魚と翼竜
『いやぁ、ありがたい。乾燥魚は我らも作るが、人間族の作るものはまた味が違うのだ』
目の前に、魚の干物をウマそうに食う翼竜がいた。
いや、言い間違いでもなんでもない。
翼竜。プテロサウルス。うん、いいけどさ。
まぁ、魚の干物を飲み込むのでなくバリバリ喰っているあたり、地球の翼竜のイメージと少し違う。
それはたぶん、魔力という要素があるから。
地球の翼竜が長い顔をもち、噛み砕くより飲み込むに近い食生活を送っていたのには理由がある。たぶんだけど、顎の力を強化して強力な歯を用意するより、つるっと獲物を飲み込みやすくして消化性能を上げる方が重さという点でも、食事という行動の合理性をとっても有利だったからだと思う。要するに自然淘汰の結果。
逆にいうと、魔力や魔法という武器のある異世界の翼竜は、そこまで特殊化しなくともいいのだろう。
同じように巨大な翼を持ちつつも機動性が全く異なり、いろんな方法で獲物がとれるのなら。だったら、飲み込むだけでなく噛み砕く事も可能な方が有利という事じゃないだろうか?汎用化を捨てるほど特殊化しなくとも、翼竜として繁栄していけるって事なんだろう。
うん。
そんなことを思った。
砂漠の逃避行(間違ってないよな、うん)の最中、俺たちは一頭の原始飛竜、つまり翼竜と知り合った。まぁ正しくは、あちらさんから一方的に登場したのだが。
そうそう、脳内に響く翻訳はオッサン言葉だったんだけど、実はおば……もとい、お姉さんだったらしい。
だけどオッサン扱いにしてくれという。正直わけがわからない。
まぁ、俺の主義としては肉体の性より精神の性が優先なんで、おっさんでいいだろ。正直、翼竜の性別なんて視覚的にはわからないので問題ないしな。
というわけで彼女、もとい彼をマイケルと呼ぼう。別に、ダスティン・ホフマンの逆(※)だからって皮肉ってるわけじゃないぞ。
マイケルの案内で、そのまま俺たちは山の向こう、飛竜たちのコロニーに案内された。追手は途中で引き返していってしまい、俺たちはホッとひといきもついた。
まぁ、正確にはコロニーの麓だけどな。キャリバン号は空を飛べないので、道どころかオーバーハングになっている彼らのコロニーには近づけないんだよ。
で、話は戻る。
マイケル氏だが、ストックしていた魚の干物を進呈すると、えらい喜ばれて……そして冒頭に戻る。
「地球の翼竜も魚を食べたというからね、まぁ魚好きは別に驚かないよ」
『ほう、そうなのか?』
俺はマイケルに、地球にもかつて原始飛竜がいた事、そして彼らを翼竜(Pterosauros)、つまり翼のある蜥蜴と称する事、そんで、saurosはラテン語で蜥蜴であるが、太古の古代竜の一族にもsaurosという呼び名が使われており、事実、自分たちの使う日本語では翼竜、すなわち翼ある竜と呼ぶんだという事も話した。
彼は非常に面白そうに聞いていたが、やがてこんな事を言った。
『我らは自分たちの事を「翼」と呼んでおるよ。君の世界でも翼ある竜なのか。界が変われど人の感覚は大きく変わらぬのかもしれないな。ふむ、興味深い』
「つばさ?」
『うむ。我らは真竜族の強さは持たない。しかし空が暗くなるまで上昇できるのは、我ら翼の一族だけなのだよ』
「空が暗くなる?」
まさか、成層圏まで上がれるっていうのか?
『セイソウケン?意味がわからぬ、それはどのような場所なのだ?』
「えっと……」
俺は自分の知る成層圏についての知識を語った。
もちろん地球とここが同じとは限らない、と注釈をつけてだが。
『なるほど、確かにそのセイソウケンというもので間違いないようだな』
「そんな上空に、翼だけで行けるもんなんだ。知らなかった……」
『いや、さすがにそれは無理であろう』
「え?」
俺の感嘆を、マイケルはあっさりと否定した。
『そもそも魔法で防御せねば、生きる事すら叶わぬ死の領域なのでな。翼だけではたどり着けぬよ』
「あ、そうか」
そりゃそうだ。バカか俺は。
『それに、何しろ空の彼方なのでな。昇り降りにも膨大な魔力を使うし、色々と問題の多い世界ではある。だがしかし、それに見合う利点もあるがな』
「利点?」
うむ、とマイケルは大きくうなずいた。
『かの領域は空の抵抗がなく、防御さえ固めておけば非常に飛ばしやすい。さらにいえば天敵もおらぬしな』
「なるほど」
そりゃそうだ。ただでさえ翼竜の天敵なんて少ないのに、誰が成層圏まで追ってくるというのか。
『従って、長距離の渡りには利用する事がある。特に嵐がくる恐れがある場合など、いかなる天候であろうと上に出てしまえば問題ないのでな』
「渡りって……季節ごとの渡りの事?」
『そうだとも』
俺は心底、驚嘆した。
成層圏を旅する渡り鳥、もとい渡り飛竜?
俺はNHKスペシャルよろしく、成層圏上から下を飛ぶ巨大な飛竜の群れを想像してしまった。
思わずめまいがした。
まさか。
まさか自然界の生き物が魔法の手を借り、生身で成層圏を旅するなんて。
しかも、それを生活史に普通に織り込んでいるなんて……!
これが、これがファンタジー世界の底力ってやつなのか?
くそぅ、今回という今回は本気でビビったぞ!
すげえな大自然!
『そんなに驚く事なのか?』
「驚く事だよ!すごいな翼竜!半端ない!」
俺は心底感銘し、感嘆の声をあげていた。
『ほほう、そこまで賛美してもらえるとは。光栄を通り越して少々むず痒いな。
ところで少年、我としては君らの事を知りたいのだが?』
「俺たちの事?」
『うむ』
マイケルはそう言うと、俺たちとキャリバン号を改めて見渡した。
『そもそも異世界人という時点で珍しいが、ここまで不可思議な組み合わせは前代未聞ではないかと思うのだよ。
いったい、何がどうしてこうなったのだ?よければ、我に教えてくれぬかな?』
「あー……うん、わかった」
俺は、自分がこの世界に辿り着いた時の事から順番に話してみた。
話の間、マイケルは『ふうむ……ほほう』などと時おり小さく反応する他は、続きを促すだけでじっと聞き続けていた。そしてワニの解体のために町に行き、はじめていろんな種族に出会ったあたりで大きくうなずき、なるほどなと納得げな返答を返した。
『なるほど、風変わりなのは外見だけであったな。むしろ理想的な旅の形が、だんだんと出来上がっているというべきか』
「理想的な旅の形?」
『さよう』
マイケルは、俺の言葉に大きく頷いた。
『考えてもみよ。
この世界に来た瞬間の少年は、孤立無援の状態であった。だが、すぐに安心できる乗り物が確保され、それに馴れた頃にガイド役が用意され。そうした流れで次々と旅の仲間が拡充され、道具が整い、必要な戦力がまとめられている。
少年は偶然と考えておるのかもしれないが、ここまでくれば、もはや偶然とは思えぬぞ。
おそらく、なんらかの力が働いておるのは間違いないだろう』
「何らかの、力?」
『うむ』
魚を食べ終わったマイケルは、どっこいしょと腹ばいで座り込んだ。どうもそれがリラックスできるポーズらしい。
鳥と違う彼らの特徴は、折りたたんだ翼を前肢として使っている点だ。いかにも特徴的で、なんともいえずカッコいい。
『我には詳しいことはわからぬ。しかし間違いない。
少年のそれは偶然ではない。「安楽に旅を続けたい」という少年の意思を何かが汲み取っているのか、それとも無意識に少年自身がやっているのかは知らない。ただ言える事は、誰かが少年の因果に干渉しているのではないかという事だ。
うまく言えんが我ら種族にはわかるのだよ。翼にあたる風が誰のものか、読み違えれば命に関わるものなのだから』
「……そうか」
そこまで言われる以上、確かに重大な意味があるんだろう。注意しておこう。
そろそろ上に戻って寝る、というマイケルの言葉で、その場はおひらきとなった。
寝場所も異なるから、明日の朝に会えるとは限らない。だから、その場で別れの言葉を告げる事となった。
『ではな少年たち、また会おう。よい旅になる事を祈っているぞ?』
「どうも、貴方もお元気で。縁があえばまた」
『うむ。またな』
そう言うと翼竜マイケル氏は翼を広げ、ふわりと浮き上がり去っていった。
ふむ。
「魔法の助けがあるとはいえ、綺麗に飛び上がるもんだなぁ」
「うん。翼の神と自称するだけの事はあるよね」
アイリスも同意だったみたいで、すぐに肯定の返事が帰ってきた。
「それにしても、少年少年言いまくる人だったなぁ。いや、人じゃないけどさ」
「?」
俺がふとこぼすと、アイリスが不思議そうな顔をして見ていた。
「どうしたんだ?」
「んー、あの飛竜さんに言われて気づいたけど……パパ、だんだん若返ってない?」
「……は?」
なんのことだ?
「いや、だからね……お肌がツヤツヤになったり、小じわが目立たなくなったりしてると思うよ?だんだん年下に見られていくのって、そのせいかも」
「……マジか?」
「うん」
そんなバカなと思ったが……確認してみるか。
俺は立ち上がるとキャリバン号に行き、サイドミラーに自分の顔を写してみたんだが。
「……なんだこれ?」
そこには、何か見知らぬ若造の顔があった。
いや、見知らぬというのは嘘だ。ずっとむかし、毎日見ていた顔に似ているというか。
「……どうなってんだ。これマジか」
「うん、マジ」
「……若返ってるじゃねえかよ。なんでだ?」
どう見ても、二十歳かそこいらの頃の顔なんですが?
「知らないよぅ」
そりゃそうだ。理由がわかるなら今さら突っ込んでくるわけがない。
「ガキだの少年だの言われるわけだ……」
女は知らないが男の場合、歳はハクでもある。歳をとる事で得られる信頼ってやつもあるわけなんだが。
そもそも、こんなガキが女連れで見知らぬ異世界の乗り物に乗ってるとか。どんだけ不用心なんだよ。
まずいな、これは。
「アイリス、悪いがおまえのグランド・マスターに問い合わせできるか?この事について」
「あー、今ダメ。寝ちゃってる」
は?
「ドラゴンって寝るんだ……」
「生き物だから寝るよぅ、当たり前だよそれ」
「確かに」
まぁ、そうだよな。うん、何ぼけてんだ俺。
「とにかく、なるべく早く尋ねてみてくれ。ちょっとこれは色々と洒落にならないから」
「わかった」
アイリスにそこまで指示した俺は、思わずためいきをついた。
「……とりあえず寝よっか」
「いやまてアイリス。そうは言っても」
「どうせお返事貰えるのははやくて明日だよ?イライラしても仕方ないよ?」
「……いや、そうは言うけどおまえな、いくら……!?」
「……」
言い返そうとしたら、その口を口で塞がれた。
「……」
「……」
至近距離でアイリスの灰色の目に見つめられていたら……いつのまにか激しい気持ちが失せてしまった。
「さ、もう休もう、パパ?」
「……うん。わかった」
「ん!」
その笑顔に引きづられるように返事をした。
どこか遠くで、誰かがウンウンと納得しているような気がした。
※:マイケルの逆
1982年のアメリカ映画『トッツィー』に由来するものです。
作中でダスティン・ホフマン演じるマイケル・ドゥーシーという男優が女に化けてドロシー・マイケルズという偽名を使うシーンがあるのですが、これの逆であるというのが彼の言葉の意味です。




