川へ
どれくらい、頭の中が真っ白になっていたろうか?
気が付くと周囲は暗くなっていた。車内も真っ暗になっていて、ただ窓の外に満点の星空だけが見えていた。
「……」
星座なんて見分けもつかない、まさに宝石箱のような星空。まぁ、異郷なら見慣れた星座なんてどこにも存在しないだろうけど。
思わず感傷にひたりかけたのだけど。
「いやまて、ちょっと待て」
それどころではない。目を閉じて頬をピシャリと叩き、自分を叱咤した。
そう、今はそれどころじゃない。
ぶっちゃけると、食べ物と飲み物がろくにない。
今朝から食べたのはチキンカツカレー弁当だけだし、水分もお茶を少しとっただけ。食べ物はまだ飢えるまで時間があると思うけど、水の供給を何とかしなくちゃならない。
異世界だかなんだか知らないが、悩むのは後回しだ。
悩むのは食料と水を確保してからでいい、俺は飢餓でもがき死ぬなんてごめんだぞ。
真っ暗な後部エリアを見る。
キャリバン号はいわゆる軽ワンボックスだ。ゆえに小ささのわりに車室は広く、しかも俺は車中泊しながら外出するのに慣れていた。というより週末はこいつを寝床に出歩く事が多かった。だから色んなものが後ろには仕舞ってある。
さっそく探してみた。
ほどなく飲料水を入れるポリタン、それから小さな釣り竿一式が出てきた。
「夜釣りは……ちょっときついかな」
月夜ならともかく、星明かりの夜ではちょっときついだろう……おや?
「そうだ。ランタンがあったな」
充電式のLEDランタンだ。バッテリーは……夜つけるだけなら数日はもつだろう。
しかもコレ、虫を引き寄せないって謳い文句の光を放つんだっけ。異世界の虫にどうかはわからないが。
ふむ、試してみたほうがいいな。
「近くに川か、それとも防波堤は……防波堤はさすがにないか」
うまくいけば釣りもできるかもだけど、釣り竿が小さすぎる。防波堤や橋の上からちょっと垂れるにはいいサイズなのだけど。
まぁ、探すなら川かな?
問題は、どうやって調べるかだが……?
「……」
地図をさんざ弄りまわったタブレットを見た。
「近くに川はあるかな?」
返事を期待したわけではない。そもそも声を入力するならマイクボタンを押さないとダメだろう。
だけど、タブレットはその一言で勝手に動き出した。
「……」
おいおい。
なんかタブレットも怪しいな。まぁ、それを調べるのは後回しか。
果たして、タブレットには周囲の地形らしいのが映った。
「ほう、東に川っぽいのがあるな。川までの距離は?」
小さな窓が表示され、そこには『直線で約24km』とある。
「直線か。不整地だし、これで走ったらどのくらいかかるかな?」
何しろ完全な不整地だし、こっちは四駆ですらない。道無き道をまともに走破するのは無理だろう。夜明けを待ってソロソロ移動するとして、どのくらいかかるかな?
なんか20分強とか表示出てるけど、この時間で行けるわけないよなぁ。
そんな事考えているうちに、なんとなく周囲が暗いのが気になってきた。
室内灯をつけようと思ったが、この状況でバッテリーに負荷をかけるのもどうかとも思った。
「そうだな、エンジンかけてライトつけて……え?」
エンジンかけようと思った瞬間、車全体がブルっと震えた。メーター類に灯がともり、エンジンがかかったような状態になった。
な、なんだこれ?
なんか普通にエンジンかかったみたいだ。静かだけど。
「……」
Magic Meterと書いてあるパネルに目が行った。
もしかして……よくわからんがガソリンエンジンじゃなくなってるのか?
まさかと思うが、魔力だか何だか、そういうファンタジーなもんで動いてるんじゃないだろうな?
とりあえずシートに座り直し、ベルトをしめた。いつも運転するようにハンドルとアクセル・ブレーキに手をやる。
あ、ちなみに余談だけどマニュアルだ。どうでもいい話だけど。
よし、動かしてみよう。
まわりに舗装路なんてない。
とりあえず見回すと、キャリバン号がいるのは砂漠のようなところではなく硬そうな乾いた土の上に見える。
とりあえず、この場だけで動かしてみよう。
そろっとアクセルを踏んでみると、一瞬の浮揚感があった。
「……え?」
思わず窓をあげて顔を出してみると。
「な、なんじゃこりゃ?」
もしかして……これ、少し浮いてないか?
外を見つつ、じわりとアクセルを踏むと。
「……やっぱりだ」
タイヤや車体が、でこぼこの地面をトレースしている感じがほとんどない。
夢でも幻でもなく、本当に浮いてるみたいだ。
どういうことだろう?
「……」
パネルに目を戻し、Magic Meterのところをまじまじと見た。
と、その隣に見慣れないランプが点灯している。
「なんだこれ。浮遊?」
ブレーキを踏みキャリバン号を止めてみた。
微妙に降りる感触があった。
「……降りてる」
そして、問題のランプも消えやがった。
「……浮上走行ってことか?」
ますます得体が知れないな、おい。
だけど迷っている暇はない。さっさと川にいかなくちゃ。
少し悩んだけど、ままよと思い切って再度エンジンをかけた。
ごくっと喉を鳴らして。
そして、アクセルを踏み込んだ。
走り出してみると、キャリバン号の走行フィーリングはまったく普通だった。
普通じゃないところといえば、地面の凸凹にほとんど影響されない事か。まるで誰もいない高速道路を走っているみたいだった。
だけど周囲の風景は、そこそこ平らとはいえ間違いなく荒野。
タブレットに目をやると、間違いなく川に向かって移動しているのがわかる。
音があまりしない事を除けばキャリバン号は全く違和感なくて、俺は予想外に、本当にリラックスして運転する事ができた。
(ふん。昔の東北道みたいだな)
真っ暗な景色。そして星空。
免許とりたてのガキだった頃、バイクで真夜中の東北道を走った事がある。あまりに車がおらず、外灯も途切れた区画があり、そこで当時の俺は面白がり、ヘッドライトのスイッチも切って走った。
満天の星空の下、走るマシン。快適に回り続けるエンジン。
恥ずかしい当時の記憶の中で、ただひとつ、今も忘れられない幻想的な風景だ。
俺はなんとなく、ヘッドライトのスイッチを切ってみた。
「おお」
すごい。やっぱり綺麗だ。
だけど。
『視界が確保できません。危険です』
なんか突然、タブレットが文句をつけはじめた。もったいないが元に戻した。
なんていうか、アレだな。こいつタブレットなのに、まるで組み付けのカーナビみたいな動作してないか?
ふむ……まぁいい。繰り返すが、怪しいのは後で調べればいいんだから。
タブレットの地図画面をちょっといじると「ナイトモード」というのが出てきた。何かと思ってみたらヘルプがあった。
『闇夜に紛れた移動など、明かりに頼らない索敵をしつつ進めます』
お、ドンピシャ。よし、これを使ってみよう。
ナイトモードに切り替えると、近くにいる生き物なりなんなりが、その大きさと共に映しだされた。
ふむ、進行方向にはとりあえず敵なしと。後ろには……!
「ゲゲ、後ろからいっぱい来てるじゃん」
やはりヘッドライトのせいか。モンスターを呼び寄せてる?
うーむ。
もう一度ヘッドライトを切ってみた。タブレットの苦情を無視して前を凝視する。
ハイビームにしていたわけじゃないし、元々古いクルマのヘッドライトは暗い。そのへんもきっちりと再現されているようで。
「ち、まともに走り回るにはやっぱり暗すぎるか」
月夜なら慣れれば走れそうだった。しかし今は星空の下で、さすがに星明かりじゃ飛ばせない。
ヘッドライトを戻して作戦を考えた。
「いくら浮上走行できるったって、水上はダメだよな……」
ところが、そのひとりごとにタブレットが反応した。
『川の上も移動可能です。ただし高度が低いので、下から水棲の魔物に襲われる可能性がある事、濁流や嵐などで水面が荒れていると、振り回される場合がある事に注意が必要です』
「マジかよ」
さすがに水の上はちょっとこわいぞ。
でも、後ろのモンスターたちを振り切るのには使えそうだな。
そうこうしているうちに川が近づいてきた。
日本のように変化のある地形の中にある川じゃなくて、見渡す限りの平原にある川だ。さすがにわかりやすかった。
「……でかいな」
こっちの基準がわからないから何とも言えないが、これは結構すごくないか?
視界を埋め尽くしつつある土手の風景を見つつ、そんな事を考えた。
日本の河川を見慣れていると、大きな川には必ず盛り上がった高い土手があると考えがちだ。
しかし、それは絶対ではない。
川が堆積物を運んできたりして川岸が丘状態になっているのならともかく、同じ高さの土手が延々と続いているというのはさすがにおかしい。それは護岸工事の結果というべきだろう。つまり人工の風景というわけだ。
「ほほう」
夜明けが近いのか、だんだん薄明かりになってきており、土手の上のキャリバン号からも、その全貌が見えた。
こりゃあでかい。日本なら間違いなく第一級河川だろう。
ただ日本の川と違うのは、あまり川が蛇行している感じがしない事。つまり河川敷はそんな広くないって事だ。本体の川はなみなみとした水量を誇っているみたいだが、流れは決して遅くない。見た目に騙されて大陸の河川みたいなのを想像したら、おそらくひどい目にあうぞ。
「おっと、そろそろいかないとな」
背後の生き物たちの気配が濃厚になった。
彼らにキャリバン号がどうにかできるかはわからない。だけど、見た目だけでいえば、こいつはボロの軽四なんだ。見知らぬモンスターたちで強度試験をする気にはなれなかった。
少し悩み、勾配のゆるそうな所からキャリバン号を河川敷におろした。
よし、このまま対岸にいくか。
ミラーを見ると……うわ!
はっきり見えるようになってきて、はじめて気づいた。
魔物というより、おそらくは肉食獣なんだろう。だけどクマほどもありそうな狼だの、中には恐竜っぽい奴までいる。
冗談じゃない、あんなのにぱっくり食われるなんてごめんだよ!
どんどん川に近づいた。
川面や対岸はよく見えているようだ。ヘッドライトは消そう。
「よし、いくぞ」
クルマで川渡り、人生初体験だ。
まぁ結論からいうと、それは陸上と変わらない。濁流でもないわけだから、まぁこんなものか。
水面下の大きな影にギョッとしたり、センサーと見比べてドキドキしたりとしたが、何とか対岸に到着。無事あがりこむと、見晴らしのよさそうな、しかし川岸ギリギリのところにキャリバン号を止める。
センサー確認。
周囲に動物、危険物、なし。
対岸の生き物たち……渡ってくる気配、なし。
「よし、このまま待機だ」
そういうとエンジンのような唸りが静かになり、キャリバン号が停止した事がわかった。
ふう。
周囲を見渡すと、もう結構明るい。これではLEDライトのテストはできまい。
まぁ、そっちは後でやればいい。
ところで、わがキャリバン号にはルーフがついている。それがどうしたと言われそうだけど、実はこれ結構珍しい。『キャリーバン』は1982年頃にエブリィという別のシリーズになってしまったのだけど、本格的にハイルーフが軽ワンボックスに普及したのはその後だからだ。
では、どうしてわがキャリバン号にルーフがついているのか?
それはわからない。なぜならキャリバン号は、田舎の中古車屋の隅っこに捨てるように置かれていて、とても売り物には見えなかったからだ。俺が買わなきゃおそらく廃車だったろう代物でな。
こういうクルマには得てして、本来のモデルにはないものがついてたりするもんだ。何かから流用したミラーだの廃車からもらってきたシートだのってな。
おっと話がそれた。
さて、そんな謎のキャリバン号のルーフをあける。まぁルーフといっても透き通った天窓なんてオシャレなものではなくて、ただの屋根だけどな。元のキャリバン号では半分錆びていて、たまにメンテの時に動かしてないと、油をささないと動かせなくなる厄介な代物だったが。
はたして、スッと綺麗にルーフは開いた。おお感動。
冷たい空気が入り込んでくるのも構わず、乗り出してみた。
「おお」
文明のカケラもない川岸。冷たい風。遠くの地平。
それはとても優雅で、荘厳で……そして、何か胸に訴えるような風景だった。