それにげろ
騒がしかった夜も明け、町の朝がやってきた。
ちょっとばかり暴れすぎたというか、今朝は非常にすっきりした気分だった。まぁ、ちょっとばかり自分があの頃の、若さは馬鹿さと言わんばかりに暴走していた頃に戻ったようで、ちょっとアレだけどな。
湧き上がる想いが制御できない。
文字通り、ほんの数日前までただのガキだった女の子が大人になって、そしてなんとこっちが押し倒された。言葉にするとたったそれだけなのに、俺の心臓はたったそれだけの事実に、狂おしいくらいに脈打ってしまう。
いかん。やっぱり俺、おかしいよな。
なんか中学生の頃みたいに、自分が制御できない。
こうなると最悪で、アイリスを見るたびにドキドキしてしまう。
悪いことをしているような背徳感と、男の汚れた目線で彼女を見ているという罪悪感。それに、くすぐったくてたまらない喜びが渾然一体となって、自分でもどうしていいのかわからなくなる。
「おはよう」
「ん、改めておはよう、パパ」
あ、ああ、そうだよな。確かに「改めて」だ。
「っ!」
そう思った瞬間に、明け方の時間の事をありありと思い出す。心臓が激しく波打って、息が苦しくなる。
ああ、落ち着け。落ち着けってば俺。これじゃ本当に中学生なみだぜ。
「えっと、アイリス」
「ん?パパ、なんで赤くなってるの?」
「え?い、いや何でもない!」
「そう?ふーん?」
ウフフと笑うアイリスは、とてもワザとらしい。全部理解したうえで、あえて知らんぷりしているとわかる。
だけど、そのアイリスを責める事は……。
……いや、まて。
ここでたじろいだら俺の負けみたいなもんだろ。まぁ負けでもいいっちゃいいけど、いくらなんでも、もう少ししっかりしないとな、うん。
ちょっと深呼吸した俺は、ふうっとためいきをついた。
「朝から大変だね、パパ?」
「いや、まったくだ。まぁとりあえず出かけよう、のんびりしすぎるのもまずそうだしな」
そうだ。こんな事やっている場合じゃない。
「うん、わかった」
いつもどおりに戻ったアイリスの笑顔はまるで「そう、それでいいの」と言っているようだった。
「や、どもー」
「またな坊主。こっちに来た時はまた是非よってくれよ?」
「ありがとうございます!」
出発前に、肉屋の親父がわざわざ顔を出してくれた。こんな若造(俺はどうも、この世界では随分と若く見られる傾向があるらしい)が食肉解体の見学なんかしたのが余程珍しかったのか、ずいぶんと気に入ってくれたみたいだ。
どうもこの親父さん、くだけた会話になるほどに口調が若々しくなるみたいだな。どうでもいい話だが。
「じゃあ、また!」
「おぉ、またな!」
親父に挨拶すると、俺たちは出発した。
進行方向は南。海まではまだ三千キロ以上あり、そのほとんどが内陸の荒野と砂漠だとか。
「や、もう行くんですね。お気をつけて」
「門番さんもありがとな。また!」
「ああ、そうだハチさん、ひとつ、さきほど町に入った隊商から危険情報がありましてね」
「へ?」
出発しようとすると、門番氏は少し渋い顔をしてこう言った。
「この町の近郊に、人間族の捜索隊のようなものが目撃されています。それもひとつでなく複数」
「マジすか。目的は?ここは大丈夫?」
「目的はわかりませんね。でも異世界人狙い、つまりハチさんが目的の可能性は充分あると思いますよ」
「そうすか」
やっぱり、その可能性はあるよな絶対。
「あと、この町は大丈夫です。彼らは結界を抜けられませんし、かりに抜けたとしても、ここは開発途上の辺境の町ですからね」
「えっと、どういう事?」
「一般人に見えても、みんな強いって事」
横からアイリスが補足してくれた。なるほど。
「はい、そのとおりですね。開発途上の町なら治安も保障されませんし、何が出るかもわからない。子供はともかく、大人で戦えない者はいませんし、自衛組織もありますよ」
「なるほど」
伊達に辺境になんかいないって事らしい。
「ありがとうございます。それじゃ失礼します」
「ああ、またな」
「それじゃいくぞ」
「うん、いこう!」
『わんっ!』
ふたりと一匹を乗せたキャリバン号は、おもむろに西に向けて走りだした。
「さてアイリスさん、さっそくだけど」
「動き出した光点は3つ。術師を乗せた飛竜だと思う」
ほう。さっそく来ましたか。
「距離は?」
「まだ見通し範囲の外。お互いに視認可能になるのは、五分後くらいかな?」
なるほど。
「俺たちが何者かも理解している可能性は?」
「わかんない。でも3騎のみこちらに来ているから、きっと確証はないんだと思う」
確認半分ってとこか。
さて、ここからが本番だ。
「昨夜ちょっと話した結界、あれの準備してくれる?単に気配を小さくするやつ」
「わかった。トリリランドも準備しとくんだよね?」
「そうだ、頼むぞ」
俺はそう言うと、少しだけ念じてから、こう言った。
「ちょっと後ろ見てくれるか?」
「えっと……あら?」
言われるままに後ろを振り返ったアイリスは、不審そうに眉をしかめた。
「なにこれ?今出したの?」
「ああ、呼び出した。風船ダミーだよ」
「バルーンダミー?」
俺はウンとうなずいた。
「子供の頃に見たアニメに出てきたんだ。囮みたいなもんかな?」
「……ごめんなさい、よくわかんない」
「わからなくていいよ。要はその中身がふくらんで勝手に自走すると思えばいい」
「へぇ」
「じゃあ、キャリバン号止めるからそいつを外に出してくれる?」
「うん」
俺はキャリバン号を停止させた。
アイリスは俺に言われた通り、箱を外に出した。俺も外に出ると箱の前に出て、
「……」
改めて見て絶句した。
「う、うーん。まぁ、小さい頃の思い出だからイメージも雑って事かな?」
なんというか……ただの金属製の立方体の箱だった。
いわゆる例の松本メーターってやつが、これみよがしに着いてたりするが、本当になんのかざりもない。
間違いない、これは俺のせい。デザインの反映ミスって事だな。
機能についてはよく覚えているが、デザインについてはイメージが甘かったって事だな。
すまん、ファンの人。手抜き妄想で。
まぁたぶん、動くぶんには問題ないだろうけど。
メーターのところを「ぽちっとな」と押してみた。
ボコッという音がして箱が開き、たちまち全体が膨らみはじめた。
「なにこれ!」
なんかアイリスがびっくりしてる。
ああそうか、こんなフワフワ膨らむものなんて、この世界にはあまりないって事か。
ふむ、まぁいい。
「アイリス、こいつにトリリランドをかけてくれるか?」
「こ、これに?……わかった」
そう言うと、アイリスはいつものように、ただし目の前の物体Xにトリリランドをかけてくれた。
「いいよ?……あら」
「はは、面白いだろ?」
物体Xがふくらんでくると、それは俺の世代なら誰もが知ってる宇宙戦艦の姿になってきた。
「……船?でも変な色ね?」
「念のために言い添えると、本物のこいつは宇宙……いや、空を飛ぶ。しかも金属製の船だ」
「なにそれ!?」
空飛ぶ金属製の船は想定外か。ま、そりゃそうだよな。
「よし、そろそろいいかな。発進だ」
そう言うと、宇宙戦艦もどきはキャリバン号のように浮き上がり、そして西に向かってゆっくりと走りだした。
「ほんとに走ってるし……」
なんか呆れたように見ているアイリスに苦笑するが、今はそれどころではない。
「よし、今度は気配を消す結界をキャリバン号にかけよう。急いで頼む」
「う、うん、わかった」
そう言うと俺達はキャリバン号に戻った。
アイリスは席につくと、今までみた事もないような変わった術式を展開しだした。
「それが気配を小さくするやつ?」
「そうだよ。幻惑魔法でなく風の魔法ね。小さくて弱くて、自然な最低限の風で、でも音も臭いも完全に封じるんだよ」
ほほう。思ったよりもアナログな仕掛けなんだな。
「はい、できたよ?」
「おう、早いな」
よし、じゃあ、ここからがもうひとふんばりだ。
「え……なに?」
アイリスの目が点になった。
そりゃそうだろう。キャリバン号の上からいきなり、何か布みたいなものが降りてきたんだから。
「風がなくてよかった。上からすっぽりかぶせる仕掛けとか、さすがに考えつかなかったからな」
「え?え?……なにこれ?」
まぁそりゃ驚くか。
ちなみにどういう状態かというと、キャリバン号がまるごとすっぽりと、銀色の布に覆われた図を想像してほしい。薄いものなので砂漠の太陽は透けて見えているけど、確かに異様な光景には違いない。
「まあまあ。あとは気配を消して待つとしようぜ」
意味が理解できてないアイリスを、とりあえずなだめる。
「う、うん……それでいいの?」
「たぶんね。俺の妄想がうまく機能したならだけど」
「妄想?」
「ああ」
先日の魔法のナイフ。それから肩の空間ポケット。
あんなものですら作れるというのなら、これもできるはず。
さて。どうなるかな?
「きたよ」
アイリスの声が小さく、でも緊迫しているのがわかる。
「確認した。飛竜三騎は間違い、飛竜は二騎編成の三単位で合計六騎。さっきのお船を追いかけて移動中」
ほほう、ツーマンセルってやつか?騎乗で、しかも飛竜でもマンセル言うのかは知らないけど。
この世界での人の使い方はよくしらないが、ツーマンセルみたいな概念がやっぱりあるんだろうか?あるんだろうな、きっと。
さて。
「やつら、こっちに気づいてる?」
「気づいてないみたい……風で音や臭いを消しても雰囲気までは消しきれないはずなのに……なんで?」
「行っちまってから説明するよ」
そのまま、しばらく待つ。
「他の飛竜も動き出した。ただし位置関係で、この近くは通らない」
「ふむ」
さらに数分。
「ダミーはどうなってる?」
「お船は西に向かって飛び続けてる。推定時速92km。あれ、いつまで保つの?」
「俺が消えろっていうか、破壊されるかってとこかな。何しろ風船だから、やられたら一発でおわりだよ」
「そっか……それで一定速度を保たせて囮にしたのね?わたしのトリリランドを彼らがチェックしてるのを逆用して?」
「そういう事」
「なるほどねえ……」
少しは意味がわかってきたらしい。俺たちはニヤッと笑いあった。
まぁ最悪の場合、逆走で振り切るなんて乱暴な事態もあり得たからな。
不可能とは言わないけど、できれば空飛ぶ者相手にカーチェイスはしたくない。圧倒的に不利だし。
「で、この布の意味は?」
「実際に見た方がわかりやすいな。連中が探知圏外に出たら教えてやるよ」
「わかった」
そんなこんなの会話を何分か続けていると、
「探知圏外に出たよ。もう大丈夫だと思う」
「結界はまだ効いてる?」
「効いてる」
「この距離で気づかれる可能性は?」
「弱すぎて不可能だと思う」
「オーケー、じゃあそろそろ外のシートを回収すっか」
ドアを開けると少し重い。
「ん?布自体は軽いはずだけど……ああ、空気の抵抗か」
そのまま外に出つつ、適当に布を丸めて回収にかかる。
「アイリス、後ろのハッチドア開けてくれ」
「はい……って、これなに!?」
「ん?」
好奇心半分、仕事手伝い半分でさっさと外に出たんだろう。
布を外側から見たアイリスは、文字通り目を丸くしている。
ま、そりゃそうか。
「意味わかったか?」
「な、なななななにこれ!?キャリバン号が見えない……パパも見えないよ!?」
「どうだ、すごいだろこれ。光学迷彩っていうんだぜ」
「……こうがくめいさい?」
「ああ。あとで説明するよ。よっと!」
まさか、アニメで見たもんまで本当に再現できるとはなぁ。士郎御大も押井ナントカもビックリだなこりゃ。
とはいえ、便利な射出機構も収納システムもないわけで。性質上、あとで広げなおして再利用できるかどうかも怪しいもんだし、あのカッコいいヒロインみたいに華麗に使うのもちょっと難しいけどな。
ま、こんなもん残していくわけにもいかないし、さっさと回収して、と。
キャリバン号の後ろに布をまとめてぶちこむと、
「さ、いこう。バレて奴らが戻ってくる前に、とっとと行っちまおうぜ!」
「わかった!」
改めて出発したキャリバン号の中で、バルーンダミーと光学迷彩について説明した。
「はぁ……とんでもない代物なんだね」
「どっちもフィクションの産物でな。再現できるかどうかは正直わからなかった。でも」
「魔法のナイフや空間魔法のポケットが作れるなら、これもできるだろう……そう考えたんだよね?」
「ああ、そういうわけだ」
まさか、ここまで見事に大ハマリするとは思わなかったけどな。
そう言うと、アイリスは呆れたようにためいきをついた。
「パパ。自分がどれだけ凄いことしたのか、わかってないでしょ?」
「え?」
「原理は知らないのに、見た目と効果だけバッチリ再現できたんでしょう?お話の中の架空の道具を」
「ああ、そうだけど?」
俺がそこまで言うと、アイリスはクスクスと笑った。
「じゃあ……そこに出てきた架空の道具でなく、架空の武器とかも再現できるんじゃないの?」
「!?」
言われてみれば、確かにそのとおりだった。
光学迷彩が再現できるのなら、多脚戦車だって実現できるだろう。ふくらみ式のデコイでなく、あの巨大な艦首のライフリングまで付いた本物の宇宙戦艦だって再現しちまうかもしれない。
まぁ、現実にはそんなデカいもん魔力が続かないので無理だろうけど、やりようはあるかも。
そう。
つまりこれは結局、いつぞやに想像した、映画に出てきた核爆弾と一緒なわけだ。
参った。
アニメだから、絵だからって無意識に軽く考えちまってたんだ。バカか俺は?
「……そうか、そうだよな」
「わかった?」
さすがに冷や汗が出た。
「まぁでも、普段は思いつかない方がいいと思うよ?」
「なんでだ?」
「普段から地球製の武器なんて使ってたら、戦争に使えるとか思われて、よけいに追い回されるよきっと」
「な、なるほど、思いつかないのがベストだな、うん」
「うん、わたしもそう思う」
こうしている間も、キャリバン号はどんどん南に進んでいる。ほとんど走行限界に近い速度で走り続けているおかげもあり、タブレットのセンサーに追手の気配はない。
だけどアイリスいわく、一組または一騎だけ追ってきているという。
「速度差があるから遠いけどね。確実に追ってきてるのがいるみたい」
「マジかよ」
なんて、しつこいんだ。勘弁してくれよもう。
「まぁ、もう少し行くと、とりあえず安心できるはずだよ」
「というと?」
「原始飛竜の縄張りがあるんだよ。飛竜は原始飛竜に絶対かなわないから、まず撤退するからね」
「なるほど」
合理的っちゃ合理的だな。
ちなみに原始飛竜というのは、つまりいわゆる翼竜の事だ。
どうして翼竜が飛竜より強いのかというと、翼竜は軽い身体でも高い運動能力や戦闘力をもつよう、魔法を駆使するからだそうである。人間に飼われて家畜化し、デカくて飛ぶだけの動物に成り下がった飛竜では相手にならず、飛竜も近寄ってこないんだとか。
おー、凄いんだな翼竜。
と、そんな話をしていたのがまずかったのだろうか?
「ん?」
いきなりタブレットが通知音を響かせた。
「ありゃ?この音って確か」
あれだ。初日に鹿が出た時に鳴ったのと同じ音だな。敵じゃないけど何かいるってやつだ。
でもこんな砂漠のどまんなかで、しかも時速90km台で走る車の中で?
「アイリス、近くに何かいる?」
「……」
「アイリス?」
「……うえ」
「うえ?」
いや、そんな困った顔されたって意味わからんから……って、うえって上?
「あ」
今、屋根でトンッて音がした。何か乗っかった音か?
ま、まさか飛竜か?追い付いてきたのか?
そしたら、
『いやぁ、ちょうどいいところに。ちょっとお邪魔するよ異世界の少年?』
「い!?」
いきなり、頭の中におっさん調の言葉と、変なビジュアルが湧いて出たんですが?
高速道路なみの速度で走るキャリバン号。
その屋根の上で姿勢を低くして、風をやり過ごして休んでいるのは……!?
「……原始飛竜?」
「正しくは原始飛竜族だね。地上のラシュトルと並んで有名な、空のプテロデウス族……」
『いかにも、我はプテロデウス族である。真竜のお嬢さん、紹介ありがとう』
「あ、いえ」
しゃべる翼竜!?
う、うーむ……どうやらまだ俺は、退屈な旅をさせてもらえないらしいな。
光学迷彩: 現実にも研究されているらしい。主人公がイメージしたのは士郎正宗『攻殻機動隊』に登場したものに近い(だから士郎御大うんぬんと発言している)が、実際に彼が呼び出したのは、同様の効果を持つ大きな布地。しかも片面だけが透明で、もう片面は銀紙みたいな感じになっている。しかも折ってしまうと再利用が困難という欠陥品。
これはイメージが適当なせいというより、主人公のイメージ自体の問題。
彼はアニメで見た現物そのものでなく、そこから自分なりに動作原理を想像し、彼のイメージ上で光学迷彩を再現しようとしたため、こんな半端なものが完成してしまった。
風船ダミー: アニメ『宇宙戦艦ヤマト』に登場したのを小さい頃に見ており、そこから記憶をたどって再現したもの。だが当時の彼の目線は装置そのものより開発した技師長の方に向いていたため、本体のデザインが適当になってしまった。サイズも小さく、オリジナルは艦載機サイズになったらしいが、こちらはオートバイ程度のサイズ。




