耳も三頭ぶん付いてるわけで。
「ああ、ごめん、すまん!……まてまて、何とかしろ、何とか…………あら?」
何とかしなくちゃ、と本気で焦った瞬間だった。
「……なんだ?」
「あら、静かになったわね。スピード落としたの?」
「いや……落としてないが」
なんだろう。唐突に音と振動が小さくなった。まるで最新型の660ccの軽に乗ってるみたいに。
もしかして……やっちまったのか俺?
「おおすごい。なんか劇的改善したぞ」
「そうなの?」
「ああ。最新型のエブリィに乗ってるみたいだ。すげえな」
「エブリィってなに?」
「キャリバン号の後継車種だよ。前に試乗会にいった事がある」
「……」
「アイリス?」
「んー……なんでもない。わたしよりランサが優先ってところに本当は怒るべきじゃないかなぁとか、結局は同じような乗り物の妄想で上書きしただけなのねとか、色々と言いたいところはあるんだけど、まぁ……」
「まぁまぁ」
ぷうっと膨れてしまったアイリスをなだめるのに、ちょっと苦労する羽目になってしまった。
それはともかく、南への走りは続く。
「背後の追跡者はどうなってる?」
「まだ少しだけ追ってきてるみたい」
「距離はわかる?」
「無理。範囲外……少なくとも200kmより向こうみたい」
「範囲外なのに、追ってきてるのはわかるのか?」
「タブレットの表示には見えないわ。でも表示外にいるって警告が出てる」
「なるほどな」
200kmか。
相手が徒歩やら馬なら十二分な距離だけど、飛竜に乗っていると数時間ともたない距離だよな?
むう……せめて空限定でもいいから400kmくらいにならないものか。
そんな事を考えていたら、
「あら?」
「なんだ?」
「アップデートってなに?ほら」
チラッと見てみると、タブレットに『アップデートしますか』の表示が出ている。
もしかして、範囲拡大するつもりなのか?
しかし……芸が細かいな。
「そこ、OKを押して」
「うん」
しばらくすると、アイリスが驚いたような顔をした。
「飛翔体限定で511kmまでOKだって。でも地上にいる時は255kmまでしか対応できないから気をつけてって」
「……いやな限定だな。あー了解」
プログラマ的にちょっと思うところのある数値に、思わず苦笑いした。
「それで、敵の位置はわかるようになったか?」
「うん、だいぶ見えた……けどこれは」
途中までデータを見たアイリスの顔が渋った。
「どうした?」
「敵対マークが前方にもいるわ。かなり遠いけど」
「……ほう」
それはもしかして。
「アイリス」
「なあに?」
「もしかして、彼らには長距離通信技術があるのかな?携帯みたいな」
「ケイタイって、そのポケットの端末のことだよね?」
「ああ」
「そんな物凄い機械はないけど、遠話の魔道具ならあるよ。軍の上層部とか大手のギルド支所なんかで使われてるはずだけど」
「ガッテム!それか!」
「……パパ?」
しまった、その可能性は想定してなかったな。
「わからないか?あいつら、先回りしようとしてるんだ。俺たちが砂漠を南下している事を前提にね」
「あ、そっか!」
アイリスも理解したようだ。
「……となると、だ。下手に飛ばしてもむしろ逆効果かもな。
アイリス、トリリランド以外と昨日のアレ以外に、偽装や結界に使えそうなのって何がある?」
「えーとね……正直、単体では思いつかないかな」
「そうか」
俺は少し考え込んだ。
「アイリス、彼らの探知範囲ってわかるか?」
「探知範囲?」
「そう。まさかこっちみたいに500km探査できるわけじゃないだろ?」
「たぶん、軍用か狩猟用の探査魔法だと思うから……空限定でも100km見えれば上等だと思う」
「なるほど。じゃあ、狙いはそれだな」
「どういうこと?」
俺はアイリスに、手順を口頭で説明した。
「現在の敵対者の位置を見てくれ。彼らの探査範囲を120kmと仮定して、察知されずに南に抜けられそうか?」
「五分五分だと思う」
「不確実なのか。理由は?」
「南に向かうほど、だんだん土地が狭くなってくるから」
きっぱりとアイリスは返事してきた。
「この光点を見る限り、大きな町に敵対者がいるんだと思う。でもね、このまま走り続ければ、前方300km以内の区画にいる敵対者は、探査範囲に入る前にやり過ごせると思うの」
「ああ」
「でも、南に抜けるとなると話は別。最南端にはシャリアーゼ国があって、そこの首都ジーハンには手が伸びている可能性が高いと思う」
「ほう。根拠は?」
「シャリアーゼは独立国家の扱いをされてないの。南に逃げる亜人奴隷なんかを当局から保護していたんだけど、中央大陸の奴隷商ギルドがロビー活動して、シャリアーゼ国に軍隊を送り込んで占領、中央大陸平和議会って団体の管理下に置くことになってね」
うわぁ。なんだそりゃ、怪しいにもほどがあるぞ。
「なるほど。言いなりになって俺たちを捕らえに来る可能性があると?」
「正確にはパパをね」
ふむ……。
「じゃあ、ぎりぎりまで南下して、敵対者を確認してから進路を決められないか?」
「それはむしろ、向こうの想定する状況だと思う」
なるほど。その場しのぎでやろうとすると、裏をかかれておしまいって事か。
うーむ。なかなかにサドンデスな状況だな。
ん、まてよ?
「アイリス」
「なぁに?」
「そもそも、奴らはこのキャリバン号の何をもって特定してるんだろう?」
「え?」
「金属反応?燃料……は当然違うよな。すると……」
そんなことを俺が言っていると、
「あーわかった、パパの言いたい事!」
「ほう。で?」
「えっとね、まず彼らは魔力反応をたどっているんだと思う。他に検知する方法もないしね」
「ふむ。すると魔力を検知させない方法は?」
「結論からいうと、完全に検知させないって方法はないかな。でも、わかりにくくする方法はあるよ」
「ほほう。詳しく」
ウンウンとアイリスは微笑んでうなずいた。
「たとえば、グランド・マスターの森があったでしょ。魔力隠しの結界張ってあそこに入ってしまえば、発見はされない。なぜなら、魔力隠しでしっかり隠せば、あの森にいる大型モンスターと区別がつかないからだよ」
「なるほど、樹の葉を隠すなら森の中って事か。でもここは砂漠だぞ?」
「それが問題なのよね……」
むうっと、アイリスは眉をしかめた。
「こんな大捕り物になるとは予想してなかったわ。だったら別のルートを薦めたのに」
「それはアイリスのせいじゃないだろ?」
「そうなんだけどね……それにしても、どうしたものかしらね」
むむむ、とアイリスは首をかしげつつタブレットを見ていたのだけど、
「……あら?」
何かを見つけたようだ。
「どうした?」
「おかしいわね。変なところにオアシスの反応がある」
「変なところ?」
「ありえない場所ってこと。このあたりには地下水脈がないから」
「あー、湧こうにも湧く水がないって事か。そりゃオアシスは変だよな」
「でしょう?」
ウンウンとアイリスも大きくうなずいた。
「行ってみようぜ」
「え?」
俺の発言が一瞬わからなかったのか、アイリスはポカーンとした顔で俺を見た。
「えっと、……怪しいのよ?なのに行くの?」
「もちろん警戒しながら行く。やばそうなら逃げよう。な?」
「う、うん、いいんだけど……でもどうして?」
「理由を言われるとつらいんだけどな……んー、何となく?」
「なんとなく、か……」
アイリスは、そんな俺の言葉に少し考え込んでいたが、やがて顔をあげた。
「わかったわ。行ってみましょう」
「おし、了解!」




