砂漠の町にて
リンチー精肉店の主人は、なかなか恰幅のよい猪の獣人だった。
ついでに言うと、頑固親父っていうかぶっちゃけ怖い顔だった。
考えてほしい。
筋肉の塊みたいな……それも魅せるための筋肉でなく、本物の筋肉の塊みたいなボディの上に、歴戦の傷跡みたいなのがつきまくった大きな猪の頭が乗っかっているのだ。その目線も頑固というより剣呑に近い。意味不明のやばそうな殺気に満ちている。
キャリバン号から降りて店の人を呼んだのは俺だ。俺なんだが……。
やべえ。
迫力あるってレベルじゃねえよ。
俺の足はこの時、ガクガクと笑いそうになっていた。てーか、ちょっと笑っていた。
なんていうか……北海道は知床・羅臼のビジターセンターで、地元で捕らえられたっていう巨大なエゾヒグマの剥製見てビビった時の何倍って迫力だよ。
怖ぇ。猪マジ怖ぇ!
……だったんだが。
その、とんでもなく怖い顔が俺を見て、そしてワニを積んだキャリバン号を見て。
いきなり、幸せそうな笑顔にコロッと変わりやがった。
な、なんだ?
「おぉ、こりゃまた珍しいものを」
「へ?」
主人は、そのでっかい身体でフムフムとキャリバン号に歩み寄り、そしてワニを見聞しだした。
「やっぱり間違いない、ラグラ・ワニじゃな。しかも新鮮そのもの。こりゃいつ、どこで討ったものかな?」
「あ、今朝です。大河で」
「大河で今朝!?すばらしい、飛竜なみの速さでここまで運んだという事か。なるほどそれでか、ふむふむ」
「ライガーワニじゃないんですか?」
俺の抱いた疑問は次の瞬間、アイリスがきっちりと質問してくれていた。
「あー、惜しいな竜の嬢ちゃん。ラグラってのはな、そのライガーの中からたまに生まれる変わり種の事なんじゃよ。だからライガーっていうのも厳密には間違いではない。
じゃが、大物っていうくらいでな、こいつの真価はその大きさにある」
「大きさ?」
俺が眉をしかめると、おっさんはグフッと楽しげに笑った。
「そうともよ坊主。こいつはの、これでまだ子ワニなんじゃ」
「へえ、そうか子ワニか……子ワニ!?」
「いかにも」
「嘘だろぉ!?」
この、キャリバン号よりでかい、化け物みたいなワニが……これがまだ子供だって?
俺の驚きを、店主は、うんうんと笑顔で受け止めやがった。
「ラグラの成体といえばな、真竜よりもデカくなるって話があるほどの化け物よ。ま、さすがに川に住むには大きすぎるらしくて、海にいっちまうそうだがな」
「そりゃそうだろうよ……」
しかし、そんな巨体になっちまって、食料とかどうすんだ?
「まぁ、そこが変わり種って事なんじゃろうな。
そもそもラグラは大きくなりすぎた時点で魔物化するでな。食材としての価値が高いのは、このあたりのサイズまでなんじゃが。
さて坊主、肉屋にコレを持ち込んだって事は……解体か?それとも売却か?」
「あー、解体を頼みたいんだ。ひいては料金なんだが」
生き物の解体を頼んだ事なんてないからな。そこはぶつかってみるしかない。
そしたら親父は「ふむふむ」と言い、そして笑った。
「そうだな。普通ならワニ種は食える部分の半身をもらうところだが…」
ふむ、と親父はうなり、そしてポンと手を打った。
「屋根の上に積んできたって事は、おまえら食料倉庫を持ってないな?」
「へ?」
「あ、ないです」
俺が答える前にアイリスが答えた。
「よしわかった、ではこうしよう。ちょっとまて。おい、ナガ!」
「なんすか親方!」
店の中から声がした。
「2号の魔道倉庫、ひとつ持ってこい!一番綺麗なヤツをな!」
「へい!」
しばらくするとドアが開き、親方によく似た猪頭の若者が現れた。大きめの宝箱みたいなものを抱えている。
それを見たアイリスが反応した。
「無限倉庫だ……」
「無限倉庫?」
「キャリバン号の床下倉庫みたいなやつだよ。空間が曲がってて、たくさん荷物が入るの」
「ははは、無限はさすがに入らんよ。竜族の術式なら可能かもしれんが、これはわしら獣人のじゃからな」
にこにこと楽しげな店主。
おそらく、そんな顔はレアなんだろう。出てきた若者が店主の顔を見て驚いている。
「ま、こいつでも、このデカブツ程度なら余裕で入るじゃろう。わしの条件をのんでくれたら、これをやるぞ坊主。どうだ?」
「条件ってなんだ?」
「この取引結果がどうあれ、おまえら最低でも何割かの肉は手元に残すじゃろ?食いそうな魔獣も連れておる事じゃし。
その肉をな、市場に流さないでくれんかな。皆で喰うのはかまわんが売るのはよしてくれ。勝手な願いですまんのじゃが」
「へ?」
一瞬、意味がわからなかった。
「売却禁止ねえ。悪いけど理由を聞いていいか?」
そもそも売ろうなんて考えもしてなかったが。なんでだ?
聞いてみると、おっさんは大きくうなずいた。
「一番大きいのは、市場が混乱する事じゃな。
ラグラは高級肉じゃからな、転売で儲けようって輩が出やすい。
じゃが、高いといっても肉は肉じゃ。転がして儲けてどうするんじゃ?肉とは食べてこそ肉であり、われら食肉を扱う者の挟持でもある、そう考えておるんじゃよ」
「……なるほど」
なんか、おっさんの主張に熱が入ってきたぞ。
「嘆かわしい話なんじゃが、人間族の好事家に希少種の肉を高く売りつけようって馬鹿がおってな。
むろん、うちじゃそんな馬鹿はやらん。肉は食ってこそ肉、それが命奪う者の、奪われた者への礼儀じゃろう。ま、それはわしら獣人の常識であって、異世界人のそれは違うのかもしれんが」
その理屈は少し理解できた。
昔の友達で、釣った魚を食えるもんなら決して捨てないヤツがいた。まずい魚でも、毒魚でないのならだ。釣ったら喰うのが礼儀だと笑顔で言い切ったのが懐かしい。
だから俺は、うなずいて言い切った。
「ああ、よくわかる。釣った魚は喰うのが礼儀だって言うしな」
「おおわかるか坊主、そうかそうか!」
店主はますます嬉しそうに言い切った。
「よし坊主、こっちは取り分四分の一にこの箱をつけよう。坊主は残り全部と今の約束。これでどうだ?」
「オッケー、それで頼む。あ、それと親父、頼んでいいか?」
「なんじゃ?」
もちろん、頼む事なんて決まってる。
「解体するとこ、見学していいか?」
そう俺は、笑顔で頼み込んだ。
「はっははは、公開で解体なんて何年ぶりかな。腕がなるわ!」
「はぁ。そうっすか」
「これがラグラワニか。はじめて見たぜ」
「これでまだガキだってか。でっけえなぁ」
「しかも魔物じゃないんだろ?」
「長生きはするもんだねえ」
あー……なんだかな。
単に見学のつもりだったんだが。
気がついたらご近所さんやら何やら、わらわら集まってきて大騒ぎになっていた。そして、騒ぎを聞きつけたギャラリーやら何やらまでもが集まり、いつしか屋台まで持ち込む輩が現れ、とうとう縁日もかくやというお祭り騒ぎになりつつあった。
なんか、店主の同業者まで見に来たらしい。
「リーの、道具足りてるか?うちの出そうか?」
「ありがとよ、問題ねえさ。それより周りの連中を見てやってくれぃ!」
「おお、任された!」
どんどんお祭りの様相を呈していく……。
「ここの連中、どんだけお祭り好きなんだよ」
「ハハハ、そりゃそうだろうぜ」
これはさっき、道を教えてくれたパイプの爺さんだ。
「こんな往来で珍しいワニぶらさげてよぅ、珍種の話なんぞしてんだもんよ。みな、そりゃ注目するわな。
で、公開で解体するってんだろ?
ヒマもてあましたワシら年寄りが群がるのは当たり前じゃろうが、ワハハハ」
「で、それに輪をかけて刺激に飢えてるバカと好事家も来るってか。つーかジイさん、ひょっとしなくても最初からついてきてたな?」
「もちろんじゃとも!」
「少しは悪びれろよ、まったくよぅ……」
楽しげにバンバンと肩を叩かれ、俺はためいきをついた。
門番のおっさんからそうだったけど、妙に馴れ馴れしいヤツが多い。この世界の特色?それとも獣人の特色なんだろうか?
「みんなパパが珍しいっていうのもあると思う」
とうとうアイリスまで言い出した。
「それって、異世界人がって事?」
「うん」
「それ変じゃねえか?聞くところ、結構な数の異世界人が過去に来てるんだろ?」
それこそ、普通に彼らが認識するくらいにはな。
だけど。
「来てるのは事実だけど、普通にお話するならともかく、商売しにくる異世界人は結構珍しいと思うよ?」
「……そうなのか?」
そんな話をしていたら、
「うむ、確かに珍しいのぅ」
アイリスが答えようとしたところで、いきなりパイプの爺さんが返答してきた。
「わしはこれでも四百年は生きておるんじゃ。当然、異世界人は多く見てきたし、そいつらの多くが絵に描いたようなお人好しだったり、戦いに不慣れで人を信じやすい子供のような連中だったのも知っておる。
じゃが……まともにこの世界に馴染むばかりか、希少種を捕らえて売りに来たヤツなんぞ、ワシもずいぶん久しぶりに見たぞ。ワハハハ!」
「そうか。そんな珍しいのか」
「うむ。……嬢ちゃん、話の腰を折って悪かったね」
「いいえ。ありがとうございます」
爺さんはにっこりと笑うと、知り合いらしいジジババ連中との世間話に戻っていった。
「しかし、こんな賑やかになっちまって」
そもそも、追手をどうにかするために立ち寄ったんだけどなぁ。時間が稼げるだろって。
これじゃあ逆効果じゃないか?警戒もできないし。
「パパ。警戒なら問題ないと思うよ」
「そうなのか?」
「うん」
俺の考えを汲み取ったのか、アイリスがそっと教えてくれた。
「町の入り口に門と生け垣みたいな境界があったでしょ?」
「ああ」
「あれはエルフ族の結界の触媒なの。
エルフの結界魔法ってね、基本的に人間族を寄せ付けないようになってるんだよ。人間族って、森があるとすぐ燃やしたり、切り倒したりするからね。作るそばから破壊されたらたまんないでしょう?」
「そうだな」
「そのエルフの結界がこの町を包んでるわけ。つまり」
「あー……もしかして、エルフの隠れ里みたいな感じで、人間の侵入を阻む?」
「うん、そういうこと」
へえ……。
なるほどなぁ。よくできてるもんだ。
「ん、でも俺は平気だが?なんで入れたんだ?」
「それはね……」
そんな話をしていると、さっきの爺さんみたいに口を挟んでくる人がいるわけで。
「アラ、そんなの簡単じゃないのさ」
「へ?……!?」
そこにいたのは、やたら色っぽい格好をした半魚人ぽい、おば……もとい、おねえさんだった。
「おや。ぼうや、ワタシら水棲人を見るのは初めてかい?」
「あ、はい」
すっげー。美人じゃねえか。
確かにウロコだらけの魚肌だけど、顔は獣人より人間に近いねえ。青い肌だけど、普通にお姉さんだわ。なんだっけ、宇宙の果てで異星人の社会に出会ったっていう、映画のホラ、あのパンなんとかって星の人たちにも似てる。しっぽに触手はついてないけどな。
これが水棲人か……。
「って、痛ぇぇっ!」
「……」
うおぅ。なんかアイリスが無言でお怒りですが、何事?
……あれ?
も、もしかして、これって……?
「あははは、彼女を怒らせちゃいけないねえ。ごめんよ、そんな気はなかったんだ」
「え?……え?」
なんかわけもわからずアイリスを見たり水棲人のお姉さんを見たりしていた俺だけど、
「そんじゃ、一言だけね。
ぼうや。
ぼうやは異世界人だろ?異世界人は魔術的には、アタシらと変わらないのさ」
「そ、そうっすか……え?変わらない?」
「ああ、そうさ」
お姉さんは、その青い肌をぬめぬめと光らせて、楽しげに笑った。
「ま、詳しくは隣の彼女さんに今夜、ゆっくりと聞いてみるんだね。
そんじゃ。……悪かったね♪」
最後のひとことは、どうもアイリスへの謝罪らしい。わけがわからないが。
しかし……魔術的に変わらないって?
「……ふうむ」
俺のそんな疑問は、ワニの解体ショーが始まるまで、ずっと続いたのだった。




